鮮赤のメシア
宵月
序章
今回の討伐対象は一体だけだと聞いていた。派遣される
「後方支援が二十人!?」
告げられた内容に思わず叫んでいた。戦闘要員二名に対して支援要員がその十倍とは、一体どういうことなのか。他の討伐士に取ってはこの割合は普通のことかもしれないが、彼らが請け負う任務に割り当てられる支援要員の数は少ない。まったくつかないことも珍しくないだけに、今回のことは意外だった。
信じられないと言いたげに声を上げた彼に、この驚くべき情報をもたらした少女は平然とした様子でうなずいて口を開いた。
「加えて、今回はマレオン支部の指揮下に入ることとなります」
「はァ!? 何でそんなことになってるんだよ!」
予想だにしない言葉に、またもや彼の声が跳ね上がる。どうして今回はこんなに妙なことになっているのか。
一般の討伐士であればいずれかの支部に配属され、そこの指揮に従う義務が課される。だが、彼らは手配
「今回の討伐対象が周囲に及ぼす影響を考慮したのでしょう」
そう言いながら、少女は書類を差し出した。受け取って視線を落とせば、それは今回の件に関する命令書と手配書のようだった。書面には先ほど彼女が言った通りの内容が記されている。彼としては不服だったが、これが命令だというのであれば従わざるをえないだろう。
舌打ちしながら書類を送って手配書を表に出すと、討伐対象を表した絵が目に飛び込んできた。黒地に赤い斑点を持つ、毒々しいトカゲだ。横に記された文章を目で追い、彼は眉を
「……サラマンデルぅ?」
火トカゲとは、また随分と大仰な名前を付けたものである。続く習性を記した文章に、彼の眉間に刻まれた皺が一層深くなった。炎を発すると来た。果たしてこの情報をどこまで信じていいものだろうか。
「大陸北西部に生息する、ファイアサラマンダーというイモリから変異したと考えられています。このイモリは体内で生成した毒液を発射し、それが名前の由来となったそうです」
表情から彼の疑問を察したのだろう、少女がそう説明した。
「元となった種が持つ毒は神経毒のようですが、異形化したことによってこの毒に幻覚作用が生じたのではないかというのが研究班の見解です」
少女の説明に、彼はふむとうなずいた。大筋は納得できるが、一つだけ疑問が残る。
「結局炎はどこから出てきたんだ?」
「被害に遭った村がすべて炎上していることが理由のようです。異形が火を噴いたという報告もあるようですが、
だから幻覚作用のある毒ということかと合点がいった。同時に支援要員の多さにも納得する。本当に炎を操る異形であるとすれば、消火活動や避難誘導に必要ということだろう。
他に質問は、との問いに、彼は首を横に振る。
「今回の指令を拒否することも可能ですが、どうしますか?」
「問題ない、引き受ける」
毒を有する異形という点が厄介だが、それ以外はいつもと変わらない。拒否する理由は見当たらなかった。
少女はしばらく探るように彼を見つめていたが、やがてうなずいた。
「ではそのように返答を。出発は明後日です、準備をお願いします」
「了解」
ニヤリと笑って片手を挙げると、彼は準備のために自室へと引き上げた。
◆
二日後、マレオン支部へと
「ついでに避難指示も済ませておいてくれれば早かったものを」
遠くからこちらの様子を窺う住民たちが視界に入り、舌打ちして毒づく。そんな彼の様子に少女は
「いくら小規模とは言え、村人全員を非難させるとなればそう簡単にはいかないでしょう。受け入れる側の問題もあります」
「そういうもんかね」
少女の言葉に適当に相槌を打つ。建前はどうあれ、実際は下手なことをして異形を逃がしたくないというのがマレオン支部を預かる者の本音であろう。着任の挨拶の時に会ったマレオン支部の長だという男は、いかにして労を少なく、そして功を多くするかを考えているような
