3


 雑踏の中を精霊が飛びまわり、あちらの屋台へこちらの屋台へと遊んでいる。


 ともに黒い翼と鱗のみ竜の面影を残した竜人族が歩きにくいとでも言いたげな表情で歩いているのは、きっと非番の竜騎士だ。竜の血を引くが為に近寄りがたい外見をした誇り高い種族ではあるが、ああいう面倒くさそうな表情をしていると、彼らも人間の仲間なのだということに気付いて、親しみを覚える。


 美しい赤毛の人間は十中八九水術士だろう。千年も前に、水の精霊王セザーニアに愛されその力を操ることで炎の魔物を斃した英雄の子孫の血は、薄く広く大陸中に広がっている。


 往来の二十人に一人は黒髪の人間だ。何百年も昔なら大都市で見かけるだけでとても珍しがられた筈で、本来ならば、長き時を殆どの種族と交流することなく過ごしてきたラライーナと呼ばれる種族特有の色である。ドラゴンと意思疎通の出来る彼らが人間の血と混じるようになったのはここ二百年程度のことらしい。


「……暑いなあ」


 思わず、ラナは独りごちる。雨季も半ばの蒸し暑い中、ちらほら見かける赤毛の人間全てに水の術をぶっかけてくれと頼みたい気分だった。


 地下の黒い集団と初めて言葉らしい言葉を交わした、今日はその翌日。ラナの「竜の角」従業員としての仕事は休みで、非日常に触れてしまった昨日からずっと心に巣食っている言いようのない不安も消してしまいたかった。それならば好きな場所へ出かけるしかない、と思い立ち、彼女は帝都東側に広がる巨大市場の北側、北商人居住区を訪れていた。


 ナグラスに昼食を詰めて貰った火魔石動力つきの白い保温箱を鞄に入れて肩から下げ、南街区の第二城壁南門前から乗り合い竜車で石畳の上をガタゴト揺られてだいたい半刻。彼女は車両を牽引する勇壮な草食竜の長い頸に掛かっている袋に硬貨を入れ、摺り寄ってくる滑らかな草色の鱗に覆われた頭をひと撫でしてから、北商人居住区の大通りを歩き始める。


 「竜の角」で働き始めてから、時にはサイアや他の同僚と、時には今日のように一人で。こうやって商人居住区をぶらぶらするのが、彼女の良い気晴らしになっていた。昨日の今日だからこそ、特に。


 シルディアナ帝国を含むこの暑い地方では、正方形の布の一角を首飾りと一体化させ、両側に突き出た対角線を尻の上で固く結ぶように仕立てたものを衣装としている、男女、貴賎問わず。首飾りや刺繍の豪華さによって階級は窺えた。店先に立つ者はそういった飾りや刺繍の少ない者が圧倒的に多い。汗水垂らして働くのは「竜の角」にも来るような下層市民が中心だ。


 かといって、不当に搾取されているわけではなかった。ラナだってそうだ。


 現宰相が定めた帝国法では、五日の労働に対して必ず一日の休日を取るようにと定められており、休日がなかった場合は、雇い主も労働者も等しく罰を与えられる。曰く、納期に間に合わない、無茶な注文があった、その場合は注文をした客まで巻き込まれてシルディアナ経済界を揺るがす大裁判を起こすこともある。フローリシェの知り合いがやらかした、なんていう話を、ラナも聞いた。


 聞こえてくる喧騒の中に、帝国兵がフェークライト鋼製の鎧を陽の光に鈍く反射させていた。路地に近いところには、帝国軍の紋章が機体の鼻先で金に光る、美しい白のサヴォラが停められている。二人乗りだ。素早く泳ぐ魚の如し切れ長の尾が、ラナにとっては何とも優美に思えた。


