列強・後無双竜虎相搏

「なんでですか晴天さん。どう考えって不正しかしてないじゃないですか」

「そうだね、確かに彼は少し狡い手を使った。で、それを制限するはずの制約はどこにあったんだい?」

「どこって……不正を確認して見破られたら負けだってあいつが言ったんじゃないですか!?」

「そうだね、道臣はそう言ったよ。でも、きちんとその前にと言った。試合が始まる前に何かを仕掛ける行為は何も制約に反しないよ」


 そう、俺は試合開始後のいかさまは封じたが、試合開始前に何かすることを制限したりはしていない。だって試合開始前に何をやったって、それは戦うための準備でしかないだろう? 準備が足りなかったので勝てませんでしたじゃ話にならないのだ。

 勝負というのは流暢に、始まった時点で勝敗が決まっているべきだ。

 土壇場で新たな札を切って大逆転というのも嫌いではないが、もっと余裕を持って当たるべきだろう。退魔師の存在は貴重なのだから、一々ぎりぎりの戦いをしないで欲しい。


 それに久咲は俺の識である。確かに独自の意識を持ち、自分で考えて行動するが、晴天が符を使い俺が札を使うのと久咲を使うことになんの違いもありはしない。極論してしまえばどちらも俺の道具なのだ。

 俺は久咲のことをそう思ってはいないが、世間にはそう思うようなやつらも一定数存在する。胸糞悪くなる話だが、うちの局にもそういう手合いの腕利きが一人いる。

 俺ら三人の影に隠れてはいるがやつもなかなかに強かだ。そういえば、ここ数週間ほどやつの顔を見ていないがどうしたのだろうか。

 ついにくたばったとかならば、後片付けさえ回ってこなけりゃ嬉しいのだが。


「そんな……それで見切りで始めたから晴天さんが負けだって言うんですか!? 納得いきません! 第一どちらが強いかを証明するために始めた模擬戦だったじゃないですか! そんなことでいいんですか!?」

「おう、いいかげんにしろよ。俺も晴天も最初から全力でやってついた勝負じゃねぇか。言っておくがな、晴天があれだけの速度で符の抜き撃ちなんてやるのはかなり珍しいぞ。おかげで俺の方もかなり真面目に障壁張る羽目になった」

「だからなんなんだ! 本当の実力を見せるのが怖いのかこの臆病者!」


 ……こいつ、今何と言った? 俺を臆病者と言いやがったか?

 臆病者、臆病者、臆病者。

 あぁ、その言葉、最後に聞いたのはいつだったか、あれは確か満月の晩だった。

 血濡れた毛並み、月に輝くその瞳、恨み篭ったその言霊は俺を犯し……。


「……晴天すまねぇ。ちょっとばかし付き合ってくれねぇか」


 俺の目に過ぎった感情を読み取ったのか、晴天がふぅとため息を漏らす。それに加えて肩をすくめて両手をやれやれとばかりに持ち上げるのだから、俺の慟哭は加速する。


「仕方ないね。このまま放置したんじゃ毅が廃人になってしまうよ。おいで、その憂さ晴らし、監督責任もあるし僕が引き受けた」

「すまねぇな、あんな卑怯な真似仕掛けた俺から再戦申し込んでよぉ」

「いや、構わない。それにしても道臣。感情を制御するのが上手になったね。やっぱりこれも久咲ちゃんのおかげかな?」


 ああ、そうだろう。久咲がいなけりゃ俺はこんなに理性的でいられなかっただろう。あそこで久咲を失っていたら、きっと俺は

 それでも、例え久咲が生きていたって、消せないものもあるのだ。本音を言ってしまえば今ここであの仔犬の首を頸ってやりたいところだが、晴天の顔もあるし、第一ここで短慮に及ぶ不利益の方が大きい。

