闘将・渡辺綱刀刃乱舞

 呪力の残りも厳しい中で大技を放った影響か、にじり寄る久咲に対抗するための微かな呪力すら練る余裕はない。


 今この場で光明真言曼荼羅の術式を中断した場合、あそこに出現させた地獄への門を閉じるためには、かなりの呪力量をもって相応の術師が正規の光明真言曼荼羅法を行わなければならなくなるだろう。

 その面倒を避けるためにも術式を維持し続けなければならず、しかし呪力供給を誰かに変わってもらうまでもたせる程度しか俺には呪力が残っていないのだ。


 術式の起動は俺くらいしかできない強引な術式だが、維持するだけならある程度術式を理解できて呪力を扱えるものなら誰だっていい。もうしばらくは門を維持した上で閉ざしてもらわねばならないから少しの実力はいるが、実力だけなら中級退魔師程度でも十分に条件を満たすのだ。

 まぁこの狂った術式を理解できる中級なんてしかいないだろうけど。


 それをわかってかわからいでか襲いかからんとする久咲。

 一歩ずつ後退りするも、ここは民家の屋根の上。その広さは察せる程度しかない。もうあと数歩も下がることはできないだろう。

 上がるときは軽功の真似事で容易く上れたが、こうなってしまえば俎上の魚。さすがに何の備えもなしに、二階建ての民家の屋根から飛び降りる度胸はない。


「なぁ久咲。ちょっとばかし今俺にはふざけてる余裕はないんでせうが」

「ふざけないで結構。むしろ真面目に反省を促すところです」


 やばい。本格的に冗談が通じないやつだ。

 しかし、俺に久咲の魔の手が伸びようかというちょうどその時、やはり神はいつも見てくださっているのか、俺に相応しい展開がやってきた。


「っちょ、まっ、痛ぇ!? 潰れる潰れる!」


 もちろんそれは救いの手などではなく全然なく、当然のように鬼の手だったわけだけれど。


「よくもやってくれたわいなぁ。我以外は全員地獄の底へまっしぐらよ」


 そこにいたのは手練三匹の鬼のうちの一匹だった。まとめ役風の方ではなくこいつの方が残ったというのは些か意外だが、見た目から言えばこちらの方が屈強であるから当然といえば当然なのかもしれない。

 人を呪わば穴二つ。術師の最期なんて大概こんなもんだと、走馬灯が流れ始めるのを認識する。諦めが早いと思われるかもしれないが、こんなものだろうと自嘲する。

 久咲は俺自身を人質にされて動けないし、俺自身もここから術を組む余裕を与えてもらえるとは思えない。先の大波の文句を言いたい放題言われたあとに、握りつぶされるか頭から囓られて死ぬか。


 そんなお先真っ暗な事を考えるよりは、昔の少しはまだましな楽しい記憶を思い出していたほうが百倍有意義というものだ。


 まだ本家に縛られていた幼児期、空というができた幼少期、本家の者たちからも遠ざけられ始めた少年期、晴天と空と馬鹿やっていた青年期、そしてそのまま今に至る……長いようで一瞬だった短い青春。

 少しは大人になってきたつもりだが、まだまだ若者。俺だって別に枯れてるわけじゃねぇ。もう少し生きてみようってそう思えてたのに。

 まだ浸るには全然早いって、そう思えるのに。

 

 まったく、敵をきちんと処理しきれたかどうか確認を怠っていちゃついたりしてたからばちが当たったんだな。来世があれば、敵を殲滅したあとに確認し忘れたりしないようにきっちりとやりたい。

 前に倒したと思って油断していたところをあやかしに逆襲されて以来、かなりそこらへんには気を配っていたはずなのだが、久咲がそばにいるということで緩みきってしまっていたらしいな。

 久咲は有能な従者ではあるが、決して万能ではなかったのだ。そのことをすっかり頭の片隅に追いやっていた俺の落ち度だろう。


「貴様! 道臣をはなせ!」


 総身毛羽立たせて久咲が威嚇するが、鬼はどこ吹く風でにやにやといやらしい笑みを浮かべている。

 俺の危機は久咲にとっても直結した危機となる。その身に宿す傷ついた霊格を俺の識で補強することで現界している久咲は、俺が死にその識が失われればたちどころに存在していることができなくなってしまうだろう。

 普通の式とは違い久咲のためだけに俺が創り維持している識は、俺の手を離れても正常に動作する他の式とは違って繊細なつくりなのだ


「わっははは、そう言われてはなすやつがどこにいるかっ。こやつには同胞たちの恨みつらみをその身一身に背負ってもらわねばなるまいよ。そう簡単にはなしてやることはできん」


 彼女は冷や汗を流しているが、その源泉はどこなのだろうか。自身が消滅の危機に瀕したことに対する焦りと恐怖だろうか、はたまた俺の命が今にも摘み取られようとしていることに対して危機感が欠如していたことを悔やんでいるのだろうか。

