曙光

 はじまりの赤が見えた。

 ブレイヴは瞬きを繰り返す。闇は深まるばかりで夜明けにはまだ遠かった。

 では、体内を流れる血液だろうか。ブレイヴはずっと戦いつづけている。こんな吹きだまりの街の片隅で、とうとう追い詰められた最後の相手が兇漢きょうかんたちだったなど、母エレノアが知ればさぞ嘆くだろう。いや、笑うかもしれない。あの人はそういうひとだ。

 幼少のとき、父親とともに王都マイアを訪れたブレイヴは、アストレアに帰っても興奮が収まらずに喋りとおしだった。白の王宮の別塔でひとりぼっちの姫君と、おなじ公国内の騎士の子ども。はじめての友だちのことをもっとたくさん喋りたかったのに、エレノアはただいまの挨拶もしない息子に、ちょっとこわい顔をして叱ったのだった。

 半年後、王都で友だちに再会したブレイヴは不満そうに語る。

 母上はいつもこうなんだ。そのとき、彼は笑っていたと思う。それとも呆れていたのだろうか。ブレイヴより一つ年上の彼は、いつだってブレイヴよりも一歩先にいたような気がする。そして、いまも――。

「ディアス!」

 赤の色が舞っている。曙光の赤、やすらぎを与えてくれる焔の緋ともちがう。ブレイヴに向けて剣を掲げていた大男の身体が崩れ落ちた。すぐ近くにいたブレイヴは血飛沫をまともに浴びた。

「ちくしょう! こいつはなんだ!」

「構わねえ、そいつも殺せ!」

 背後からいきなり仲間を斬られた酔漢たちが赫怒かくどする。ブレイヴは彼の名をもう一度呼んだが、しかし彼はそれに答えなかった。

 赤の色が舞っている。

 ディアスの髪はきれいな色だね。幼いブレイヴがそう言うと、彼はすぐ目を逸らした。お前の髪の方がずっと綺麗だ。そうかなあ、だっておひさまが沈むときみたいに、きれいだよ。目を合わさないまま、彼はすこしだけ微笑む。じゃあ、お前は空の色だ。おんなじだね。ブレイヴはにっこりする。そのうしろから声がする。ちがうわ。この色はね、赤銅色って言うのよ。もう一人の幼なじみの姉、ソニアだ。ディアスとおなじ歳だからか、ひとつ下のブレイヴを弟みたいに扱う。でも、あの色を教えてくれたのはソニアだ。

 動きに合わせて赤銅の色が踊っている。幼いあの日のように、その色が綺麗だとブレイヴは思った。そう、ディアスの動きには一切の無駄がない。王都マイアの士官学校では教科書どおりの剣術しか教わらないが、そこからは戦場での経験がすべてだ。騎士は自分が生きるための剣をする。でも、ディアスはその逆だ。

 騎士でも戦士でもない、戦うことを知らない暴漢たちの動きはとにかくめちゃくちゃだ。それなのに、ディアスはあえて奴らの動きに付いていかずに、己の剣を受け身に使うことをしない。彼は防御に回るくらいならもう反撃に入っているし、相手にその隙さえ与えない。クライドとよく似ている。あれは、真似できない。模倣しようとして叱られた。クライドとディアス、両方にだ。こういうのはやろうとしてするんじゃない。つまり、考えてできるような代物ではないというわけだ。

 ほんの数呼吸のあいだでも、ブレイヴは瞬きを忘れて見入っていた。

「大丈夫か? レナード」

 しばらく惚けていたのはレナードもおなじだった。

「は、はい。でも、あのひとは……」

 ブレイヴは微笑して、ノエルの加勢に行く。アストレアの弓騎士はこの混乱に乗じて、本来の武器で戦っていた。間合いさえ取れたら正確無比なノエルの弓は敵を逃さない。ブレイヴは次にクライドを見た。ほとんど戦闘を終えたのかこちらへ戻ってくる。彼に加勢は無用だとすぐに判断したのもクライドらしい。言葉は交わさずに目顔で会話をする。無事か? 危なかったな。そういう声はしない。たぶん、ブレイヴはいま叱られている。

