クライドとフレイア

 戦争のたびにどこからか集まってくる傭兵隊は、扱いにくい奴らがいい。

 クライドにそう言ったのはオリシス公爵のアルウェンだった。

 イレスダートはルドラスと戦争をつづけている国で、言わずもがな北は激戦地である。長く傭兵をやっている者たちは北になど近づかずに、小競り合いや内乱が起きるのを待っている。賢い奴らだよ、あいつらは。麦酒エールを呷りながら笑うアルウェンはいまよりずっと若かったし、クライドもまだ十五、六の歳だった。

 そんな奴らに先鋒や伏兵隊を任せていいのか? いざとなれば逃げるだろう? 

 矢継ぎ早に質問するクライドにアルウェンは教師みたいな顔をしている。自分は教官なんて向いていないから、ムスタールの黒騎士に押しつけたと以前そう言っていたくせに、この表情だ。

 輜重しちょう隊にくっついていれば前線より安全だとしても、それでは稼げない。傭兵たちの目的は手柄を立てて給金を貰うことじゃないと、クライドも知っている。清廉潔白な騎士たちは村落を落としても掠奪りょうだつなど許さないが、餓えた傭兵たちにとってはそれこそが仕事だ。つまり、アルウェンは傭兵たちの行いを黙認している。謹厳なたちだと、そう思っていたオリシス公が恐ろしくなったのはそれ以降で、同時にアルウェンという人に興味を抱いたのも事実だった。

 アルウェンの言葉は間違っていない。

 騎士のような崇高な精神を持たない傭兵たちは、自分の命をとにかく大事にする。不利となればさっさと逃げ出すし、戦闘が終わるまで森に隠れている者もいる。昨日まで一緒に酒を飲んでいた奴が、あくる日の戦場では敵陣で見つけたことだって一度や二度ではなかった。傭兵とは、そういうものだ。故郷のユングナハルを出てイレスダートやカナーン地方を放浪してきたクライドは、ずっとそういう奴らばかりを見てきた。

 此度雇われた傭兵たちもそのつもりだったのだろう。

 イスカの獅子王スオウが出陣する前に、イスカの戦力を分断させる必要がある。軍議室で言い放ったのはイレスダートが聖騎士ブレイヴの軍師だった。スオウの性格ならば先陣を切ってウルーグへと突撃する。スオウを知る王女エリンシアやその弟エドワード、それから騎士団長オーエンだったが、すこし前までイスカにいたセルジュの声は無視できなかったようだ。どうやら、イスカにも穏健派がいるらしい。慎重派とでも言うべきだろうか。ともかく、イスカにも不安分子が多数存在するようで、機に乗じて獅子王を失脚させようと目論む者でもいるのかもしれない。勝手にウルーグに侵攻して寇掠こうりゃくしていたイスカの戦士たちが良い例だ。

 誤算があったとすれば、その両方だったとクライドはそう思う。

 獅子王の右腕だったシュロという男は、イスカにとってなくてはならない存在だったらしい。俘虜ふりょとしてイスカに返す約束をしたその矢先、謀略によってほふられたと知ればその嘆きも怒りも当然だろう。獅子というよりはまるで猪だ。イスカの戦士たちは一心不乱に襲いかかってくる。

 落葉樹の森がすっかり血に穢されてしまった。イスカの先発隊を西へと誘き出せた、そこまではいい。傭兵たちは自分たちの役目が終わればすぐ逃げ出すつもりだったようだが、イスカの戦士たちは敵をけっして逃しはしない。

 まともにやり合えば先に剣が折れる。丸腰となった傭兵たちは次々と剣の餌食となる。戦場から戦場を渡り歩いてきた強者も中にはいただろう。鍛えあげた鋼の肉体、しかしイスカの戦士たちの膂力りょりょくが上だ。ここまではウルーグが圧倒的に不利だったが、伏兵部隊を合わせると数では勝る。混戦へともつれ込み、ひどい戦闘が繰り広げられた。どれだけやられたなど、数える気にもならない。敵も味方も、ほとんど壊滅状態だ。

 だとすれば、この場はイスカの勝利だろうか。いいや、そうじゃない。クライドはつぶやく。傭兵部隊のなかに強者がいて、それが戦力のほとんどを削ったなど、イスカにとっては想定外だったはずだ。

 戦士の最後の一人を斬った。まだ若い。少年の戦士は他の仲間が全員やられても剣を収めずにクライドに向かってきた。戦士の誇りというやつだろうか。クライドにはわからない。

 クライドは周囲を見回した。味方も敵も、生き残ったのは自分だけだった。ウルーグともイスカとも関係のないクライドだ。イレスダートの聖騎士とともにいるのだって成り行きで、だからこんな戦いで命を懸けるつもりもなかったのが本音だ。 

