第一編 エピローグ ②

 今日は人に怒られてばかりだった。

 警備員の人たちに怒られ、霞さんと蒼猫に怒られ――蒼猫に至っては泣かれた。

 これが貴方には一番辛いお仕置きだった。

 どうにか宥められたのだが、「本当に頭は大丈夫なんですか?」と何やら深そうな言葉で蒼猫は貴方を心配する。結果、貴方は精密検査を受けることになった。

 流石に断れる空気ではなかったので、貴方は甘んじて受け入れた。

 数時間かけて検査をし、夕方になった。

 目立った異常も今のところは見られないということで(後日、正式な結果が出る部分もある)、自宅で安静にするよう言い渡される。

 その頃にはニャー先輩も起きて、現状を把握して、彼女は慌てふためいた。


 何故か?


 バイトがあったからである。


「それが遅刻の理由ねえ」

「すみません」

「しかも、怪我してバイトを休むなんて、想像もしてなかったわ」

「すみませんってば……」


 今度は白雪さんに怒られた。

 メルヴェイユのバックヤード、白雪さんの遊び場――と言って差し支えなかろう――で貴方は頭を下げていた。

 白雪さんには昨日、今日あった話を全てしたところだ。

 今は元気いっぱいになったニャー先輩が一人で店番をしている。


「まあいいわ。そんな怪我した手で店先に出られても迷惑だし」


 白雪さんはゲームのコントローラー片手に貴方の右手のギブスを見て言い、


「永久。頼来の話でいくつか抜け落ちてるのだけど、聞いていいかしら?」


 視線の先を変えて、貴方の隣に座る永久に話を振った。


「いいぞ。一応、そのために来たのだからな」


 ついでに喫茶しについてきたのかと思ったのだが――ちなみに蒼猫は夕飯の準備のために買い物中――成る程、貴方の説明不足を予期していたらしい。


「昨夜、貴女が病院に戻った理由は何?」

「分かっていて聞いていないか? 君」

「予想はつくけれど、念のためよ」


 白雪さんと永久は二人で会話を始めた。


「蒼猫の様子を見に行った――というのは建前で頼来の持ち物を拝借しに行ったのだよ」

「持ち物って、名刺よね?」


 ご名答――と永久は紅茶を一口飲んだ。


「叔父の名刺だ。個人的な名刺か、会社の名刺かは分からなかったが、直通の連絡先が載っている可能性があった。結果は、期待通りだった」

「それで貴女は連絡したのね?」

「ああ。そこで彼から仁愛の体質について聞いた。静恵さんに対して仁愛の体質が現れるようになった経緯についてな。――その日はそこまで話して終わりだ。ついでに頼来の病室に向かうと彼が起きたから、話を伝えたのだ」


 そんな経緯があったのかと私は頷く。

 昨夜、病院に戻ると言い出した永久を不審に思ったりもしたが、こんな目的があったとは。

 それなら先に言え、と思ったが、叔父と連絡を取るため、なんてニャー先輩に聞かせるわけにはいかなかったか。

 あの時点では体質が出てくる条件が曖昧で――実際、感情によるものだから曖昧だが、用心する他ない。


「そうよね、それ以外に貴女が病院に戻る理由がないもの。――けど、一ついいかしら?」


 白雪さんがゲームのコントローラーをテーブルに置いて、


「どうして頼来が叔父から名刺をもらったことを貴女は知っていたの?」


 核心をついてきた。


「頼来の話だと、叔父や祖母とは一人で会っていたのよね? そして、帰り際に仁愛と一悶着あって気を失った。――この流れだと、頼来が気を失っている間に、貴女が名刺の件を知っているのは変な話よね? どうも、もう一人その場にいたように思えるのだけど」

「それは……」


 貴方はつい言葉を発してしまった。

 事実としては、私が貴方を観測していたからだが、それを話すのは私のことを全て話す必要があろう。

 それは少し、困る。


「それは?」


 白雪さんは催促する。

 貴方はコーヒーをゆっくり飲んで時間稼ぎしながら、どう誤魔化せばいいかと考えた。

 だが、答えたのは永久だった。


「簡単な話だ。名刺については病院で職員から聞いていたのだよ。頼来の服を洗濯するためにポケットの中身を取り出したところ、財布と名刺があった、とな。その時は仁愛のこともあったから後回しにして気にも留めなかったのだが、仁愛から話を聞いたところで叔父のものだと推測できたのだ」