浮かべた表情から彼の考えていることを察したのか、少女がもの言いたげな視線を向けてくる。けれど彼女は何も言わず、小さく嘆息したのみだった。
「問題がなければすぐに仕掛けますが」
「ああ、さっさと終わらせよう」
二人は互いに視線を交わしてうなずく。
少女が指示を出すために支援部隊の元へと向かうのを見送ると、彼は一足先に目的の場所へと向かった。
異形が潜んでいるというのは、村の奥まった場所にある空き家だった。つい最近引き払われたばかりらしい。偶然とはいえ、住人が異形と鉢合わせせずに済んだのは幸運だった。
彼はハルバードを肩に担ぎ、少女が来るのを待つ間その家を観察することにした。
それはよくある木造の二階建て家屋で、裏には農具などを納める納屋が建てられていた。年季が入っているが、最近まで人が住んでいたためか荒れた様子はない。もっとも、これから少々手荒なことをする予定なので、今後も同じ
視線を転じ、村へと向ける。漂う空気はどこか緊張を孕み、ピリピリとしていた。ここ数日の間、ろくに説明もないまま討伐士が空き家に張り付いていたのだ。言われずとも、村人たちも異変は察していることだろう。
背後から聞こえた足音に、彼はそちらへと顔を向けた。数人の討伐士を従えて少女が立っている。少女は彼に視線を向けると小さくうなずいた。
「配置は完了しました」
「了解。それじゃ始めるとしますか」
笑みを浮かべた彼の言葉に、少女に従っていた討伐士たちの半数が家の裏手へと回った。残る半数は少し距離を置いて家へと向き直る。
「掃討を開始します」
少女の宣言を合図に、彼らは家へと踏み込んだ。
毒を有する以外に厄介な点はない。彼のその予想は呆気なく裏切られた。
「住民の避難を急がせなさい! 他は後回しで構いません、避難を最優先に!」
駆け抜けざまに飛ばされた少女の指示に、家屋の消火活動に当たっていた討伐士たちがあわててその場を離れる。
「まさか本当に火トカゲだとはな!」
少女の背中を追い、燃え盛る村の中を走りながら彼は毒づいた。
焼け落ち、火の粉と共に降ってきた屋根の残骸に気づいて足を止め、それを切り払う。視界が開けると、
身を捩って少女の斬撃をかわし、トカゲと呼ぶにはあまりにも巨大なその異形が炎の塊をいくつも吐き出した。少女が飛びすさってそれから逃れるが、追い打ちをかけるようにさらに数個の火球が飛ぶ。少女はそれらのいくつかを飛んで避け、いくつかにはナイフを打ち込んで相殺した。
少女が火球に手間取っている間に、その短い四肢からは思いも寄らない速度で地を這い、異形が逃走を図る。
「そうはさせるか!」
異形の進行方向へと回り込むと、彼はハルバードを振り下ろした。異形が飛び跳ねてそれをかわす。異形はそのまま手近な家屋の壁に張り付くと、こちらに向けて火球を吐いた。それを叩き落しているわずかの間に、異形は彼の視界から姿を消していた。
「――チッ! またかよ!」
舌打ちし、苛立ちまぎれに彼はハルバードの石突を地面に打ちつけた。さっきからこれの繰り返しだ。射程に捉えたと思ったら、火炎を吐かれて逃げられる。
周囲に目を向けると、壁伝いに逃げる異形のうしろ姿が見えた。彼はとっさに左手を腰のうしろに回してホルスターから銃を引き抜くと、狙いもそこそこに引き金を引いた。叩き込んだ銃弾の一発が異形の足を吹き飛ばす。体勢を崩して動きを止めたところに少女が鎖を放った。先端の分銅が異形の頭部を叩く。
ボトリと音を立てて地面に落ちた異形に追いすがると、彼は全力でハルバードを振り下ろした。鈍い音を立てて刃が胴体にめり込むが、異形はなおも逃げようとして足を動かす。
異形の頭に銃口を押しつけて引き金を引こうとした刹那、彼は横合いから思い切り突き飛ばされた。受け身も取れぬまま地面に転がり、強く背中を打ちつける。
「何を……ッ!」
怒鳴ろうとした瞬間、さっきまで立っていた場所に焼け落ちた柱が崩れてきたのが見えて彼は言葉を飲み込んだ。あのままでは、間違いなく下敷きとなっていただろう。
