第4話 そして一日は始まる

「おう、今日も早いな」

「まあな、ゆっくり寝ていられるほど人生は長くねえや」

「ガキが何言ってんだ……いつものでいいか?」

「ああ、それと……例のブツ……」


 それを聞くと露店で食堂をやっているおっさんが、にやりと表情を変えて言った。


「わかってるよ。ちゃんと生きのいいのを手に入れてあるぜ」

「そうか、じゃあ……」

「……って、朝っぱらから何を怪しげな会話をしてるのかと思ったら……」


 その声は、このブツに関してアレンが最も知られたくない相手、シアだった。


「げえっ……し、シア!?」


 大げさに振り返って驚きを表現するアレンが手にしていたのは、怪しげなカップだった。


「怪しげもなにも……牛乳持ってなにやってんだか……」


 そう、牛乳である。

 今朝農家から手に入れた絞りたての牛乳は、店主が言うように生きが良かった。


「……あっ、あーあー、なるほど……へえ」


 科学の進んだこのエリントバルでは当然常識なのだが、牛乳を飲むと背が伸びるらしい。


「そうかそうか、やっぱりアレンも気にしてたのね……」

「ちげえよ、これは……その……奔走者として……骨を丈夫にだな……」


 言い訳もなんだか迫力が無い。だが、ここで反撃しなければアレンでは無い。


「……っていうか、お前も飲めよ。乳が腫れるらしいぜ……必要だろ? 何ならおごってやろうか?」


 ちなみに、同じ年齢のアレンとシアだったが、身長はシアの方が頭半分ほど高く、そしてシアの胸は平らだった。

 同病(ではないが)相哀れむという感じで仲良く出来ればいいようなものだが、この二人は顔を合わせると悪態と皮肉の応酬になった。まあ、原因の大半はアレンにあるのだが……


「うるさいっ、あたしはこんなところで寄り道してる暇なんて無いんだから」


 そう言い残して、プリプリ怒りながら立ち去っていった。

 確かシアは朝は宿屋の手伝いをしていたはずだ。アレンは何度か見かけた事があった。


「そうか……きついのかな……ま、後で顔を出してみるか」


 正直、姉の方はいろいろ苦手だったが、一応知り合いとして様子を見に行くぐらいはいいだろう。


「どうせ暇だし……」


 昨日の事があるから、すぐに仕事を入れるつもりの無いアレンだった。



 行儀悪く立ったままで、カップを片手に卵焼きを挟んだパンでアレンは朝食を済ませる。

 あたりを見回し、いつも通りの人混みに一瞬顔をしかめて、そのまま中央通りを歩く。

 このあたりは比較的町並みがまともで、石畳もきれいなままだ。

 朝から野菜を売りに来た農家や、買い物をする人が忙しく行き交う道ばたでは、商店や食堂が忙しく準備中だった。

 エリントバル旧市街で、一番大きな通りが、この街の中心と東門を結ぶ中央通りだ。

 新市街へと続く東門、そしてかつては市の中枢があった中心部は今でもささやかながら公的機関が居残っている。

 それに加えて、かつては軍警が行進をしたり、外国からの客がパレードをしたりという用途のため、やや道幅が広い。

 とはいえ、今となっては広い道幅が必要な事も無く、道の両側の店舗はそれを言い訳にしてどんどん張り出してきている。

 今では通れる幅は半分以下になっているのだが、それでちょうど往来とバランスがとれているようだ。

 不文律として、建物自体は道にはみ出してはいけない。

 だが、食堂は日よけをかぶせてオープンスペースの席を作り、商店は敷物や台の上に商品を並べたり、簡単な棚と会計の出来る机を置いていたりする。

 ところで、さっきアレンが立ち寄った露店は、珍しくも張り出しの無い部分が小さな広場になっていて、そこに存在した。

 中央通りと行っても全てが店舗を営んでいるわけではない。

 そうして家の前が広場になっているところでは、家の前を場所代を取って露店に貸し出していて、これもなかなか賑わっている。

 なんにせよ、こここそが旧市街の一等地、一番の繁華街であることは疑いが無い。


 アレンの住処は中央通りからは北に少し離れた場所に位置している。

 とりあえず中央通りに出て、今は西向きに進んでいるわけだ。

 目的地が進む正面に見えてきた。

 かつて中央部にあった都市の中枢は新市街に移っている。

 残されたのは申し訳程度の「旧市街管理局」のみ。

 だが、それはそれでこの町には必要な施設であり、特にアレンのような奔走者にとっては仕事を受け、報酬を払ってもらう大事な場所なのだ。

 

◇ 


「また下品なのがやってきたよ……」

「おいおい、開口一番それっての……ひょっとしてけんか売ってる? 今なら絶賛高価買い取り中だぜ?」


 アレンの目の前の女は、ふっと鼻で笑って肩をすくめながら言った。


「ほらほら、そんな調子だから奔走者が下品だって思われるのよね……」

「うるせえ、お前だった似たり寄ったりだったじゃねえか」

「あら? 私は最近向こうでの仕事が多かったから、そんな遠い昔の事は忘れちゃったわね」

「忘れるほど遠い昔があるオバさん、ってわけか?」

「……っ、このくそガキ」

「へへっ、口より手が早いレインさんは健在のようで安心したね」

「……ったく」


 二人が罵り合いをしていても、この場所では当たり前の事なので誰も気にとめない。

 実際には、ここは旧市街管理局の待合であった。

 そうした場所にありがちな、椅子とカウンターになっているのが想像されるかもしれない。

 確かに正面の入り口はそうだが、今アレンのいるのはそれとは別の奔走者専用の受付と待合だ。

 一見、ちょっと殺風景な酒場という雰囲気で、テーブルが並んでおり、そこで何か飲んでいる者がいる。

 とはいえ朝っぱらから酒を飲んでいるような荒くれの集団というわけではない。

 ここに滞在するのが仕事の連中なのだ。

 軍警がほとんど活動できていない旧市街では、もめ事があれば、ここから待機している者が最初に出向くのだ。

 そのために小遣い程度ではあるが報酬も出ている。

 もちろんそれだけで生活出来るほどじゃないので、良い仕事がないときや、大仕事を終えた後などの連中が受けている。

 ベテラン……というか引退した方が良いようなじいさんも隅にいるが、もめ事が即荒事というわけではないため、彼らの方が重宝されている。

 ともかく、彼らは勤務中な訳で、飲んでいるのは木の根の代用コーヒーとか薄い茶などで、銃も吊ったままだ。

 出会い喫茶ならぬ、出合え出合え喫茶と言ったところだろうか?


「そうふくれるなよ。俺としちゃあ久しぶりに昔世話になった顔を見たから素通りも悪いかと……って、そもそもなんでこっちに来てんだよ。向こうでへまでもして追い出されちまったのか?」

「そんなわけ無い、ってまあ『私は』違うわよ」

「じゃあ誰?」

「誰、ってことでも無いんだけど……あっちで最近騒がしいのは知ってる?」

「ああ、なんとなく……」


――確か、市の偉いさんが通り魔に襲われたとかなんとか……


「まあ直接じゃないけど、そのからみ」

「って、『こっち』なのか……」

「そういうこと」


 つまり、「あっち」すなわち新市街での通り魔事件の犯人が、「こっち」に潜んでいるということらしい。


「はあ……そういうこと、か」


 いつもに比べて待機している奔走者が多いとは、アレンも感じていた。


――あとでいろいろ回っておくか……


 アレンは、一人で行動することを好むが、それでも旧市街で生きるということは他人と関わらずには難しい。

 昨日の仕事を請け負った組織や、シア達、あるいは行きつけの店もいくらかある。


「あんた、口は悪いけど、意外と働き者なんだね……」

「うるせえ、そんなんじゃねえや」


 こんな朝早くからここに顔を出している以上は、怠け者には入らないだろう。そういう意味では、レインもアレンも、怠惰とは縁の無い人種のようだ。

 