「成る程。細かい話だったわね」


 白雪さんが納得したようにコーヒーを飲む。

 貴方が永久を見ると、彼女は貴方を見返して……じとりとした目でめつけてきた。

 余計なことを言うなと目で訴えている。

 どうやら、自分が話すとボロが出そうなので、素直に頷いておいた。


「失礼。話を戻すわ。今日の早朝、頼来は病院を抜け出して、永久と一緒に空港に行って、それからどうしたの?」

「その前に頼来が叔父に連絡をしている。絶対に仁愛を連れて行くから、空港で会ってくれ、とな。根拠も提示せず話すから不安だったのだが、叔父から静恵さんに代わったところ、彼の話を信じたらしい。信頼されていたな、頼来」

「いや……勢いに乗せられただけだろ」


 むしろ、どちらでもない気もする。

 静恵さんとしてはニャー先輩と会いたいというのは全てに勝る望みなのだ。

 微かな希望だとしても、すがりたくなる気持ちは分かる。


「それで頼来は仁愛の体質の本質に気付き、手込めにしたわけね」


 人聞き悪いが、間違ってはいない。

 ここでまた何か言えば、私の存在に――どうやって仁愛の拒絶を止めたのか――言及しそうだったので口をつぐんだ。


「これで全て理解できたわ。ありがとう、永久」

「……本当に理解したのか? 白雪」


 永久と白雪さんが何やら視線を交差させる。


「当然でしょう? 要するに貴女の言葉は全てでっち上げだったのよね?」

「――ああ、静恵さんに言ったとおりな。私は『それらしい話をしただけ』だ」


 永久が嬉しそうに尻尾を振ったのが気になったが、


「??」


 貴方は見比べるように二人を見る。

 私も同じ動作をして、


(なんの話をしてるのかしらね)

「なんの話をしてるんだ?」


 二人の視線が貴方に向いた。

 そして、また二人は視線を交差させる。


「彼は分かってないの?」

「伝えるまでもないとは思っていたが、残念ながらな」

「残念ね。主に頭が」


 凄いな、と貴方は感心した。

 まさか、本人を目の前に堂々と馬鹿にする発言を繰り広げるとは恐れ入る。

 この二人、物凄く気が合うらしい。

 泣きそうだった。


「あの……お二人とも、なんの話をしていらっしゃるのですかね」


 貴方は恐る恐る尋ねた。

 永久はどういうわけか身体を反らして部屋の出入り口となるドアを見る。ドアは完全に閉められていた。それが確認したかったらしく、更には声を小さくして言う。


「君は最後の話を本気で信じたのか?」

「最後……?」

「君には説明したはずだ。私と静恵さんと仁愛の三人で何を話したのか」


 実際は私が説明したのだが、確かに貴方は聞いていた。


「聞いたけど……どの辺りについて言ってるんだよ」

「静恵さんが歩けなくなった理由について言っているのだよ」

「……ちょっと待て」


 今の話の流れでは、おかしなことになる。

 静恵さんが歩けなくなった理由――それが嘘だと、永久は言いたいのか?


