母の指環①

 宿営地で休んでいたエディの元に急報が入ったのは夜明け前、騒がしさに目を覚ましたレオナは天幕を抜け出す。しかし仔細をたしかめる前に見つかった。ディアスだった。

「イスカが攻めてきたのね?」

 幼なじみは無言でうなずく。エディを囲むようにしてウルーグの騎士たちが集まっている。

「他の奴らを起こせ」

 言い残してディアスは他の天幕に向かった。アステアとクリスを任せて、レオナは自分のいた天幕へと戻る。ルテキアとシャルロットもすでに起きていた。

「だいじょうぶ、きっと間に合う」

 不安そうに見つめるオリシスの少女にレオナは微笑んだ。でも、半分は嘘だ。エディの部隊はあくまで後衛支援、イスカの侵攻に備えて国境の集落には騎士団を派遣しているものの、最小限でしかない。駆けつけたところで街はもう落とされている。それでも怪我人の救助、あるいは死者を弔うための手助けは必要だ。

 戦闘はすでにはじまっている。

 先発隊が伏兵部隊と合流し、イスカの戦士たちをうまく誘導したと報告を受けている。先鋒には騎士以外の歩兵たち、そこには金で雇われた傭兵たちも多く含まれているらしい。正規の騎士以外に戦場を任せても良いのだろうか。案じたレオナにエディが微笑む。心配要りません、彼らは合理主義ですから。

 イスカとの戦争を回避しようと努めていたのは王女エリンシア、しかし外側では戦争を待ち望んでいた者だっている。それが傭兵たちで彼らは金のために戦うし、不利となればさっさと逃げ出す。いわば彼らは囮なのだ。

「襲われたのは監獄の街です」

 レオナは目を瞬いた。あの街の守りは堅固だ。簡単には落とせないことなどイスカもわかっているはずで、だからこそ目的が別にあるのだとエディはそう見ている。

「でも、イスカの戦士たちは」

 獅子王スオウの右腕と呼ばれた男シュロ、並びに他のイスカの戦士たちも死体は荼毘だびに付している。

「取り戻すつもりなら、無意味だな」

「ええ。しかし、たしかめたかったのかもしれません」

 何のためにと、ディアスは問い返さなかった。イスカの戦士たちはウルーグを許さない。その事実だけで十分だ。

「すみません。馬に乗れる者は、私とともに先に来ていただけますか?」

 しばし黙考していたエディが言った。この部隊は物資の配給や補給など輸送隊としての機能も備えている。移動を待っていたら救援は間に合わなくなるので、身軽に動ける者たちだけで出発を急ぎたいのだろう。

 レオナは振り返り、ルテキアとシャルロットを見た。

 二人とも物言いたそうな目をしているものの、事は急を要している。ややうしろでうつむいているアステアは、まだ一人で馬に乗れない。馬丁ばていが連れてきた馬の背にレオナは跨がった。だいじょうぶ。あとから来てくれる皆に向けて、レオナは繰り返した。

 ほとんど休まずに馬を走らせること半日、ようやく監獄の街が見えてきた。異変に真っ先に気がついたのはエディの麾下である痩躯の男だ。

「街が、燃えている」

 震える声で言った痩躯に、鉤鼻の男が顔をしかめる。

「くそっ、間に合わなかったか」

  誰もがそう思った。

「いえ、そうとはかぎりません」

 ところが、エディが指摘する。指差したその先を、レオナも見つめる。

「炎の色を見てください。赤々としている。すべてを燃やし尽くしたのなら、あの色にはなりません」

「だが、早く救助しないと助からないのではないか?」

 そのとおりです。エディが馬の腹を蹴る。痩躯と鉤鼻がエディのあとに付いて、レオナも彼らに置いて行かれないように馬を走らせた。

 南門へと着いたとき、教会の鐘が鳴りつづいていた。

 炎の強さがここまで伝わってくる。この街に駐在する騎士たちがイスカの戦士を食い止めて、辺境を任された貴族は住民の避難を急がせているはずだ。まだ、おわりじゃない。そう、信じたいのに恐ろしさにレオナは身体が震えるのを抑えきれずにいる。

