02 私を月につれて行って
「ハルさー……さすがに進路相談の紙に……このメルヘンすぎる作文はないでしょ?」
私の進路相談表を声に出して一読したハニーは、まるでこんがらがった毛糸の束でも見るような複雑な表情を浮かべて言った。
少しおかしな子を見るような目。
瞳の中には憐みの色すら浮かび上がっているみたいだった。
放送室でハニーと隣同士に座っている私は、真っ赤にした顔を両手でおおった。
「……だから見せたくないって言ったのにー。私、ハニーがそう言うってわかってたもん」
私は悲鳴を上げるように言った。
「それに進路希望に“夜間飛行”でアルバイトって……これもないでしょ。そんなん、高校生やりながらでもできるじゃん?」
「それは……第三志望。いちおう第一志望と第二志望には……近所の高校を選択したもん」
私は頬を膨らませて言った。
「また、ずいぶん適当な高校を選択して……もう少し自分を過大評価したっていいでしょうに」
「じゃあ……ハニーは進路希望どうしたの?」
私が尋ねると、ハニーは少しだけ瞳を持ち上げて栗色の髪の毛の一房をつまんだ。
そして指先で遊ばせる。
そんな仕草がとてもチャーミングだった。
ハニー。
|蜂ヶ崎(はちがさき)蜜(みつ)だから、ハニー。
男子にはハチミツって呼ばれてからかわれてる、素敵な名前の女の子。
外国人みたいに整った目鼻立ちで、抜けるように白い肌した、すらりとした手足のモデルさんみたいな女の子。
そして、私の大切な友達。
「私は……スポーツ推薦かな?」
「……推薦? すごーい」
「私立の学校から誘われてるの。多分……そこに行くと思う。一度その学校に見学に来ないかって言われてて、見学に行ってみて気に入ったら……決まり?」
「すごーい。やっぱりテニスでプロ目指してるだけあるねー。おめでとう」
私は両手を上げてよろこんだ。
「ちょっと、まだ決まってないんだから、あんまりはしゃがないでよ。それにプロ目指しているとか言わないで。恥ずかしくなるから」
「えー、でも……目指してるんでしょ?」
「目指してるけど……なれたらいいなぐらいだし、それに他にやりたいことだってあるし、テニスだけってわけじゃないから。推薦のこともプロのことも……誰にも言わないでよ」
ハニーは髪の毛を遊ばせながら恥ずかしそうに言った。
こんなふうにそっけなく言ってみせても、ハニーがプロのテニス選手になるために毎日必死に練習していることを、私はちゃんと知っている。
私なんかが軽々しく、「ハニーは努力してるね」なんて言っちゃいけないくらい、毎日毎日たくさんラケットを振っていることを、私はちゃんと知っている。 腹筋が割れるぐらい筋トレをしていることだって、私はちゃんと知っている。
そんなハニーの隣にいると、私は自分が少しだけ情けなくなる。
何もしていない、何も見つけいない、どこにも向かっていない自分が、少しだけ惨めな気持ちになる。
私の胸の奥が、蜂に刺されたみたいにズキと痛む。
ズキズキ。
「わかってる……誰にも言わないよ。ハニーのいけず」
私はハニーの割れているであろう腹筋を羨ましげに突いてみた。
ちなみに、私のお腹はぷにぷにしてる。
「ちょっとくずぐったいでしょう。やめてって。ほら……そろそろ音楽が終わるよ」
放送室から、全教室に向けて流れていたジャズ曲。
定番の名曲にして、永遠のナンバー“Fly Me to the Moon”。
ジュリー・ロンドンのスモーキーな声で歌われる素敵なナンバーで、私はこの曲が大好き。
ああ、誰か私を月に連れって。
放送委員の私とハニーは、お昼の放送を行うために週の何回かの昼休みをここで過ごしている。
二人でお弁当を食べながら好きな音楽をかけたり、学校や生徒会からのお知らせをしたり、生徒からの要望をアナウンスしたりするこの時間が、私はとっても大好き。
それに、今日は待ちに待った金曜日。
私の好きなジャズを流していい唯一の日。
だけど、私が考案したこの“ジャズミュージック・デイ”は、全校生徒からはあまり評判は良くない。生徒のリクエスト曲をかける日を増やしてほしいという要望がたくさんきているけど、私は頑なに目を逸らし、耳を塞ぎ続けている。
だって、前は週に三日はジャズを流せたのに、今ではたった一日しか流せないんだもん。
この一日だけは死守しなくちゃいけない。
これは放送室の誓い。
最近覚えた〝テニスコートの誓い〟にかけてみました。
「ジュリー・ロンドンで“Fly Me to the Moon”――“私を月につれて行って”でした。それでは、今日のお昼の放送はこれでお終い。みなさん楽しい週末を過ごしてくださいね。夏だからといって浮かれ過ぎず、羽目を外し過ぎないように。火遊びは厳禁ですよ。それじゃあ、See you next week――バイバイ」
顔を赤くしながらお別れの挨拶を言った後、私は隣に座っているハニーにちらと視線を向けた。
案の定、ハニーは今にも吹き出しそうな顔をしていた。
「ハニー、また笑ってる。もー、その顔やめてよ」
「ハルって……恥ずかしがり屋のくせに文章とかマイク越しだとお喋りなんだもん」
「だって、目の前に人がいると恥ずかしいよ」
「ずいぶん前にハルが書いた物語の主人公は、あんなに溌剌でお喋りだったのにね?」
「あー、それは言わない約束でしょ。あれは無し無し。恥ずかしいから思い出させないでよ」
「えー、けっこうおもしろかったよ。図書館で男の子と出会って、段々にお互いのことが気になっていって、そして恋に落ちる話。なんかどこかで見たような物語だったっていうか……〝金曜ロードショー〟で見たような――」
「あー、やめてやめて。それに、あれは生まれてはじめて書いた物語なんだから大目に見てよー」
私は悲鳴を上げてハニーをポカポカと叩いた。
あれは思い出しただけで恥ずかしくなる。
去年の今頃――
私は、どうしてだか自分には小説家になる才能があるんだって突然に思いいたって、そしてその考えに心酔しきって一気呵成に物語を書き綴った。
書き殴ったっていってもいいと思う。
寝る間も惜しんで毎日机に向かい合い、三ヶ月かけて書き終わった物語は、見事に名作と呼ばれる物語の継ぎ接ぎで、どこかでみたことがあるというよりも、子供の頃からまさに子供たちが慣れ親しんできた物語の複製だった。
壮大すぎるパロディといってもいいと思う。
コメディなら面白かったかもしれないけど、全力で真剣な物語だったからなおさら痛かった。
そんな三ヶ月をかけた壮大な模造品を、私は自信満々にハニーに読んでもらった。
でも、あの時の私は自分が初めて書き上げた物語を完全に自分のオリジナルな物語だと思い込んでいて、自信に満ちていた。
これで“芥川賞作家”になれると思い込んでいた。
まさに有頂天な私。
バカバカバカ。
そんな有頂天な私は、ハニーからの感想待っている最中に、ふと気になって自分の物語を読み返すことにした。
たぶんハイな状態から抜け出して、少しずつ自信が薄れ始めてきたんだと思う。
それは、まるで霧が晴れるようだった。
私は現実を直視する羽目になった。
そして私の有頂天な気持ちは一気にどん底にまでなった。
過去の私に会いに行って、一刻も早くこの壮大すぎる勘違いを、この愚かな所業を止めるように説得したくなった。
ついに自分の処女作の重みに耐えきれなくなった私は、机の扉を何度も開いては、過去に行くための“タイムマシン”が現れるんじゃないかという、錯乱していたとしか思えない願いにすがった。
ああ、思い出しだけで悶絶しそう。
お腹のあたりがきゅうきゅうなるよ。
「でも……私は好きだったなあ。あの物語」
「ウソだよ。だってひどい内容だったもん」
「まぁ、できがいいとはいえないけどさ、何だかさ……すごく切ない気持ちになるんだよね。ハルの気持ちがすごくストレートに伝わってくるっていうかさ、ハルが書きたいんだって気持ちがさ、ちゃんと読んでる私に伝わるんだよ。だから……私は好きだな」
私は少しだけ泣きそうだった。
「だけど、タイトルはひどかったなー。なんだっけ? えーと、そうだっ、〝青い春をかけるなんちゃら〟だっけ? あんた、自分の名前タイトルにするって恥ずかしすぎるでしょ。あれは痛いわ」
「ひー」
私は失神どころか悶絶死しそうだった。
ころころと笑うハニーを見て、私の泣きそうなくらいの感動はもろくも崩れ去り、かわりに酷い辱めを受けたという怒りが湧いてきた。
「もー、ハニーのバカバカ。もう、やめてっててば」
昼休みの間中、私はハニーから手酷い拷問を受け続け、死に体でふらふらと教室に戻っていった。
ふと廊下の窓ガラス越しに見える青い空を眺めて、うっすらと浮かぶ月を見つけた私は、堪らずに一人ごちた。
「ああ、“私を月につれて行って”」
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