第6話

 味噌汁を椀に注ぎながら、僕は父さんの様子を盗み見た。


 仕事からの帰りしなに近くのスーパーで買ってきたというアジフライを皿に載せ電子レンジで温めている父さん。

 その背中は最近少し小さくなった気がする。


 首筋や手の甲は赤茶けていてまるで古いレンガのようだ。

 見るからにカサカサとしていて張りや潤いというものが全く感じられない。

 少し力を加えればぼろぼろと崩れてしまいそう。

 汗を出すとか温度を感じるとかいった皮膚としての機能は恐ろしく低下しているに違いない。

 ろくに手入れをせずにこの夏の強烈な日差しを毎日浴び続けた結果がこれなのだ。

 汗と土埃が複雑に絡み合ったような饐えた加齢臭を周囲に振り撒いていることに父さんは気付いているのだろうか。


 普段は学芸員として、特別なイベントがあるとき以外は残業などほとんどなく、週休二日をしっかり守っていたのだが、発掘が始まって以来父さんは早朝に家を出て夜遅くまで帰ってこず、しかもほとんど毎日出ずっぱりだ。


 チーム編成が発表される前からテレビや新聞で例の陶器のことが取り上げられると、食い入るように見つめていた父さんが発掘に直接携われることを喜ばないはずがなかった。

「室町時代の豪族の屋敷跡だろう。この地域ではこういう発見がなかったから当時の生活様式を知る上で貴重な資料が出土するかもしれない。町のPRにももってこいだ」と熱い口調で僕に説明していた父さんは、母さんが入院して以来一番生き生きとした表情を見せていた。


 あれからもう一年が過ぎている。


 発掘の進捗状況はどうなのだろうか。

 果々しいとは言えないということは久しぶりに夕食に間に合うように帰ってきて疲れ気味に肩が落ちている父さんの様子を見れば分かる気がした。


「明日は久しぶりに休みだから、俺が朝起きてこなくても心配するなよ」


 テーブルについた父さんは味噌汁を啜りながら僕の顔を見ることなく言った。


 父さんの声は何となく僕の耳になじみがない感じがした。

 そういえばこの一年間父子の会話はほとんどなかったのだと思い至った。


 僕が起きる頃にはすでに家を出ているのだから、朝、父さんの顔を見ないのは明日も今日までと変わらないという思いを込めて僕は曖昧に頷いた。


「これからは今までみたいな忙しさはないから」

「了解」


 取りあえずそう返事をしたが、父さんの言いたいことが何なのか僕にはよく分からなかった。


 朝起きたら父さんが優雅に朝ごはんを作っていることがあるかもしれないということか。

 今まで働いた分休みがもらえて入院している母さんの見舞いに毎日行けるということか。


 生温かいアジフライを食べながら待っていても、父さんからは何一つ情報は得られなかった。


 取りあえず発掘調査は一区切りついたということなのだろう。今後発掘チームがどういうことになるのか、いつになったら普段の暮らしに戻るのかは父さんにもまだ分かっていないのかもしれない。


「来週、実力テストがあるんだ」

「そうか」

「結果が出たら先生と進路についての面談があるんだって。先生が日程調整したいから電話が欲しいって」

「誰に?」

「父さんに」

「俺に?進路面談?……そう言えばお前受験生だったな」


 父さんは急に食欲をなくしたように、手にしていた茶碗と箸を力なくテーブルの上に置いた。「すまなかったな。ここのところ家のことはお前に任せっぱなしだった」


 まるで古女房に言うような謝罪の言葉が返ってくると、僕は気恥ずかしくてテレビに目を移した。


「母さんのこともね」


 しまったと思ったときには既に遅かった。

 非難めいたことを口にするつもりはなかったのに。


 父さんは僕の前でいよいよ恐妻家のように畏まって項垂れた。


「母さんにも申し訳ないと思ってる」


 父さんは突然茶碗に残ったご飯に味噌汁をぶっかけ、勢い良くかきこむと自分が使った食器を洗い、そそくさと風呂に向かった。僕がどこの高校を志望しているかを訊くこともなく。

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