ゆびさきへと、あいを
西の大国ラ・ガーディア。東の聖王国イレスダートと並ぶ大国として、もっとも栄華をきわめているのがウルーグの王都である。
ラ・ガーディアの始祖は四兄弟で、そのうちの二番目がウルだった。
鷹狩りの名手であり、馬を育てるのも上手かっただとか、他にも武勇は広く伝わっていて、されどもウルという人はとにかく穏やかな気質であったとか。長兄フォルにつづいてこの地にウルーグという国を造ったウルは、中心部に王城を建てる。華美な生活を好まなかったウルでも遙かなる東の大国に憧憬していたようで、何度も使者を東へと遣わせてそっくりな城下街を造りあげたという。
南には商業区が、噴水広場から東へと進めば大聖堂に反対側には大貴族の居住区と、ゆっくり城下街を見物してみればやはり王都マイアに似ていると、ブレイヴは思った。
隣を歩く幼なじみもおなじ気持ちなのだろう。彼女は大聖堂で長い祈りを捧げていたし、商業区へと入っても人の多さにびっくりしていた。
先ほど擦れちがったのはヴァルハルワ教徒たちだ。
香ばしいにおいを辿っていけば羊肉の串焼きが売られていた。熱々のうちに思い切りかぶりつくのも良し、晩酌のお伴にすれば
しばらくウルーグの家庭料理がつづいたかと思えば、次に人々が群がっているのはパン屋だ。イレスダートで主に食べる白パンよりも皮が固く味わいもさっぱりしているので、ハムと葉野菜で挟んで食べるのが美味しいのだとエディからきいた。たしかにサンドイッチを売る露天は人々は集中している。今日はよく晴れているので噴水広場で頂くのもいいかもしれない。
ブレイヴは幼なじみをちらと見た。物珍しそうにのぞきこみつつもそこに割り込む勇気はないらしく、レオナは遠くから眺めているだけ、ブレイヴも彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩いて行く。
南通りは地元の買いもの客と観光客でごった返しているから、はぐれないようにしっかり幼なじみの手を握る。白の王宮の片隅で生きてきた幼なじみは、イレスダートから離れた異国でようやく自由になった。とりわけ人の多いこの通りを人とぶつからずに歩いて行くのは大変でも、今日ここにレオナを誘って良かったとブレイヴは思う。
「ほんとうに、すごい人ね。王都マイアみたい」
幼なじみがそっとつぶやく。もっともレオナが白の王宮を抜け出して城下街を歩いたのは一度きり、連れ出したのはブレイヴとディアスだ。ブレイヴは十二歳でレオナは十歳になったばかり、ふたりともまだ子どもだった。
「これじゃあ、皆を見つけられないな」
「うん……。歩くのもたいへんね」
今日はそれぞれが自由な時間を過ごしている。レナードとノエル、それにルテキアは鍛冶屋に行った。フォルネの王女に負けたのがよほど堪えたのだろう。あれからレナードはよりクライドを追いかけ回すようになったし、他の二人も時間を見つけては鍛錬している。
三人まとめてやっつけたフレイアはどこに行ったのだろう。祭儀の時間に間に合うように出たクリスとシャルロットと一緒なのかもしれない。魔道士の少年は王城の西の塔に保管されている本を読み尽くしたらしく、王立図書館へと向かっている。クライドの姿は朝から見えずに、一緒に行こうと誘うつもりだったディアスも先に出かけてしまった。
「迷子になっていなければいいのだけれど」
「大丈夫だよ。途中までレナードたちと一緒だって言っていたから」
アステアのことだ。魔道士の少年はちょっとした方向音痴なので幼なじみが心配するのもわかる。なにしろオリシスへと向かっているつもりがいつのまにかイレスダートを出て、自由都市サリタへとたどり着いていたくらいだ。
「あとで、クリスたちと合流するって言っていたわ」
「ウルーグにも薬種屋はたくさんあるからね。他にも見たいがあるのかも」
「ブレイヴは? 行きたいところ、あるの?」
問われてすこし考える。東の大聖堂から南の商業区へと来たものの、目的はこれといってなかった。パンや主菜を扱う露店を通り過ぎれば甘いにおいが漂ってくる。そこに群がっている客層も若い娘たちばかり、
「レオナが行きたいところなら、どこにでも」
「そんなの、ずるい」
「うん?」
「……なんでもない」
ちいさい声だったので周りの騒がしさにかき消されてしまったし、それきり目も逸らされてしまった。しばらくそのまま歩いていると工芸品を取り扱う店が見えた。硝子細工の食器や置物は特別な日の贈りものにぴったりだろう。複雑な刺繍が施されている織物はウルーグの伝統工芸なのかもしれない。そして次に目に留まったのは銀細工の装飾品。そういえば、オリシスの露天商ではけっきょく買わなかったので、店主に怒られたのをブレイヴは思い出す。
「レオナ、ちょっと待って」
二人はそこで足を止める。きょとんとする幼なじみにブレイヴはにっこりと返す。
「ごめん、ちょっと見たいものがあって」
「銀細工? きれいね」
「レオナ、左手を出して」
幼なじみがぱちぱちと目を瞬く。
「ブレイヴ? あ、あの……」
