兄弟の誓い

 杯を持って声を交わす。それは、兄弟の誓い。

 ここに集えなかった兄弟を彼らはけっして忘れはしない。末弟サラザルはいつも遅れてやって来た。長兄フォルがサラザルに説教をして、あいだを取り持つのがウルの役目、イスカルはむっつりと兄弟たちのやり取りを見守っている。そうした逸話も、また新しいものへと塗り替えられていくのだろう。 

「ラ・ガーディアはひとつの国。我ら四兄弟は未来永劫守りつづけると、約束しよう」

 最初に口上を述べたのはフォルネの王、ルイナスだ。

「私たちは二度と違えません。ともに支え合い、守り合う。その誓いは親から子へと、子から孫へと受け継がれてゆくことを」

 美しいソプラノの声はウルーグの王女、エリンシア。次はイスカのスオウだ。

「我らは忘れない。過ちは一度限り、と。互いを尊重し、認め合い、そうして我らが兄弟が困難に立ち向かうときこそ、惜しみない力を貸すと」

「ああ。それこそ、いまがまさにそうだ」

 ルイナスがふたたび声を受け継いで締める。彼らは果実酒の入ったグラスを掲げて乾杯する。王たちを見守っていた者も、これでようやく安堵しただろう。しかし、ここに集いし者たちはけっして忘れない。兄弟同士の争いは止められず、ラ・ガーディアの大地に血が流れた。無辜むこの民の不安と悲しみはいかほどだっただろうか。推し量ることのできないその罪は、王たちをずっと縛り付ける。贖罪はこれからもつづく。己の未熟さ、弱さ、愚かさ。彼らはこれからも自国の民と向き合わなければならない。

「なによりもまずはサラザールだ。……ガゼルという男はなかなか面白いやつだな」

 ルイナスがくつくつ笑っている。書状を受け渡したエディは肩を竦めた。

「償いというなら、我らの末弟に関わるべきだな。されど、民にはもうすこし耐え忍んでもらうことになるが」

「それが私たちの役目です。この動乱で作られた傷は深い。途中で投げ出すわけにもいきません」

 そうだな、とシオンはエディに微笑む。母親さながらの顔を見せるシオンにエリスもくすっと笑う。

「なにを笑ってる? エリス、お前もそろそろ弟ばなれをするときがきたぞ」

 はじめは意味がよくわからなかったのだろう。きょとんとするエリスにシオンはにやっとする。

「まずは戴冠式からだが、そのあとは縁組みだ。お前の器量ならば不自由しないだろうが、女王に相応しい相手となると難儀しそうだな。そこで、エディ。お前の出番だ。お前も姉離れをしろよ」

 みるみるうちにエリスの頬は赤く染まり、それから流れ弾に当たったエディの眉間には深い皺が刻まれた。

「シオン様、お言葉ですが私は」

「様はいらん。私たちは兄弟の誓いを交わしたばかりだぞ?」

「し、シオン様! なにもかもが早すぎます! だ、だいたい我が父上はまだ存命ですし、結婚なんて私にはまだ……」

「ほう、いいのか? そんな悠長なことを言うと私のように行き遅れるぞ? なあ、スオウ」

 いきなり水を向けられたスオウも渋い顔をしている。一人勝手に果実酒のお代わりをたのしんでいたルイナスだけが関係ない表情をする。

「なにを他人事のようにきいている。ルイナス、そもそもお前が一番に嫁を貰わんでどうする?」

 姉、というよりも母親だ。会えば口煩い母親に子たちはとても太刀打ちできないとばかりにそれぞれ果実酒へと逃げた。彼らからすこし離れたところで皆まで見ていたブレイヴは、ついに限界を迎えて吹き出した。

