第5話 俺の同僚が完璧でツライ②

 俺は自分の部屋の床に正座させられていた。

 そして部屋の主である俺を差し置いてベッドに脚を組んで腰掛けているのは、タニヤだった。


 何でこんな状況になっているのか、自分でもよくわからん。


 今日の護衛の任務を終え部屋に戻った直後、いきなりタニヤが俺の脇をすり抜け、勝手に侵入してきたのだ。

 そして開口一番「はいそこに座る。正座」と命令してきやがったのだ。


 当然抗議したのだが、彼女のやけに冷めた目線に従わらずをえなかった。


「さて、マティウス君」

「な、なんだよ……」

「強力なライバルが出現したわね」


 彼女の言葉に、俺は思わず口の中の水分を噴出してしまうところだった。


「な、な、な――!?」

「何で私が君の気持ちを知っているのかって? そりゃこの一ヶ月、あんだけ熱い視線を姫様に注ぎ続けてんだからわかるわよ」


「……マジで? 俺、そんなに見てた?」

「うん。凄くわかりやすかった。ばれたくなかったのならもっと上手にやんなさいよねー。見ているこっちが恥ずかしいわよ。もっとも、姫様は全然気付いていないみたいだけど」


 タニヤのそのセリフに、俺の心に小さな棘が刺さる。


 薄々気付いてはいたが、ティアラは自分に向けられる色恋の感情に疎いタイプなわけか。


「姫様って身分なんて関係なく優しく接してくださるもんねぇ。それに仕草もいちいち可愛いらしいし。マティウス君あれでしょ? 二日目のアレで姫様に惚れたクチでしょ? 『お友達になったから敬語は禁止』だったっけ?」


 え、いきなり何、この尋問?

 そもそも何で今、俺の繊細な気持ちが公開処刑されてんの?


 正直に白状すると俺、これが初恋だから。十七にしてやっと訪れた初恋だから!

 できれば他人に踏み込まねーで欲しいんだけど!


 露骨に嫌な表情をする俺を見たタニヤが、そこで腕を組んだ。


「まぁまぁ、そんなに警戒しないでよ。ただね私、アレク君を初めて見た時の姫様の反応がちょっと気になっているのよねぇ」


「何か変だったか?」


「私もう三年ほど姫様の侍女をやっているのだけど、今まであんなふうに『カッコイイ』とか、初対面の男の人の容姿について声を洩らしたことなんて、一度もなかったのよ」


 確かにティアラの控え目な性格からして、それは大いに引っ掛かる事案ではある。

 いや、もの凄く気になる。

 それって、ひょっとして――。


「つまり、ティアラはアレクに……ひ、一目惚れしてしまった、と?」


 俺は自分が吐いたセリフに自分で打ちのめされていた。

 目の前が真っ暗だ。

 遅咲きだった俺の初恋だが、終わるのは早かったな……。ちくしょう……。


「そう断定してしまうのは尚早だと思うけど。でも可能性が高いことは間違いないわね」


 何だこの心臓を爪で摘まれた感じ。心がめっちゃ痛い。

 え、失恋ってこんなに苦しいものだったのか?

 ちょっと俺、マジで泣きそうなんだけど。


 しかも、明日からも彼女の護衛をしないといけねーのに。彼女の恋する顔を見ながら過ごすなんて何て拷問だよ。


 ……どうしよう。無理だろうけど、配属先を変えてもらうように掛け合うべきだろうか。


「そう落ち込むのはまだ早いわよ。これからマティウス君の良いところを姫様にアピールして、挽回を目指ざすのよ」

「いや、でも――」


「ええ、あなたの言いたいことはよくわかるわ。アレク君は容姿端麗。言葉使いも丁寧だし、無表情なところもミステリアスな雰囲気という意味で二重丸。はっきり言って今のままでは、マティウス君にさっぱり勝ち目はないものね!」


「そんなにはっきりキッパリと言うなや!」


 この金髪侍女絶対Sだろ!? 絶対俺を苛めて楽しんでいるだろ!?

