第21話
「今回は残念だったな」
しばらく頭痛に悩まされ、医務室に寝たきりのまま、ようやく回復したゼロシキの目の前に現れたクロガネが、開口一番にそう言った。無機質な医務室のベッドの上にいるゼロシキの横に座ったクロガネは、不治の病でも宣告しに来た医者のようだった。
「ああ、調査団はほぼ全滅だったけど、何も収穫がなかったわけじゃない。あの塔の中にあった少年たちの死体の山、そして東京ヘブンズゲイトの中の、死神の揺りかごみたいな壁、そういうものの存在を、俺は確かに見てきた」
そしてもう一つ、死体と死神に共通して付いていた赤いチップも。ただ、そこには触れてはならない真実が隠されているような気がして、ゼロシキはあえて口にせずにいた。
「しかし映像も何もない。そしてあの歌のことは何も分からないままだ」
「それでも、やっぱりあそこで死神が生まれて、あそこから地上に降りてきているのは間違いない」
「それは、もとより想像できていたことだ」
「死体の山と死神の揺りかごについてはどう思う?」
「答えを出すのは難しいな。手がかりになるようなものは何もない」
手がかりを求めているというよりも、クロガネはそもそもその謎を解き明かそうという気がないように見える。
「ポイントは、東京ヘブンズゲイトの中心にある、あの邸宅だ。歌はあそこから聞こえていたし、死神の揺りかごもあそこにあった、そして、調査団を皆殺しにした死神が現れたのも、あの邸宅だ」
クロガネの眉が一瞬ぴくりと動く、が、すぐにまた無関心そうな表情になって、気のないうなずきを返すだけだった。
「あの邸宅がどうなっているのかは分からないし、今となっては誰が住んでいたかという資料も紛失している」
「それは解せない部分だな、資料が紛失したとしても、あれだけの金持ちが住んでいたのなら、知っている人間はいくらでもいそうだが」
「東京ヘブンズゲイトの内部については、セキュリティの必要上から全ての情報が極秘だった。うわさ話くらいならいくらでもあるが、全て憶測で、どれも食い違っているせいで、確定的な情報はゼロでしかない」
「まあ、そのうちまた調査に行くしか無いだろうな」
ゼロシキはそう言ったが、クロガネは首を横に振って答えた。
「もはや、そんな猶予はない。我々はすでに、ギリギリの所まで追いつめられている」
「どういうことだ?」
「君もよく分かっているはずだが。あの八つの首の死神を見ただろう? 死神は徐々に力を増大させつつある、今後、あのレベルの死神が二匹も三匹も出てくるのは間違いない」
「間違いない?」
「そうだ、死神はいつもそういうパターンで増殖してきた。一度強力な種が出てくると、あっという間に繁殖を始めるのだ。生物と全く同じようにな」
ゼロシキは言葉を失う。一匹でも勝てる見込みの薄いあの死神が、これ以上増えたとしたら、もう打つ手はない。みんな死ぬだろう、少年たちも、クロガネも、自分も、タチバナも。
「あきらめるしかないってことか?」
「いや、我々は最後の賭けに出るつもりだ」
「賭け? ずいぶん頼りないな。確実に勝てる方法を用意してもらいたいもんだが」
「もはや、虚無や《機械》そのものだけに頼る方法では死神を殲滅できない。そして、死神は我々の能力などでは太刀打ちできないほどになりつつある。もはや、今この瞬間以外に、勝負を挑めるチャンスはないのだ」
「特攻でもかけるのか? バカげてる。何も考えずに当たって砕けろみたいな戦い方したって、本当に砕けて犬死するだけだ。俺は死を恐れてはいない、もとからあの死神に勝負を挑むつもりだったしな。でも、そこには万が一でも勝てる可能性があると思ってたのは確かだ」
「単純に特攻をかけるのは確かにバカげている、私もそれには賛成だ」
「ならどうする?」
「たった一つ、まだ試みていない手段があるんだ」
「試みていない……とは?」
何か不吉なものを感じて、ゼロシキはクロガネの表情をうかがう、その顔には虚無の影がさして、目や口は空洞のようで、まるで死神の仮面がそこにあるように見える。クロガネは、残酷な覚悟を秘めてそこに現れていた。
「まだ実験段階の切り札だ。この研究所に隣接された精神病院の研究者が開発した、ある薬を使おうと思う」
「ドクター・キドか」
ゼロシキはその名を呟く、気持ちの悪い、いけ好かない男だった。ここで兵士になる前、記憶と意識を失い、真っ暗な虚無の中から目覚めたゼロシキが最初に出会ったのがキドだった。目覚めたとき、ゴムのシートをはりつけたような肌に、裂け目のような瞳が二つ、ゼロシキの顔をのぞき込んでいた。死んで地獄に落ちたのかと思った、無機質な病院の壁に浮かぶキドの顔は、地獄の餓鬼に見えるほど不気味なものだったのだ。
