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それから数日を、山吹はまんじりともせずに過ごした。
本当だったらすぐにも朝霧の元気な顔が見たかった。だが、今は「
集落のすぐ目の前の川で魚を取ったり、白点を草のたくさん生えた場所に連れて行ってやったり、女衆の手伝いをして過ごしていた。
神和ぎ為りの儀式まであと四日という日の夜に父が山吹を呼んだ。
「今日、神和ぎの里から使いが来た」
山吹は父の前に正座して、真面目な顔をして話を聞いている。
「チェイン殿が、神和ぎ為りの儀に参加したいと言っていたのだが……」
山吹は、そんな話を耳にするのははじめてだったので、驚いた。
「昨日ようやく神和ぎの里から許しが出たのだ。チェイン殿とイギョン殿の神和ぎ為りの儀への参加が認められた。だが、お二人以外の者は神和ぎの里への立ち入りを許可されてはいない。もし供の者がおいでなら、アユの里にて預かる。おまえ、明日になったら北の砦へ伝えてもらえるか?」
父が話し終えるや山吹は体を前のめりにしながら「はい!」と、大きな声を上げた。
父は小さく苦笑を漏らすと「頼んだぞ」と、娘に言った。
次の日の朝。山吹は、もう夜明け前から目が覚めてしまっていた。白点の世話をしたり、途中で食べようとひえ餅と山の実の焼き物を腰に下げた袋に入れたりと準備をして過ごす。大切にしまっていたイェンネイにもらった乗馬用の服を身に着ける。辺りが白み始めると、もう待ってはいられない。
白点に鞍を付け、起き出した父や母、真昼に「行ってくる」と言い残し家を飛び出していく。
後ろから父が「遅くなるようなら泊めてもらいなさい」と声をかけてきて、山吹は振り返る。
「泊まってきてもいいの?」
と聞くと。父は頷いていた。
母は何やら不満げな顔だったが、里長の言うことは絶対だ。ぴょんと、飛び跳ねたくなるほどにうれしかった。
山吹は大きな白点にぶら下がるように鐙に足をかけると掛け声とともに一気に白点の背にまたがった。
「長さま、よいのですか?」
小さくなっていく山吹の背を見ながら、母である初雪は剣のある目で夫である飛沫を見やった。
「何がだ」
飛沫の問いに初雪の眉間のしわが濃くなる。
「朱の帝国は鉄の国です。鉄を使い馬を使い、精霊ではなく、人が人を支配する国です」
そこで言葉を切った。飛沫がまだ答える気がないとみると、初雪はさらに言葉を繋ぐ。
「千龍とは相いれませんでしょうに。幼いころから朱の帝国に慣れ親しむことが、あの子に良い影響を与えるとは思えないのです」
そう言うと、初雪は再び視線を山吹の消えた方角へと向けた。
「今のままの千龍と、朱の帝国では交わることは出来ぬであろうな」
飛沫はようやく重い口を開いた。
「どういう事でしょうか? まさか、変わると? 長様は千龍の郷が変わるとお思いですか?」
初雪が、飛沫に詰め寄る。
「落ち着け、初雪。変わらぬものなどあろうか? そなた、千龍が昔と変わらぬと思っているのか? 千龍とて、変わり続けておる。昔は神和ぎの里はなかった。それぞれの集落に神和ぎさまがいた。もっと昔は、神和ぎさまなどいなかった。全ての千龍の民が自由に精霊と交流することができた。そう昔語りにはある。同じことだ、今現在も、千龍は変わり続ける」
初雪はそれには答えなかった。ただ、一つ大きなため息をつくと、夫を見つめた。
「まあ、そう気をもむな」
飛沫は笑顔になって言った。
「今日明日急に変わるわけでは無かろう?」
そう言うと、初雪に背を向けて、集落の奥へと戻って行く。その背を見送る初雪の瞳には、なお不安の影が宿っていた。
それから神和ぎ為りの儀までの三日間は山吹にとって楽しいものとなった。
門番は白点に乗った山吹を見ると、一言も言わぬうちに笑顔で砦の中へと案内してくれた。それはまるで山吹が訪れることを待っていたかのようだった。
山吹は神和ぎの儀の当日までの三日間をアユの里に帰ることなく、北の砦で過ごすこととなった。
「飛沫殿も山吹殿が北の砦で過ごされることは承知しておいでですよ」
と、イギョンは山吹に言った。どうやら、以前チェインがアユの里を訪れたおりに、里長である父との間にそういった約束をひそかにかわしていたらしい。
父も承知だと聞いて、山吹は安堵し、心置きなく北の砦で過ごすことを楽しんだ。
山吹は昼の間は白点と街道を駆けたり、男に混じって外仕事をすることを好んだ。そういう時は男物のイェンネンの衣を借りて身に着ける。
砦の男たちも、初めは遠慮していたが、コロコロと駆け回り元気な様子の山吹に次第に馴染んでいった。山吹も積極的に声をかけるようにしていたから、言葉の壁はもちろんあったのだが、次第に意思疎通ができるようになっていた。もともと、似た部分の多い言葉であることも幸いした。
千龍の民が小柄で幼く見えるという事も良い方に働いていた。男たちは、山吹を女性としてではなく、イェンネイと同じく、子どもとして可愛がった。
北の砦には、めずらしいものがたくさんある。食べ物ひとつとってもそうだし、文字を書く紙というものも千龍にはなかった。中でも山吹は、鉄でできたナイフに魅了された。
ナイフがあれば、木を思い通りに加工することができた。果物の皮をむくという事も簡単にできたし、狩の獲物の皮を剥ぐことだって素早くきれいにできるのだ。
昼の間は男たちと一緒に働き、夕刻になれば、イェンネイが女用の衣を綺麗に着付けてくれた。山吹のために、女物の美しい衣が用意されていたのだ。真っ白な腰までの深い打ち合わせの上衣に、ひざ丈のすそのしぼまった下履き。その上に透ける素材の色美しい巻きスカートを重ねる。柔らかなトノイ織に刺繍が施された、ため息の出るような美しい着物だった。そして、イェンネイに踊りを教えてもらった。
千龍の郷にも踊りはあったが、祭りに奉納するような素朴な踊りだ。イェンネイが手本となってみせてくれた踊りは、千龍のものとは根本的に違う。指先まで神経を張り巡らせ、美しく見せることを目的とした踊りを、山吹ははじめて舞った。
夜になればチェインの部屋と続きの間で眠る。
イェンネイがいつもは眠る場所だと知ると、山吹は申し訳なく思い、自分はみんなと雑魚寝で構わないと申し出たのだが、「山吹様を男衆と雑魚寝などさせることができるものですか!」と、子どもらしいイェンネイの甲高い声で思い切り叱られてしまった。
楽しい日々は瞬く間に過ぎていく。
北の砦で過ごす最後の夜になると、親しくなった砦の男たちが別れの宴を開いてくれる事となった。
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