第6話 エド・クライン

「クラインというのは、エド・クライン博士のことか?」

「エド? ああ、エドムンドだから略すればそうなるか。もちろん、そのクライン博士のことだよ。魔導真空管工学の第一人者」


 そんな表現で彼のことを説明したことになんてならない。

 あの男は、比類なき科学者で、最高の魔法使いで、底抜けの善人で、鉄面皮の傍観者で、不屈の理想主義者で、どんな幼児よりも夢想家だ。

 彼はアレンの恩人だ。

 もちろん、彼にも思惑があって、ある取引のもとにアレンは助けられたのだが、それでも個人と個人として見るならば、アレンは彼に恩しかない。

 しかしなお、アレンは彼に助けを求めなければいけない。そうでなければ……


「そのクライン博士が旧市街にいるっていうのか? GMGが囲い込んでんじゃねえのか?」

「確かに……公式には博士はGMGの研究員として所属していることになっている。また、居場所は安全のため明かされておらず、あるいは世界を旅しているともいわれている」

「が、一応GMGの本社がある新市街のどこかにいる、っていうのが定説だよな? それ以外の居場所の候補なんてどこで突き止めた?」


 新市街にいる。

 これは真実ではない。

 アレンが本名でGMGに言伝を頼んでいるが、一向に返事がない。

 アレンの人生においてクラインが最重要な人物であるのと同様に、アレンはクラインにとってそこそこは重要な人物の一人ではあるはずだ。

 ならばやはり以前のように、各地を気ままに旅しているのだろう。そして、いずれはエリントバルに戻ってくるだろう。

 アレンは半ば願望混じりであったが、そのように認識していた。


「うむ、実はクライン博士は失踪しているのではないかと見られているのだ」

「失踪? あの重要人物が?」

「少なくともGMGでは彼に連絡が取れないそうだ。だが、それ以降も軍警と博士の間で何らかのやり取りがあることが確認できている」

「博士が……軍警と?」


 アレンの知る彼は、軍事や戦闘といった分野にまるで興味がなかったことを覚えている。彼の探究の対象は魔法、それも古の魔法使いの事績を現代によみがえらせ、発展させることだったはずだ。

 理屈や法則など二の次で、実質的な成果のみが重視される分野が、彼の興味を引くとはアレンには思えなかった。


「ここまでの情報でもすでに機密保持規定違反だ。だからこれ以上の情報は無理だ。ただ、あの危険な敵を狙うなら……」

「クライン博士を探せ……それも、旧市街で……ってことか」

「その通りだ。正直なところ我々には土地勘が無いからな。もしそちらの方だけでも助けになってくれるなら助かる」


 そういって彼は一つの小さな真空管をアレンに差し出す。


「これは?」

「通信先照合用の認証管キー・チューブだ。見たことあるだろう? 各所にある通信鉄塔にこれを差し込めば私の部隊につながる」

「へえ……」


 アレンは初めて見る。

 当たり前だ。こんなものは軍警以外で使う者はいない。


「博士を見つけたら連絡をくれ。褒美は用意しておくさ」

「先にあのやべえ奴と出くわしたら?」

「その時は何とか生き延びてくれ……もちろん知らせてくれれば博士の時と同様にしよう」

「倒したら……とは言わねーんだな」

「どうかな? 君が狐を怖がらないといいんだけど」


――狐、か


 軍警の各部にはあだ名がある。

 一部は狼。荒野で縦横無尽に敵を狩る軍としての姿。

 二部は犬。市内の、まあ主に新市街内の治安維持と犯罪捜査を行う警察としての姿。

 そして三部はハイエナ。表裏の情報を拾い集め、種々の策謀に生かす諜報機関としての姿。


――さて、第四部っていうのは聞いたことないんだけどなあ


「危ないことはしないでね……アレン君」


 黙って聞いていたマリアが口をはさむ。

 アレンは、張りつめた雰囲気をできるだけ和らげるように、明るく返した。


「大丈夫、俺は弱いねずみだから、狼からだってちょこまか逃げ回ってみせるよ」

「そうじゃなくて、そもそもアレン君も夜は家でじっとしてなさい」

「そりゃあ……いや、まあ、わかった。そうするよ」

「タマは返してもらった方が良かったかな?」

「偶然ってのもあるだろう? 一応借りとくさ」

「そうか、ま、注意するんだな」


 そう言い残し、ナセルはマリアに丁重に挨拶をして教会から去った。


――どうせ、しばらくは昼間の活動だ


 そう思ったアレンは情報を整理するために一度家に引き返すことにした。



 アレンの自宅は廃墟と住居のただ中で、ひときわ異彩を放っている廃墟だ。

 そう、廃墟だ。

 どう見ても、廃墟だ。

 なぜなら、かつて旧市街だけがエリントバルと呼ばれていた時代に、今のように三部に分かれる前の警察組織が町中を見張るために立てた見張りのための円塔。

 内部に複数の階層があり、広いので当時は詰所も兼ねていたらしい。

 それがとある地震の際に折れ、真っ逆さまに地上に突き立ったものの残骸であったからだ。

 この建物がどういう理屈でこのような姿をさらしているのかは実はわかっていない。

 普通に考えてみれば、石積みである建物が崩れるならば積まれた石がばらばらに地面に散らばるはずだ。

 それが、塔としての形を保ったまま真っ二つに折れ、高所から真っ逆さまに地面に垂直に突き刺さるなど、尋常の姿ではない。

 