 腹を割かれた男が奇声を発しながら逃げて行った。左腕を失った少年もそれにつづく。武器を投げ捨ててとっくに消えている者もいるし、傷ついた仲間なんて置き去りだ。

「三十人はいたな」

 イレスダートの戦場にて、味方がこの数ならば生き残っているだろう。クライドはそう言っている。ブレイヴは謝罪するべきか、すこし考えた。それより前に彼が戻ってきた。

「何をぼうっとしている?」

 はじめは夢でも見ているのかと思った。ブレイヴは苦笑する。

「お前が、こんなところにいるなんて思わなかったから」

「いつからお前は、聖騎士ではなくお尋ね者になったんだ?」

 そういう扱いになっているのなら、説明しなくてもディアスはぜんぶわかっているはずだ。だから彼は剣を収めると、ブレイヴたちが来た道を戻りはじめた。

「どこへ……?」

「迎えに行くのだろう? 早く戻らないと手遅れになる。もう、遅いかもしれないが」

 ブレイヴは唇を噛む。悪い予感ばかりがする。ディアスが孤児院よりも先にこちらに来たということは、本当にそうなのかもしれない。

「場所は知っているのか?」

「ああ。俺はお前たちよりも先に、この街にいた」

 クライドとディアスの会話はそれだけだった。互いの自己紹介など要らないし、彼らはブレイヴを置いてさっさと行ってしまう。

「公子、あの方は……」

 ノエルとレナードが答えを求めている。ここではぐらかすのはさすがに意地悪だ。

「幼なじみだ。もう一人の」

 

 






 

 


 細い小道を南西へとくだって行く。

 街には明かりがほとんど消えていて、オレンジ色の三角屋根の家もとっくに消灯している。酒場はまだ開いている時間なのにそこらを彷徨く者も見えないし、捜索にあたる騎士の姿もない。ディアスの言ったとおりだった。

 どうしてディアスは彼女がそこにいると知っていたのだろう。

 ブレイヴは幼なじみに問わなかった。この街に安全な場所は限られていた。こちらの事情を皆まで知らなくとも、ディアスならきっとわかっている。それから、もうひとつ。彼がどうしてサリタにいるのか。ブレイヴは思考を止める。あれこれ考えていても、けっきょく行き着くのは彼女が無事かどうか。それだけだ。

 青い屋根と十字架が見えてきた。ブレイヴはふと風を感じた。雲のない空は月が綺麗に見えている。そんな夜だった。

「クライド、ディアス! そこから……っ!」

 離れろと言う前に旋風が起こった。自然の風とは異なる誰かに作られた風は、ちいさな竜巻を起こす。即座に後退り、回避した二人を風はまだ追いかけてくる。攻撃の意思がなければこうならない。ブレイヴはこれが初歩的な風の魔法だと知っていた。ただし、巻き込まれたら痛いでは済まないことも。

「待ってくれ! 二人は――」

 クライドとディアスが止めるのを無視して、二人の前に立った。すると風が急に止んだ。ブレイヴは頬をすこし切っただけで済んだ。

「ご、ごめんなさいっ! てっきり、あの人たちが戻ってきたのだと……」

 路地の隙間から少年が一人飛び出してくる。青髪をくくった白い長衣ローブを纏った少年だ。

「大層な出迎えだな」

「うっ、ごめんなさい。知らない人、だったので」

 クライドの揶揄やゆに魔道士の少年は頭をさげる。その正直すぎる返答にはクライドも閉口するしかなかったのだろう。ブレイヴのうしろでレナードとノエルが小突き合っている。ブレイヴもすこし笑った。

