異国の剣士
まずレオナの目を惹いたのは褐色の肌だ。
イレスダート人ではない。けれども、彼の言葉にそれほど訛りはなかった。深緑色の髪を束ね褐色の青年は、品定めする目をしている。暴漢たちに痛めつけられたレナードは気を失っているのか動かずに、屈辱と恐怖に耐えていたルテキアも震えて立ちあがれずにいる。ノエルは隠し持っていた短剣をまだ仕舞っていない。それから蓬髪と短躯の男たちに、対峙するレオナに。褐色の青年は、順繰りに見る。切れ長の双眸は
「いま、なんて言った。兄ちゃん?」
蓬髪の男が唾を吐く。暴漢たちは新たな獲物を捕らえる最中だった。おたのしみの邪魔をされたと言わんばかりに、他の男たちも彼を囲む。褐色の青年は
「その耳は飾りか?
彼がその手に持つ大剣はイレスダートでは使われないものだった。そう。レオナが彼を剣士だと認めたのは、そこだ。褐色の青年が着込んでいる外套はずいぶん年季が入っていて、それだけで旅慣れた者だということがわかる。助けてくれるのだろうか。レオナは胸の前に手を当てる。暴漢たちが暴れ出したのはそのすぐあとだった。
「この街の
蓬髪の男が叫んだのを合図に、他の男たちが褐色の青年に飛びかかった。レナードのときとはちがって
次に瞬きをしたときには、湾刀を掲げていた男の右腕がなくなっていた。なにが起こったのか。わからなかったのは、レオナだけではなかったようだ。静寂は一瞬だけで、湾刀の男は叫びながら逃げていった。褐色の青年はそれを追わずに、短刀を投げつけた男の足を斬りつける。これで、もう立つことができない。そして、最後の一人。蓬髪の男は彼が息を落としたその隙に間合いに入っていた。だが、結果はおなじことだ。湾刀がふたつに割れる音がした。
「この街の掟、だと? なら、許されるのは俺だな。弱者からは何を奪ってもいい」
「へ、へへ……。兄ちゃんよう、余所者には掟なんて」
「黙れ。その首、落とされたいのか?」
褐色の青年は、蓬髪の男の首に大剣を当てる。足を切られた男はのたうち回っていて、短躯の男はとっくに消えていた。あれほど騒がしかった客たちも、無関心だった給仕娘たちも息を飲んでいる。レオナも呼吸を忘れていた。
「去れ。お前など、殺す価値もない」
剣士は顎で差す。蓬髪の男はもうレオナたちを見もせずに、仲間とともに出て行った。
「ブレイヴ……?」
見あげたとき、幼なじみは泣き出しそうな顔をしていた。戻ってきてくれてうれしい。けれど、ブレイヴはレオナの名を呼ぶだけで、その声も震えている。だいじょうぶ。わたしは、大丈夫だから。笑みがうまく作れない。でも、わたしはだいじょうぶ。そうじゃないのは――。
「レナード。それに……、ルテキアは、」
レナードの傍にはノエルがいる。ルテキアも一緒だ。しかし、二人とも暴漢にひどい目に遭わされた。特にレナードの傷が心配だ。
「いま、その力を使ってはなりません」
ところが、レオナを止めたのはジークだった。黒髪の騎士は幼なじみの
褐色の青年は給仕娘に勘定を払っているところだった。まるで、先ほどのことが何でもなかったかのように。そういう
「待て。きみは、何者だ……?」
幼なじみの問いに、剣士は気怠そうな目をした。
上顧客に用意されている部屋だけあって、室内は広い。
浴室に洗面台、おまけに台所まで付いている。寝室もふたつあり、ゆうに十人は寝泊まりできる部屋だ。調度品にしてもそこらの安物とはちがう。たしかに、各国の要人たちが使うような部屋だ。
しかし、彼はそう見えない。他に連れらしき者も見当たらずに、その風貌もまた異国の旅人だ。怪訝そうな顔をするブレイヴに褐色の青年は言う。他に空き部屋がなかったのだと。深追いはしなかったが、それでも説明には足りない。とはいえ、こちらにとってはありがたい。とにかくいまは、休息が必要だ。
