幼なじみ

 王都マイアは、マウロス大陸でもっとも豊かな王国と名高いイレスダートの中心地である。

 栄光と、希望と、夢と。人々の求めるすべてがこの聖地で叶えられるだろう。

 富も名誉も、強さも勇気も。知識も武力もすべてがここでは集う。絢爛けんらんなる都に一度は訪れてみたいと、若者たちは夢を描く。老人たちの話は何も誇張されているわけではないからだ。

 白亜と大理石で造られた白の王宮、両の脇にそびえる塔も祈りを捧げる大聖堂も、そのすべてがうつくしく、ひとたび王宮を出て石畳が連なる城下街へと足を運んでも、それは変わらない。あざやかな色彩が目に飛び込むとともに、緑の息吹に心も身体も癒やされるはずだ。

 噴水広場には今日も子どもたちが集まっている。母親たちはお喋りに忙しく、父親たちは誇りを胸に剣を持ち、城へと赴く。吟遊詩人は聖王のために詩を紡ぎ、娘たちは美声の虜となる。老人たちは王と国を想い、涙を流しているくらいだ。

 ときどき、南から伝道師が来ては他国の神の教えを説いているものの、耳を傾けている子どもたちばかりで、そのうちに母親がすっ飛んできて拳骨をひとつ食らわせる。その向こうでも明るい声が飛び交っていた。露天はいつも賑わっていて、焼きたてパンや焼き菓子のにおいに釣られて行列ができている。露天商は気前の良い兄さんからちょっと無愛想な老人までさまざまで、多少の値が張っていても品物は昼を過ぎる頃にはぜんぶ売れる。悪徳な商売をする者は一人だっていない。神聖なる王都にて法を犯す者など、それこそ異教徒だけだ。

 女、子ども、男も老人も。そこには幸福以外の言葉を知らないような顔をする。誰もがみな、この王都にいることを誇りに思う。

 夢と希望に満ち溢れる聖の王国。たとえばそれが偽りの、仮初かりそめのものであっても人々は疑ったりはしない。まさしく白であるべきの国。ここは神聖なる王国だった。

 ブレイヴが王都を訪れたのはじつに三年ぶりだった。

 喧噪けんそうを背に受けながら栄光の都をそのまままっすぐに北へと向かえば、やがて白の王宮が見えてくる。いっそう豊かな緑と色取り取りの花たちに迎えられるより先に、城門に立ち並ぶ騎士に誰何すいかされるので、平民や下級貴族などはまず入れない。そこを抜けたとして敷地内を我が物顔でゆくのは不可能であり、白の間はいつでも開け放たれているわけでもないし、東の塔はマイアの白騎士団の管轄かんかつだ。

 ブレイヴはたしかにイレスダート人だが、しかし王都マイアの生まれにはない。マイアから西の、森と湖に恵まれた小国がブレイヴの祖国だ。要は、ここでは余所者よそものなのである。

 すれ違った騎士がブレイヴへと一揖いちゆうしたものの、目は敬意を示してはいなかった。ブレイヴは失笑しそうになる。たしかに、アストレアは小国だ。イレスダートには他に七つの公国から成り立つ王国で、アストレアもまたそのうちのひとつだった。

 ブレイヴは聖騎士であると同時に公子という身分だが、アストレアが爵位を授かったのは祖父の代であるから、つまりはそういうわけだ。

 それこそ士官生のときなどは、こうも風当たりが強くはなかったはずだが、それも成人し騎士となってしまえば話も変わってくるのだろう。ブレイヴはいま二十一の歳で、年長者からの妬心としんはよくあることだった。

 東の塔へとつづく回廊には貴人や騎士などが忙しなく行き交っている。青年騎士の集団が、ブレイヴを追い越していった。騎士の合同訓練に遅れないように急いでいるのだろう。ブレイヴは彼らとは反対の右へと曲がる。長い回廊を抜ければ、やがて離れの別塔へとたどり着く。姫君のために作られた庭園の花たちは今日も鮮やかな彩りでたのしませてくれるものの、しかし今日は朝から雨が降っているので誰の姿もなかった。