「きみまで、サリタにいるなんて」

「おひさしぶりです、公子。きっと来てくださると思っていました。だから、ルテキアさんも僕も、ずっと待っていたんです」

「じゃあ、彼女は……」

 アステアはうなずく。

「来てください。まずは、手当てをしないと。でも、みなさん静かになさってくださいね? 子どもたちはもう眠っていますから」

 いまが夜でよかったのかもしれない。こんな大人がぞろぞろと、それも血で汚れた者たちばかりが押しかけたら、子どもたちはきっと泣き出してしまう。

 アステアに案内されて聖堂へとたどり着く。招かれざる客が訪れたあとなのだろう。椅子はなぎ倒されたままだった。真っ先に尻を付いたのはレナードで、その隣にノエルも座り込む。物音に気づいたのか奥から二人の女性が駆けつけてくる。そこにはやはり彼女の姿はなかった。

 皆の傷の手当てをしながらルテキアがいまの状況を説明する。王女の傍付きは嗚咽を堪えて、そのつづきはアステアが引き取ってくれる。責任を感じているのだろう。謝罪をする必要はない。ブレイヴは目顔で諭したものの、しかし傍付きにはこれからもっと酷なことを告げなければならない。そのとき、自分はどんな顔をすればいいのだろうか。ブレイヴにはわからなかった。

「お手上げだな」

 しばらくの沈黙のあと、最初にそう言ったのはクライドだった。彼は応急処置も必要とせずに、腕を組んで背中を壁に預けていた。

「困った姫さまだ。いまにはじまったことではないが」

 ディアスが同意する。でも、それは昔の話だ。レオナはもう世間知らずで向こう見ずなちいさな姫君じゃない。

「彼女は、自分から選んであの人たちと一緒に行きました。こどもたちと、僕たちを守るために」

 出会ったばかりの他人を庇っているようにはきこえない。アステアもルテキアも、止められなかった自分を悔やんでいる。老婦人が食糧を持ってこちらに戻ってきた。黒パンと果実と、これだけしかないことを詫びる老婦人に、ブレイヴは微笑する。水だけで結構です。そう答えると老婦人は気の毒そうな表情をして、また聖堂から出て行った。入れちがいにこちらに来たのは赤い髪をした青年だ。ここの関係者なのだろうか。王都の騎士は無関係な市民に手をあげたらしい。顔が腫れているし、先の老婦人の頬も赤くなっていた。

「へえ、あんたがイレスダートの聖騎士なんだ?」

 部外者は関わるな。クライドもディアスも、そういう威圧を与えているのに、赤髪の青年は笑っている。

「あの子、自分から行っちまったんだよな。だったら、あんたたちがこれ以上何かする必要ないんじゃないのか?」

「デューイ、やめて」

 ルテキアの声を無視して、青年はつづける。

「正直言うと迷惑なんだよ。あんたたちみたいなのが、この街にいたら」

「彼女を返してもらえば、すぐにサリタを出て行く」

「ふうん。ああいうオヒメサマでも守ってやるのが、騎士の仕事ってやつだ」

 そうじゃない。レオナが幼なじみだからだ。教える必要もないのでブレイヴは黙っている。デューイはにやっとした。

「まあ、いいや。あんたたちの事情なんて興味ないし、俺には関係ない」

「だったら、なぜここにいる?」

 問われて、デューイはディアスを見た。

「借りがあるんだよ、レオナには。だからさ、ここは俺に任せてくれないか?」

 あとで振り返ってみても、この青年をどうしてすぐに信用したのかと思う。クライドとディアスは反対したし、ルテキアも止めた。救いがほしかったのかもしれない。デューイの声は嘘を吐く人間のする声だ。でも、このときのデューイの言葉は偽りではなかったし、目も真剣だった。なによりも、レオナはこの青年も守ろうとした。

「きかせてくれないか? 何か、考えがあるんだろう?」

 デューイはもう一度、にやっと笑った。

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