 だがしかし、そのサヴォラの運転手は優美とは形容し難い硬い声を張り上げていた。


「何度目だと思っているのだ……中央区までご同行願おう、店主どの」


「わかりましたけどね、由緒正しいゼウム家の婚約者に一途なユーリウス様にね、ちゃんと今度こそは都合つけさせて下さいよ! この無茶振りも三回目だぞ、ってね!」


 店主の反論を聞いた瞬間、帝国兵の表情がなんとも生ぬるい苦笑いに変わった。


 ラナが歩いている大通りの左側にある古物商の店舗は、数百年前に東のケールンで生産されたグランス鋼製の美しい宝飾を取り扱っている人気の場所で、ラナもよく行く。が、とんでもなく無茶な貴族の客のおかげで法律違反からの中央出頭となったようだ。そう言えば、数カ月前の休日の際に訪れた時も一時閉店していたが、無茶振り常習犯の貴族のせいだったのだろうか。


 店主は帝国兵に同行すべくサヴォラの後部座席に乗り込みながら、まだぼやいている。


「全く、裁判の場で皇帝陛下に絞っていただくことは出来ないのかね、あのゼウム家のご子息さんは……」


「皇帝陛下は体調を崩されており、ご療養中だ、裁判については宰相グナエウス・キウィリウス様に委ねられている……だが、例のユーリウス・ゼウム様については便宜をはかって下さるだろうな」


「そうしてくれることを期待しておきますよ、全く……宰相どのが賄賂を受け取りなさる人だったら便宜もはかって貰えたんでしょうがねえ」


 ラナはゆったり歩いてその側を通り過ぎながら、交わされる言葉を聞いた。兵士と店主のやり取りも遠い世界の話のように思えるが、今現在、宰相グナエウス・キウィリウスはシルディアナ帝国を実質統治している。何もしない、出来ない皇帝の代理として。


 独裁だと糾弾する者も一定数は存在するし、貴族からの反発も多く、帝国経済やそれに関連する諸外国との関係も一向に改善しないが、しかし――


「宰相様は、貴族には珍しく潔白であるからな、しかしこれで三回目とはなあ、私がこの地区を担当するのは初めてで、ユーリウス様のことは噂には聞いていた程度だったが……店主どのも不運なことだ」


「婚約者とのやりとりに健全な店を巻き込まないで欲しいもんだよ、全く」


「常習とあれば裁判も早く済むであろうから、店主どのが思っているよりも早く店を再開できるのではないかと考えられるよ」


 帝国兵は同情の眼差しを向けながら、柔らかい口調でそう返した。


 程なくして、大通りの脇から帝国軍のサヴォラが一機、ドラゴンをかたどった翠光を纏う魔力の翼を拡げ、帝都シルディアナのくすんだ青い空に飛び立った。


 ああいった貴族や商人、雇い主に関する裁判において判決を言い渡すのはシルディアナ帝国皇帝なのだが、生まれつき虚弱で病床にあることが多いらしい。何もしない、出来ない理由はそこにある、ということをシルディアナ映像放送が何度か特集を組んで流していた。生まれた時に呼吸が止まっており、皇族の出産には必ず立ち会うという光精霊殿の光術士によって蘇生させられたという話はその特集の中で公表された話である。


 それ故か、イークライトという名を抱く十七歳の皇帝は、昼や夕刻のシルディアナ放送を通してすら、帝国民の前に顔を出したことがない。光り輝く金色の髪と雨季のはじまりに萌え出ずる若葉のような二重瞼の双眸、男とも女ともつかぬ中性的な美貌は光の精霊王ステーリアの如し……といった、シルダ家に伝わる青い血が引き起こした精霊の業のみが、人々の間で噂されているのみだ。


 それは、ラナも幾度となく「竜の角」の客から聞いた話。


 そんなことを考えながらぶらぶら歩く大通りの右側には、果物商が帆布の屋根を出している。


「さあ、シルディアナ皇帝イークライト様も大好きなグラン・フィークスのケイン砂糖漬けだよ!」


「それ、本当か?」


「イークライト様はご自身のお好きなものを公言されていたかしら?」


 況してや、皇帝の好きな食べ物など噂で出回ることなどない筈であり。


「大層お綺麗な方だとは聞くけどねえ」


「俺は宰相の側近の小間使いとやりとりしていた貴族様の家で雇われている使用人から聞いたんだぞ!」


「また聞きどころかまたまたまたまた聞きぐらいじゃないか、それ」


 そのやりとりの側を、人々が笑いながら通り過ぎていった。ラナも、通り過ぎながら思わず笑った。グラン・フィークスの直径は男性の腕程の長さを誇り、夕暮れの西の空のような色がまるで炎のように赤い表皮に踊る、巨大な果実だ。栽培しているのは砂漠の王国レストア政府直轄の農場のみで、非常に珍しく高価であり、瑞々しくさっぱりと甘い。因みに、ラナはまだ食べたことがなかった。


