第18話 謎は全て解けた

 マリアと別れ、アレンは家に帰る。

 いつものように体をかがめて見張り窓から滑り込み、梯子を上って自室に入る。

 すでに血が乾いてゴワゴワになっている服を着替え、ベッドに倒れこむ。

 体調的には最悪だ。

 血が足りない。

 そしてアレンの思考は乱れている。


――エド先生は、いや、クライン博士はどういうつもりだったのだろうか?


 故郷で最初に会ったときは、ちょっと胡散臭い、と思っていた。

 すでに多くの手段を試し、アレン自身は治療に懐疑的だったのもある。

 もう自分の命は残り少ない、そしてそんな自分を救う者はどこにもいないのではないか、とあきらめていたのだ。

 一方で、神にすがるというのも、生まれ育った環境を考えると抵抗があった。

 つまり、世界に存在する何物も自分の助けにならず、自分は一人滅びに向かって孤独な歩みを続けるしかないのだという絶望に、彼は支配されていた。


 話を聞き、その内容を理解するにつれて、そこに一つの灯が宿った。

 もしかして……というわずかな希望。

 彼の症状は、既存のどれに当てはめても合致しない。

 だから既存の、実例と経験を積み重ねた技術を総当たりしてもうまくいかなかった。

 クラインの手法はそれとは逆だった。

 原因の把握を底において、そこから理論を組み上げ、そしてついに治療の可能性にたどり着いたのだ。

 そして、その小さな希望は、徐々に膨れ上がり、最後には成否も定かではない冒険的な処置に命を懸けるに至る。


 処置が終わり、意識が戻り、そして今まで全身を覆っていた倦怠感が薄れているのを自覚した時、クラインへの信頼は頂点に達していた。

 魔法の深奥を除くとまで言われたアルブリーブの魔法技術。

 世界最高の医学を誇るというデオウィン帝国の中央病院の医師。

 最大宗教であるイムトラス聖教の、治癒術の大家である高僧。

 それらすら匙を投げたことを成し遂げた彼に対して、最上級の信頼を向けるのは当然のことだった。


 そして突然の帰国。

 その時のクラインの態度を思い出してみるに、それほど早期にダメになる治療だとは思えない。それはそれ以降ずっと、アレンの心の支えになっている。

 だが、故郷の崩壊を何とか逃げのび、以前とは違う絶望に心を支配されたアレンは、ふとした時にクラインに対する懐疑が頭によぎることがあった。

 一時はうまくいったが、長くもたないからアレンが死ぬまで逃げているのだ、とか。

 もはや対価となる資料を調べつくしたから、アレンは用なしとして避けているのだ、とか。

 あるいは、世界の敵になったアルブリーバ家との関係を隠しているのだ、とか。

 そしてその懐疑とともに、自分が本当に助かったのか? という不安も湧いて出てくる。

 そしてその不安は、一族の始末をつけるという、遥か遠い目的の困難さと複雑に絡み合い、アレンの心を凍らせていった。

 いったん凍り付いた心は、エリントバルでの忙しい日々、少ないながらも知り合いとのつながりによってどんどん奥の方に追いやられていった。

 時折、そうした過去のことが遠く離れてしまったように感じることもある。だが、そんなときには決まってそれらが突如浮上し、アレンの心を縛ってしまう。


 過去といえば、あの姉妹のこともそうだ。

 当然知っていた、自分より少し年上の聖女候補であったマリア。

 直接故郷で会ったことは無かったが、旧市街の教会の聖女の噂を聞いた時に、彼女だ、とアレンは直感した。

 良く通っていた酒場の給仕が、「それってお姉ちゃんのこと?」と話に割り込んできたので、初めて妹がいたことに気付いて驚いた。

 近寄らないようにしようとも思ったが、一度ぐらいは顔と今の様子を確認したくて旧教会に足を運び、なんとなく姉妹ともども話すようになって今のような関係に至る。

 だが、アレンは彼女たちにかかわることが、自分にとって何なのか整理がついていないままだった。

 贖罪? 戒め? いつかの断罪? 自分が何をしたいのかわからないまま彼女たちと、そして奔走者として忙しい日々を続けて今に至る。


「結局、擦り切れてしまいたかったのかもな……」


 口に出してみて、きっとそうだ、とアレンは確信する。

 このままの日々をぬるぬると続け、そして自分の命運が尽き、周りに少々の悲しみは残しながらも、世界に何も波風を立てることなく、ひっそりと消え去る。

 せいぜい旧教会の一角に小さな墓が立ち、その墓も時間とともに風化し、いずれ石ころとなって孤児の子供に蹴り飛ばされる。

 そんな終わりを望んでいたのかもしれない。


――だが、終わるわけにはいかなくなっちまったな……


 クラインの生存を確信し、恐らく自身の命も思ったほど短くないと思える今であれば、アレンにはやるべきことがある。

 確かに道のりを想像するに、はるか遠い道であるのは変わらない。

 だが、それは義務でもあり、世話になった人たちへの恩返しでもある。

 とりあえずは、今の一件に片をつけよう。

 そして、いずれは……


――クリストフを、止めなければ……


 記憶に残るまだ幼い弟の顔を思い出しながら、アレンは眠りの世界に旅立った。



「元気……じゃなさそうだな……」

「まあねえ、徹夜よ……今すぐベッドに飛び込みたい気分ね」

「ご一緒しようか?」

「目覚めた時、それが……いや、目覚めがあればいいわねえ」

「怖いこと言うなよ」

「それで、何の用なの?」

「いや、なんかわかったかって」


 翌朝、まだいるだろうと考えてグレイウルフの駐屯地に足を運んだアレンは、ミスルカに面会した。

 彼女は、与えられた仕事場で、いろいろな文献や殴り書きの山が散らばった机の前で突っ伏していた。

 少し低いサイドテーブルには、この地では一般的なコーヒーの入ったカップが置かれて、真空管式の保温ポットが置かれている。

 ミスルカは、ポットからまだ残っているカップにコーヒーを継ぎ足し、それを手に取ると一気に飲み干した。


「……わかんない」

「へ?」

「全然わかんないって言ってんのよ」


 ちょっとアレな部分は見せながらも、冷静な科学者の雰囲気を残していた初対面の時とは違って、彼女はまるで駄々っ子のように机の上の紙切れを両手でぐしゃぐしゃと握りつぶす。


「お手上げ、意味不明、何なのあれ? 中開けてみたらただの空洞だし、あんなので機能するって言うなら土管用意して並べたら特大の大砲になるわよ」

「空洞? まさか……」

「本当よ。それに人体への接続もわからない。本当にただの金属製の箱があるだけ。あんなのが体に埋め込まれていたんだったら普通は即死よ。だけど、動いていたんだよね? ねえ……ゾンビじゃなかったの?」