「おや? 我らが友、聖騎士殿に笑われてしまったぞ」

 さっそくシオンに見つかってしまった。悪いと思いつつも、抑えきれずにブレイヴはまだ笑っている。

「そもそもお前だって他人事じゃないだろうに」

「まったくです」

「ええ、もう。ほんとうに。……いいですか? 三日後に花祭りがはじまります。七日間つづきますが、初日が肝心です。ちゃんと幼なじみを誘って来るのですよ? もう一人の幼なじみに負けてはなりません。夜になると丘の向こうでダンスがはじまります。輪のなかに入って、幼なじみの手を取るのです」

 ルイナスとエディには冷笑を浴びせられて、エリスには早口で捲し立てられた。 

 長らく居座っていた白の季節も終わりを迎えて、ウルーグの大地に青々とした緑が戻ってきた。草木は太陽を目指し、風とともに目覚めのうたを謳う。待ち遠しい時間が来る前に、人々は豊穣の願いを込めた祭りを行うという。王女エリンシアは花祭りの準備に追われて、忙しい日々を送っている。各国の要人を招いたのも、この日に合わせてのことだった。

 グラン王国への出立を遅らせたのは雪解けを待つだけではなく、兄弟たちの誓いを見届けたかったからだ。しかし、まさかそこに呼ばれるとは思わなかった。ラ・ガーディアの四兄弟、部外者である自分が同席しても良いものかと、悩んでいるところでルイナスに見つかり、スオウに腕を掴まれては逃げるのはもう不可能だった。

「そうだ。これを返さなければならない」

「いい。貸しといてやるから、お前は早くイレスダートを取り戻せ」

 突き返されたのはイスカの剣だ。シオンとスオウの友人だったシュロが使っていた剣、最初は扱いにくかったもののいまはブレイヴの手にしっくりきている。それにしても、イレスダートを奪還しろとはずいぶんと言葉が悪い。思わず苦笑で返したブレイヴにスオウが神妙な顔でつぶやく。

「されど、サラザールを裏から操っていた者たちの行方は知れないのだろう? イレスダートに戻ったのかあるいは」

「たしかに、奴らの狙いはわからん。ただサラザールを混乱させるためだけには見えなかったな」

 言ってルイナスはしばし思考に時間を置く。沈黙の間にブレイヴも頭のなかを整理する。ラ・ガーディアが欲しければ、他にいくらでもやり方はあったはずだ。少年王ミハイルは殺されたし、サラザールが解放されたいま、変調も特に見られずラ・ガーディアの諸国は落ち着いている。となれば、白の少年を含めた魔道士たちはすでにラ・ガーディアから消えたとみるべきだ。

「私たちのことは心配要りません。これからは、自分のことだけを考えて」

「旅の無事をお祈りいたします。そして、一刻も早くイレスダートに戻れるようにと」

「ありがとう。エリス、エディ。きみたちも、元気で」

 ウルーグの姉弟と順番に握手を交わす。その次にはルイナスの灰褐色の瞳が待っていた。

「すっかり巻き込まれたと、聖騎士殿はそう思っているかもしれないな。だが、我々は友への感謝はけっして忘れない」

 ルイナスと最初に会ったのは酒場だった。市井に紛れてルイと名乗っていた彼の本当の姿はどっちだろう。きっと、そのどちらでも友にはなれたとブレイヴは思う。

「イスカの戦士は友への恩義を忘れない。力が必要なときには申せ。友の窮地には必ず駆けつける」

 スオウとシオンを見て、ブレイヴは大きくうなずいた。心強い友ばかりだ。これは善意なんてものじゃない。以前、幼なじみの前でブレイヴはそう言った。ラ・ガーディアの動乱に関わったのは、自分がイレスダートへと戻るための恩を売っただけ、それはたしかに本音だった。でも、と。ブレイヴは思う。彼らはブレイヴの行いをぜんぶ見た上で、それでも友だと言ってくれる。

 いつか祖国へと帰るために望んだ力。彼らの声を素直に受け取り、必要とするときに頼るべきだ。ブレイヴはこのラ・ガーディアで過ごした半年を無駄であるとは思わない。

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