「え、待て待て。どういうことだ?」

「声が大きい。どうして私が声を抑えているのか、分からないのか?」

「あ……悪い」


 貴方は口もとを押さえた。

 声を抑えているのも、ドアが閉まっていることを確認していたのも、理由はニャー先輩に聞かせられないからだと、話の内容から気付いた。

 いや、それよりも前、今日はニャー先輩とずっと一緒にいたから話せなかったということも。


「……静恵さんが歩けなくなったのは、ニャー先輩のせいじゃなかったんだろ?」


 だからこそ、ニャー先輩は重責から解放されて、今、ああやって元気に働けているのだ。そこがもし嘘なのだとしたら――どうあっても聞かせられないではないか。

 貴方はすがるような気持ちで聞いた。


「なあ、永久」

「念のため断っておくが、あくまでもこれは蓋然性がいぜんせいの話だぞ」

「可能性って意味よ、頼来」


 知ってるわ、それくらい――と白雪さんを無視した。

 永久は静かに話し始めた。


「まず、前提として、情報源を疑う必要がある」

「情報源?」

「私たちに静恵さんたちのことを話した人物は誰だった?」

「えっと……――ああ」


 つい感嘆詞が漏れた。


「情報源って、心裡か」

「そうだ。もう信用できないことが分かるだろう?」


 悲しいが、永久の話が現実味をおびてくるのをひしひしと感じた。


「彼の話は概ね真実だった。叔父が仁愛に会いに来た理由、静恵さんが治療のためにアメリカに行くこと、その時間など、それらに嘘はない」

「それらしい話をでっち上げるよりも、真実を織り交ぜて話す方が嘘は見破られにくい――というのは通説だけれど、この場合も当てはまるわね」

「頼来や仁愛は完全に信じ込んでいたようだからな。かくいう私も、本気で疑ったのは――あれが嘘だったと確信したのは、静恵さんと仁愛のやり取りを見ていた時だが」

「一応、貴女は最初から疑ってはいたのだから、充分よ」


 また、二人で会話を始める。

 勘弁して欲しい。


「結局、心裡の嘘ってどの部分なんだよ」

「一番大きな嘘は『祖母が参加する臨床研究の内容を知らない』という部分だな」


 貴方は伝聞の話を思い出し、私は実際の場面を思い出した。

 そういえば、心裡さんはあの時、他については詳しく話してくれたが、そこについては知らないと言っていた。


「永久はその時点で分かっていたのよね。だから、最後、心裡に再度聞いたんでしょう?」

「聞いた結果、彼は言っていたな。『こんなところで嘘をついて何か意味でもあるの?』と。私はそれを聞いて納得した。嘘をついても意味がないから嘘をつかない。――裏を返せば、意味があるなら嘘をつく。彼はそう言いたいのだろうと納得したのだ」

「意味があるから……心裡は嘘をついた?」


 臨床研究の内容を、彼は本当は知っていた?


「要するに、その内容を話したくなかったってことだよな? どうしてだよ」

「研究の内容が分かってしまえば、静恵さんの症状が確定してしまうからだよ」


 確定……? 難しくてよく分からない。


「つまりね、頼来。彼女の症状を知ってしまえば、その時点で、仁愛が怪我をさせたことが原因で歩けなくなったのかが分かってしまう、と言いたいのよ」

「――なるほど」


 白雪さんの的確な捕捉で、貴方も私も理解した。


「歩けなくなる理由でもっとも分かりやすいのは下半身不随――脊椎損傷が原因だ。損傷する原因についてはいくつかあるが、事故などによる外因性のものが多い。――もし、臨床研究の内容がそれに類するものの治療であったなら、静恵さんが歩けなくなった原因は仁愛の体質……怪我したことが原因だと確定してしまう」


 だから、心裡さんはぼかした。

 確定させたくなかったから。


「だから、お前もでっち上げたっていうのか?」


 永久いわく『それらしい話』を。


「『戸籍謄本が何故、家にあったか』――ごちゃごちゃ理由をつけてパスポートに結びつけたが、我ながら滅茶苦茶な論理で冷や冷やだったぞ」

「滅茶苦茶っつーか、俺は無茶苦茶納得したんだけど……」


 私もである。

 加えればニャー先輩もだ。


「仮にでたらめだとしても、だったらなんで戸籍謄本が家にあったんだよ」

「大方、自分と仁愛の戸籍を確認したかったからだろうな。仁愛の戸籍はその直前にいろいろと弄られている。死後離縁に加えて、静恵さんとの養子縁組――本当に死後離縁されているのか、養子縁組できたのか、確認したかったのではないか?」


 それは、十分ありそうな話だった。

 むしろ、時期的に考えると、それがもっとも自然な解答に思える。


「でも、その先はどうなる? 静恵さんたちと臨床研究の責任者が知り合ってから、静恵さんの足が動かなくなったってのが偶然にしては出来すぎてるって話。どう考えても、足が悪くなってから病院で臨床研究の責任者を紹介されたって流れの方が……」