――実際には垂直じゃないけどな


 これは住んでいるアレンにしかわからないことだ。

 かつての天井であるところの現在の床は微妙に傾いており、そのため埃やごみは円周の一点に集中して蓄積していった。

 今、そこはちょうどよいということでほうきとちりとりの置き場所となっている。

 階段は天井となり、その役目を果たさなくなったため、階層の行き来にアレンは梯子を使用していた。

 一階になった元最上階の見張り窓から出入りするが、入ったところのスペースは今は使用されていない。あまりに埃っぽいからだ。

 梯子で上がった二階がアレンの寝床となっていた。

 ベッドが一つ、後は大きなテーブルと椅子が1つずつという殺風景な部屋で、窓は小さいのが一つ。床には木箱がいくつか置かれ、ガラクタの類はそこに突っ込まれている。

 さすがに銃や衣服、その他身に着けるものは床に直置きというわけにはいかず、靴以外はテーブルに放り出されていた。

 テーブルが一杯になって必要なものが乗らなくなりそうだと、いらないものから順番に木箱に突っ込まれるという塩梅だ。

 元々の階段はぐるりと壁に沿って上に続き、階上(当時は階下)に続いているが、今その開口部は木板でふさがれている。

 そうでもしないと雨が入り込んでちりとり周辺に溜まってしまうのだ。


――さて、情報を整理しよう


 一つしかない椅子に座り、薄暗い室内を見渡しながら、アレンは考える。


――謎は3つだ


 一つは、あの黒づくめがなぜクラインを探しているのか。

 二つめに、クラインが軍警と何をしていたか。

 三つめは、クラインはなぜ旧市街にいるのか。


「エド先生さえ見つかればすぐに解決するんだがな……」


 あの男なら秘密とすべきこともペラペラ話してくれそうだ。アレンは過去の記憶をよみがえらせてそんな風に考えた。



「やあ、君が――君か、話は聞いている」


 病床の彼のもとにやって来たその男は有名人だった。

 有名人だから、すでに40代半ばということはアレンも知っていたが、見た目はせいぜい30ぐらいにしか見えなかった。

 あるいはかたりか、とも思えてしまうその男は、しかし話してみると卓越した知性の持ち主であることがすぐ分かった。


「……つまりね、君は比類なき、世界最高の、そして恐らく歴史上稀に見る大魔法使いになりうる器なのさ。君の魂から生み出される膨大な霊気素ファタマが、逆に君の体の精気素スファラを抑え込んでしまう。特に精気素スファラの源ともいえる……」


 なんせ、これまでどんな医者を呼んできても誰一人わからなかったアレンの体の問題を解明してくれたのだから。

 そしてまた、その解決方法も……


「本当のことを言うとね――君、この方法は自分にしか不可能だし、その僕にしても必ず成功するかもわからない。何せ理論として実証されているのはあくまでその一歩手前まで。君に行う施術はいまだに仮説の域を出ないんだ」


 危険は再三警告された。

 もとより、人体への理解こそあれ医者ではないクラインは、自分だけで施術のすべてを行うわけにはいかない。

 そのことの不安に加えて、それを支えるクラインの理論自体がまだ実証されていないという事情。

 幸い話す時間は充分あった。

 クラインの準備にも相応に時間が必要であったし、彼への報酬というのが家の秘伝の書物の閲覧だったわけだから、彼はゲストとしてアレンの実家に長期滞在していた。

 その間にアレンはクラインの人となりを充分知ることができた。

 旺盛な知識欲に従ってあらゆることを習得していく知の巨人としての姿。

 そのくせ人当たりが良く、まだ子供のアレンの疑問にもいちいち答えてくれる親切な大人としての姿。

 子供のように目を輝かさせて、自分の夢を語る理想化としての姿。

 アレンとしては、一部では廃れたともいわれている魔法の理論を先に進めようとする姿勢に何より惹かれた。

 アレンとしては考えた。

 事は自分自身の生死の問題だ。

 考えて、考え抜いて、そして答えを出した。


「エド先生、お願いします」


 そして、アレンは自由に動く体を手に入れた。

 比類なき大魔法使いの器と引き換えに。

 さすがに長居しすぎたということで一度会社に顔を出さないといけないクラインが、最後に言った言葉をアレンはもう一度思い出す。


「もう少しで研究がいいところまで行きそうだから、一度戻れっていうのは困るんだよなあ……ああ、君の体は大丈夫のはずだよ。一応経過を見るために半年以内には顔を出す予定だし。でも、もし……」



「もし、なんかあったらエリントバルのGMG本社に言付けておいてくれよ、か」


 結局、クラインはアレンの実家に戻ってくることは無かった。

 というより戻ってくるアレンの実家の方が無くなってしまった。

 そしてアレンは孤独となり、旧知のクラインに連絡を取ろうとエリントバルを訪れたのだ。

 過去のことを思い出して、不安になったアレンは胸を抑える。

 しばしそのままの姿で動かずにいた後、アレンは力を抜いて背もたれに体を預ける。


「……クライン……エド先生。本当に旧市街にいるんだろうか……」


 頭の中では3つの謎がぐるぐる回っている。

 ただ、その解決方法はただ一つだ。

 エド・クライン博士を見つけ出す。

 そしてそれは、アレンの目的でもある。


「もし、邪魔するなら、覚悟しとけよ『狐』とやら」


 アレンは行動を開始する。

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