 何だか傷口に塩を塗りたくられた気分だ。

 ちなみに今、俺の目の端に浮かんでいる水はただの汗だからな!


「そこでこの作戦よ!」


 俺の態度など一顧だにせず、タニヤは興奮しながらエプロンのポケットから一枚の紙を取り出した。


 それは、金額だけが書かれた一枚の領収書だった。意味がわからない。


「……何だこれ?」

「見ての通り領収書。昨日ね、私姫様に姿見を買ってくるようにとお使いを頼まれたの」


「それがどうしたってんだ」

「その姿見かなり大きい物だから、明日の朝一で城門まで運んでもらう手配にしてもらっているの」


「つまり、俺がその大きな鏡を軽々と運ぶ姿をティアラに見せるってことか?」

「甘い、甘いわマティウス君。砂糖を十杯入れた紅茶よりも甘いわ! それだけで乙女の心は簡単に動くものではないわよ!」


 十杯も紅茶に砂糖を入れたら溶けないんじゃね? と変なところに心の中でツッコミつつ、じゃあどうするんだよ、と俺はタニヤの言葉を待つ。


「実は姫様、かなり前に模様替えしたいなぁ、って仰られていたの」

「……なるほど。そのでかい鏡を搬入するついでに、俺が部屋の模様替えをティアラに提案して、活躍すれば良いんだな?」


「正解! なかなか察しが良いわね。見た感じアレク君てかなり華奢だったから、力仕事はあまり得意でなさそうだしね。その点、君なら大丈夫でしょ?」

「おう、任せとけ」


 俺は軽く拳を握ってタニヤに答える。


「で、まずマティウス君が、姫様のことをよく理解しているんだぞといった態度で、部屋の模様替えを提案。最初は姫様も遠慮するでしょうが、そこは強引に押し切るのよ。そしてここぞとばかりに八面六臂ろっぴの大活躍を見せれば、きっと姫様は君のことを見直すだろうし、君は姫様の笑顔を見ることができて心もハッピー薔薇色でしょうし、私は運ばなくてラクできるし、まさに良いこと尽くめ! ってなものよ」