 致命傷は避けたものの、身体のあちこちに傷を負ってしまった。敵の返り血か自分の血なのか、わからないくらいに衣服は血に塗れている。痛みをあまり感じていないのは興奮状態にあるからだろうか。こうならないうちに逃げろ。掠奪に参加しないクライドはいつも傭兵たちからはみ出し者扱いだったが、いつだったかお節介な壮年の傭兵に忠告されたのを思い出した。

「あいつは、どこに行った……?」

 呼吸を整えながら、クライドはもう一度視線を左へと流す。敵味方の別けなく折り重なった屍体のなかには黒髪も金髪も両方の色が見える。だが、クライドが最後に見た濃い金髪は、あの蒲公英色はどこに行ったのだろう。

 クライドは舌打ちする。剣を収めて歩き出すと左足が痛んだ。しくじった。自分でもそれを認める。もしもいま、別の増援部隊に襲撃されたらどうなるか。考えるだけで笑いが込みあげてきた。

「くそ……」

 毒づいたところでどうにもならない。近くの部隊には治癒魔法の使い手などいないから、自分の脚で歩いて戻るにも難儀しそうだ。この辺りの集落はイスカに落とされているか、あるいは早々に逃げ出した傭兵たちが蹂躙している。手負いの剣士など格好の的、なにしろクライドにはウルーグともアストレアとも関連するような証がない。少年騎士を何人か付けましょうか? エディの申し出を断ったのもクライド自身だ。足手纏いは要らない。けれど、もし生き残っていたら他のウルーグの部隊に合流するのも容易かっただろう。

「邪魔されないだけ、いいか」

 独り言を零していること自体、らしくなかった。

 左脚を庇いながら、クライドはさらに森を奥へと進む。そこらに転がっている屍体は弔われるより前に獣に喰われる。ウルーグもイスカも、こうなってしまえば関係がない。だからクライドは戦争という行為が空しく感じる。流れ者として戦場に身を置いている者として、言うべき台詞ではないかもしれないが。

 見つけた。しばらく森を彷徨うこと、クライドはようやく彼女の姿を捉えた。しかし、ここまで敵が入りこんでいるのは想定外だった。フレイアはイスカの戦士たちに囲まれている。

 相手は四人。普段のクライドならば苦にならない数だ。こんな怪我さえなければ思考する間もなく駆けつけている。クライドの足を止めている理由は他にもあり、レナードからそれをきいていなければ彼女のをしているところだった。

 にわかには信じられなかったが、自身の目で見たなら理解する他なかった。

 舞のようだと、クライドは思った。幼い頃、故郷ユングナハルで見た円舞を思い出す。異国を旅する踊り手たちは武芸にも優れていたが、まさか彼女がそれを習ったとは考えにくい。なにより、あれは自己流だ。騎士や戦士のような型に沿った戦い方をしていない。かといって、大河を流れる水さながらの舞とも異なるあの動き、近づけば巻き込まれると、レナードはそう言った。

「おい……、大丈夫か?」

 四人の敵を倒した彼女は肩で息を整えていた。忠告は、忘れていなかったと思う。彼女の間合いに入ったクライドが迂闊だっただけだ。

「くそっ、見境なしか……っ!」

 彼女の剣を受け止めながら痛罵つうばする。紅玉石ルビーの瞳がクライドを映している。敵、と。フレイアは完全にそう認識しているようだ。力で押し返すにしても動きを止めるためにはまず一撃を入れる必要があるものの、それでは怪我をさせてしまうだけだ。白皙の聖職者の声が脳内で響く。勝手に取り付けられた言葉でもある。しかし、約束とは呪いのようなものだ。

「俺を、見ろ!」

 クライドは再度訴えた。紅玉石色の瞳が大きく見開かれる。

「敵、じゃない……? じゃあ、あなた、なに?」

 何と言われても困る。この少女と出会った最初、クライドは思いきり怖がられた。その後も距離を置かれていたように見える。ただ、少なくとも敵じゃない。だからフレイアはちゃんと連れて帰らなければならない。

 少女もまたぼろぼろだった。戦闘の邪魔にならないようせっかく綺麗に纏めあげていた蒲公英色の髪も乱れているし、血と汗と埃に塗れてひどいにおいだ。負った傷にしてもクライドよりも重傷なのに、彼女は平気な顔をしている。痛みを感じない人間なのかと、一瞬そう考えたがおそらくはちがう。痛みこそが生を実感させているとでもいうのだろうか。そういう人間はとにかく死を恐れている。

「おい、どこに行く?」

 ふらふらと、頼りない足取りでフレイアは歩き出した。思わず掴んだその腕は、これまで敵を屠ってきたとは思えないくらいに華奢だった。

「敵、まだいる。ぜんぶ、やっつけなきゃ帰れない」

 正気かよ。クライドは絶句した。お互い満身創痍もいいところだ。殴って気絶させた方が早いのはわかっていても、その前に大声を出されては敵わない。まったく、面倒な子守りを押しつけられたものだ。

「せめて、俺の目の届くところにいてくれ」

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