「よく分かったな」
「精神病院の研究者と言われたら、なんとなく想像はつく。それで、どういう薬なんだ?」
「君の虚無を、極限まで増大させる薬だ。上手くいけば、《機械》の持つ可能性を限界まで引き出せるだろう。もちろん、君だけでなく、選抜された他の少年たちにも投薬する予定だが、実際、君の虚無が最も甚大なものだからな。我々が最も期待を寄せるのは、やはり君だということになる」
「そりゃどうも」
「しかし、私としてはそう何度も使えるような手段ではないと考えている。人間の感情を暴走させるような薬だ。一度くらいならともかく、何度も使えばまともではいられなくなるだろう」
「例えば?」
「感情の機能を失った廃人になるかもしれないということだ。人間が判断を下せるのは、感情のバイアスがあるからだ。全てが同等にしか見えないということは、何の判断基準もないということだからな。感情は抑制する必要がある、だが、それを本当に失えば、たんなる役立たずに成り果てる」
「俺は廃人になるくらいなら戦場で死にたいけど」
「だから、一度だけ、それを使おうと思っている。つまり、総力戦だ。今度の戦いで死神を殲滅させる。君にはもう一度東京ヘブンズゲイトに行ってもらおうかと思っている、しかしそれは調査のためではない、戦場を突っ切って、塔を駆け上り、東京ヘブンズゲイトの全てを破壊しつくすのだ。もはや、二度と死神が現れることができないように」
「失敗すれば、こっちが全滅だな」
ゼロシキは恐怖を感じていなかった、むしろ、かつてない力が手に入るということに、興奮があふれてきて、口もとを緩ませ、緊張の面もちをしたクロガネをあざけるような笑いを浮かべる。
「そういうことだ、死神を殲滅するか、我々が全滅するか、それを決める戦いを挑む」
クロガネは、どこか決意しきれていないような、意思のほころびのようなものを感じさせていた。もう引き返せないことは知っている、だが、これ以上前に進む必要が、本当にあるのかどうか、それがクロガネには分からなかった。
「俺はかまわないぜ。怪しげな薬を使ってでも、かつてない虚無と力が手に入るなら本望だ」
「そうか、やってくれるか」
ゼロシキはうなずく。死神との戦いに決着をつけることは、ゼロシキにとっても好都合だった。感情のバランスが徐々に崩れ始め、その力を失いつつあるならば、まだ取り返しのつくうちに戦いを終えたかった。自分の感情が、タチバナの存在がどうであれ、戦いの中以外に自分の存在意義はない。一度だけ、それならば、自分の全てを集中させられるだろう、乱れた感情をそぎ落として、再び、完璧な虚無の中へとその身を沈めること、ゼロシキはその瞬間にこそ、全てを賭けたいと思っていた。確かに虚無は苦しみでもある、だが、ゼロシキが虚無から救われることがあるとするならば、それは虚無の中へと消滅することによってなのだ。
二人はそれからしばらく黙ったままだった、クロガネは何か付け加えることがないか探しているふうだったが、結局何も言わず、ただひと言、準備ができたら連絡すると言い残し、部屋を出て行った。一方のゼロシキは、まったく思い悩む様子もなく、というよりも何かを考える必要性を感じられず、ただ、ひとり残された部屋の中、あざけるような笑みを浮かべている。クロガネに対して、キドに対して、死神に対して、人間に対して、自分に対して、そして全てに対して、そのあざけりを向けていた。
再び、医務室のドアが開く。クロガネが戻ってきたのかと思い、ゼロシキはそちらを見る。
「元気?」
そこに立っていたのは、タチバナだった。以前と変わらない笑顔を浮かべて、ドアのそばに立っている。ゼロシキは戸惑ってしまう、まだタチバナに対する態度を決めかねていた、拒絶しても虚無が戻るわけではない、ただ、タチバナと一緒にいることは、確実に自分の調子を狂わせてきた。
「どうした?」
「ちょっと話があるの」
世話ばなしをしに来たという雰囲気ではなかった、明るい表情が、仮面を付け替えたかのようにくるりと深刻そうな顔に変わる。
「何の話だ?」
「……ちょっと、横に座ってもいい?」
そう言って、タチバナはさっきまでクロガネが座っていたイスを指さす。ゼロシキは、結局どっちつかずのまま、流されるように、タチバナにうなずきを返してしまう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます