第14.5話 侍女は見た


 タニヤには就寝前に鏡を見る習慣があった。

 風呂上がりで湿り気を帯びていた髪は、ようやく水分が抜け切ったと言えるまでに乾いた。

 左右逆の自分の姿を見ながら、タニヤは櫛で長い金の髪をく。


 こうやって寝る前に念入りに手入れをしているのに、起きた時には荒らされた鳥の巣のようになってしまう。

 だからと言って手入れを怠ったら、さらに翌朝は大惨事だ。


 原因は彼女の寝相の悪さにあるのだが、気をつけようにも寝ている時のことなのでどうしようもない。

 何とか良い方法はないかと考えながら一通り櫛で髪を撫でたところで、彼女の部屋を異変が襲った。


 ずんっ――。


 それは、下から突き上がるような縦揺れの地震。……だとタニヤは思ったのだが、一定の間隔を開けてまた同じような衝撃が彼女の部屋を襲う。


「なに、これ?」


 その独り言に返事がくることは当然なく――。

 タニヤは衝撃にふら付きながらも鏡の前から離れると、自身が仕える小柄な少女の身を案じ、彼女の部屋を目指した。






 ティアラの部屋の扉を開けようとした瞬間、タニヤは喉まで出かかった悲鳴を呑み込んだ。

 いきなり部屋の扉が勢い良く開き、中から見慣れた顔ぶれが飛び出してきたからだ。


「えっ。どこかへ行くの?」

「とりあえず屋上へ行く! 説明は後だ!」


 早口でそう告げるマティウスに少し圧倒されたタニヤは、そのまま黙って三人の後に着いて行く。


 自分ではかなり早くティアラの部屋に来たつもりだったのだが、それよりもずっと早くマティウスとアレクは彼女の元へとやって来ていたようだ。

 その点はやはり護衛なんだよな、と妙に納得をしながら、タニヤは裾の長い寝巻きをたくし上げつつ、三人の後に続いて屋上へ向かって走る。






 屋上の光景にタニヤは思わず息を呑んだ。

 武器を手に集まった大勢の兵士。

 そして城の北側からこちらに向かってやって来るのは、巨大なネコ――。


 タニヤはティアラがマー君を胸に抱いたままだった理由を、ようやく悟った。

 おそらく今からマー君をあの巨大なネコに返すのだろう。もしかしてあれが親なのだろうか。


 城の屋上まで近付いた巨大ネコに向かって、ティアラが話し掛ける。


「あの、あなたが探している子供は、ここにいます」


 しかし次の瞬間、ティアラの姿は巨大ネコの口の中へあっという間に消えてしまった。


 あまりにも衝撃的なその光景は、タニヤから足の感覚を奪い去る。

 屋上の床にへたり込んだタニヤの横では、殺気を放つマティウスが剣の柄に手を掛けていた。


「落ち着け。姫様は子供を抱いていた。ランドルブルムムルブキャットは子供を姫様ごと『保護』しただけだ」


 冷静なアレクの一言に安堵する二人。

 しかし巨大ネコはティアラを口に入れたまま、体の向きを百八十度回転させる。


 このままではティアラが――。


 しかしそうはわかっていながらも、誰も動くことができない。


 何か方法はないのか――。

 しかしタニヤには奥歯を強く噛み締めることしかできないでいた。


 と次の瞬間、絶叫しながら巨大ネコへと飛んで行く一人の護衛。

 横を見ると、アレクが『何かを投てきしたポーズ』のまま巨大ネコを凝視していたので、タニヤは何が起こったのかすぐさま理解した。


「マティウス君を投げるなんて、相変わらず凄い力ねぇ……」


 誰に聞かせるでもないそのタニヤの言葉は、生温かい夜風がさらっていく。

 そんなタニヤに振り返り、アレクはあるお願いを淡々と告げた。


「タニヤ、頼みがある。後でオレの槍を拾っておいてくれないか?」

「へ? 槍?」


 拾うも何も、アレクのその手の中に槍は納まっている。

 さっぱり意味がわからないと首を捻っている間に、アレクは屋上の隅の方まで行き、何やら大きく深呼吸。


 次の瞬間、槍を持ったまま全速力で走り出す。

 そして屋上の端に槍の柄の部分を引っ掛け、走り棒高跳びの要領で彼女は体を空に投げた。


 まさか――とタニヤが思った時には、アレクはもう巨大ネコの背の上に着地していた。


「うっそぉ……」


 思わず声を洩らすタニヤ。周りの兵士にいたっては、声も出せずにただ目を点にしているばかりだ。


 巨大ネコの白い尻尾を眺めながら、そういえばマー君をブラディアル国へ連れて行ってもらうように頼んだ兵士に、行かなくても良くなったと伝えて先払いした報酬も返してもらわなきゃ……。


 とタニヤは「槍を拾ってくれ」というアレクの言葉を忘れ、真っ先にそんなことを考えていたのだった。

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