第18話 彼女の笑顔が見たい誕生日③
寝室から出てきたティアラの姿を見た瞬間、俺もアレクも目を丸くしてしまった。
ティアラは俺達が今まで見たことのないワンピースを身に着けていたからだ。
胸の真ん中に赤の細いリボンが着いたそれは、ふんわりとした感じがティアラの雰囲気にぴったりだった。
「あの、これ、タニヤがプレゼントしてくれたの。に、似合うかな……?」
ワンピースの裾を指で摘み、少し照れながらティアラは俺達に聞く。
その格好と仕草だけでスープ三杯は余裕でいけます。昼間の白のローブ姿といい夜の方も益々捗りそうです。本当にありがとうございますッ。
――というセクハラ紛いのアホな感想を馬鹿正直に言うわけにもいかないので、俺は無難な言葉で済ますことにした。
「よく似合ってる」
「ええ。とても可愛らしいです、姫様」
「ありがとう」
俺とアレクの誉め言葉にティアラは少し頬を赤く染める。そのはにかんだ顔も可愛い。
寝室から出てきたタニヤが、そこで俺達にブイサインを作って見せた。
今回は良い仕事をしたなお前。
誉めてやりたい気分だったが、言葉に出したら調子に乗りそうなので黙っておく。
「では姫様。オレからもプレゼントです」
アレクはそう言うと、テーブルに置いてあった紙袋をティアラに渡した。アレクの奴、一体何をあげるのだろうか。
「わぁ。ありがとうアレク」
ティアラは嬉しそうに紙袋の中からプレゼントを取り出した。
と、俺はティアラが手にしたそれを見た瞬間、危うく鼻血を噴出してしまうところだった。
おい、ちょっと待てアレク! そ、それは……。
「し、下着? だよね……?」
ピンクの紐状の物体を持ちつつ、ティアラはやや自信なさげに呟いた。
そこで俺の目が気になったのか、ティアラは突然くるりと回り、俺に背を向けた。
ああ、そうしてもらえると助かる。
今俺の頭の中では、その危ない下着を身に着けたティアラが、挑発的なポーズを繰り返して俺を悩殺しようとしていたからな!
正直にぶっちゃけると俺の俺がクライマックスになりかけていたので、とりあえずさっき見た貴族のおっさんのハゲ頭を思い浮かべることに専念した。
こんなところで元気いっぱいになった愚息を見られるわけにはいかん。絶対に嫌われる。
静まれ煩悩。心に轟けおっさんのハゲ頭。世界はエロとハゲでできているっ! と、俺の頭の中がわけわからんことになったところで、ティアラが小さな声を発した。
「ア、アレク……。でも、これ、隠す部分が小さい気がするのだけど……」
「勝負下着ですから」
アレクは淡々とした声で言い切りやがった。
いや、はっきりと言えば許されるってものじゃねーだろ!?
「と、とにかくありがとう」
ティアラはその紐――もとい下着に目を落としながら、勝負って下着の限界に挑んでいるって意味なのかな……と呟いていた。どういう物なのかわかっていないらしい。
いや、ティアラ。そういう意味の勝負じゃねーから……。
心の中で彼女にツッコミを入れていると、タニヤとアレクが俺に視線を注いでいた。
次はお前の番だ、と。
よ、よし。いくぞ。
「あの、俺も……」
俺は緊張しながら懐から小さな紙袋を取り出す。
しかしずっと持ち歩いていたので『あなたの靴を温めておきました』と言わんばかりにホカホカ状態になってしまっていた。
冷静に考えたら、男の体温が感じられるプレゼントとか、ちょっと気持ち悪いかもしれない……。
さらに追い討ちをかけるように、紙袋にも小さな皺が幾つもできてしまっていた。
しまったあッ! 見た目がこんなにくたびれた感じになってしまうところまで想定していなかったあッ!?
