第一編 第五章 ②
廊下は古ぼけた蛍光灯のせいで薄暗い。
縁側の窓の外は既に夜闇に満ち、明るさのある廊下からはただ黒く染められた壁に見えた。
なんの物音もしない、寂寞としたあえか荘。
その一室の扉は不用心にも薄く開かれており、中の灯りが廊下に薄く線を描いていた。
そこは仁愛があてがわれた部屋だ。
部屋の主はそこにいた。
永久の予想した通り、彼女はあえか荘に一人で帰っていたのだ。
部屋の中央で四つん這いになり、出入り口に
腰の下部から伸びる彼女の尻尾はふらふらと頼りなさ気に揺れていた。
何をしているのか。
仁愛は尻尾の動きに合わせるように、手を動かしている。畳にノートを広げ、そこに真剣な顔で何かを書いていた。
綺麗にかけないのか、書いては消し、書いては消し、何度も繰り返す。何度も繰り返し、何度も繰り返し、ついには涙目になってしまった。
どうやら、彼女は字を書くのが苦手のようだ。
彼女の手はずんぐりとした肉球つきの手。
鉛筆のようなものを扱うには不便な構造をしているためだろう。
握り箸が如く、仁愛は鉛筆を握って、必死に何かを書き綴ろうとしている。
彼女はまだ、気づいていない。
自分に気づいていない。
これは好都合だ。
悪戯心をもって、話しかけてみた。
「何を書いていますの?」
「お手紙を書いています」
「誰に宛ててですの?」
「先輩に、です。先輩にせめてお手紙でもいいから謝りたくて……」
先輩とはおそらく頼来だろう。
「怪我をさせたことを、ですの?」
「はい、それに勝手に出て行くことを……」
彼女の呟きは懺悔の色に染まっていた。
本当に全て永久の言う通りだったらしい。
「出て行きますの? それは無責任ではありません?」
「……すみません」
「それに、謝るのでしたら、ちゃんと直接しないといけないのではありませんの?」
「そうです、ね……ですが」
言葉の途中で止めて、仁愛は手の動きも止めた。
「…………………え?」
彼女はばっと身体を起こした。
「ど、どちら様でしょうか!?」
ようやく、自分が誰かと話していたと気づいたらしく、彼女は相手を探した。
膝立ちのまま、きょろきょろと水平に部屋を見渡し、顔面を蒼白にする。
「ど、どこにいるんですか?」
「どこって、ここにいますわよ」
「ここ? いませんよ……? もしかして、ニャー、独り言しゃべってるんでしょうか」
「だから、ここですって!」
「……?」
仁愛は言われるままに声の方向を見た。
無言のまま、何度も瞬きを繰り返す。
何度も目をぱちくりさせて、ついにはそれも忘れて固まってしまった。
呆然としている彼女。
それは当然の反応で、むしろその反応が見たかったのだ。
「ごめんなさい、急に驚かせてしまいましたわね」
ふふふ、と笑って、仁愛の目の前にいる金髪の少女は、紅い瞳で彼女を見上げた。
「初めまして、ニャー先輩。私はリズ。貴女と同じ、欠落症の人間ですわ」
欠落症の人間は、通常の人間とは違う容姿で生まれ落ちる。
身体が普通の人間のそれではない。
仁愛の足元にいるリズは、三十センチにも満たない、可憐な花のような少女だった。
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