「その話の根拠はなんだった? 頼来」

「そんなの心裡から聞いた話で――」


 あ、まさか、と貴方は開いた口が閉じられない。


「『静恵さんと臨床研究の責任者は三年前からの知り合い』。大嘘だ、こんなもの」


 永久は吐き捨てるように――否、吐き捨てた。


「そもそも話を聞いていて不自然に思わないか? 何故、彼が事細かに大まかな日付を口にしていたのか。まるで、調


 まさにそうである。

『三年前からの知り合い』、『二年前から歩けなくなった』、云々かんぬんと細かい話を彼はしていた。そんな日付の話など、あの場面では必要なかろう。

 特に『三年前からの知り合い』だなんて、普通に話すだけなら『以前からの仲』だのと言いそうなものだ。


「どうだ、頼来。たった一つの前提で話が完全にひっくり返っただろう?」

「……ああ、そうか。最後、静恵さん、だからお前に頭を下げたのか」


 貴方は唸るように言う。


『私はそれらしい話をしただけですよ』と首を振った永久に対して、静恵さんは真剣な顔で頭を下げた。

 あれは本気で感謝していたのだ。

 永久が『それらしい話』をでっち上げてくれたことに対して。

 第三者である永久が理路整然――少なくともニャー先輩からは――に理屈を並べたから、静恵さんはニャー先輩を説得する方向性を見つけられたのだ。

 そもそもの話、静恵さんはニャー先輩に何も言えない様子だった。

 もし、本当にこんな過程があったのだとしたら、それを最初から説明すれば済んだかもしれないのに。


「……今思えば、頼来に戸籍謄本を取得させたのも、その一環だったのだろうな。戸籍謄本それ自体が重要だったのではなく――戸籍謄本を取得する一般的な理由を君に知って欲しかったのかもしれない」