「ご病気はそんなに重いのかしらね」


「さあ……何も公表なさらないからなあ、宰相キウィリウス殿も」


「皇帝陛下も、政務がお出来にならないほど若すぎる、っていうわけでもないのにね」


「いやあ、十七歳と言えばまだ中等学舎へ通っている年齢だから、何とも言えんな」


 皇帝や宰相について好き勝手を言う人々の側を通り過ぎ、ラナは特にあてもなくのんびりと歩く。中等学舎で魔石動力について学んでいた時のことも、ふと思い出した。


「サヴォラ操縦免許、欲しかったな……」


 思わず、ラナは溜め息とともにそう零した。中等学舎の魔石工学専攻を修了すると、サヴォラと呼ばれる小型飛行機を操縦出来る免許が発行される。魔石工学専攻は就職にも研究にも将来の発展にも繋がるからか、帝都で最も人気で、学舎側も力を入れている専攻だ。彼女は免許取得とサヴォラ宅配便業者で働くことを目標にして中等学舎へ通っていた、結局やめてしまったけれど。


「――そう言えば、俺、今度の試験でサヴォラ免許取れそうだ!」


「おお、いいなあ! 僕も勉強しないと」


「これで宅配と城壁部隊は確定だぞ!」


 十五歳ぐらいだろうか、城壁部隊ということは中等学舎の騎士課程だろう。そんな話をしながら歩いてきた少年二人とすれ違う。真面目に勉強していたから、ラナもあれぐらいの歳の今の季節には免許を取ることが出来た筈だった。


 程なくして彼女は北商人居住区の広場に出た。目に飛び込んでくるのは大理石を円と小さな塔の形に積み上げて水魔石動力を搭載した噴水だ。天辺が台のようになった塔の上には、風魔石動力を組み込んだ極彩色の機械鳥が設置されている。


 ちょうど、正午を告げる音楽が、硬質な光を放つその嘴から鳴り響いた。それと同時に噴水に仕組まれた術式が踊り出し、美しい螺旋と曲線を描いて水飛沫が舞い始める。水精霊達がそれに合わせて飛び跳ね、遊び、広場は笑い声と心地よい涼しさに包まれた。


 水精霊達が放つ冷気を満喫する中で、円形の広場の隅の方に幾つも設置されている長椅子が目に入る。ラナは大通りに程近い箇所を選び、そこにすとんと座った。


 肩からかけていた鞄を膝の上に置いて、昼食を詰めて貰った白い箱を取り出す。蓋を開けると「竜の角」定番料理である、草食竜の肩肉の赤ワインと野菜ソース煮込みが顔を覗かせる。挨拶代わりに、芳醇で複雑な香りが辺り一帯にぶわりと広がり、通行人が何人か振り返りながら通り過ぎていった。


「うう、美味しそう……大地の精霊王がもたらす恵みに感謝を」


 一緒に入っていたナイフとフォークを手に取ってそのまま右の拳に聖句を捧げ、ラナは早速草食竜の肩肉を切って一口、むしゃりと頬張った。


「……ナグラス、最高」


 満ちる精霊達の笑い声と羨ましそうな視線を受け止めながら開けた場所で食べるものの美味しさは格別で、ラナはこの瞬間がいっとう好きだ。


 母が死ななければ、自身が学舎に通いながら店の手伝いをしていれば、サヴォラ免許を取っていれば、空を駆けることが出来たのなら、と思うことは何度もある。けれど、目標を達成出来なかったという後悔はあれど、自身が何の問題もなく、それなりに充実した生活を送ることが出来ているのは、何にも代えがたい幸福だった。


