第2話

 「君は完璧だ」


 最初のテスト、その終り、ドクター・クロガネは目を開けたゼロシキの顔を見てそう言った。


 「何ということだろう! 君の心は、完全な虚無そのものだ」


 クロガネはとても喜んでいた。自分の発明である《機械》の持てる潜在能力を最大限にまで解放できる少年、彼がずっと求めてきたものが、ようやく手に入ったのだ。ゼロシキは長い前髪の間からのぞく、凝縮された夜のような瞳をして、その視線を虚空へと放り投げるようにしている。磨かれた氷のような質感の、研究室の白い壁を背にしたクロガネの白衣がぼやけて、まるで宙に浮いた顔に話しかけられているような感じがする。


 「君はすごいぞ。最強の兵士になれる」


 クロガネは言葉を発するたびに興奮していった。無理もない、完全な虚無とは、そのままイコール最強の兵士の資質と言って良いのだ。《機械》――人類史上最も禍々しいとされる兵器の創造主であるクロガネは、悪霊というあだ名で呼ばれていた。迫り来る虐殺装置である死神たちから人類を救うはずの発明である《機械》は、その功績とは裏腹に、まるで忌まわしく呪われた存在のように扱われている。理由は単純で、その《機械》が人間の虚無感を動力源にして稼働すること、そして茫々とした虚無感を抱える最適の存在として選ばれるのが、主に親を目の前で殺された少年少女たちだということ、そういう悪趣味のせいだった。ゼロシキもまた、親を死神に殺された少年たちの一人だったが、他の少年たちと決定的に違っている部分があり、それこそがクロガネを狂喜させた点なのだ。


 「驚いたよ、他の少年たちとは全く違っている」


 選ばれた少年たちには、クロガネを苛立たせる欠点が共通して備わっていた。しかし、ゼロシキにはそれが全くない。そして、それこそが完全な虚無を実現させている。


 「そう、君には――」


 欠点。少年たちが抱えるそれは、誰もが殺された親の思い出に、多かれ少なかれ執着しているということだった。その思い出を回想してしまうことで少年たちの心がわずかでも満たされ、虚無が薄らいでしまうのだ。それが、クロガネの芸術的発明品である《機械》を不完全なものにしてしまう。


 「君には、自分の親に対する愛着というものが全くない。まるで、そんなものが初めから存在していなかったとでもいうようにね。テストの結果、君はどれだけ幸福な家族や親子のイメージを見ても全く反応を示さなかった。まるで便所に落ちたトイレットペーパーの切れ端でも見つめているみたいに」


 ゼロシキは特に反応を示さない、親や家族の思い出も、クロガネの言葉も、全て自分には無関係だとでもいうように、じっと、研究室の白い壁を見ていた。




 早る気持ちを抑えきれないとでもいうように、クロガネは研究室に備えていた《機械》をゼロシキに手渡す、光沢のある真っ黒い装甲は妙になまめかしい質感で、それは金属でできているのかあるいは人間の皮膚のようなものでできているのか、判別できない。言われたとおり手に取って右手に装着する、それは不気味なほど軽く、全く重さを感じない、まるで一つの幻影が腕にまとわりついているかのようだった。無表情でそれを見つめるゼロシキを見て、満足したような笑みを浮かべたまま、クロガネはトレーニングルームへ来いと言う。


 「実際に《機械》を使ってみようじゃないか。きっと気に入るよ」


 二人は研究室の外へ出る、トレーニングルームへと続く廊下はやはり床も壁も天井も真っ白で、どこからどこまで進んだのかという距離の感覚を失いそうなくらいだった。頭がくらくらしてくる、その白一面の光景はまるで漂白された虚無の世界のようで、《機械》の研究を行う場所にはこの上なく似つかわしい。


 部屋の前にクロガネが立つと、瞬時に生体情報を読み取ってロックが解除され、半透明の緑色をしたドアが消えて入り口が開けた。トレーニングルームは闘技場のような円形の、だだっ広い空間で、やはり一面真っ白、いやに冷たい空気が、幾重にもめくれてささくれだったガラスのように肌にささる。


 「健闘を祈る」


 言い残して、クロガネはドアを閉めてしまう。一人残され、ゼロシキは白い虚空にぼんやりと視線を放り投げていた。長い沈黙、このまま沈黙と虚空の白色に自分の体が吸収されて消えてしまうような気がしていた。


 りい、りる。りい、りる。りる。りる。りる。


 その時、おどろおどろしい鈴の音が虚空に響く、耳にまとわりついて無数の蟻のように入り込んで、鼓膜を舐めるように粘つく、独特の音だった。それは、死神の訪れを示すサインで、必ずその音と共に、白装束に身を包み大鎌を振りかざす、怪物が姿を現すのだ。虚空に滲んだシミのようなものが徐々に広がって輪郭を持ち、二匹の死神が左右から浮かび上がる、トレーニング用に再現されたプログラムに過ぎなかったが、その見た目から動き方、戦闘能力に至るまで全てが現実の死神そのものだった。二つの顔が――それはただの仮面で、目と口とおぼしき、穴が三つぽっかりと開いているだけにすぎない――ゼロシキへと向けられている、穴が震え、まるで笑っているかのように、無菌状態の殺意を突き出している。


 「さあ、《機械》を使いたまえ」


 トレーニングルームのスピーカーからクロガネの声が響く。ゼロシキは右手を目の前にかざして、《機械》をじっと見つめる、本当に軽すぎるせいで、ついついその存在を忘れてしまっていた。


 ――どうやって?


 ゼロシキは呟く。異様なデザインの装甲にしか見えない《機械》は、どう見ても武器になりそうにはない。その目の前からは、仮面の奥から噴出するガスのような排気音をさせながら宙を飛ぶ死神が迫って来ていた。


 「想像力を使いたまえ。虚無とともに、君の持つ想像力を最大限に解放するのだ。それが、そのまま武器になる」


 ふうん、と息を吐くように呟いて、マンガみたいだと思いながらゼロシキは試しに死神の持つ大鎌をイメージしてみる、クロガネの言うとおり、《機械》はぐにゃりと軟体動物のように蠢きながら変形し、たちまち右手の先端に大鎌を作りだす。


 「面白いな」


 ゼロシキは感心しつつ、さらに大鎌を巨大化させていくと、襲いかかってくる死神を思い切りなぎ払う。飛行機の翼くらいの大きさになった《機械》は、それでも変わらない軽さで、振り回した腕の先端で加速され、凄まじい勢いで二匹の死神の大鎌を弾き飛ばす。思わぬ反撃に混乱した死神はその場でぐるぐる回って何か思案しているような様子だったが、徐々に怖気付いたのか後ずさりを始めた。ゼロシキは愉快そうにして、先端の大鎌を二つに割ると、それぞれに両方の死神を追跡させる。蚊のようにふらふら飛んで逃げまわる死神を、二つの大鎌がなぶるように追いかける、空間拡張装置によって作られた闘技場はあまりに広く、どこまで逃げても限界はない。やがてそれに飽きてきたゼロシキは二つの大鎌をさらに分裂させてハサミを二本作りだすと、そのまま二匹の死神の体をくわえ込んだ、と同時に、一匹の死神を勢い良く真っ二つにして殺す。死神の体の上半分と下半分が、ぐしゃりと音をさせて白い床の上に落ちた。その死神の両半身からは、血液や内蔵のようなものは漏れてこない、ただ、ぼろきれのような残骸が、妙に現実感のない様子でごろんとそこに転がったままでいる。


 「さて、お前をどうしてくれようか」


 捕まえた虫を傷めつける子供のような笑い声をもらしながら、ゼロシキはハサミの先端でもがくもう一匹の死神を弄ぶ。死神は苦しそうに、排気音のリズムを変調させてぴくぴく動くことをやめない。見れば見るほど、ゼロシキは嬉しそうに、唇の端を震わせて笑う。そして、死神を捕らえるハサミから、無数のツタのようなものを伸ばし始める。そのツタの先からツボミのようなものが膨らんで現れ、その表皮がびりびりと破れていく、中から真っ白い球体が産まれ、肉が収縮するような音をさせながら、死神の顔へと変形していった。細く伸びたツタ、その先端に表れた無数の死神の顔が、ハサミに捕らわれた一匹の死神の顔を見つめている。


