臨戦・急術者餓鬼一掃

 懐から先ほど光明真言曼荼羅法に使った札と入れ替わりに三枚の札を抜き放つ。

 地獄の門の顕現のためにも先の札は起動させ続けなければならない。昼の晴天との模擬戦で消費した呪力もある。

 ここから先は厳しい戦いになりそうだ。


 ちなみに、これはおまけなのだが、今目の前にいる三匹はまごうことなき手練だ。正直三匹同時に相対するなど、平時ならば絶対にしない程度には。しかし、だからといって周りを取り囲む鬼どもが雑魚かと言われれば、それもまた違う。

 こいつらは、俺が地獄への門を開いた時に素早く危険を察知して退避したやつらだ。今も後ろで雪崩落ちるように地獄へと落ちていく鬼どもとはまた一つ格が違う。

 まぁ、今は実力があっても密集した周りの鬼どもの圧力で、実力があろうとなかろうと落ちるしかないと思うんだがね。


 それでも今目の前にいるやつらは、あの混乱の中的確に瞬時の退避を選んだ猛者ばかり。今はこの三匹に任せているような雰囲気だが、この危うい天秤が少しでも傾けば、やつらも手を出すことはやぶさかではあるまい。

 俺たちは、今思ったよりも窮地にいるらしい。頬を汗が一滴流れる。


「ところで、だ。もしかしてこのまま三対二で始めるつもりか? ちょっとばかり卑怯じゃあないの? 手加減とかしてくれない?」

「おいおい、口上まで放っておいてその煮え切らない態度とは、少々過大評価しすぎたか? それに俺たちの中から二人で挑めと? それを決めるために俺たち三人の中で喧嘩が起こっちまうよ。せっかくの晴れ舞台なんだ。余計な手間はかけないほうがいい」

「まったくや。一人だけ闘わないなんて、俺たちに我慢できるわけないやろ? こればかりは納得してもらわんとなぁ」

「許せ。ついでに鬼ゆえ手加減という言葉とも縁がないが、それも別に問題あるまい?」


 声を揃えて三匹同時に全力で襲いかかりますと宣言してくる腐れ鬼ども。そのとことんまで潔い戦闘意欲はもうあっぱれと呆れるほかない。

 せめて一対一の勝ち抜き戦でも提案するんだった……その場合周りの鬼どもも参加してきて、もっと面倒なことになりそうだったからやめたんだけど。


「しゃーねーな……」


 しぶしぶ構えをとった俺に喜色あらわに興奮する鬼三匹。これだから戦闘狂というか脳筋の類とはあまりやりたくないのだ。相性が悪いというわけではないが、単純にその暑苦しさにげんなりしてやる気が削がれるのだ。

 まぁそれがあやかしらしいといえばそうだから始末に負えないのだが。


「久咲、右二匹の足止め。その間に左のやつを俺が倒して、あとは一対一」

「了解しました。ご武運を祈ります」

「おーおーお前も気をつけろよ? こいつらも油断してかかれるような相手じゃねぇんだ」


 にやにやとこちらの作戦会議を見守る鬼ども。どうせ、聞いたところでこちらの都合を鑑みるでもなし。しかし、正々堂々とこちらの裏をかこうなどとは考えずに、思ったように動いてくれるだろうことも想像にかたくない。

 ただ真正面から俺たちの作戦ごと打ち破ればいいと考えているのだろう。その竹を割ったような正直さは鬼の美徳だな。やつらは嘘はつかない。俺とは真逆の存在だ。


 神妙に頷き構えを一層研ぎ澄ませる久咲を横目に、鬼どもに語りかける。


「それじゃあ、始めようか。周りのやつらはいいのか?」

「俺たち三人を屠れたならば周りのやつらが相手するだろうが、そんなことは起こりえない」

「というわけや。何の心配もせずに遊んでくれてええで」


 右が、拳と拳を突き合わせその衝撃だけで周りの空気を歪める方言混じりの鬼。

 真ん中が、腕を組み阿修羅像の如き荒々しい鬼気を撒き散らすまとめ役風の鬼。

 左が、静かに鬼気を制御している仰々しい喋り方をする暗殺者の如き隻眼の鬼。


「だから、安心してその命を落とすがいい」


 そして、今静かに俺の首を刈ろうとして久咲に間にはいられたのは、左にいた鬼だ。どうやら、その細く鋭く伸びた五本の爪は見た目通りの首刈鎌だったようだ。おそらく、その静かな鬼気の運用と合わせて無音殺戮を得意とする類だろう。