「それはあり得ない。霊力素ファタマの動きぐらいは感じ取れる。ゾンビやミイラならそれなりに異常な反応があるはずだ。奴は誓って普通の生き物だった」

「ふうん、となると……悔しいけど魔法の分野では、クライン博士には完敗ね。本人は魔法が使えなかったらしいけど、学者としては私の遥か先を行っているわ」

「そうか……」


 ここに来れば何かわかるかと思って先に足を運んだアレンだったが、それは空振りに終わったようだ。

 まあ、クライン博士がすごい、ということが改めて確認できたのがせめてもの収穫だろうか……


「じゃあ、俺はこの辺で……」

「待って、あなた銃を壊したんだって?」

「ああ、修理しようにもソケット周りが完全に溶けて、内部回路もダメージがある。まあ、寿命だな……」


 本当の寿命はもっと先だったろうが、アレンはそういうことにした。


「へえ……ねえ、私が一つ用意してあげようか?」

「へ?」

「ちょっと待ってね……ああ、これこれ」


 そういってミスルカは、部屋の隅の大きなトランクから一つの布に包まれた塊を取り出す。それをそのままアレンに手渡す。


「はい」

「あ……ああ……ってこれは⁉」

「ふふ~ん、いいでしょ?」


 確かになんとなく見覚えがある。

 だがそれは、アレンの知るいかなる銃とも違った。

 普段から新しい銃器について調べている――それはロータスからの乗り換えというわけではなく敵の武器としてだが――アレンにとっても、初めて見るものだった。


「これは……ロータスの派生? だけどあれは……」

「そう、発売から30年、ロータスの派生銃はいくつも社内で検討された。だけど、結局あの設計が一番だということで、正式に商品になったものは一つもなかった」

「その分、各社から改造パーツが山ほど発売されたんだよな」


 アレンのものもソケットアダプタはGMG製のものに代わっていた。あの不具合ソケットをバイパスして発射順を入れ替える機構などは、元のロータスにはついていない。


「そう、だから30年間、ロータスはそのまま売られ続けた。せいぜいが材質の見直しがあったのと、製造工程をより効率的にしたぐらいで、ま、今となっては古臭い設計よね」

「でも、その分完成された信頼性のある設計だったはずだ。俺以外にもいまだに持ってる奴は多いぜ」

「だからこそ……アークメイジに続く私の代表作としていいと思わない?」

「じゃあ……」

「正式に発売される時には、きっとSP-HA55"A"とでも名付けられるんじゃないかな。当然、通称は『ロータスⅡ』」

「すごいな……」


 各所に面影のある、というかほとんどロータスにそっくりの構造だったが、一番の違いは真空管ソケットだった。

 8連、ロータスより二つ多いその数が、各所のバランスを取り直すことで違和感なく収まっていた。


「球も標準で22径の威力35が使えるようになってるわ、その分グレードはX以上じゃないとダメだけどね」

「まあ、当然だな。Y等級必須とか言われたら費用が怖くて使えねえ」


 X等級の最下級はXVだが、ロータスの標準であるWXとはせいぜい2割程度の価格差だった。だが、これがYVになると2倍を超える。そんなに高価ではいつも球数を確認しないと採算が取れないだろう。


「でも22XV35なんて数出回ってんのか? アプレンティスの26XV35ならともかく……」

「あー、確かに。でも、これが製品化されたらみんな使うから将来的には大丈夫よ」

「おお、すごい自信だ。もうヒット商品を生み出したつもりでいやがる」

「当然よ。魔導真空管業界は我がサークノードが支配するのよ」

「クラインにはボロ負けだけどな……」