「……忘れてたけど、そんなこともあったな」


 貴方はよく覚えている癖に、軽く現実逃避する。


「じゃあ、本当に分かってたんだな、あいつは」

「そうだな。問題の本質がどこにあるのか、彼には分かっていたのだろう」


 問題の本質。

 ニャー先輩と静恵さんの間にある問題の本質。

 そう、彼は分かっていたのだ。

 私との会話でそれは垣間見えていた。


「私はそれに遅ればせながら気付いた。静恵さんに対し、仁愛が謝るのを見て――仁愛が許されることを拒絶したのを見て、心裡が何を考えていたのかをな」


 だから、彼女は咄嗟に行動した。


「私は言葉通り『それらしい話』をしたに過ぎない。選択をしたのは静恵さんだ。違うのであれば違うと一蹴すれば済んだ。だが、彼女は仁愛の重責を消す方を選んだのだよ」


 永久の話に合わせて、嘘の話をつくった。

 たとえ嘘だとしても、大切な孫娘の心を守りたかった。


「――そうだよな」


 貴方はいつの間にか乗り出していた身体を元に戻し、背もたれに体重をかけて言う。


「今のが一番、納得できる話だったよ」


 静恵さんがニャー先輩のために行動する。

 下半身不随にさせられても、ニャー先輩を愛して行動する。

 それは『無償の愛』ともいえる行為。


 敵わないな――と貴方は心の中で白旗を上げた。

 それは静恵さんへの賞讃だ。

 そして、ニャー先輩に対する羨望。


 静恵さんのようなお祖母ちゃんがいて、ニャー先輩は幸せ者に違いない。


「念のため、もう一度言っておくが、全て確証はない話だぞ?」

「分かってるよ」


 分かっているけれど、もう貴方の中ではこれが真実になってしまっていた。

 どちらでも構わないけれど、こっちの方が安心できる。

 静恵さんが本当にニャー先輩を愛しているのだと確信できるから。


「まだ、話は終わってないでしょう? 永久」


 白雪さんが場をにごす。

 そう思ったのは貴方だけだったらしく、永久が頷いた。


「当然だ。頼来にも注意してもらうつもりだぞ」

「注意って?」

「分からないのか?」「分からないの?」

「分からねえから聞いてるんだよ……」


 もういやだ、この二人……。

 貴方は辟易して溜息をもらし、永久も溜息をついて、


「先程の話が仮に真実であれば、静恵さんが参加している臨床試験の内容を仁愛が知ってしまうのは避けなければならない。それは分かるな?」

「……ああ、そうなるのを防げってことか」


 永久と白雪さんは同時に頷いた。


「臨床試験の内容など、調べようと思えば簡単に調べられるものが大半だ。アメリカだと言っていたから英語を理解しないと難しいだろうが、不可能ではあるまい」

「苦手そうだけどな、あの人」


 英語が得意そうには見えない。

 どちらかと言えば貴方と同じで、英語を見るのもイヤなタイプに見える。

 でも、用心に越したことはないか。


「分かった。ニャー先輩が調べようとしてたら」


 ガチャと背後でドアノブが回される音が聞こえ、貴方は息を止めた。


「白雪さん! お飲み物いいでしょうか?」


 ニャー先輩が元気いっぱいに入ってきた。


「……? どうしました?」


 可愛らしく小首を傾げた。

 そして、貴方たちの視線を感じてか、ぶんぶんと尻尾を振り出す。

 意味は分からないが、愛くるしい仕草だった。


「分かったわ。ちょっと待ってなさい」

「はい!!」


 白雪さんは席を立った。

 テーブルを回り込んで貴方たちの傍を通り過ぎると、


「頼来。今日はもう帰った方がいいんじゃない? 妹さん、怒ってるわよ」


 言われて気づく。

 随分と長座してしまっていた。

 貴方と永久も席を立って、部屋をあとにする。

 混み合ってきた店内を抜けて、忙しそうに駆け回るニャー先輩に目礼し、外に出た。


 すっかり夜になり、月明かりのない黒々とした空が広がっていた。

 本格的に蒼猫に怒られそうな気がする。

 貴方が急いで帰ろうとしたところで、


「先輩!」


 ニャー先輩が店から出てきて、貴方を呼び止めた。


「先輩、あの……すみませんでした」

「……何が?」


 貴方は本気で分からず、聞き返す。


「謝るのって俺の方だよな? ニャー先輩、悪いな。一人でバイトさせちまって」

「そんな! 先輩は悪くないです!!」


 必死にぶんぶんと首を振った。


「これはニャーの責任です。メルヴェイユのバイトについては、ニャーが頑張ります」

「んー」


 気負う性格は変わらないか。

 当たり前ではあるけれど。


「ニャーが謝ったのはそれだけじゃないですよ」


 ニャー先輩がしおらしく両手を合わせて言う。


「ニャーの体質が、本当にご迷惑おかけしました。それをちゃんと謝りたくて――」

「あー、ストップ」

「ふえ?」


 ニャー先輩が呆けたような顔を見せる。

 貴方はその顔がおかしくて、笑いながら、


「ニャー先輩が謝る必要ねえよ。だって、仁愛がもう謝ったからさ」

「……ニャーの体質が、ですか?」

「本人が謝ったんだから、もういいんだよ」

「…………」


 ニャー先輩はしばらくして、ようやく頷いた。

 そして、彼女はまた頭を下げた。


 今度は謝るためではなくて。


「先輩方のおかげで、ニャーはお祖母ちゃんとお話しできるようになりました」


 感謝するために。


「本当に……ありがとうございます」


 自分の言葉で現実を再認識したのか、ニャー先輩は涙声で言った。


 貴方と永久は顔を見合わせて、ニャー先輩の方を見て。

 永久は瞳を閉じて仕方ない奴だなと息をつき、貴方は、


「よかったな、ニャー先輩」


 優しげな声音で言って、更に今度は嬉しそうに、


「バイト終わったら真っ直ぐ帰ってこいよ? 夕飯、ハンバーグにしてくれって言っておいたからさ」


 そう言って、笑った。


 ニャー先輩が顔を上げて、貴方と目を合わせた。

 涙に濡れた瞳を更に潤ませ、瞼を閉じ、


「はい!!」


 満面の笑みで彼女は答えた。


 瞼に弾かれた雫が宙を舞い、外灯に照らされきらきら光りながら落ちていく。

 微かな斑点が地面に生まれた。


 初夏の優しげな暑さは、既に雨を乾かせていた。


    第一編「巡り紡ぐ、八重の花」了

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