 漸く手に入れたこの日常を手放すわけにはいかない。俺の目の前でぶるっちまってる仔犬は幸運だな。

 ふと離れたところにいる久咲に目をやれば、心配してますと顔だけじゃなく耳と尻尾にまで出てやがる。全く、お前が一番気にしてどうすんだよ。これは俺の問題だ。


「まぁ、ありていに言ってしまえばそうなるだろう。俺も丸くなったもんだろう?」

「だからといって、ここから先は真剣勝負。丸いままじゃあ勝てないよ?」

「おい晴天。まさか俺が丸くなったからって楽に勝てるようになったとでも思ってんのか?」

「それこそまさかだよ。君の普段がどんなに変わったとしても、それは変化なんだろうけど本質的ではない。君の本質は移り変わり本当がないことだ。君はいつでも虚構の底から真実を求めている。ま、僕から言わせれば君も随分遠回りをしているなってところなんだけど」

「はん、俺の性質なんて興味はない。が、わかってるようだからよしとする。俺は丸くなったからって優しくはねぇぞ晴天」


 再び距離を離して向かい合う俺たち。

 詰め寄ってきていた三人組の黒一点は慌ててまたもとの位置に走り寄る。啖呵切ったくせにその後俺に一言もかけないとは大しただ。反吐が出る。

 先ほどの焼き直しかのように、俺は札を手に晴天は符を構える。久咲が俺の傍にやってこようとするが、手を伸ばしそれを制止する。

 確かにここから先は本当の真剣勝負。本来ならば俺の主戦力となりつつある久咲を使うべきなのだろうが、それはこのには相応しくない。所詮は俺の苛立ちを収めるための試合だ。

 今久咲を使ったら、本格的に取り返しのつかないことをしでかしかねない。第一、晴天は久咲を使う俺とは未だに戦ったことがないのだ。こんな精神状態の俺を相手に初見殺しを食らって耐えられるとは思えない。

 別に晴天を侮ってるわけじゃないが、さすがに無理なものはある。だが、久咲なしならばこの暴力衝動に支配された俺はいつもよりも御しやすいだろう。俺の頭の冷静な部分がそう判断しているのを、どこか遠くから眺めながら久咲へ声をかける。


「久咲。これは俺の八つ当たりだ。俺だけにやらせとけ」

「しかし……」

「そう心配すんな。ある程度発散したらまた元通りだ。禍払いと同じ原理だよ」

「……ご武運を」


 久咲は未だに何か言いたげだったが、それだけのやりとりでまた離れた位置に待機する。ただ、その手は印をいつでも結べるように準備され、俺の暴走にも突然の事故にも対処できるようにされている。

 先ほどの勝負では起こり得るはずがなかったからしなかったその動作は、これからの戦いが本当にそれだけの備えを必要としていることを意味する。


「さて、晴天。やるか」

「仕込みはいいのかい?」

「細工は流々あとは仕上げを御覧じろってな」

「ふふ、やっぱりそういう時の道臣の方がやりがいがあるよ」

「制約」

「さっきと同じでいいよ」

「久咲、俺の代わりになんの小細工もなく銭を投げろ」

「了解しました。お二方の用意がよろしいようでしたら、投げさせていただきます」


 一息にそこまでのやり取りをした俺たちは、そこで再度眦を交わす。


「いくぞ」

「いくよ」


 俺らを中心として周辺に威圧が満ちる。久咲の毛が逆立ち、三人組は引き攣った顔でこちらを遠巻きに見ている。別に呪力の開放なんてしていない。これはその前段階でしかない。

 銭が久咲の手を離れる。その、回転しながら舞い上がる銭がゆっくりと地上を目指す。その様が段々と遅くなっていく。極度の集中に入った俺と晴天は銭が地面につくのを見逃しはしない。三、二、一、今。


「ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン! 急々に律令のごとくに行え!」

「急急如律令!」


不動金縛りの呪と太い植物の蔓が空中でもつれ合い、奇妙な芸術作品のようになった。

すかさず次の符を撃った晴天によってそれらの呪は燃やし尽くされ、その威を増して俺をも燃やし尽くさんとする。

木生火、教本通りの五行相生。それに簡易的に足踏みと手振りの雨乞いで起こした雨を叩きつける。

炎の勢いは落ちるも鎮火できるほどではないが、それで構わない。

俺が懐から銭投げをしたのと、晴天が植物の蔓を今一度襲わせてきたのはほぼ同時だった。

そこから先はいくつもの変化が同時に起こった。

雨の水気を吸いさらに巨大化した植物は炎をより燃え上がらせ、雨では対処できない次元へと押し上げる。俺に投げられた銭はその金の意味を強調され、植物を切り刻みしかし炎の勢いを強め、そして雨の勢いすらも増加させる。

