第8話

 休日の昼間に父親が家にいる。


 それは当たり前のことのようでもあるが、その現実に対して何となく構えている自分がいる。

 発掘に駆り出される前の状態に戻っただけなのに、どこか自然に振舞えないのは何故だろう。

 慣れの問題だけなのだろうか。

 家族と言えど一年のブランクというのは、一足飛びには埋めることができない幅をもった溝ということなのかもしれない。


「このグループ、人気あるのか?」


 昼ご飯に僕が作った焼きそばを頬張りつつ、テレビに視線を送りながら父さんが訊ねてくる。


 映っているのは僕と大して年齢の変わらない女の子十人で構成されている最近売れ出したアイドルグループだ。

 どの子も激戦のオーディションを潜り抜けた自信とプライドが窺い知れる磨き上げられた笑顔を振りまき、飛び跳ねながら歌っていた。

 僕は彼女たちの名前と顔が一致しないが、クラスの中では「あの中で誰が一番可愛いと思う?」「そうだなぁ、俺はやっぱり……」という会話が頻繁になされている。


 それにしても以前の父さんはこんな実のないことを僕に訊いただろうか。


 そして一年前の僕は父さんに返答することにこんなにも面倒臭さを感じていただろうか。


「知らない」


 自分でも驚くほど乾いた返事。

 口にしてみると父さんにかつてこんな口のきき方をしたことはなかったということがはっきり理解できる。


 向かい合っている父さんも驚いたのか、テレビから僕の顔に視線を移してきたのが目の端で分かった。

 僕はキュッと胃が窄まるような感覚を覚えながら、その視線を必死に無視して焼きそばを噛み潰し続けた。


 やっぱり何かが違う。


 この一年間で僕の内面が反抗的で自立的な成長を遂げたのか。

 それとも子供の親離れに父さんの気持ちが追い付かないのか。

 とにかくぎくしゃくした余所余所しい会話と、外のうだるような暑さとは裏腹の肌寒く重い空気はどうにも居心地が悪かった。


 そのとき家の電話が鳴った。


 固定電話に掛かってくるとすれば父さんの仕事の関係か、そうでなければ化粧品や教材の押し売り勧誘だ。

 どちらにせよ僕には関係ない。


 それでもこれまでの習性で出ようかと思ったが、僕が箸を置くと父さんがお茶でのどを通し、僕を手で制して立ち上がった。


 僕は受話器を上げる父さんの背中を見ながら、静かにだが大量に肺の奥から空気を吐き出した。


 どうにも息が詰まる。


 発掘が新たな展開になったからすぐに来てくれ、という内容の電話ならいいな。

 そうでなかったら、図書館に行ってくる、とでも言い繕って外に出よう。

 受験生には勉強という大義名分がある。


 しかし、父さんは「ちょっと待ってね」と軽い口調であっさり保留ボタンを押して、意味ありげに口元を歪めて僕を振り返った。


「光太郎、お前にだぞ。女の子から」


 一瞬にして顔から火か出た。

 カッと炭火で焙られたように顔が熱い。


 女の子から電話が掛かってくるなんて人生初の体験だ。

 誰だろう。

 どんな用件だろう。


 しかし、携帯にではなく固定電話にというのが良く分からない。

 今度はなおさら父さんの目を見ることができず、俯き加減で電話の前まで行く。

 コードレスの受話器を取り、上ずる声で応対すると、相手は西堀と名乗った。

 全くピンとこない。


「西堀さん?えっと……」

「この夏から美術部の部長をやってます」


 ということは二年生か。


 真面目に美術室に出入りしていれば文化部と言えど同じ部内だから違う学年でも交流はあるのだろうが、熱心とは程遠かった僕は同学年の部員ですら大した会話をした記憶がない。

 見れば思い出すかもしれないが、西堀という名前と声だけでは彼女に対して何の印象も浮かんでこなかった。

 うちの電話番号はおおかた部員名簿で探したのだろう。

 それにしても部長さんが引退した幽霊部員の僕なんかにどうして電話を掛けてきたのか。


 僕の背後で父さんが焼きそばを啜る音がする。

 僕は子機を耳にあてたままリビングを出た。


「僕に何か用?」

「すいません、突然お電話なんかしちゃって。少し伺いたいことがあったんですけど、でも学校で三年生の階に行くのってかなり勇気が必要で」


 それは理解できる。

 中学生にとって一歳の差は絶対的なもので、違う学年の領域に乗り込むのは敵地に足を踏み入れるような感覚になる。降り注がれる視線は鋭く冷たい。

 その疎外感たるやまさに針のむしろだ。


「そりゃそうだね」

「はい。それで、あの……」


 彼女が黙ってしまって妙な間ができあがり、僕を動揺させる。

 だからと言って沈黙の理由が分からなければ掛ける言葉も見当たらない。

 彼女がわざわざ電話をしてきたのは何のためだろう。


 僕は自室に入り後ろ手で静かにドアを閉めた。

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