い、いや。でもすぐに開封するから問題ないだろう、うんっ。
問題ないと思わせてくれ……。
ちょっと今、心が折れかけている。
だがティアラは俺に小さく微笑みながら、皺の入ったホカホカの紙袋を受け取ってくれた。
絶対に気付いているはずなのだが、何も言わないでいてくれるあたり、やはり彼女は優しい。
さて、果たしてティアラは中身を喜んでくれるのだろうか――。
期待と不安が交互に俺を襲う。
今まで経験したことのない早さで鼓動を打つ心臓に、思わず胸が苦しくなる。
「わぁ……。綺麗……」
二日振りに見る朱鮮石は、初めて目にした時と変わらぬ輝きを放っていた。
「マティウス、ありがとう。嬉しい」
「――――っ!」
彼女は満面の笑みで俺に礼を言う。
それは俺が待ち焦がれていた、眩しくて愛らしい笑顔。
そして今、この笑顔は俺だけに向けられている……。
嬉しくて嬉しくて仕方がないはずなのに、それ以上に胸がきゅっと締め付けられて苦しい。
俺は咄嗟に彼女から顔を逸らしてしまった。
顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
しかし逸らした視線の先には、タニヤの姿が。
今にも声を出して笑い出しそうなほどニヤニヤと俺を見ていたので、仕方なくティアラに視線を戻す。
ティアラは髪飾りを手にしたまま、上目遣いで俺を見ていた。
「あ、あのね……。早速付けてもらってもいい?」
そして遠慮がちにティアラは言う。
俺は彼女の言葉を理解するのに、軽く十秒は要した。
「付けて…………ってええええええっ!?」
俺が付けんの!? この髪飾りを!? 彼女のサラサラの髪の毛に触れつつ甘い匂いをくんかくんかと嗅ぎながら!? 俺が!?
「うん。あの、でも、嫌なら無理にとは――」
「いっ、嫌じゃなひっ!」
おい、何でこのタイミングで噛むかな俺!? むしろ今噛む要素なかったよな!?
「それじゃあ、お願いします」
ティアラは俺に髪飾りを渡すと、静かに目を閉じた。
……ヤバイ。何がヤバイのかって、俺の理性が吹っ飛びそうでヤバイ。
俺にはティアラのこの状態が、『目を閉じて恋人のキスを待っている可愛い彼女』にしか見えなかったのだ。
いっそのこと頬でもいいからいってしまうか?
そう、誕生日おめでとうと軽いノリでやってしまえば、きっと後腐れはないはずだ。
うん、行け。やってしまえ。勇気を出すのは今しかないぞ俺っ!
そう決心した俺は、彼女の顔の高さにまで腰を落とし――。
刹那、ティアラの頭上に現れた顔二つ。
半笑いを浮かべる侍女と、無表情な同僚。
表情こそ違ってはいたものの、二人の目は全く同じことを語っていた。
『変なことを考えていないでさっさと髪飾りを付けやがれ』と。
スミマセン……。
軽く咳払いをして気を取り直すと、俺は佇まいを正した。
恐る恐るティアラの髪に手を伸ばし、そして静かに髪を掻き分ける。
俺の硬い髪とは天と地とほども違う、さらさらとした心地よい手触りが指先を刺激し、思わず全身に電流が走った。
あっちの世界に逝きかけた意識を必死で取り戻し、俺は髪飾りを彼女の頭にもっていく。まるで花嫁のヴェールを静かに持ち上げる新郎の気分だ。
そう考えてしまった瞬間俺の頭いっぱいに広がるのは、ウエディングドレスに身を包んで極上の笑顔を俺に向けるティアラの姿。
これは今から教会に駆け込みなさいという神からのお告げか。いや、むしろ教会が来い! もうここを式場にしてしまおうっ。
「いたっ!」
「――――!?」
俺を妄想の世界から現実に引き戻したのは、ティアラの小さな悲鳴だった。
慌てて彼女に目をやると、そこには頭を押さえて涙目になっているティアラの姿が。
「マティウス君……。留め具の部分で姫様の頭を刺してどうするのよ。もっと気をつけなさいよ」
ティアラの頭を優しく撫でながら、タニヤがジト目で俺に文句を言う。
「ええっ!? ご、ごめん! でも別にわざとでは――」
「うん。わざとじゃないのはわかってるよ。マティウスは男の人だから髪飾りなんて付けたことないものね……。私が無理なお願いをしちゃって、ごめんね……」
ティアラがそう言っている間にタニヤが俺の手から髪飾りを奪い、実に慣れた手つきでパチン、とティアラの髪を留めた。
うがああああッッ! 何か盛大にやらかしてしまった感!