「レナード、だいじょうぶ?」
カウチに寝かされた騎士の顔をのぞきこむのは、幼なじみだ。暴漢たちに痛めつけられたレナードだったが、ノエルに肩を貸してもらいながら自分の足で歩いてきた。だが、容赦なく殴りつけられたせいでひどい顔をしている。腹部を手で押さえているから肋骨もやられたのかもしれない。
「そのまま、じっとしていてね」
レナードが返事をする前に、幼なじみは騎士の頬へと手を当てた。緑色の淡い光がレオナの手から零れてゆく。やさしく、あたたかなひかり。それは、癒やしの力だ。最初に瞼の腫れが引いた。頬の赤みと血が
癒やしの光が見えなくなると、レナードは勢いよく起きあがった。まず、自分の顔へと手をやって、次に腹や肩をたしかめる。騎士は瞬きを繰り返し、それからレオナを見る。幼なじみはにっこりとした。
「だいじょうぶ? まだ傷むところがあれば、言ってね」
「あ、はい……。ええと、でも、大丈夫、みたいです」
レナードは他人事みたいに言う。何が起こっていたのか。あるいは、何をされたのか理解できていないのだろう。
「さ。次は、ルテキアよ。ここに座って」
レオナはレナードの隣へと腰掛けるように促す。レナードほどではないが、ルテキアの頬を腫れていた。患部を冷やしたとしても、しばらくは痣になる怪我だ。ふしぎな光景に傍付きは戸惑っていたのだろう。しかし、王女の声を無視できずに、言うとおりにする。次はもっと早かった。本来の白い肌に戻るまでの、それこそ瞬きを落とすそのあいだに終わる。緑の光が消えると同時に、レオナはルテキアを抱きしめた。
「ごめんなさい。こわかったでしょう? わたし、すぐに助けられなくて」
「私は、平気です。それに……謝るのは私です。あのような見苦しいところを、姫様に、」
「言わないで。もう、だいじょうぶだから」
幼子を安心させるときみたいに、幼なじみは傍付きの背を撫でる。ルテキアは黙ってうなずいていた。
「ノエル。あなたも、ここに」
ただ静かに見守っていたノエルはきょとんとした。
「いや、俺は、どこも怪我なんて」
「だめ。ちゃんと、見せて」
レオナは騎士をそこへと座らせる。たしかに、二人とちがってノエルは無傷だった。けれども幼なじみはノエルにもおなじ力を使う。最初は頬を、それから拳を開かせる。あのとき、ノエルは耐えるしかなかった。強く口内を噛んでいれば血が滲んでいたかもしれないし、騎士の手のひらにはくっきりと赤く爪痕が残っていた。彼女はそれも見逃さない。
「ありがとうございます」
くしゃりと笑うノエルに、ふしぎそうにしているレナードに、ルテキアはまだうつむいたままだ。三者三様の反応を見せるのも当然だろう。騎士たちは魔力を持たない。だから、魔法というものを目にするのもはじめてのことだ。
もちろん、アストレアにも魔道士はいる。精神を極限まで集中させ、自らの魔力と自然界の力を合わせ、祈りの言葉を口にすることで、それはやっと形となる。強い魔法を使えばそれだけ詠唱の時間も長くなるし、本人の魔力の強さや鍛錬にもよる。しかし、どうだろうか。白の王宮に仕える高位の神官や魔道士たち、あるいは魔法の国と呼ばれるルダの魔道士であっても、印も結ばずに詠唱も破棄して造作なく行うことなど不可能に近い。それも、傷のひとつさえ残さない治癒の力だ。
幼き頃よりずっとレオナを知っているブレイヴにとって、それはごく自然なことだと、そう思っていた。けれども、ちがう。彼女が王家の人間だからじゃない。受け継がれた力は、もっと別の――。
「さすがは王家の姫君だ」