 鬼にしてはかなり珍しいが、この手の存在も別にいないわけではない。

 殺人鬼だって立派な鬼だ。


「ありがとうな、久咲。なんとなくわかったから向こうの二匹の相手を頼めるか? こいつなら俺一人で大丈夫だから」


 俺の言葉を聞き届けた久咲は、即座に鍔迫り合いしていた爪をその小刀で弾くと、こちらへと凄まじい速度で走り寄る鬼二匹を足止めしに行った。

 その華麗な太刀筋は宙に残影を残し、そこにすら斬撃を残す。霊力の初歩の運用だが、そこそこの精度がなければそんな器用なことはできない。久咲の技量の窺い知れる戦いだ。実際刀一本で鬼二匹を制するなどそういう小技がなければ無理に決まっている。

 はたして、彼らは久咲の技をいくつ開帳させることができるだろうか。見ものだ。


「随分甘く見られたものだな? 一撃目もお前は対処できていないように見えたのだがな」

「ああ、確かにお前さんの動きは見えなかったよ。だが、何をしてくるかわかればそれに対する対策も見つかる。つまりはこういうことだ!」


 言葉尻に合わせて、手元に握っていた札のうち一枚を足元へと投げつける。それを警戒した鬼は後ろへと飛び退った。

 その体格にしては細めな、しかし引き締まり走ることに適していそうな脚はやはり鬼として十二分の瞬発力を兼ね備えているようだ。が、今は特に関係ない。

 着弾した札はもくもくと煙を発し、俺と鬼との視界を閉ざす。煙に消えていく俺の笑みを見た鬼は、一体何を仕掛けてくるか警戒せざるを得ないだろう。

 だが、これは所詮攪乱に過ぎない。本命はまだまだだ。


(……聞こえますか……久咲……道臣です……今……あなたの……心に……直接……語りかけています)

(そういうのはいりませんから、ご要件を手短にどうぞ。さすがに冗句に付き合っているほどの余裕はありません)

(つれないなぁ。あまり余裕なくしすぎてもつらいぞ? まぁ、そいつらが強敵なのもわかるし今回は許そう。これからちょいと大仕掛けをやるから、巻き込まれないように気をつけてな)

(どの口がそれをっ、ひっ、掠った! わかりました! 何するかはわかりませんが、手早くお願いします! 思っていたよりもきついです!)


 まぁ自分の識と直通の思念回線を開いていない術者の方が珍しい。最近は使わなくても顔見りゃなんなく通じる程度にはなってきていたから、戦闘時以外はあまり使っていなかったけれど。

 というより、晴天との模擬戦の時も指示を出そうと思っていたのに、俺が何か言う前から察した表情をされて、しかもそれが的確に俺が思い描いた通りの行動につながるというのは、久咲は一体何処に向かおうとしているのだろうか。


 その狐の特徴は俺という主の反映ではあるが、そこまで内面が似なくてもと思うのは俺だけだろうか。

 戦闘に関しての悪辣な思考以外は以前通りだからこそ心配にもなるというものだ。


(あいよ、了解。少し待ちな)


 辺りに広がった煙に包まれたままの俺は、視界がはっきりとしない。鬼の方も俺が今煙の中のどのあたりにいるのか把握できていないのだろう。襲いかかってこようとしない。ここまでは同条件だ。

 だが俺にはいくつか情報において鬼に優っている部分がある。

 それは、だ。


「ふっ、煙を撒けば攻撃されないとでも思ったのか? 甘いな。煙の中の風の動きでお前の位置など簡単に把握できるわ」


 この煙の海のすぐ後ろには地獄への大穴が空いており、なおかつ鬼の方からは煙のせいでその正確な距離感が掴めないということ。

 そしてもう一つ、札の効果は煙をばら撒くだけではなかったということ。

 つまり、実際に何が起きたかというと。


「なっ!? 血が出ない? これは偽者か!? いつの間に入れ替わった!」


 やつは身代わりを俺と勘違いし、首を刈りに行ったということだ。そして、やつは地獄の淵に立っている。

 ちなみにその間に、俺は煙を抜け大通りに面する民家の屋根の上に避難している。

 そう、避難。今地上にいれば、これから使う術に巻き込まれちまうからな。


「お札さん、お札さん、ちぃとばかし俺の代わりになってくれてありがとうよ」


 俺の声が高いところから聞こえることが一帯の鬼にも今ので伝わっただろうが、今更もう遅い。準備は完了しつつある。


「お次はちょいと大山出してくれると助かるぜ」


 そう俺が二枚目の札に託しながら投擲すれば、札は真っ直ぐ飛翔し、鬼どもの囲いの真後ろに着弾する。

 どうやら、いくらかの鬼どもがここに残っただけで、止められなかった分の鬼どもはもう先に進んでしまっているのだろう。さすがに俺にも限界がある。すべての鬼を止めることは不可能だったということだ。


 だが、ここにいる鬼どもはもう逃がさない。

 囲いの真後ろに着弾した札は輝きを発しながら、大通りの端から端までに一直線に光の線を浮かび上がらせる。

 その光に沿って堅牢な岩壁がそそり立ち始める。慌ててそれを飛び越えようとする後ろの方の鬼どもだが、飛び上がった途端に急激に速度を増して伸び上がり始めた壁に正面衝突し、全員伸びてしまった。ざまぁ。