「お礼にしてはずいぶん昔なんだけど」
「お礼って?」
ブレイヴの左の耳朶には
「あなたが、聖騎士になったときに贈ったピアス」
「そう。ずっと、そのお礼がしたくて」
「そんなの……、よかったのに」
あのときもやさしい笑みをしていたし、幼なじみは自分のことのように喜んでくれた。彼女の手を取って、左の薬指に銀細工を嵌める。宝玉も祈りの刻印も刻まれていない、けれども繊細で美しい銀細工の指環はレオナの細い指によく似合う。
「それに、きっと守ってくれる」
「まもる?」
「そう。その指はね、ここと繋がっているんだ」
そうしてブレイヴは自分の胸に手を当てる。どくんどくんと、心臓の鼓動がきこえる。
「命を守ってくれる。この指環がきっと、レオナを守ってくれる。きみの、母上の指環といっしょに」
幼なじみの右手には彼女の亡き母の指環がある。祈りの言葉が刻まれたその指環は愛するものを守るための魔力が込められている。白の王宮、その片隅でひっそりと生きていくしかなかった娘に残したただひとつの指環。ブレイヴは考えつづけてきた。幼なじみを守るためには力が足りないことなんてわかっている。何がしてやれるだろう。そればかりずっと考えていた。
「俺には魔力もないし、特別な力なんてない。でも、きみを守る。傍にいられないときだって、せめてこの指環が」
そのとき、わっと歓声が広がった。同時に拍手も沸き起こる。ブレイヴとレオナ、二人の周りにはいつのまにか人が集まっていたようで、露天商の老人も満足そうにうなずいている。
「ブレイヴ……。ありがとう。すごく、すごくうれしい」
幼なじみが指環を抱きしめるようにする。拍手は鳴り止まずに、もっと人が集まってくる。ちいさい子がやってきてレオナに青い花を届けてくれる。ブルースターね。幼なじみがちいさな花束を受け取って子どもに感謝を伝える。花言葉は幸福な愛。あとでこっそり幼なじみに教えてもらった。
教会で婚礼の儀式が終わったときみたいだ。どうやらちょっとした騒ぎになっていたようでブレイヴとレオナ、二人ともびっくりして目を合わせ、それからまた二人でにっこりとした。
人集りからすこし離れたところに、少年ともう一人がいる。
いずれも白い
ともあれ、二人とも巡礼者なのだろう。東の大聖堂にはラ・ガーディアだけではなく、遙かなるイレスダートや他の国からも敬虔なる教徒が集まってくる。
「あの子どもみたいに、あなたも祝福してあげたらよかったのに」
「冗談じゃない」
大貴族の子息とその従者、あるいは歳の離れた姉弟のようにも見える。退屈そうな顔をする彼に、女はくすくす笑う。
「こんなに近くにいても気づかれなかったんですもの。あそこに混じっていてもきっと」
「それはこの姿でいるからだ」
色素の抜けた白い髪、
「お前の方こそ、祝福したいのなら行ってくればいいだろう」
「あなたとちがって、私は気づかれてしまったの」
この人混みのなかで見つけたとすれば、彼女を探していた者だろう。つまりあそこにはいないもう一人だ。彼は肩を竦める。
「なおさらだ。帰りたいなら、そうすればいい」
「意地悪なことをおっしゃるのね。私には、帰るところなんてどこにもないのに」
女は彼の前で従順な傍付きの
「それに、あの子には言わないと思いますわ。彼は、いつだってそうでしたもの」
「赤い悪魔」
女の微笑みがすっと消えた。
「まあ、よくご存じですこと」
白の少年はすでにこの話題に飽きていて、視線を余所へと向ける。彼にとっては時間の流れなどゆるやかで、ずっと長いあいだ待つだけの時間などさして問題なかった。そのうちに
「あなたは、もうすこしここに留まるのでしょう?」
女の声に、彼はつと顔をあげた。
「お前は戻るのか? 物好きだな」
「うふふ、妬いていらっしゃるのね?」
頬に触れようとした女の手を払いのける。
「あんなガキにお前をくれてやるつもりはない」
「お寂しいのでしょう。母君とは幼い頃に別れたそうですから。それに、お祖父さまを亡くしたばかりだわ」
「あの国はもう長くはない」
「そう。だからまた荒れる。こことおなじ」
南の大通りから路地裏を抜けて東へと進む。白い法衣を纏った集団と擦れちがった。幼い子どもたちが走って向かっているのは噴水広場だ。散歩をたのしむ
「あまりその力を使ってはだめです」
幼子に言いきかせるような声だ。長くこの姿でいるせいで、本当に子どものように見えているのかもしれない。
「負荷をかけるだけだ。どうせ死なない」
「わかっていますわ。でも……」
どちらを案じているのだろう。あんな台詞を吐いたくせに彼女の心の隅ではまだ忘れてなどいないことを、彼は見抜いている。どうだっていい。そんな顔でいるからか、女は困ったように笑った。
「サラザールで待っていますわ。あなたも、来てくださるのでしょう?」
彼の返事を待たずに女の姿は人の波に溶けていった。去り際に女が彼の指先へと残した口づけは、長い連れ合いの儀式にも似ていた。
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