 何だか最後のセリフが少し気になったが、それはひとまず置いといて。


「一つ聞きたい。何でお前はそんなに俺に協力的なんだ?」

「えっ!?」


 俺が質問した途端、タニヤの目が不自然なほど泳ぐ。


 ……怪しい。


 しばらく視点の定まらなかったタニヤだが、突然真っ直ぐと俺を見据えてビシッ! と指を一本突き出した。


「だ、だって、三角関係の人間模様を毎日観察できる、絶好のチャンスなんだもの! こんな面白そうなことをほっといておけるわけないでしょ!」


「…………」


「…………あ。しまった……」


 タニヤは額から一筋の汗を垂らすが、すぐさま満面の笑顔を作り直して続けた。


「私毎日マティウス君を見てて、甘酸っぱい思いをしている君をつい応援したくなっちゃったの☆」

「今さら遅ぇよ!」


 とりあえず今こいつは、本音と建前を間違えて俺に告げた、というのはよおぉくわかった。


 正座で少し痺れた足を引き摺りつつ、俺はペキペキと指の関節を鳴らしながらタニヤへと近付くのだった。




 上手くいったら飯を奢ってもらうという条件で、とりあえずタニヤのその件については手打ちにしてやった。

 俺の心の広さに感謝しろ。





 翌朝、俺はいつもより早くティアラの部屋に向かい、朝から体を動かしていた。


「えっと……この辺か?」

「もうちょっと左、かな? あ、そう。その辺でいいよ」


「よし。それじゃあ、ゆっくり動かすからな? 無理そうならすぐ言ってくれ」

「う、うん。わかった」


「いくぞっ」

「――ふ……んっ!」


「お、おい、大丈夫か? やっぱり俺一人で動かすから」

「ご、ごめんね……。私、役に立たなくて」

「そんなこと気にしなくていいって。俺が言い出したことだし」


 今の会話で、いかがわしい行為を想像した奴は猛省しろ。

 これは至って健全な部屋の模様替えの光景だ。

 ちなみに今、壁際中央に置いてあったクローゼットを、端に移動させたところだった。


 朝一番に城門前まで鏡を受け取りに行った俺は、その足でティアラの部屋に向かったのだ。

 そして「この機会に部屋の模様替えをしてみるか?」と提案したところ、二つ返事でティアラは頷いたのだった。


 今のであらかた済んだのだが、まだ寝室のベッドが残っている。天蓋付きなのでかなり重そうだが、ここが俺の男の見せどころだと気合いを入れる。


 ちなみに彼女のリクエストは、ベッドの向きを九十度変えたい、というものなのでたぶん一人でも何とかなるだろう。


 心の中で次の行動を決めた時、ノックの音が二回響いた。

 ……ちっ。思ったより来るのが早かったな。まぁいい。


「アレク。おはよう」

「おはようございます。……模様替えですか?」

「うん。昨日と大分雰囲気変わったでしょ? ほとんどマティウスがやってくれたの」


 えへへー、と破顔するティアラを見て、俺の意識は思わず天に昇ってしまいそうになる。


 ――が、俺がガキの時に老衰で逝った曾爺さんが真剣な顔で手招きをしていたので、俺は慌てて意識を回れ右させた。ふぅ、危ない危ない。


「後はこのベッドで終わりなの」

「そうですか。ではこれはオレに任せてください」


 いや、俺がやるからお前は見とけ、とアレクに言おうとした次の瞬間――。

 アレクはベッドの脚の部分を片手で握ると、そのままいとも簡単にひょいっ、と持ち上げた。

 ――――え゛?


「それで、このベッドはどこに置けばよろしいのですか?」

「あ……? あの……。あっ、頭を窓の方向に向けた状態にしてもらえれば……」

「了解致しました」


 アレクは無表情のまま答えると、手首をくりん、と捻ってベッドの向きを変え、静かに絨毯の上に着地させた。

 …………重力って、何だっけ?


「アレクって、凄く力持ちなんだね……」


 ティアラが放心しながら呟いた言葉に、同じく放心していた俺もハッと我に返る。


 力持ちなんて生易しいもんじゃない。

 なんつー馬鹿力してんだよこいつ!? ちょっと反則じゃないですかねぇ!?


「お前……槍使いじゃないのか? 何でそんな力――」


「あぁ。オレはそう術も使うが、本当に得意なのは接近戦なんだ。リーチが長い槍を使っていると、大抵の奴は槍がオレの手から離れた瞬間、チャンスとばかりにふところに飛び込んでくるからな。そこを体術で叩くのがオレの戦い方だ」


 無表情のまま淡々と説明するアレクに、俺は再び呆然とする。


 容姿端麗。品性のある態度。ミステリアスな無表情。その上力も俺よりあるなんて――。

 完敗だ。俺がこいつに勝っている要素が何一つない。


 ん? 背の高さ?

 自分に木偶でくの坊の烙印を押したくねーから忘れてくれ……。


 俺はふらふらとよろめきながらアレクに近寄ると、彼だけに聞こえる声で囁いた。


「アレク。ティアラのこと、よろしく頼む……」


 彼女が必要としているのがこいつなら、俺はその心を応援する。ティアラの幸せな顔が毎日見れるんだ。そう思えば苦しくなんてない。そう、苦しくなんて……。


 …………。

 やっぱり苦しいいぃぃ! 胸が痛いいぃぃ!

 初恋って実らないって聞いたことあるけどそれを自分で実証したくなんてなかったぁっ! ぐおああぁぁ!


「――? よくわからんがわかった」


 苦悶で歪みそうになる顔を必死で堪える俺。

 そんな俺を不審な目で見つつも、アレクは淡々とそう答えたのだった。

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