 馬たちが炎を怖がって暴れ出した。エディは皆の顔を見てうなずき、そしてここまで乗せてくれた馬を野に放った。あれは軍用に育てられた馬たちなので、きっと後衛部隊のもとに戻っただろう。

「エディ、どうする?」

 鉤鼻がエディに囁く。彼が考えあぐねている理由はふたつ、イスカの戦士と戦うかもしくは住民の救出を優先するべきか。しかし、炎の勢いはすさまじい。北へと迂闊に近づけず、となればどこでイスカの戦士を食い止めているのか。

「とにかく、状況の説明ができる者を捕まえましょう」

 中心部へと進めば、住民たちが蜂の子を散らしたように逃げ惑っていた。

 避難誘導が行き届いていないらしく、女子どもも怪我人や病人、それに老人たちも逃げるのに必死だ。男たちはイスカと戦うために戦場に駆り出されている。消火活動などまるで追いついていない。これでは、ここが落ちるのも時間の問題だ。

 泣いてはならない。レオナは拳を作りながら、自分へと言いきかせる。

 幼なじみが怒っていた理由がいまになってわかった。騎士団長オーエンも軍師セルジュも何もわかっていない。ブレイヴがそう言った本当の理由、一番理解していなかったのはレオナ自身だ。

「エディ様……!」

 エディを呼び止めたのは教会の司祭だった。ウルーグ王家に縁があるらしく、彼の正体を知っているわずかな人物だ。

「い、イスカが……、この街を!」

 息も絶え絶えに逃げてきたのだろう。身体を丸めながら咳き込み、それでも涙ながらに訴える。

「イスカはいきなり火を放ったのですか?」

「わ、わかりません。しかし、イスカの戦士が攻めてきたのは本当です。火は、そのすぐあとに……」

 胸へと倒れ込んだ司祭の身体をエディは起こしてやる。他の聖職者たちは避難できたのだろうか。治癒魔法に長けた教会関係者たちには、これからあとやるべきことがたくさん残っている。

「敵は、まだ北にいるのですね?」

 意図が掴めずに司祭はエディの顔を見た。

「だめだ、エディ」

 鉤鼻の男がエディを止める。痩躯の男は声を発しなかったが、鉤鼻に同意する表情だった。

「い、いけません、エディ様。あそこにはとても、近づけません!」

 司祭がエディに縋りつくようにして叫ぶ。

「教会から、私は炎を見ました。あれにはとても近づけない」

「あの炎は、生きているんだわ」

 皆の視線がレオナへと集まった。炎が近づいてくるのがわかる。踊る炎。魔力によって作られた炎が、この街を焼き尽くそうとしている。

「近づいてはいけない。あの力は、」

 そのとき、突然腕を強く掴まれた。うしろへと引き戻されたレオナはディアスを見る。幼なじみの目は司祭を捉えている。おなじく、エディの麾下ふたりが司祭へと飛びかかった。

 なにが起こったのか。理解するまでに時間が要った。鉤鼻の男の剣が司祭の銀の法衣を貫く。痩躯の男が背でエディを庇う。それが、同時だった。

 血が噴き出すはずの司祭の身体からは銀の法衣だけが残った。中から飛び出したのは子どもだ。空中でひらりと舞い、そうして地面へと降り立つ。そのを目にしたとき、レオナの背筋は凍り付いた。

「あなたは……」

「なあんだ。もう、ばれちゃったんだ」

 無邪気な子どもの声だった。エディが痩躯の男の名を叫んでいる。

「なあんで気づいちゃったのかなあ。これからが、いいところだったのに」

「司祭の頬には黒子ほくろがあった。お前にはそれがない」

 はっとして、レオナはディアスを見あげた。教会で司祭と会ったのは一度きり、けれども幼なじみはそれを見逃さなかった。

「そっちの二人も優秀だね。もっとも、もう一人だめみたいだけど」

 痩躯の男は司祭からエディを引き離した。一瞬だったと思う。その刹那、すでに攻撃を受けていたのだとしたら――。あり得るかもしれない。この少年は、オリシスのアルウェンをほふり、シュロとイスカの戦士たちを惨殺した白の少年だ。







 



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