「怪我は?」
問いかけに顔を上げると、吐息が触れるほどの至近距離に少女の顔があった。一瞬状況も忘れて動きを止めた彼に、少女は首を傾げて問いを重ねた。
「……ない」
自分を押し倒した体勢のままの少女を乱暴に押しのけると、彼は短くそう答えた。立ち上がると、その小柄な体を持ち上げるようにして少女を立たせ、転がった拍子に手放してしまった己の銃とハルバードを回収する。
「行くぞ」
燃え盛る家の残骸に背を向けると、彼は少女の手を引いて歩き出した。けれど、少女は彼に抗うようにして身を捩る。
「まだ異形が」
そう訴える少女に舌打ちして足を止めると、彼は振り返って少女を見下ろした。
「自分たちの身の安全が先だ。一旦撤退する」
不機嫌さを隠しもせずにそう言い放つと、彼は少女を引きずるようにして村の外を目指した。
燃え盛る村からやや離れた場所で、村人たちを背後に庇うようにして支援部隊の討伐士たちが立っていた。そのうちの一人が彼らに気づいて駆け寄ってくる。
「ご無事でしたか!」
「どうにかな」
うなずいて彼が状況を問うと、討伐士も村人も誰一人欠けることなく避難できたとのことだった。人的被害がないことに息をつく。
「あの、そちらはどうでしたか……?」
恐る恐るといった様子でこちらの首尾を問われ、彼は眉を寄せた。よほど険しい表情をしていたのだろう、それを見た討伐士が小さく悲鳴を上げる。
「致命傷は与えましたが、異形の生死の確認はできていません」
答えあぐねている彼の代わりに、少女がそう告げた。
「マレオン支部に報告、並びに今後の指示を仰いでください。それまでは現状を維持して待機」
続けざまに指示を飛ばすと、彼女は村へと視線を向けた。そちらを見つめたまま動かなくなる。
指示を受けた討伐士は返事をすると、離れた場所に繋いでおいた馬の方へと駆け寄った。
ここからマレオン市まで全速力で馬を飛ばせば、往復で十分少々だ。こちらで打てる手がなくなった以上、現状での作戦本部に指示を仰ぐのは当然と言えた。
伝令が戻るまでの時間は、一秒が一時間に感じられるほど長い気がした。焦っても仕方がないとわかりながら、どうしても消えない嫌な予感に彼は顔をしかめる。
不意にマレオン市の位置する方向から高く馬蹄の音が響いてきて彼は顔を上げた。馬を駆けさせてきた男が、転がり落ちるようにして地面に降り立つ。
「マレオン支部より、伝令……
息も絶え絶えにそう告げると、男はその場に崩れ落ちた。倒れた者を介抱することも忘れ、討伐士たちの間からどよめきが起きる。
「殲滅って……正気か!?」
彼もまた告げられた内容が信じられず、うめき声を漏らした。伝令役は本当にちゃんと状況を伝えたのだろうかと疑いたくなる。あるいは、この判断を下した人間の正気を。
どう考えたって、あの異形はもう死んでいる。彼自身が、それだけの攻撃を加えた。
「これ以上の追撃は、こっちの被害を出すだけだろうが!」
あの炎の中に飛び込めと、マレオン支部の責任者はそう言っているのだ。死ねと命じられたも同然だ。
「奴らを
「
静かな、けれども強い光を
「マレオン支部へと伝達。――命令を
静かに、彼女はそう告げた。
「……本気か?」
彼の問いかけにうなずき、少女が口を開く。
「ですが、あなたの言葉にも一理あります。わざわざ被害を出す必要はありません。あなたは彼らを連れて帰投してください」
あとは一人で大丈夫だと言い放つと、少女は確認するように腰から吊り下げた剣に手を触れた。
「待て! それなら俺も――」
一緒に行く。彼がその言葉を発する前に、少女はすでに駆け出していた。ゆるく波打つ緋色の髪が彼の手をすり抜け、燃え盛る炎の中へと消える。
それが、【
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