間違いなく今ので生まれかけていた何かが消滅した! 自分の妄想癖が恨めしい!
思わず頭を抱えて仰け反る俺に対し、ティアラが控え目に口を開く。
「どう、かな?」
照れ臭そうにそう聞いてくる彼女に、俺は直立不動を余儀なくされる。
また速度を上げた心臓の音が脳内に響く中、俺は改めて髪飾りを付けたティアラを見つめる。
部屋に入り込んでくる沈みかけた太陽の光に照らされ、朱鮮石がその名の通り鮮やかな光彩を放つ。
その色は、幼い頃に家の屋根によじ登った時に見た、燃え盛るような大きな夕日に似ていた。
柄にも無く郷愁を誘われてしまった俺は、気付いたら小さく呟いていた。
「綺麗だな」
俺が言った次の瞬間、ティアラの顔が瞬時に朱鮮石に負けない赤さになってしまった。
…………。
……あ、あの。
今のは髪飾りが綺麗だなという意味なわけで……。
でもそれを言ってしまうと『お前は綺麗じゃねぇよ』という意味にとられてしまう可能性が大だ! それはまずい!
違うんだ。ティアラは綺麗というより可愛いんだ。
些細なようで俺の中では大きく違うんだ! トカゲとワイバーンくらいに違うんだ!
この違いをどう伝えればいいんだ!?
いや、改めて『髪飾り付けたティアラ可愛いよ。ペロペロしたい』と言えばいいだけのことじゃねーか。
っていやいやいや! ペロペロはヤバイだろ俺! ドン引きどころの騒ぎじゃない!
動揺しすぎてまともな思考回路にならない俺。
アレクとタニヤに助け舟を出してもらえないかと視線を送ってみるが、二人ともあくまで傍観者に徹するつもりらしい。
ひらひらと手を振りながら「面白いからそのままで」と口だけを動かしてきやがった。
……お前ら、俺で面白がるのはやめろ。
結局この後俺は何も言うことができなかったのだが、ティアラにとって俺の『綺麗』発言は尾を引くものではなかったらしい。すぐにいつもの態度に戻ってしまった。
何かを少し期待していた俺だったが、そういえばティアラはかなり恥ずかしがり屋だった。
仮に俺じゃなくてアレクが同じことを言っていた場合も、彼女は真っ赤になっていただろう。
そういう結論に達した俺は、人知れず落ち込むのだった。
「うーん」
今日の仕事も無事に終え、部屋へと戻る
俺の隣を歩いていたタニヤが、何やら眉間に皺を寄せながら小さな唸り声をあげる。
ちなみにアレクの部屋は俺達の部屋とは反対方向にあるので、彼女とはティアラの部屋の前で早々に別れている。
「何を悩んでるんだ。便秘か?」
直後、俺の
「マティウス君、殴ってもいい?」
「きょ、強烈な一撃を腹に叩き込んだ後に言うな!」
完全に不意打ち状態でくらってしまったので、ちょっと涙目になってしまう。
くそ、こいつただの侍女のくせに意外といいパンチを持ってやがる……。
腹を押さえる俺の姿をどうでも良さそうな目で一
「あのね、姫様、髪飾りを君に付けてもらうように頼んだじゃない?」
「そうだな」
まぁ、俺のせいで失敗したわけだけど。
「普通、そういうの男に頼むかなぁと思って……」
タニヤの言葉に、俺の心臓を脈打つ速度が途端に跳ね上がる。
「え――。ど、どういう意味だ?」
「さぁねー? ま、姫様って誰にでも同じ態度で接するから考えすぎかもね。たまたま君が目の前にいたから頼んだってところでしょ」
……確かに俺もそう思う。
でももしかして、もしかすると――?
ありえないとわかっていても、生まれてしまった期待感はすぐに消えてくれるはずもなく。
部屋に戻る俺の足取りは、自然と軽快なものになっていたのだった。
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