 

 旧市街のことわざにこういうのがある。

 「道を歩けば赤毛に当たる」

 嘘だ。

 これはアレンを含めた一部の奔走者にのみ当てはまることわざだ。


「まて、そこの不審者」


 アレンが振り向けば、案の定赤毛がいた。もっとも、振り返る前から気に障る声で特定可能ではあったが。


「はいはい、不審者不審者。それで、不振軍警がなんの御用で?」

「私のどこが不審というのですか?」

「不審じゃなくて不振。振るわないことの意味。だって、大して活躍してねーだろ」

「ぐぬぬ、言うに事欠いて……」


 残念ながら軍警の一部にはあまり活躍できていない部署があるのは事実だ。

 旧市街に立ち入るぐらいではそうではないが、旧市街から出られないようなのはそういう評価をされても仕方がない。


「……んで、何の用? 暇なバックウォッチャーの皆さんと違って、俺たち奔走者は基本的に忙しいんだけど……」

「暇とは何という侮辱。我々は日々忙しく犯罪者を取り締まっているのです」

「へえ、俺を不審者と決めつけるようなのが……ね。俺は仕事も明らかだし、住みかだって知っているだろ? 何をもって不審と判断したんですかねえ?」

「行動が不審、顔が不審、何より服装が不審ですよ」


 実際に、いささか厚着なのは確かで、そのことは不審とみられても仕方がない。だが……


「要は行動以外は単に気に食わないってことだろ? そんなんでいいのかよ。軍警の腐敗はここまで進んだかね」

「むう、しかし、行動が不審なのは変わらないです。さあ、キリキリと行先と目的を吐くですよ」

「ガレ爺のところに買い物に行くのと、孤児院にちょっと忠告に行くだけだ。何ならついてくるか?」

「正直私がタマ屋に行っても意味が無いのです。全部支給品ですから。しかし、忠告? なにを……ですか?」

「なんでえ、閑職には情報も届いてないのか。今旧市街は結構大変だぞ」

「むむ……」


 バックウォッチャー、つまり『壁上デ見張ルモノ』が閑職であるのは、たとえ口の悪いアレンでなくても皆の共通認識だ。もっとも、表立って本人にそれを言うのはアレン含めて数名だが。

 そんな中で、目の前の赤毛、サシェ・トーキラインは腐らず真面目に仕事をしていた。安全な旧市街の城壁の上から見張っていればよい、それだけの仕事であるのだが、わざわざ降りてきてこのように治安を維持しようと頑張っている。いささか空回り気味ではあるが。