 「自分の顔に食われる、そんな死に方も面白いだろう?」


 邪悪な想像力を解放したゼロシキが笑う、ツタの顔がいっせいに死神に襲いかかり、その体を少しずつ、しかし凄まじいスピードで食いちぎっていく。腕、脚、腹、胸、首、顔、顔、顔。顔がまるでピラニアのように群れてもぞもぞと蠢く塊ようになり、次の瞬間にはもう、死神の体を白装束の切れ端すら残さないほどに食い尽くしてしまった。


 「……何ということだ。こんなのは想像以上だ」


 闘技場での一部始終をモニターで観察したクロガネは、驚嘆のため息を漏らす。その少年は完璧だった、普通の少年たちなら、上手く想像したものが形にならなかったり、具現化にタイムラグが生じるのだが、ゼロシキは何の不自由もなく《機械》を使いこなしてみせた。そのモニターの向こう、ゼロシキは元の形に戻った《機械》をしげしげと見つめ、笑みをこぼしている。


 「気に入ったよ、ドクター。これは面白い」


 「戦場に行きたいだろう?」


 スピーカー越しに、クロガネが答える。


 「戦場には、たくさん死神がいるのかい?」


 「そうだ。君が好きなだけ《機械》を使えるし、好きなだけ死神を殺すことができる」


 「この程度なら、すぐに全滅させることができるよ」


 「中にはクセのあるヤツもいるよ。だからもっと楽しめる。それに、死神というのは無尽蔵に現れ、人間に襲いかかってくる。だからいくら殺しても、きりがないんだよ」


 「きりがないのに、戦うのかい?」


 「そうさ、ヤツらは人類を根絶やしにするまで虐殺を続けるだろう。だから、我々も戦い続けなければならないのだ。我々は、おとなしく絶滅するわけにはいかないのでね」


 「いいよ。俺が殺しまくってやる。ヤツらが増殖するより、もっと早いスピードで、死神たちを殲滅させてやろう」


 「素晴らしい。すぐにでも君を戦場へと送ってやるとしよう」




 ゼロシキは兵舎に案内され割り当てられた個室に入るとベッドに腰掛け、まだ装着したままにしていた《機械》をじっと見つめていた。完全な虚無、最強の戦士の資質。なぜ自分がそんなものを持っているのだろうか、ふと考えてみる。よくは分からない。確かに、親や家族に対する愛着のようなものは持ち合わせていない。というか、その記憶がないのだ。目の前で、群がる死神に、首を刈られる父親、体幹を串刺しにされた母親、真っ二つにされる兄、内蔵をえぐり出される姉、食い殺される妹、輪切りにされる弟、バラバラになって飛び散る肉体と血液、それが唯一、家族についての記憶の全てだった。どこに住んでいて、どんな話をして、どんな遊びをして、どんな風に育ったのか、その記憶がないのだ。名前も、顔も、声も、何も頭に浮かんでこない。この研究所でテストを受ける以前の記憶はその虐殺の光景だけ、それがゼロシキの世界の全てだった。なぜ自分が何も覚えていないのか、見当すらつかない、もし仮に家族の惨殺がショックで記憶を失ったというのなら、なぜその光景だけが焼き付いているのか、そこには矛盾があった。あるいは、その矛盾を生み出している何かこそが、自分を人並みはずれた完全な虚無を持った人間へと仕立て上げているのかもしれない。ただ、何も定かなことはない、全てがしょせん憶測でしかない。今のところ、自分は《機械》を操る最強の兵士として生まれ、これから戦争へと赴くのだ。やるべきことが決まっていて、しかもシンプルなのは、実際とても気分が良い。殺して殺して殺しまくる、ただそれだけのために生きている、それはきっと、自分を脳天気なミュージカルの主人公と同じくらい幸せにしてくれることだろう。ゼロシキはそんなことを考えながら、もはや体の一部だとでもいうように《機械》を身につけたままベッドに横になって目を閉じる。意識が闇へ落ちていく、一番深いところに着いたなら、闇の底が抜けるだろう、そして朝が来る、朝が来たら、そこは既に戦場なのだ。おやすみ、そして、おはよう。

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