暁桜編〈涼香とデート・4〉

――ぐうぅ~~……


「ぷっっ……」

 俺の腹音に涼香が笑う。

「あ~~、腹減った。……起こしちゃったか」

「うん、もうお昼なんだね」

 自分もうつらうつらしつつ、小一時間ほど腕の中の涼香を眺めていたが、昼近くになってさすがに体が不満を漏らした。

「じゃあ飯にするか」

「そうね」

 そうして起き上がりベッドからゴソゴソと這い出す。

「あ、……着替え乾燥機にかけて乾かしておくの忘れちゃった、裕ちゃん何か服貸してくれる?」

 涙の後の残る顔をコシコシしながら、ベッドの上で裸のままの涼香が呟く。

「残念だけど、石灰硫黄合材は強烈だから、匂いと染みは普通に洗ったくらいじゃ落ちないわよ?」

 テーブルにさくらと並んで座っていた一葉が告げる。

「うええ、そうか。悪かったな涼香」

「ううん、いいのよ、裕ちゃんが離れていろって言ってくれてたのに、聞かなかったわたしも悪かったんだから……」

 涼香が噛まずに喋れる事に安堵しつつ答える。

「……そうか」

 さっき泣いたときもそうだが、涼香は相手が遠慮が過ぎたり、フォローされるのに極端に弱い。だから、こういう時は我を通さずに認めてやるのが涼香には一番気が楽なのだ。

 その上でこう言う。

「じゃあ、バイト代も入った事だし、昼飯食べに出るついでに、“すまむら”あたりで安い服を買ってやるぞ?」

「そっ!、そんなもったいない事はダメ! ご飯もわたしが何か作るからね?」

 ベッドの脇に腰掛けている俺に、涼香が両手をついて迫る様に怒る。

「わかった。じゃあ、お願いするかな」

 薄く笑いながら答える。

「はい♪」

 そう返事をするとようやくベッドから這い出して着替えを始める。

「パンツはこれでいいかな、ブラはさすがにきついかな、服は……あれ?、あの服は?」

 涼香がキャラパンツを履いて呟きながら見回した先、ゴミ箱の脇の服を見つけた。

「ああそれか、昨日お前が潜り込んでデロンデロンにした俺のTシャツ」

「ふふ、じゃあこれで“おあいこ”って事にして、ね?」 

 涼香がパンツ一枚のまま、俺の伸びきってヨレた白Tシャツを両手でつまんで眺めながら言う。

「お前がいいならそれでいい」

「じゃあこれもーらっちゃお!」

 嬉しそうにそう言うと、そのTシャツをブラもせずにいそいそと着込む。

「おい、ブラくらいしろ」

「家に帰るのにズボンとかもいるから、姫ちゃんが帰ってきたら借りようと思う」

「ああ、そうだな」

 上着は何とかなっても、下はさすがに男物はアウトだろう、かと言って姫香が不在の時に部屋を物色するのはもっとアウトだ。

「うん………………」

 納得して返事をすると、涼香が俺の膝にまたがってきて首に手をまわしてきた。

「どうした?」

「うん、やっとわたしも裕ちゃんに女として見てもらえるようになったんだなっ……って思ったの」

 歓喜の一歩手前の愁いを帯びた、今にも泣き出しそうな顔で言う。

「それは違う」

 か細い腰に両手をまわして抱き寄せ、ヨレたTシャツの襟元から覗く、涼香のわずかな胸の膨らみを見つめて言う。

「何が?」

 眉間を微かに寄せて聞いてくる。


「今も昔も涼香が女以外に見えた事なんて一瞬たりともない。大事にしたい気持ちが高ぶったからああしたんだ」


 真っ直ぐ涼香を見据え、偽らざる本心を語る様に、ゆっくりと告げる。


「!!!!」

 驚いた涼香の、俺の首に回した手が震える。


「…………………………………あ、…………………う、、、……………………………くっ、…………………………」

 そして、可憐な唇が何か言葉を紡ごうともがきながら、震えたままの両手で俺の頬を挟んでは、顔を近づけたり離したりしていたが、最後はキュッと唇を噛むと肩に額を預けてきてふうと息をつく。


「……………………ありがとう裕ちゃん」

「“妹”なら“兄貴”として当たり前じゃないのか?」


 涼香の頭を撫でながら、幼い頃のあの時の気持ちを思い出す。

(ああそうだ、不確実な夫婦や恋人の関係より、兄妹ならずっと別れることはないって思ったんだったな)

 物心ついた時から身近で、妹(ひめか)と区別なく接していて守りたいと願った存在。傍(はた)から見れば赤の他人同士でも、俺と涼香には肉親に近い強い絆が確かにある。

 だが、現実に他人である以上、こうして辛い思いをするのも至極当然で、人との関係もまた無傷ではいられない事の証左だ。

 だんだん甘噛みを覚える犬猫同士の様に、絆を深める為に大事なのは、相手を受容できる強さや、思いやれるやさしさ、相手を諦める事ができない“心の弱さ”なのだと思う。

(いや、“未練”って言うのかも……)


 そんな逡巡を押し隠していると、顔を上げた涼香がにこやかに言う。

「うふふ、……はい、お兄ちゃん♪」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 階下に降り、キッチンに立つ涼香が冷蔵庫を覗き込んで材料を吟味する。

「う~~ん、どうしようかなあ、お昼だし重いのはやめとこうかなあ」

ノーブラ、キャラパンツに男物のヨレたTシャツという出で立ちで、極上の昼食作りに勤(いそ)しむ美少女。

 このシチュエーションを見て、どう見ても経験済みの男女の様な関係に思わず笑う。

 ――と同時に、深く知りあえば、こんなにも魅力的な一面があることを再確認出来て嬉しくなる。

「ふふふ」

「なあに?」

「いや、お前のその恰好、エ……カワイイなあ……と思ってさ」

「そう?、じゃあ裸エプロンならどうなるの?」

「そうだな、ヨメに出したくなくなるかもな」

「そっか、それじゃあ行き遅れちゃうのはイヤだからできないわね♪」

「涼香は行き遅れないさ。保証する」

 耳を赤らめつつ背を向け、それには答えずに聞いてくる。

「……えっと、冷凍のフキ味噌があるからスパゲティでいい? 濃い青野菜系の料理好きでしょ?」

「おお、いいね」

「へええ、ゆーきそうなんだ~」

 肩のさくらが聞いてくる。

「ああ、極端にニガイのやエグ味があるのはダメなんだけど、野菜独特の青臭いのは本来の味が出てるみたいで好きなんだ」

「そうなの? 野菜ってそんなに味が違うものなの?」

「うん、旬の露地ものに比べれば、水耕栽培ものやハウス栽培とかで促成された“キレイに育てられた野菜”は、野菜本来の味が薄いのが多いのよ」

 さくらの問いに、涼香が珍しく自信ありげに答える。

「そうなんだ~、涼香物知りなのねえ~」

  さくらに答えながらスパゲティを茹でるお湯を沸かしつつ、フキ味噌をレンジで解凍しながらテキパキと準備をする涼香。

 

「そそんなここと、なっ無いよう……」

 褒められ、とたんに噛み始める涼香。

「涼香はママを超えた料理人だからな」

 そんな涼香の代わりに自慢げに答える。

「じゃあ今後のゆーきの為に作り方を教えて?」

(実際に作れるわけでもないのにA・Iが料理を覚えてどうすんだ? 作り方レシピの情報収集なのか?)

 そんな疑問が頭をよぎるが、大したことではないと感じて口をつぐむ。

「うん、いいいわっよう……」

「は~~い、涼香センセイ」


 そうしてさくらを右肩に乗せて、涼香の講義(りょうり)が始まる。


  „~  ,~ „~„~  ,~


「じゃあまず、スパゲティを茹でるお湯にひとさじ塩を加えて沸かして、フキ味噌を解凍します」


「はい」


「その間にニンニク1片を荒みじん切りにして、フライパンで輪切りトウガラシ少々とサラダ油で炒めて、ガーリックオイルを作ります」

 教えつつ、ホンの1分の間に手際よくニンニクを剥いて、リズミカルにみじん切りして炒め始める。

 すると香ばしい炒めニンニクの香りが充満してきて思わず腹が鳴る。


「はい」


 正味3分ほどで炒め終え次の作業に取り掛かる。

「小手鍋に解凍の終わったフキ味噌に、1人前生クリーム50ccか、牛乳を100ccを入れて、塩コショウに顆粒コンソメを少々加えて少し煮詰めます」


「はい」


 これもまた炒めつつ小手鍋に余熱をかけて用意して、ゆで時間8分の時間のスパゲティに間に合うようにソースを作る。

 そして今度はフキノトウの香りが立ち込め、過ぎし早春を思い起こさせた。

「その間に茹で上がったスパゲティを、ガーリックオイルを作ったフライパンで、オイルを軽く和えるように炒めます」


「ふんふん」


「スパゲティにまんべんなくオイルが絡んだら、お皿に盛りつけて上にフキ味噌ソースをかけて完成、トッピングは特にいらないけど、木の芽とか添えれば雰囲気いいわよ」

 作り終え、器を持ち上げて嬉々とさくらに見せる涼香。よどみなく喋れれば以外に教えるのがうまいと思った。


「すごい涼香、でもガーリックオイルとフキノトウってどっちも匂いが強いけど、香りがケンカしないの?」

「うん、ニンニクはロースト臭、フキノトウは青いから匂いの系統が違うでしょ? だから大丈夫なの」

「ふ~~ん、なるほどねえ」

 涼香の解説に納得するさくらにまた疑問が湧く。

「おお? さくらは“匂い”や“味”の概念っつうか感覚が判るのか?」

 そして今度はストレートに聞いてみる。

「“この素体(ボディー)”じゃあ判らないけど、ブルーフィーナスうちにある、味覚と嗅覚センサーが組み込まれた研究用の外部ユニットに接続すれば、“感じ”て“理解”はできるようになるのよ~~」

「なんでDOLLでそこまでする必要があるんだ?」

 それには一葉が答えてくれた。

「“五感”を感じた結果の方が“感情表現”のデータに広がりができるからよ、そうすれば、見た食べ物の味を予測して“マスター”に共感できるの」


「「!!」」

 涼香とともに驚嘆した。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 涼香と二人、昼食を終え後かたずけを済ませて部屋で3Dオセロをやっていたら、午後2時ごろ、お父と姫香が帰ってきた。

 案の定姫香に散々ねだられ、俺達へのねぎらいもそこそこに、疲れ切ったお父が早々に部屋に帰ってしまう。

 姫香にさっきの事情を話し、着替えを涼香に貸してくれるように頼む。その時に“涼姉と何か進展した?”と聞かれたが、“……別に何も”と答えたら一言。


「せっかく二人っきりにしたのに……ヘタレ」


「ゴメンナサイ」


 ……………姫様の仰る通りです。




 うなだれた俺を見て、ふうと息をついた姫香が諦めたように答える。

「じゃあちょっと待ってて」

 姫香が部屋の前でそう言うと、部屋に入って涼香に貸す服を探す。

 じきに軽くラッピングされた紙袋を手にして俺に渡す。

「はいコレ、遅くなったけどあたしからのプレゼント。だから返さなくて良いって言って」

(そうか、それで今日はお父がスポンサー兼運転手で引っ張りまわされてたって訳か)

 今日の二人の行動のからくりが判り、納得する。

「おおそうか、悪いな、つか自分で渡せよ」

「うん、ちょっとね……………」

 返事をするが、姫香がじっと見つめてきて、手にした紙袋を持ったまま黙り込んでしまい渡す気配がない。

「どうした?」

「……ねえ裕兄、あたしこれから涼姉(すずねえ)にどう接したらいい?」

(……ああ、それを心配してたか)

 気を利かせて二人っきりにさせたはいいが、何も進展せず不調に終わって、お互いにギクシャクするかと不安になったようだ。

「今まで通りでいい。少なくとも俺や姫香との付き合いをやめたいって事はない。ただ、普通の恋人同士にはなりたくないって感じだ」

「ふうん、“普通”ねぇ……じゃあ裕兄がそんな風に言えるって事は、一応アプローチっぽい事はしたんだね?」

 俺がノーリアクションじゃないと判って安堵したのか、すこし笑いながら聞いてきた。

 一人前に気をまわしたかと思えば、その結果を気にして大人びた推察で聞き出してきた事に俺の方も感心する。

「ふっ、小癪な……まあいい。そう。だから今までと同じ“涼姉”でいい。むしろその方が喜ぶと思うぞ」

「うん。わかった♪ でもちょっと照れくさいから代わりに渡して♪」

 そう嬉しそうに呟き、ようやく紙袋を渡される。

 一瞬頭を撫でてやりたい衝動に駆られるが、大人びた気遣いを見せた事に対して失礼な気がしてこらえる。

 ふっと眼前の少女の幼い面影が、遠く薄くなっていく感覚を覚える。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 部屋に戻ると、涼香が床に座り込んでベッドに突っ伏していた。