 改めて「竜の角」にいられる自分の幸運を美味しい食事とともに噛み締めていると、自身の右側、後ろ、すぐ近くでごくりと唾を飲み込む音がして、彼女は振り返った。


「美味そうだな」


 あまり大きくはないが濁りのない、凛とした男の声。まず目に入ってきたのは、肩のあたりまで伸ばされ切り揃えられた、風にそよぐ金糸。次いで美しい二重、雨季の始まりに芽吹く若葉を思わせる翠玉の双眸、すらりと通った鼻筋。長椅子の背もたれに置かれた肘の先にある掌を、男にしては繊細な指が優雅に彩り、形の良い己の顎を捕らえている。その身体が纏うシルディアナ式の胴着は深い青緑に染められ、首元は魔石と貴石で象られた卵型の飾りが煌めく。袖を通している羽織は薄手の絹で、金糸で竜とロウゼルの花の刺繍が施されていた。穿き心地の良さそうな七分丈のズボンに、竜皮を細く切って編んだ細帯付きのサンダルは、良く手入れされたものだ。


 声も、顔も。一瞬だけ、ラナは妙な懐かしさを覚えた。


 次いで、南街区では見かけたことのない大層美しい若者だ、と思った。その顔立ちからは民草の香りがしない、北街区の貴族だろうか。まるで若木のごとくしなやかな喉元から突き出る骨の辺りからは、再び嚥下の音。


「朝餉も食わず、先程までずっと歩き回っていたからな、腹が減ってかなわんのだ」


 ロウゼルの花弁の筋の色によく似た淡紅の唇が物欲しそうに開き、そんな言葉を紡いだ。少し遅れて胃がきゅるりと鳴いたのも聞こえてくる。


 ラナは返事に窮した。


「……ええと」


「何、その美味そうな肉を一切れ、私に寄越してくれればそれで良い」


「あの、申し訳ないのですが、替えのフォークなどは持っておりませんので」


 言葉遣いからしても相手の身分は間違いなく貴族だろう。彼女が「竜の角」での接客を意識的に反映させてそう応じれば、青年は殆ど表情を動かさず、しかしその声が僅かに子供染みた駄々の色を帯びた。


「構わん、気にせん、早くしてくれ」


「ですが、あなた様のお口に合うかどうか……屋台のものをお考えになられては?」


「……辛抱たまらんのだ、それに、私は他のものではなくそれが食べたい」


 どこか釈然としない気持ちになりながらも、ラナは草食竜の肩肉を一口大に切って、左手に持ったフォークに突き刺す。ちらりと右後ろを見やれば、思ったより近くに綺麗な顔が伸びてきていて、肩が跳ねた。驚いた。


「そのまま差し出してくれれば良い」


「……どうぞ」


 彼女が差し出したフォークの先の肩肉を、その見た目の上品さからは想像もつかない大口が、あっという間に掻っ攫った。その際に左腕を掠っていった金髪が驚くほど滑らかで柔らかいことに気が付いて、顔が火照る。


「成程、草食竜の肉か」


「……いかがでしょう?」


 食べる時と喋る時は別にせよ、という掟を持つらしいシルディアナ貴族らしくなく、咀嚼しながら喋る相手があまりにも自然体だったものだから、ラナもうっかり話し掛けてしまった。だが、青年は気分を悪くするといった素振りも見せず、ぺろりと唇を一舐めしてから頷く。


「うむ、油はオレイア樹、橙根、ロウゼルの葉と月桂樹の葉の風味、このあたりはシルディアナ産だろう……珊瑚樹の実、鐘胡椒の実、レファントだな……赤ワイン、牛の乳もあるな、アスヴォン高原で間違いない……胡椒、塩はエルフィネレリアだろう……グラン・フィークスもあるな、それを除けば、大体が安価で善きものを揃えて一流の料理を作り出す、さぞかし腕のある料理人に違いない……もしや、そなたの味付けか?」