 さぁ、これでこいつらは籠の鳥だ。大通りから抜ける道は壁までの間にはなく、かといって逆側には冥府につながる昏き大穴だ。逃げることは許さない。


「おい貴様何をしようとしている! 俺と一対一で戦うのではなかったのか!?」


 下の方でさっきの鬼が騒いでいるが、知ったことか。いつ誰が正々堂々真正面からぶつかると言った。

 何か似たようなことは言ったかもしれないが、それを真に受けるほうが悪い。俺は鬼と違って嘘はつくし騙ってなんぼ。これだから馬鹿正直な種族は与しやすいんだ。


「残念ながら、最初に言った通り俺らは騙して騙って化かしてなんぼ。すまんなぁ、きちんとした戦いをしてやれなくてよぉ。次に会ったときはもう少しまともに相手してやるから、少しばかり、地獄の底で待っていな!」

「まて、待て待て待て待て、何をしようというのだ!? まだ戦いは始まったばかりだろう!?」


 喚く鬼を無視して最後の札を握る。さすがに騒がせすぎたのか、残りの二匹の手練もこちらを注視している。久咲は肩で息をしているが、幸い大きな怪我はなさそうだ。掠り傷で服がまぁまぁ損傷している事を除けば、十分にやった方だろう。

 あんなえろい格好で局のやつらと合流するのは目に毒だろう。一旦家に帰って替えの服を着させるべきだろうか?

 これでもおそらく大部分の鬼を処理できたはずだから、それくらいの余裕はあると思うのだが。


 多分、局のやつらはこの百鬼夜行の尻の方から何とかしてくれているはずだ。局長ならばそうするはずだし、晴天もいるならそっちの方が効率がいいだろう。

 空がたまにやっているげぇむで言うところの、無双げぇむのように鬼をばったばったなぎ倒しながら進軍中に違いない。あれは爽快感に満ち溢れていて随分楽しそうだった。俺には操作が理解できなくて断念したのだが。


「さぁ、お札さんよぉ。ちょっとばかし、大水出してくれると助かるなぁ?」


 俺が最後の結びの言葉とともに札を岩壁に向かって投げつければ、札は光輝きその表面から大量の水を吐き出し始めた。

 その水は洪水に匹敵する量で、伸びてしまった鬼はもちろん、それ以外の鬼どもも巻き込んで押し流してしまおうとする。

 向かう先はご想像の通り地獄。また閻魔大王様には迷惑をかけるが、これだけ大量の鬼を送り返すだけでも充分迷惑だろうから、今更川のごとき水が降り注いだところであまり苦労は変わるまい! そういうことで今のところは流しておく。水だけに。


「貴様ぁ! 許さん! 許さんぞ! 次会った時は覚悟しておけよぉ!?」


 さっきまで叫んでいたあの暗殺者のような鬼が、ほかの鬼に巻き込まれて地獄に落ちていく様を見届けた俺は、そっと胸を撫で下ろすのであった。


「よーし、これで一通りの処理は終わったかな? もう行ってしまった鬼以外はこれにて調伏一旦完了。まぁあとでこれ全部式かけ直しだからまだまだ終わらないんだけど……はぁ」


 眼下で鬼どもが泣き叫びながら濁流に抗おうとして流されていく様を見ながら、一呼吸する。

 だが、そうは容易く問屋が卸さない。


「先に一言あったのは許しましょう」


 それこそ地獄の底から響いてくるような冷たくおどろおどろしい声。


「ですが、あの一言だけでこの馬鹿みたいな規模の術式を回避しろ、というのは些か無茶振りが過ぎるのではないですかぁ?」


 首をそれこそ機械のようにぎぎぎと回せば、そこにいたのは般若……と見間違えるほどに怒りをたたえた久咲の笑顔。

 笑顔とは本来威嚇のためのものだったというのは比較的有名な俗説だが、あながち間違いではないのだろうと信じさせるに値する笑顔だった。


「もちろん、あの鬼の囲いを一掃したのは褒められることでしょう」


 いや、全然褒めてない。これほど綺麗な笑顔は今まで数度しか見たことがないというほどに凄絶に綺麗なのだが、何分目が据わりきっている。どこにも優しさがない。


「でも、自分の従者すら巻き込むような術式を組む主には……お仕置きが必要ですね?」


 その身に纏う靄は呪力でも霊力でもないただの錯覚なのだろうが、負の怨念が凝縮されたようなそれを纏う久咲は、それはそれは恐ろしいものだった。

 半ば俯き首を少し傾げたままのそりのそりと歩み寄る久咲に、俺が立ち向かう術はどこにもないのであった。


 どっとはらい。

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