 その視線の先に、一葉(ひとは)とさくらが並んで座り、三人(?)で、何事かを笑いながら話し込んでいた。

「お~い。服、遅くなったけど誕生日プレゼントだから返さなくていいってさ」

「え?。ウソ!、姫ちゃんが? うれし~~」

 涼香が立ち上がり、いそいそとラッピングされた紙袋を受け取る。


 涼香が嬉しそうに袋に手を入れて取り出した服は、ビスチェ風でフレアスカートが付いている、セミロングタイプのキャミソールだった。

 デザインは、縁と肩ひもには、黒くて幅広のクネクネしたヒラヒラなレースがぐるりと服全体を囲み、素地は白くて同色の花の刺繍があしらわれ、その上をベールの様な蝶柄のメッシュの重ねが包み、背中にはコルセットと同じデザインの赤いダミーの締め込み紐がある、かなりセクシーなものだ。


「「………………………………………………ぷっ」」


 涼香が両手でかざした服をしばらくじっと見つめ、同時に吹き出す。


「じゃあさっそく着て見せてくれ」

「うん」

 ヨレTシャツを脱いでパンツ一枚になり、服を上から被ったので、涼香の背中に回り込み、服から髪を引き出してジッパーを上げてやる。

「ん、ありがと……なんか胸のパットが……」

 呟きつつ、胸の位置を直す涼香。

「どうだ?」

「どう?」

 お互い声をかけて、涼香が振り向く。

 涼香が小首をかしげて後ろ手で聞くので、俺が三歩ほど下がって見つめる。


 今の涼香の実年齢より少し上を意識した派手めなデート服、………つまり“勝負服”として姫香がチョイスしたのは疑いようがなかった。


 幼さを残した子猫のような顔立ちに小柄でスレンダー、肩までのゆるいウェーブの栗色の髪に、極度の人見知りでコミュ症気味の性格。

 白が多めの白黒(モノクロ)デザインは、涼香キャラが着るには少々アンバランスだが実際着てみると、鎖骨を見せたオープンな肩口と首回りに淡いグリーンの細身のツイン、大きい印象を与えるパット入りのバストに、俺の両手指が付きそうなほど細く締められたウエスト、さらにニーソックスを履いたら、完璧な絶対領域(アブソリュートライン)を演出できそうな、目測膝上15センチ止まりのフレアスカートが、“もう子供じゃないのよ!”とアピールしているような服だ。

 フローラの選んだ服が、人形的でどこか無機質な美しさを印象付けたのに対し、姫香の選んだ服はもっと身近でしい若々しい女性らしさを演出するものだった。


「……おお、うん。すごく女らしく見える」


 そう感想を言うと、涼香が拳を顔に当てて泣き出した。

 黙って肩を引き寄せ、抱きしめる。


「裕ちゃん…………わたし…………今……………とっても幸せだよ……………」


「ああ、よかったな」


 姫香の選んだワザとらしいほど女性(セクシー)を強調した勝負服。

(“さっさと裕兄とくっついて本当のお姉ちゃんになってよ!!”って所か。……まあ、この艶(いろ)っぽい服のセンスと、子供っぽい安直な考えには笑っちまったけど)


 涼香も姫香のその想いを感じて感涙にむせぶ。

 その頭を優しく撫でる。



「おじさんにおばさん………………姫ちゃん………………………裕ちゃん……………………フローラや圭ちゃん……………………みんな、こっこんなわたっし……しを愛してくれている……のがと、とってもよく判る……………………」

 泣きじゃくり、つっかえながら言葉を紡ぐ涼香。


「そうだ。みんな涼香が大好きだ」


 抱き返していた涼香の腕に力が入る。


「……………………………だから、……………わたし…………これ以上愛されるのが怖い」



「!!……そうか」




 涼香が姫香と二人きりで話して礼を言った後、もう帰るというので、シチューを入れてきた鍋を持って、三件隣にある家まで送る。

 涼香の家は、元がモデル住宅なだけあって、田舎にしてはなかなか小綺麗であか抜けた白い大きい部類の家だ。

 涼香とは小さい頃、現在の場所にお父が家を建てるまでは、近所の平屋の連棟に隣同士で住んでいた。

 現在涼香は、不動産を営んでいた“母親の恋人から相続した”この家に、五年ほど前から母親と住んでいる。

 実を言えば、お父の害虫退治(ムシとり)など無理にしなくても、その人から相続したこの家と資産のおかげで、涼香はかなり裕福に暮らせるはずだが、最低限困らない程度にしかお金を使わないよう、つつましく生活している。

 涼香を玄関まで送り、鍋を渡すと、上り口の脇に置いて手招きしてきた。

「…………?」

 そうして近づくと、ぶら下がる様に首に手をまわして頬にキスをしてきた。

「!!」

 涼香が抱き付いたままにこやかに言う。


「大好きだよ“お兄ちゃん”。この二日ありがとう、じゃあまた明日ね♪」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る