 どちらも俺の生死に起因するから同じと言ってしまえばそれまでだが、やはり細かい感情の機微を気にしたくなるのは、己の信条に由来するのだろう。

 騙し騙され騙り騙られ、この世はとかく生きづらい。

 信じ信じられるものはこの世のどこにあるのだろうか。


 俺の曲解は屁理屈はこじつけはの加護だ。俺自身の力ではない。確かにあの神に気に入られるということ自体が、才能というよりある種の因縁めいた生まれついての宿命だったのだろうが、純粋には借り物の力だ。

 俺はまだに借りを返せていない。返さなくてもいいとは言われたが、そこで無視できるようならばこんな人生を送っていない。返さなければならない。

 ならば、こんなところで死んでいる場合ではないのだ。ならば、こんなところで危機に陥っている場合ではないのだ。


 使うのだろうか。使わねばなるまい。ほかになんとかできる状況ではない。死ぬよりはましだろう。死ぬなんて許されないのだから、仕方ないだろう。


「ま、この男の命は諦めるんじゃなあ。というわけで、まずは頭でも叩き潰してやろうかいな。このまま握りつぶしたんじゃ芸がない。高い高い場所から地面に叩きつけられるまで、我が身の不幸を呪うがいいだろうよ」


 彼女に今の状況をたっぷりと認識させたあと、鬼はついに俺に手を下すことにしたようだ。

 俺の方も覚悟が決まった。例えがあろうとも、この身滅びることは許されない。ならば、それは必要な犠牲なのだろう。仕方ないな。


「久咲、ごめんな」

「道臣! 道臣ぃ!」


 その剛脚に相応しい溜から一気に上空へと跳ね飛び出した鬼。

 その跳躍が最高地点に到達し、そこは遠野のすべてを眼下にその上空には月だけが浮かぶ正真正銘の支えるものなき宙の天辺。

 同胞たちを葬り去った俺に鉄槌を下せることを歓び、海老反りになって月夜に轟かす鬼の咆哮。その響きはただただ荒々しく暴力的で、なによりも歓喜に満ち溢れていた。

 その身に宿す剛力を、暴力性をすべて開放して俺に八つ当たりしようとするその姿勢はまさに鬼としての本能に忠実だった。


 遠野に聳え立つ高層建築郡よりも尚高いそこから地面に叩きつけられたなら、俺の体は原型をとどめていられないだろう。簡易の結界術程度なら今でも使えるが、それが何かの役に立つ高度ではない。