 そもそも、昼間の星の広場などという繁華街を、不審者が歩いているわけがない。

 後ろ暗い連中は裏通りや廃墟の中を人目を気にしながら通り抜けるか、夜の暗闇に紛れて出歩くのが普通だ。

 そういう意味で、下まで降りてきた根性は認めるものの、全く効果を得られていないのは滑稽だ、とアレンは思っていた。


「知らないんなら教えてやるぜ。市のお偉いさんを襲った通り魔がこっちに来ているらしい。あと、夜は気をつけな。それ以外にも危ない連中がいる」

「私は昼番ですから、夜は寝ているです。ですが、隊に情報共有させてもらうです」

「うん、今度は本物の不審者以外は見逃せよ」

「アレンは本物の不審者です」

「どこがだよ。手柄取られて悔しいだけじゃねえか」

「ぐぬぬ……」


 本日二度目の「ぐぬぬ」が出た。

 結局のところ、この腐れ縁は腕利きの奔走者と左遷部隊の元気者のじゃれあいに過ぎない。「夜は本当に危ないからな……絶対に出歩くなよ」と言い残してアレンは先を急いだ。



「じいちゃん、居るか?」


 たどり着いた場所は、旧市街のうちでも西側に位置する。

 旧市街中心の星の広場の近くであれば、西側でもそこそこ人通りがあるものの、そこを外れると一気にさびれる。

 真空管屋を営むガレイの店はその人通りのなくなった場所にぽつんと立っている。

 道は荒れ果て、さすがに野獣が出ることこそめったにないものの、犯罪者に出会うことは珍しくない。というか行きかう大半がそうだ。

 実際にはこのような地域も、何らかの組織の管理下にあり、それが犯罪組織だというだけのことだ。

 ガレイのような体の小さな老人が、店を開くには不向きな場所に思える。

 しかし、彼の客層の柄が「良い」ため、下手に手出しをしようものならどこかの腕利きの奔走者や、組織の腕利き殺し屋たちが丁重に二次会を開いてくれる。

 しかも、きっちり整理された店ではなく、奥には多くの木箱が積まれていて、その中にバラバラに真空管が詰まっている。

 ガレイの頭の中にはどの箱にどれが入っているかわかっているらしく、同じ球を一そろい20本、という注文にもすぐにあちこち動きながら拾い集めてくる。

 たとえ襲撃者が箱を2~3個取っていったとしても、雑多な真空管の詰め合わせが手に入るだけで、ほとんど商品価値はない。

 そのような理由で、手出しをするものはいない。

 声をかけてから結構待つ。

 普通の客でも、留守なのではないかと思い帰るぐらいの時間の後、奥から老人が出てくる。


「おう、まだくたばってねえんだな」

「あいにくとな……爺さんこそいつまでこの世にしがみついてんだ? せっかくこんな好立地なんだから、強盗にでも銃乱射されて安らかな世界に旅立てよ」

「ふん、旧市街が更地になってもわしは生き残ってみせるさ」

「やれやれ、明日当たり旧市街壊滅かな」


 少なくとも、明後日までは生き残るつもりらしいガレイの健康を、実際にはアレンは楽観視していない。

 声をかけてから出てくる時間がゆっくりなのも、体がつらいのかもしれないし、時折ぼうっとして反応しないこともある。

 長髪だが額は広く、年齢を感じさせる。

 体格は小さく、やせ型で、頑健には見えない。

 頭も体も老いを感じさせる彼が、いつまで店を続けてくれるかはひそかに心配していることで、彼の店無しではアレンの奔走者稼業も立ち行かない。


「ま、爺さんの言う通り俺が先にくたばる可能性もあるからな」

「若いもんがそんなことでどうする……それで? 今日は何の用じゃ?」

「ああ、ちょっとロータスを見てくれ」

「なんじゃい。酔っ払って道にでも落としたか?」

「そうじゃねえ。ちょっと面倒な相手とやりあってな。余裕がなかった」

「ふむ……」


 手渡されたアレンのロータスをカチャカチャ動かしながら、各部を調べていく。


「ソケット周りにはダメージは行っておらんように見えるな。カバーは歪んでいるがぎりぎりタマには当たっておらん」

「割れたんだぜ」

「それは衝撃じゃろう。まあ……一応全部見てやるか」

「頼む」


 商売道具であるロータスの整備をおろそかにするわけにはいかない。

 構造的な部分はアレンでも見れるが、本体に細かく刻まれた誘導魔法陣や、真空管ソケット部分が無事であるかどうかは専門家に任せるほかはない。

 このようなジャンク屋をやっているが、ガレイの腕は確かであり、アレンはひそかに彼がどこかの大企業の技術者であったのではないかと考えている。

 例えばクライン、ケリーの二大巨頭に追い出された旧世代の技術者とか……


「そのうち自分でもできるようになれよ。『百発百中』だったら術式制御だって並じゃねえはずなんだ。魔法陣ぐれえ扱えて当然じゃねえか」

「そんな細かいのはな……」


 実際普通サイズの魔法陣ならば、アレンは扱うことができるはずだった。

 アルブリーブの魔法使いであった彼であれば……

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