陰陽術を使う者同士が戦うと、五行をいかにうまく活用するかが戦いの鍵となる。

今回は晴天が相生を、俺が相克を駆使することでお互い違った立ち回りをしている。

雨によって消されない炎と、しかし土砂降りと化した雨。視界は最悪だ。

だからこそ、今この場でが真価を発揮する。


「オン・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャクウン・バンコク。オン・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャクウン・バンコク。オン・マカラギャ・バゾロ・ウシュニシャ・バザラ・サトバ・ジャクウン・バンコク」


俺の真髄は誇張と誤用。ならば、この呪で発動する効果といえば。

土砂降りの雨に俺の詠唱を掻き消され聞き取れなかったのだろう晴天は、視界不良を嫌ってその炎を消し、代わりに俺の周りに土で作った洞を出現させる。

俺は慌てず洞の周りに植物を呼び出し、洞を逆用し強固な壁を作ろうとするも、晴天が鉄の檻を地中より出現させ、それらの植物を断ち切る。

それに伴い雨が止み視界が良好になった瞬間、俺を見た晴天は動きを止める。

そうだよなぁ、に攻撃するのは躊躇うよなぁ。

愛染明王の祝詞を悪用した魅了の呪。本来ならば三十万回の詠唱を三回まで絞り、効果を一瞬の魅了へと変更したそれは、ここで素晴らしい瞬間を生み出した。

雨を払うほどに強力な金気に満ちた場だ。そしてここには全ての気が一度は巡り相克された跡がある。


「さぁ、晴天。もう一度巡ろうかぁ?」


晴天の頬に一筋の汗が流れる。


「冗談だろう?」


俺の左手の札は目に痛いほどの輝きを灯し、俺の右手は手刀の形になっており、既に九字を切りきったあとだ。


「オン・キリキリ・オン・キリキリ・オン・キリウン・キャクウン」

「オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ! 急急如律令!」


晴天は慌てて腰から新たな符を取り出し、それを撃つ。おそらく虎の子だろうその符は確かに強大な力を発揮した。彼の後ろに幻影が見える。

数え切れない程の多腕のその神々しい様は、千手観音に違いない。

式として押さえ込むには強力すぎるが、一時的に符に力を篭めることは許されたのだろう。晴天の主神のをこんなところで拝めるとは思えなかった。

多分、向こうで目を回しているだろう三人にも初めて見せるんじゃなかろうか。俺ですら数度しか見たことがない。

こんなところで切るにはもったいなさすぎるだろう札だが、残念ながらそれほどの加護があってもこれは防ぎきれない。


「オン・バザラ・シャキャラ・ウンジャク・ウンバンコク」

「しやかしらふじや・しやかしやらねいていれい・ばさら・だるま・きりく!」


次々と千手観音の加護をもって結界を、防護を固めていく晴天だが、だめだ。それじゃあこの術は防げない。

俺が発する呪力が溢れ出し、術に注ぎ込む以上の量が辺りに漏れ始める。

これで結びだ。


「ナウマク・サラバタダギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキ・ギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カン・マン!」

「おん・ぐちぐち・ぐやり・しゃりしゃり・しやりれい・そわか!」


互いが自分のなせる限界の呪力をつぎ込んで術の結びとする。

晴天は千手観音の守護秘法を。

そして俺は、攻撃でもなんでもないただのを。

詠唱で晴天も何の術が飛んでくるかはわかっていただろうが、こいつは特別性だ。

どんなに加護を重ねたって、対精神特化したこの術式を物理結界で阻めるものか。


「急急に律令のごとくに行え!」

「急急如律令!」


次の瞬間起きたことは明白だった。

俺が左手の札より撃ちだした術式が、その千の腕を伸ばし晴天を包み込む千手観音の像を貫き、晴天自身に突き刺さったのだ。

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