 天高く飛び上がったその大柄な手に握られたままの俺は、その高みから遠野の都市すべてと、更に空高くから照らす満月に一歩足りない銀月を視認する。

 これらすべてが俺の宿命だったのだろう。これからそれらを今一度心に眼に刻んだ俺は、に託された最後の力の封を解こうとして……。


 そして、それに気づいた。


「一つ、鬼に逢うては鬼を斬り」


 いつからか地獄の門へと落ちていく鬼がいなくなっていたことに。視界のどこにも鬼の大群が見つからないことに。


「一つ、神に逢うては神を斬る」


 きっと後方から追っていただろう退魔局の退魔師との戦いに行ったのだろう。地獄への抜け道の存在に気づいて撤退を開始したのかもしれない。


「一つ、仏に逢うては仏を斬り」


 それでも、なぜだかそれらの鬼が未だ現界しているということだけはないという確信を抱いた。

 なぜだろうか、それは、その強大な鬼気にも似た呪力の到来が教えてくれたのだろうか。


「一つ、父母に逢うては父母をも斬らん」


 その大地に空いた大穴の淵へと走り寄る姿を認めたからだろうか。

 俺の身長にも迫るほどの長大さを誇る大太刀。鬼を斬り、あやかしを屠ることにその機能を収斂させた太古よりの妖刀。


「これをもて解脱を得、透脱自在とならん」


 その銘を名物・童子切安綱。

 数多の鬼を斬り捨て、何代にも渡りその怨念を啜ったことで妖刀と化したあやかし破りの稀代の名刀。

 その力は鬼を斬り捨てれば妖力を啜り、あやかしを斬ればその分斬れ味を増すという。


「故に」


 そしてそれを振るう、額に一角の天をも突かんとする捩れ角を抱く武芸者が一人。

 その名を渡辺橘花。

 またの名を、五十八代目渡辺綱。

 代々その刀を振るい世に蔓延る悪しきあやかしを狩り続けてきた一族。人々が忘れた畏れをいつまでも恐れていた賢者の一族。

 その現棟梁。退魔局の局長でありながら、術を使わず刀をもって調伏を行う生粋の武者。

 二つ名は”力”、”刀聖”、そして……”鬼武者”。


「この無念無想の一刀に」


 そんな彼が、人の身には出せないような素早さをもって大穴を飛び越えんと大跳躍を果たす。

 夜空に激昂する鬼がその存在に気づいた時、それは既にすべてが間に合わなくなったあとなのだった。


「斬れぬものなど」


 夜空に浮かぶ自身へと一直線に弾丸の如く飛び込んでくる影を視認した鬼は、呵呵と大笑しながら俺を握った拳でその影を迎撃せんとした。

 命知らずな突撃野郎を誅したついでに俺にも苦痛を与えられるのだから、一石二鳥だとでも思ったのだろう。

 それがどれだけ愚かで、楽観的な考えだったのか、彼はその最期に気づくことはできたのだろうか。


「二つとなし」


 その声が聞こえるほどの距離に近づいてきた時、彼の姿を見た鬼は何を思ったのだろうか。歴戦の鬼の如き角、纏った鎧の猛々しさ、その手に握る刀の禍々しさ。

 そしてその身から溢れ出す、辺りを蹂躙する鬼気としか思えぬ荒々しい呪力。

 それは人ではなく、まさしく鬼が兼ね備えるべき特徴すべてを煮詰めたかの如き鬼神の武者そのものであった。


「斬捨て御免」


 一瞬その姿に怯んだことがこの鬼の一番の失敗だったのだろう。

 次に俺が気づいた時には既に局長は鬼の後方へとすれ違い、そして俺を圧迫し続けていた圧力はいつの間にか少し緩み俺に余裕を取り戻させた。


 余裕が出来た俺が鬼の方を振り向けば、鬼の両腕はその肘から斬り落とされ、その体に至ってはおそらく十二ほどの数に裁断されていた。

 あの一瞬で六太刀の斬撃を入れた局長の技の冴えに戦慄するとともに、彼が駆けつけてくれていなかった時のことを思って肝を冷やす。


 宙に浮く局長は残心の姿勢のまま銀月にその後ろ姿を晒し、おそらくこのままその先にある高層建築の屋上へと着地するのだろう。

 それを見送り、危機を乗り越えたことでほっと胸をなで下ろす。

 俺の方も鬼が倒されたならば捕らわれたままでいる必要もない。緊張感の抜けてしまりのない頬をしながらその腕から抜け出そうとする。

 ……抜けない。死後硬直だかなんだかわからないが、どうやら力が緩まっても俺が抜け出せるほどには弱まっていないようだ。


 そして飛び上がった鬼の勢いが失せてきたのか、段々と俺と鬼の腕は下降を始める。

 なるほど、このままだと抜け出す間もなく地面へと真っ逆さま。鬼の当初の予定通り俺の体は柘榴のごとく、ということか。

 さらに洒落にならないことに、上空を吹き荒ぶ夜風に運ばれ大穴へとぐんぐん速度を増して落ちていく……。


「ってどうしろっていうんだよ!? 久咲! 助けてくれ久咲ーーーー!?」


 喚けど叫べど久咲に聞こえるわけもなし。思念ならば言伝を伝えることもできただろうに焦った俺の頭にそんな考えが浮かぶわけもなし。

 あわや万事休す。さすがに地獄へ赴くのにあの門を開いて通行する己といえど、降りるときには浮遊術を使いながら慎重に下りていくのだ。こんな勢いに任せた馬鹿みたいな直滑降ではない。

 誰が好き好んでこんな高さから飛び込み決めなきゃならんのだ。旧世界ではこれが娯楽の一つだったというが、どこに楽しさがあるのだ。命の危険しかないわど阿呆。


「うぉおおおおおおおおおお。これが地獄に落ちるってことなんだぜぇええええええええ。その身をもって体感するのはなかなかない貴重な体験だよこんちくしょおおおおおおおおおお」


 もうだめだ。地面はすぐそこ、つまり大穴の入口にご案内だ。

 あの穴は面白いことに周りよりも重力が強い。何が言いたいかというと、あの大穴に少しでも入った瞬間一気に引きずり込まれる。基本的には抜け出すことはできないのがあの入口なのだ。

 俺が地獄から帰る際は、向こうでもって破地獄の真言を唱えて無理矢理現世に繋げちまうからあんまりそのことを意識したことはなかったが、本来は無理な脱出ができないのが地獄の特性なのは至極当然だ。

 彼の仏様ですら蜘蛛の糸一本垂らすのが限界だったというのだから、どれだけ地獄が特権的な監獄かは知れるというものだ。


 つまり、この世から物理的にさようならだと思ったら、また違った意味でさようならしそうなのが俺ということだ。

 おそらくこのまま地獄へ直行すれば、そこで地面にぶつかって一度死ぬ事になるだろう。そうしたら閻魔大王様のことだから喜々として俺の舌を引き抜く。舌を引っこ抜かれたら俺はなんの術も唱えることができない。

 確かに魔法陣や曼荼羅を利用した術式なら組めるが詠唱がなければ効果は半減、地獄の引力を剥がせるほど効果を出すことはできないだろう。


 やはり俺の命運尽き果てぬ。局長に助けてもらったと思ったら今度は対応不可能な死が俺を襲うというのは出来すぎた二段構えではないだろうか?

 今更この地獄の門を閉じれば良いのではと気づいたが、今門を閉じても閉じきる前にその入口を抜けるのは確定的に明らかな上に、それがもし間に合っても地面に叩きつけられることになんの変わりもない。

 ああ、これが本当の手詰まりなんだな、とまたしても流れ始めた走馬灯に今度こそ浸る俺。


 結局も久咲も空も放り投げて先立つ不幸をお許し下さい。

 そう、神に祈るしか俺に出来ることはないのであった。

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