8
北の砦の門を入ってすぐの広場に赤々と大きな火がたかれ、皆がそれを囲んでいた。その場に集まった男たちに酒がふるまわれると、歌や楽器の演奏が始まる。肉体労働に精を出す男たちは下穿きのみを身に着け、上半身は裸の者も多い。みな褐色で筋肉質の体をしている。口ひげを蓄えているものもは半数ほどはいるだろうか。
しばらくするとイギョンとチェインが姿を現した。
「若様方、どうぞこちらへ」
姿を現した二人に皆が腰を浮かせたが、イギョンが手を振ってそれをいさめる。
「明日があるゆえ、深酒はするな。その代わり都より持参した秘蔵の酒を持ってきた」
チェインが酒の入った瓶をそこにいた男に渡すと、その場に居合わせた男たちから拍手と歓声が上がる。二人の若者は男どもに混じり、筵を敷いただけの地面に座った。
チェインの持参した酒瓶が男たちの間を巡る。
するとそこへ、衣装に着替えた山吹とイェンネイが現れた。山吹は柔らかな女物の衣を着ている。袖が長く動くたびにひらひらとはためく。
イェンネイも、帯を長く垂らし、頭に被った帽子にも長い布がぶら下がっている。これは、踊り用の帽子だ。
二人は炎の前に進み出ると、集まった男たちにお辞儀をする。
座が静まり、皆の目が二人に集まった。
とん。
山吹が勢いよく足を跳ね上げた。足首飾りが揺れた。
柔らかな布が舞う。うす布には蝶の刺繍が施されていたが、長い裾と袖を振り、踊る山吹自身が蝶のようだった。
山吹の動きに沿うように笛の音が響きだす。太鼓がリズムを刻むと、イェンネイが身軽にトンボを切って、山吹の前に躍り出た。
二人が舞うのは、春の蝶を子どもが追う様子を踊りにしたものだった。
愛らしい踊りに、男たちは目を細めて酒を啜る。
最後に、子どもに囚われたと思った蝶が子どもの手から逃げ出して踊りは終わった。
「すばらしい!」
「よかったぞー!」
大きな拍手と共に声が上がる。
その後、男たちによっていくつかの歌が歌われ、踊りが披露された。面白おかしいものもあり、山吹も大いに楽しんだ。
最後にイギョンとチェインが舞台に立った。
舞台とはいっても炎の前のただの空間だ。
場がしん、と静まる。
二人の脇には一人の男が腰を下ろした。
「彼はイギョン様の付き人ですよ」
と、イェンネイが山吹に耳打ちをする。
山吹は異様な興奮に包まれた空間にいたたまれなさを感じた。周りの男たちが、感極まったような表情を浮かべているのだ。踊りのはじまる前から、涙を流しているものさえある。拳を胸に当て、祈るような表情でイギョンとチェインを見つめるものもある。
踊りを見て感動したと言うならわかるが、何も始まらないうちからこの場は静かな興奮に包まれている。それが、山吹には理解しがたく、空恐ろしいような気持にさせられた。
イギョンの付き人が朗々と声を上げ、歌を吟じる。残念なことに。山吹はその詩を聞き取ることは出来なかった。
静かに、詠じるように歌う。
二人は踊りはじめたが、けっして派手ではない。ゆっくりとした動き。擦るような足遣い。神聖な気持ちになるような、静の踊りだ。時折、助走もつけずにその場で飛び上がるが、決して激しさを感じさせない。見ていると、頭の芯がジンと痺れてくる。
くゆらせる手の動き。にじるように砂の上を這う足裏。
心に響く踊りではあるが、そこまで男たちをひきつけるものが何なのかは、山吹にはやはりわからない。
二人の動きが次第に緩やかになり、いつしか止まり、長く尾をひいていた声が静かに途切れた。
いくつものため息が空気を震わせ、その夜はそれでお開きとなった。
「ああ、生きている間にお二人の朱王の舞が見られるとは……」
男たちの囁き合う声の中に山吹は、そんな言葉を拾った。
その夜、チェインは寝台に身を横たえながら、窓の外の月を見ていた。明日は満月。もうすでに丸々と太った月が煌々と世界を照らしている。月の光に照らされた雲が、まるで光を放つように浮いている。