 ブレイヴがやっとそこへと着いたときには、すでにお茶会ははじまっていた。どうやら約束の時間に遅刻してしまったらしい。

「ごめん。すこし、遅くなって」

「ううん、いいの。来てくれたから。あ、でも……」

 彼女の視線の先にはもう一人がいる。

「ディアスは、今日帰るみたいで」

 目が合っても彼がにこりともしないのはいつものことだ。ブレイヴには幼少の頃から親しい幼なじみが二人いる。一人はイレスダートの王女レオナ。少女から成人した大人の女性にすっかり変わってしまった彼女に、ブレイヴはまだ戸惑ってしまう。

「ね。お茶を入れ直すわ。すこし、待っていてね」

 それでも、喋り方も笑い方も昔のままだ。素直に従ったブレイヴに入れ違うのは彼だった。

「いや、俺はもう行く」

「いま、来たばかりなのに?」

「悪いな。あまり長くランツェスを空けていられない。兄上の機嫌も悪くなるからな」

 もう一人の幼なじみは、ブレイヴが来るまで待っていてくれたのかもしれない。ディアスは父親とともに軍事会議に臨んだ。王都マイアより北に位置するランツェス公国まで馬を飛ばせば三日ほど、しかし王都に長居する理由も他にないのだろう。

「慌ただしいな」

「それはお前もおなじだ。疲れた顔をしている」

 ディアスは中肉中背ちゅうにくちゅうぜいのブレイヴに比べて背が高く、体格も良い。赤銅しゃくどう色の長髪は彼の特徴のひとつで、他に印象的といえば整った造作ぞうさくだろうか。高めの鼻梁びりょうも切れ長の目元も、美しさを感じさせる充分な要素である。顔の骨格もしっかりと大人のそれで、隣に並ぶとブレイヴがやや童顔に見える。歳はひとつしか変わらないのに、ブレイヴにしてみればちょっと面白くはない。

「行きたくないのなら、なぜ陛下に申し立てなかった?」

 一瞬、何を意味しているのかわからなくて、ブレイヴはまじろいだ。

「聖騎士ならばお前の他に二人がいる。それも、白騎士団だ」

「だからこそだよ、ディアス。彼らは王の盾だ。マイアを動けない」

「そうか。お前は彼らの代わりにガレリアで死ぬ。それこそ、奴らの筋書きどおりだな」

「これは王命だ。元老院は関係ない」

 まるで自分への言い訳みたいだ。気色けしきばむブレイヴにディアスは嘆息する。そこへ割って入ったのはレオナだ。

「はい。もうそこまでにして。喧嘩はだめ」

 二人はそろって叱られてしまった。彼女はブレイヴよりも二つ下だが、ときどきこうした物言いをする。やっぱり、レオナはレオナだ。ブレイヴは右手を差し出す。仲直りの握手だ。

「次は、もうすこしゆっくり会えたらいいんだけど」

「それはお前が無事に帰って来れば、いくらでもできる」

 ディアスらしい声だ。そのまま幼なじみは行ってしまった。残された二人は顔を見合わせて苦笑いする。

「ディアスは怒っているみたいだ」

「心配しているのね、きっと。あなたがガレリアに行くなんて、納得していないのはわたしもおなじだもの」

 レオナにお茶を勧められて、そこで喉が渇いていたのを思い出した。白の王宮は広くてここまで着くまでに小一時間はかかる。昼食もまともに食べていなかったので、彼女が作ってくれた焼き菓子をありがたく頂く。

「ブレイヴは、いつガレリアに?」

「二日後には王都を発つよ」

「そう、なのね……。今日が、晴れていたらよかったのに」

 レオナは窓の外を見つめている。雨が止む気配はなく、けれどもマイアのこの時期に雨が降るのはめずらしいことではなかった。寒さを伴いながら雨が去るたびにほんのすこし暖かくなり、それを繰り返しながら季節は移り替わっていく。太陽の時間が長くなれば、それはイレスダートの夏のはじまりだ。

 とはいえ、あたたかな時期はまだまだ先になりそうだ。北の城塞都市ガレリアではもっとそれが遅れる。分厚い外套も雪に慣れた馬も必要だし、充分な糧食を得るためにそれなりの苦労をした。商人たちはここぞとばかりに高値で売り付けようと必死なので、足下を見られてはならない。かといって、他へと流れてしまえばそれはそれで困るので、交渉はなかなかに難儀するのだ。