ブレイヴは振り返る。完全に失念していたわけではなかったが、やはりジークが制したとおりに第三者の前で見せるべき力ではなかったかもしれない。しかし、ブレイヴには幼なじみを責めることはできないし、後悔をするなら自分自身にだ。危険な目に遭わせてしまった。皆が無事でいたからよかったなど、結果論でしかない。ブレイヴは、幼なじみの傍から離れるべきではなかったのだ。騎士たちを残したあれが最善だったとしても、彼とこうして邂逅したのが偶然だったとしても。
「きみは、何者なんだ?」
「クライドだ」
おなじ声を繰り返したブレイヴに、褐色の青年ははじめて名乗った。だが、ききたいのはそうじゃない。ジークはずっと彼を警戒しつづけている。たしかに、この剣士は知っていてはならないことを知っている。
「俺が何者かだとか詮索しても、無意味だと思わないか? 目立ちすぎなんだよ、あんたたちは。特に、姫さん。あんたはな」
「その呼び方はやめてください。わたしは、レオナです」
「これは失礼。マイアの王女さまは見た目によらず、なかなか気丈らしい」
渋口にきこえてそうではない。彼は、確信があるから言っている。ならばとっくに、ブレイヴの正体も知っているのだろう。イレスダートの聖騎士。だが、それはたいした問題ではない。ブレイヴは横目で幼なじみを見た。レオナは怒っているようだ。彼女が否定をしなかったことが、裏目に出たとは思わない。彼の指摘はただしい。外套を着込んでいても一目で貴人だとわかる容貌をしているし、挙措もそうだ。
「ジーク」
ブレイヴは騎士を制する。それでも、彼女を知る人間なんて限られている。イレスダートの王女は二人。姉のソニアは北のルドラスとガレリアとの国境で行方知れずとなった。数年前のはなしだ。妹のレオナは側室の子であるから公には出てこない。イレスダートの人間でも彼女の名前さえ知らないはずだ。
「情報屋はどこにでもいる。金さえ積めばな」
腕組みをするクライドはこの時間が退屈そうに言う。ブレイヴはひとつ仮説を立てる。彼が、金を払って情報を買うような人物には見えなかったが、こちらに接触するために必要としたならば筋は通っている。
「ひとつ、助言してやる」
「きみが、敵ではない保証はないのに?」
「ああ。ただの節介だとでも思えばいい」
ブレイヴは微笑しながらも、警戒心を目の奥から消さない。
「あんたたちがどこへ向かおうとしているか知らないが、ここから南へと行くのは勧めない」
「ユングナハルはきみの国ではないのか?」
「だから、忠告している」
その褐色の肌は砂漠の民である証だ。ここからずっと南へとくだれば、荒野はやがて砂地ばかりへと変わる。雨のほとんど降らない
「忠告は受け取る。俺たちが目指すのは、オリシスだ」
「公子……!」
さすがに止めが入った。問題はない。ブレイヴは目顔でジークに応じる。
「アルウェン公か。……まあ、妥当だな」
「知り合いなのか?」
「知り合い、というほどでもないが」
肯定とも否定とも異なる曖昧な返事をクライドはする。しかし、ブレイヴの読みは当たっていたらしい。彼はただの旅人ではない。つまり、この出会いは偶然ではなく必然だったのだ。
靴音が扉の前で止まる。クライドが扉を開いたその先には赤髪の女が一人、オリシス公爵アルウェンとおなじ色だった。
「アストレアのブレイヴ殿ですね?」
見覚えのない顔に、きき覚えのない声だった。けれども、これもまた導かれていたのかもしれない。女はブレイヴの前で騎士の挙止をする。
「私はオリシスのロア。アルウェンの妹です。あなたを、お迎えにあがりました」
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