本を捨てるな!

 とうの昔に開発終了したソフトウェアのマニュアルや、改訂版が発行されて久しい医学書、PDF版が普及し誰も手に取らなくなった論文誌などが、広大なキャンパスを埋め尽くしていた。

 大学図書館は廊下まで書物で埋め尽くされ、書圧しょあつで破れた窓からは天井まで積み上げられた本の山が見える。到底手にとることはかなわない。

 それでも蔵書の廃棄はできず、書物は増え続け、石畳で舗装された路上は屋内に所蔵できない書籍であふれていた。

 西暦20XX年、大学が書籍の廃棄をやめて30年が過ぎていた――


「路上脇の書籍が倒壊する危険があるため、この道路は通行止めとします」

「工学部3号館をご利用の方は以下の迂回路を使用してください」


 という立看板が掲げられいた。路上の両脇にはプラスチック製の書棚が並んでいたが、既に「本が書棚からあふれている」というよりも「本の山のなかに書棚が埋もれている」と言うべき状態になって久しい。

 雨ざらしにされた書物はインクが滲み、ページを開くこともできなくなっていたが、それでも図書館の蔵書として記録されて、廃棄しようものならば市民から山のような苦情が寄せられ、大学の通常業務が行えなくなるのだ。

 一時期は盗難なども行われていたようだが、古書市場で価値のあるものがひととおり消滅すると、あとは書山しょざんの高さは増える一方であった。


「分け入っても分け入っても本の山」


 とは、ある国文学科の学生による本歌取りである。本だけに。

 各研究室の蔵書や学生の私物など、蔵書印のないものまで混じっていたが、それすらも大学としての廃棄は不可能だった。


「知的活動の拠点たる大学が、書物を廃棄するとは何事か!」

「本を捨てるな! 本を焼く者は人を焼くようになるぞ!」


 といったプラカードを掲げた市民団体が、キャンパス周辺の歩道を周回していた。その構成は学生や教職員のみならず、卒業生、周辺住民、祭りと聞いて我慢できずに駆けつけた無関係な一般人など多岐にわたる。

 彼らは蔵書廃棄を確認すると、関係者をインターネットで晒し上げ、学術機関を衰退させる国賊だと非難し、ときに暴力事件にまで発展することもあった。このため大学側は図書館に対し、書籍の廃棄をするように要請しており、事実この30年、正規の手続きにもとづく廃棄は行われていない。


 大学は学術の場であるため、常に新刊の購入が必要となる。

 しかし図書館の蔵書には、物理的な上限がある。

 このため通常に運営されている大学では、常に書籍の除籍や廃棄が必要になるが、そうした行為がいつの頃からか悪徳とみなされるようになっていた。

 電子書籍の普及により、印刷書籍が実際的な目的で使用される機会が減ると、かえってこうした書籍の価値が神聖視されるようになった。まるで活字そのものに価値があるかのように扱われ、廃棄反対運動がさかんに行なわれていた。


 当初は学園祭などを利用した譲渡や販売も行っていたが、歴史的な貴重書ならともかく、古い理工書などは誰も手にとろうとしない。購入者を広く求めるためにフリーマーケットアプリで販売したところ、「大学がメル○リで本を売っている!」と炎上し、関係者が謝罪することとなった。

 こうして捨てることも売ることもできず、屋内に所蔵しきれなくなった蔵書は、保護処理を施され屋外に放置されるようになった。主要な文献はすでに電子化されており、学術研究に大きな影響はなく、ただキャンパスの機能性と衛生環境だけが悪化していた。


「改訂版が出ても旧版を廃棄してはならない。これらの新旧比較が重要だからである」

「電子化しても紙版を廃棄してはならない。電子データは突然失われるからである」

「蔵書の重複があっても故人の寄贈書を廃棄してはならない。遺族から苦情が来る」

「文芸書や漫画本を焼いてはならない。これは言論弾圧につながる」

「誰か必要な人が、どこかにいるかもしれない」

「今は読まれなくても、将来読まれるかもしれない」


 こうした風潮は大学のみならず社会全体に広がり、古本を譲渡された者も、大学同様のリスクを抱えることになった。書籍は社会的なババ抜きのジョーカーと化していた。

 やがて民間企業や個人でさえも、書物を廃棄する者は氏名が公開され、自宅に放火されるなどの事件が全国で相次いだ。

 出版社でさえも書店からの返本を裁断することができなくなったため、新刊の発行はわずかな受注生産を除いてすべて停止した。

 こうしてグーテンベルク以来続いていた印刷出版業は廃絶された。


 書籍の増加は止まったが、それでも都市空間を圧迫する蔵書は依然として存在しつづけた。夜間に山間部に書籍を投棄する事件と、投棄者の遺体が同じ山で発見される事件が続いた。

 本の運送や廃棄に関する言動は徹底的に監視され、「本を捨てる」するというのは、もはや口に出すだけでも危険な行為となっていた。民間人の自主的な図書警察がどこに潜んでいるかわからない。書物に関する言論は抑制され、本に触れること、本について考えることはタブーとなった。


 こうした膠着状況を打破する手段として提案されたのが、太陽系外への書物の射出である。

 これは廃棄ではない。

 人類がこれまでの歴史で積み上げ(物理)た知識を、存在するかも知れない地球外知的生命体に譲渡する、偉大なる文化交流である。

 相手の文明度しだいではデジタルデータを解読できない恐れがあるため、紙の本のほうが合理的である。

 繰り返すが、これは廃棄ではない。


 当初は有志たちによるクラウドファンディング事業であった。この時代すでに、リサイクル可能なロケットを用いて個人が人工衛星等を射出することが可能となっていた。

 しかし返礼品として「自分の蔵書を地球外知的生命体に譲渡する権利」が提示されると、あっという間に目標額の数百倍もの支援が集まった。とうてい個人では抱えきれなくなり、プロジェクトはやがて国家事業に発展した。


 有識者の集まるカンファレンスで、ある質問者が言った。

「現在、地球上には9000億冊の書物が存在すると言います。原油価格が高騰している今、これだけの量を宇宙に廃k……いや、地球外知的生命体に譲渡するには、相当な予算が必要になるのではないでしょうか」

 文化交流事業であるため、地球上の書物をすべて射出する必要はないはずだが、その点については誰も疑問を挟まなかった。

 担当者は答えた。

「セルロースを分解した液体燃料を使います。つまり、植物からロケット燃料が製造できるのです」


 数年後、射出された記念すべき書物輸送船第1号には、選びぬかれた1万冊の本が積まれ、これによって地球上の書物は900万冊減少した。

 今後も地球外生命体が存在しうる方向に向けて、より規模を拡大しながら、多数の輸送船が射出される予定である。

 なぜか輸送される書物よりもはるかに多くの書物が地球上から消滅していくのだが、その理由について担当者に問いただす者はいなかったという。


 余談であるが、セルロースは植物の細胞壁を構成する多糖類で、紙の主成分でもある。

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