 ブレイヴの祖国であるアストレア公国は、王都マイアからは十日以上はかかるので、ブレイヴは王都に留まり麾下きかの者たちとそれを急がせていた。だから、幼なじみたちとの約束にも遅れてしまった。ディアスの言うとおりかもしれない。ガレリア行きの準備に追われていたのは本当だ。

 いや、それだけではない。白の王宮はずっと緊張に包まれている。騎士たちの表情は重く、精巧な人形さながらに冷たい。貴人たちは苛立ちと不安と両方をのぞかせ、聖職者たちは神への祈りの声をつづける。元気があるのは商人と金貸しくらいだ。

「そうだわ、兄上がすごく残念がっていたの」

「陛下が?」

「そう。あなたを夕食に誘ったのに、断られたって」

 ブレイヴは苦笑する。それは軍事が終わってすぐのことだった。

 それぞれが退出してゆくなかで要人たちはそのままの口吻こうふんをつづけていたし、他にもたくさんの騎士たちが残っていた。それなのに最初に席を立つべき王はまだそこにいて、他を置いてブレイヴへと声をかけたのだった。視線が集まるのは当然で、彼らは会話のひとつも落とさぬようにと耳をそばだてる。アナクレオンという人は、そのような些事さじに囚われないからこそ、こちらがわけもなく緊張をする。まるで気の置けない友人と話すかのように、ブレイヴを食事へと誘ったのだからなおさらだ。

 もしかしたら、ディアスはそれを見ていたのかもしれない。あれは、王がしてはならない行動だ。しかし妬心はすべてブレイヴへと向かう。ブレイヴにできたのはせいぜい慇懃いんぎんに断るくらいだ。ガレリア行きは大仕事なので嘘は口にしていないし、王の矜持も傷つけてはいないはずだ。注目の的となったのは事実であったとしても。

「きっと、ゆっくりはなしたいことがあったのね」

 そうだと思う。他に誰の目のないところで、アナクレオンはブレイヴに謝罪をしただろう。要人たちを納得させるには致し方なかった。けれど、ブレイヴはあれが正しい選択だと信じている。王が臣下に謝意を示してはならないのだ。

「そうだね。陛下には申し訳ないことをしてしまった」

「ううん。気にしなくてもいいの。だって、兄上がどんな声をしたところで、撤回しないかぎり変わらないもの」

 幼なじみは落ち着かない所作で茶器に触れている。ああ、そうか。レオナもまた怒っているのだ。

「レオナ」

 やっと目と目が合った。それなのに、幼なじみは泣きそうなくらい傷ついた顔をしている。

 心配してくれているのだ。それは痛いほどにわかる。ディアスもレオナも。幼なじみはそろって心配性だ。アナクレオンを悪者にしたくて言っているわけではない。

「大丈夫だよ、俺は」

 ブレイヴはもうすこし声音をやさしくする。

「ごめんなさい。今日は、たのしいおはなしをたくさんするつもりだったの」

「たのしいお話し?」

 レオナはうなずいた。

「三人いっしょなのは、ちいさいときみたいでしょう? だから……」

「おとぎ話をたくさんしたね。竜のおはなしはレオナのお気に入りだったよね」

「だって、わたし……、あのときは何も知らなかったから」

 恥ずかしそうに目を逸らした彼女はもう幼い子どもではないし、かつてマウロス大陸にふたつの種族が存在していた伝承もたしかな事実だった。イレスダートを、人間を蹂躙じゅうりんし尽くしていた黒き竜と、人間を憐れみ味方した白の竜。王家の始祖と呼ばわる者は、その白き竜そのものだったとも伝えられている。王家の姫君であるレオナは竜の末裔だ。だが、彼女は側室の子で、箱庭のなかに閉じ込められている。

「竜の時代も争いばかりだった。わたしたちは、ずっとおなじことを繰り返しているのね」

 けれど、ここがもっとも安全な場所であることもブレイヴは知っている。だいじょうぶだよ、とブレイヴは声をする。そうすればレオナは微笑んでくれる。そうだ。王都を離れることに不安などない。己はガレリアから幼なじみを守ればいい。

「わたし、毎日お祈りするわ。あなたが無事に帰ってこられますようにって」

「ありがとう、レオナ。心配しないで」

 返ってきたのは偽りのない純真な笑顔だった。ブレイヴが昔から一番好きな、幼なじみの顔だ。

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