その時、続きの部屋との仕切りの幕が開く音を聞いてチェインは振り返った。
山吹が枕を片手に、チェインのもとへとことことやって来た。
「眠れませんか?」
黙って、寝台の脇に立つ山吹に声をかけ、少し身をずらしてやると、山吹はうれしげに隣に潜り込む。
「話、してもいい?」
この三日間で、このようにチェインの元を山吹が訪れたのは初めてのことだった。
枕を置き、その上にぱたんと仰向けに倒れた山吹にチェインは軽いうす布をかけてやった。アユの里を離れて三日。さすがに寂しくなったのかもしれない。
「今日は、楽しかった」
「そうですね。山吹はたった三日でよくあそこまで踊れるようになりましたね」
それとも、宴の余韻に興奮しているのかもしれない。
「しゅおうのまい。っていうの?」
「ああ」
山吹は、イギョンとチェインが舞った踊りについて聞きたいらしかった。
「どうして、みんなはあんなに感動していたんだろうって、不思議に思ったの。ううん! そりゃあ、踊りはすごかった。私も感動した。なんだか、頭の中がしびれたみたいだった」
山吹はやはり少し興奮しているらしく、いつもよりも早口だ。
「でも、みんなチェインがおどる前から泣きそうだったでしょ? 泣いてる人もいたし。あれは、何か特別な踊りなの?」
「そうですね。あれは
「始まりの王?」
「はい」
チェインは一度、上から山吹を覗き込むと、自分自身も寝台の上に身を横たえた。
「ごめんなさい。わたし、千龍の郷以外のことは、なんにも知らないの」
山吹の声色は少しだけ沈んだ。
「仕方ありません。でも、良ければ朱の帝国のことも、知ってほしいと思います。少しずつ、千龍と朱の帝国が友人になれるように」
「そうね! 知りたい。ねえ、話してくれる? 朱王はどんな王様だったの?」
山吹は体を横にして、チェインの方を向く。
山吹は幼い。そうチェインは思った。
朱の帝国の娘たちは十一にもなれば、もう少し大人びているような気がする。目の前の山吹は、昔語りをせがむ小さな子供のように、邪心の無いキラキラした瞳でチェインを見ているのだった。
「昔は、朱の帝国も千龍の郷と同じ、精霊の住む国だったそうです。あの一帯には朱雀というとても力の強い精霊がいたそうなんですよ」
「……」
「ある時、朱雀は人間の女性に恋をするんです。二人は結婚して、一人の男の子が生まれました。その子供が朱の帝国の祖となる朱王です。朱王は精霊の強い力と、人間の深い欲望を持っていました。力を使い、近隣の国を征服し、王の中の王、皇帝になりました。ですが、朱王が皇帝として即位したとき、母と、父の朱雀は朱の帝国から姿を消したそうです。今は天の国で、この地の国を見守っているという事です。先ほどの舞は、朱王自らが父と母を恋しく思い、二人をたたえるために舞ったものなんです。あれを踊ることができるのは……」
沈黙が下りた。
「チェイン?」
山吹が声をかける。
はっとしたように、チェインは山吹を見ると、すぐさま笑みを浮かべた。
「ええ、あれは、一般の帝国の民が踊ることは禁じられているのです。なにしろ、王の舞ですからね。だから、めったにあの踊りを見ることができないんです。みんな、珍しい踊りを見ることができて喜んでいたんですよ」
「ふうん」
「さあ、明日は千龍の里へ帰ります。そして神和ぎ為りの儀です。もう、おやすみなさい」
チェインは片腕に力を込めて、一度身を起こすと、山吹の額に口づけを与える。
山吹もこの挨拶に慣れたのか、恥じることも無く、にこっと笑それを受け入れると「おやすみなさい」と言って目を閉じた。
チェインが遮光幕をひいて月の光を遮ると、お互いの表情が見えなくなる。
「おやすみなさい、山吹」
チェインは敷布の上に沈み込んだ。
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