「ぐはっ」


 ショックを受けたミスルカが、再び机に突っ伏した。


「まあ、でもありがとうな。わざわざ発売前のものを回してもらって……」

「いいのいいの、あ、あと同じようなことをしたら、その銃でも壊れるから気を付けてね」

「何をやったかわかるのか?」

「当然でしょ、サークノードのアークメイジとしては……」

「すごいな……」

「あとは……そうね……まだ安全装置が……すぅ……」


 突っ伏したままだったのがいけなかったのか、疲れが溜まっていただろうミスルカは、そのまま寝入ってしまった。

 おとなしくなったミスルカの様子を確認して、アレンはロータスⅡをホルスターに差し込み、その場を後にしようとする。

 そこで思い直して、頭を掻いて引き返し、ミスルカの体を持ち上げ、お姫様抱っこして、ソファに寝かせる。

 アレンの背丈なら問題なさそうだったが、より長身のミスルカでは窮屈な体勢になってしまう。だが、彼女は眠りながらも体を丸め、自然と2人掛けのソファに収まる。


「やれやれ……」


 実は初めて触るやわらかい女性の体に、ちょっと動揺していたアレンだったが、何とか楽な姿勢にさせられたことでホッとした。

 あのまま机で寝てたら顔に跡が付くだろうし、疲労も回復しないに違いない。

 彼女なりに手助けしてくれたのだからこれぐらいは当然だと、アレンは思っていた。それにしても……


――意外と、胸、大きいな……


 体の線が出ない服を着ていたことで、外見からは良くわからなかったが、ミスルカはスタイルが良かった。

 またその感触を思い出しそうになり、アレンは無理やり頭を切り替えて、その場を去った。



「本当に、ここでいいのか?」

「ああ、間違いない、と思う」

「何か根拠があるというのだな」

「古い記憶を思い出したんだ」

「それは、彼の治療を受けた時のことか?」


 うなずいて、アレンは前に目をやる。

 時刻はすでに深夜だ。

 あたりにはグレイウルフの隊員が大勢、息をひそめている。

 さすがに精鋭部隊といったところか、街中は本来の戦場とかけ離れているだろうに、その気配は薄く、少し離れればアレンにはもう認識できなくなっていた。

 今、目標の建物の周囲一帯はグレイウルフ総出で包囲されている。

 もはやテラーフォックスといえ、逃げ延びることはできないだろう。


「私も、一度は話を聞いたと思うんだがな……疑う要素など何もなかった」

「まあ、あくまで俺だからわかっただけだからな。それでも時間がかかっちまった……だが、謎は全て解けたんだ」

「それで……最初は一人で入るとのことだが……なあ、考え直さないか?」

「いや、その方が彼の安全を考えても最善だと思う。大丈夫、中で話したことは包み隠さず全て話すさ」

「なるほど、彼と彼らは協力関係にはない、と?」

「ああ、協力なんてしない。彼は彼一人さ、いつもそうだ。ようやくわかった。エドムンド・クラインは一人でクライン派閥さ。群れたりはしない」


 ことここに至って、アレンはクライン博士の本質に行きついた。

 彼はGMGに所属していながら帰属意識なんてない。軍に協力していながら愛国心なんて感じていない。そして、アレンを助けていながら決して寄り添っているわけではない。

 ただ単に、求められたから手助けをした。

 それだけのことだ。

 本質が善人であることは間違いない。

 だが、あくまで彼はただ一人で立つ、ただの親切な隣人だ。誰にとっても。


「では行く」


 アレンは、の元に向けて、一歩を踏み出した。

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