 そう言いながらじっと見つめてくる視線から目を逸らし、ラナは首を振った。


「いいえ、私ではございません……しかし、食材についてはその通りでございます」


「おお、当たりか」


「よくお分かりになられますね」


「好きなものは分かる、色々なものを食べてきたが、グラン・フィークスは特に気に入りだ」


 青年の口元が柔らかな弧を描き、華やかで美しい微笑みが零れる。ラナが思わず見とれていると、何かに気付いたらしい相手が覗き込んでくる。澄んだ若葉色の光に射抜かれて、彼女は我に返った。


「あ、あの、どうされましたか?」


「どうも、私の良く知る者と似ているような気がしてな……そなた、名は?」


「私の、名ですか……ラナ、と、申します」


 戸惑いながらも応えれば、青年はその名を噛み締めるように繰り返す。


「そうか、ラナ……ラナか、私はイークという」


「イーク様……いや、まさか」


 その名乗りを聞いた瞬間、ラナは青年を思わず凝視した。年の頃は十七、大層お綺麗な方、名もそうだが、一見した特徴も、巷に流れているシルディアナ帝国皇帝に関する大抵の噂と合致する。しかし、目の前にいる姿は元気そのものだ……病弱と言う噂は嘘だったのだろうか?


 イークと名乗った青年はおどけることも肩を竦めることも一切せず、ただ僅かばかり首を傾げ、心持ち眉と口角を上げただけだった。


「そう、そのまさかだと思うか? このような話はそなたも聞いたことがあるかもしれない、イークライト皇帝陛下はあれます際に息をしていらっしゃらなかったが、しかし、光精霊殿の光使いの尽力により蘇生なさったという……その話を有り難がった貴族は、同じ年に生まれた子息にイークやライトという名をこぞってつけた、私もその一人だ」


「……そのような話は初めて聞きました」


 ラナには心当たりがない。酒場「竜の角」の近所には集合住宅地区も沢山あるが、イークやライトといった名を持つ貴族が住んでいるという話など聞いたことがなかった。そもそも、帝都シルディアナに住む貴族は殆どが北部の貴族街区に一族の邸宅を所有している。貴族に関する話も、こうして出かけた先で飛び交う噂話の中ですら、滅多に聞かない。


 何かがあるのだろうか、イークは方々に視線を向けてから説明を再開する。


「ラナはあまり中央行政区や貴族街区に来ることがないか? ならば知らずとも仕方あるまい、貴族ばかりが一生懸命になっていたことだからな、尤も、シルダ家に御子があれます度にあやかって同じような名を生まれてきた息子や娘につける貴族はいつもいる、特に帝都に住むだけの杖貴族に多いな……利益になる土地を持っておらぬから、名で箔をつけるしかあるまい」


「イーク様はやはりお貴族様だったのですね」


 イークは依然として微笑んだままだが、その眉が少し困ったように下がった。


「……まあ、そのように他人行儀な話し方をせずともよい、私のこの言葉遣いはもう癖以外の何ものでもないが……気軽なやり取りというものをしてみたいと思っていた」


「……では、どうお呼び、いや、呼べば?」


「そう、その調子だ、あと、私のことは普通にイークと」


 生ける芸術品のような人に言われてどぎまぎしながらも、ラナは口を開く。相手の目を見ることが出来ず、つい、俯いた。


「……い、イーク……これでいいの?」


 ちらりと表情を窺えば、翠玉の双眸が喜色に満ちて輝くと同時に、まるでロウゼルの蕾が花開くが如く、美しい笑みがそのかんばせを彩った。


「そう、よく出来た。時にラナ、話を戻そう」


「どこまで戻るのですか……戻るの?」


「その調子だ……うむ、そなたの抱えている料理について、だ」


 途端に、イークが真剣な表情を取り繕って腕を組み、一度だけ重々しく頷く。その直後に胃袋の鳴る音が聞こえてくる――そう言えば草食竜の肩肉を一切れ食べただけではなかったか、目の前の青年は。


 思わずラナが小さく吹き出すと、彼は恥ずかしそうに右手で腹を押さえて、言った。


「案内してはくれぬか、その料理人の所へ……知っているのだろう?」

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