最終話 俺と彼女の、それから――


 鏡に映る仏頂面ぶっちょうづらの男の硬い髪を、俺は指先で無意味にいじり続けていた。


「そろそろやめれば? そんなに鏡ばかり見ても顔は変わらないわよ」

「顔のことは言うなっ! 少しでも見目良くしたいという男心をちょっとは理解しやがれ!」


 後ろから呆れたように声をかけてきたタニヤに、俺は思わず拳を握りながら振り返る。


「あら、知らなかった。君にもそんな心があったのね?」

「…………」


 相変わらずこの侍女は、人の神経を逆撫でさせるのが上手いな……。


 俺がこめかみに血管を浮き上がらせていると、タニヤは俺の全身に上から下まで視線を這わせ、しみじみと呟いた。


「馬子にも衣装って言葉はあるけれど。それにしても似合わないわねぇ……」

「それは自分でもよーくわかっているから、もう黙っててくれ!」


 俺は再度抗議の声を上げると、また鏡に向き直った。

 ただし、もう手はライトグリーンの髪には伸びない。

 替わりに俺の目は、自分の身を包む衣装に向いていた。


 自分でもこの格好は、絶望的に似合っていないと思う……。


 白を基調とした上質な生地の服には、金の刺繍が折り込められている。

 そしてその上に被さるのは、鮮やかな赤いマント――。

 胸や腰回りにはじゃらじゃらした鎖や紐がたくさんくっ付いていて、かなり鬱陶しい。


 だがこれを脱ぐわけにはいかなかった。

 いくら俺に似合っていなくても、これは大事な正装なのだから。






 俺達が結婚式に乱入したあの日から、既に三ヶ月が経過していた。


 その三ヶ月の間何をしていたのかというと、ティアラはアクアラルーン国との対話、俺達は大聖堂の修繕だ。

 特に俺とアレクは大聖堂を壊した張本人ということで、ただ黙々と修繕の手伝いをしたのだった。


 厳密に言えば壊したのはアレクだけなんだが、そこはまぁ、俺も当事者なので文句は言えない。

 むしろこの程度の罰で済ませてくれた陛下に深く感謝だ。

 そしてその大聖堂の修繕も、やっとつい先日終えたところだった。


 さらに俺はタニヤと他の侍女達から、王族流礼儀作法も徹底的に叩き込まれるという日々も送っていた。


 しかしそこはやはり俺。

 まどろっこしい作法なんてものは、右耳から左耳へと華麗に抜けていった。

 しかし挨拶の仕方くらいは、何とか頭の隅に引っ掛かっている。


 いざとなったら「ティアラの横で喋らずに相手の言葉に頷き続ければ良い」という裏技的なモノも聞いたことだし、まぁ何とかなるだろ。


 ティアラの方も先方と上手く話がまとまったらしい。

 以前レイクビーチでティアラに危険な目に遭わせてしまったから、という理由をつけて、アクアラルーン国は今回の婚約破棄にもしたる要求はしてこなかったようだ。


 遥か昔、俺達の国の『光の女神』とアクアラルーン国の『水の女神』が手を結び、他国の女神達と戦ったと言われている。

 二つの国の親交はそこから始まっている。


 何百年も続けてきた関係を簡単に切るつもりはないのだろうと、頭の悪い俺でもあちらさんの考えていることは何となくわかった。


 そんな話し合いをしている間にティアラの髪も伸び、俺が長い間見慣れたセミロングの長さに戻っていたのだった。


 そしてようやく、今日が晴れて俺達の――。


 俺がこの日をどんなに待ちわびていたのかは、筆舌に尽くし難いものがある。

 それだけに、身嗜み一つ気を抜くことなどできなかったのだ。

 まぁ、似合う似合わないは別として。


 俺はアクアラルーン国から友好の証として贈られた『刃の女神』の祝福を得たという模造刀を腰に差す。

 これで一先ひとまず準備は整った。


「タニヤ。今何時だ?」

「九時半ね。あと三十分か。もうちょっと余裕あるし、今の内にリラックスしときなさいよ」


「それもそうだな……」


 どうせ式が始まったら嫌でも緊張するだろうし。

 俺はタニヤの横に置かれてあった丸椅子に腰掛けた。


 ちなみになぜタニヤが新郎の控え室に来ているのかというと、ティアラには既にたくさんの侍女がついていて仕事を奪われたから、だそうだ。


 真偽は定かではないが、俺の身嗜みを整えた奴らは仕事が終わるとそそくさと退散しやがったので、話し相手が欲しかった俺には都合が良かった。

 一人だと部屋の中を無駄にウロウロとしていたことだろう。


 それにしても皆に両手を上げて祝福される立場ではないとわかってはいるのだが、こうもあからさまだとさすがに俺もちょっとへこむ。


 ……いや。そんなことをいちいち気にしていたら、この先やっていけないよな。

 俺にはティアラがいる。それで充分だ。


「婿養子とはいえ、一応君も今日から王子様になるわけよね。……王子様とか」


 そこで俺を再度上から下まで一べつし、プッと嘲笑するタニヤ。


「変な笑い方をするな。俺だってその肩書きは嫌だっつーの……」


 平凡な容姿に残念な頭。

 俺がオウジサマなんて柄じゃないのは、何より自分が一番良くわかっている。

 でも彼女の夫になるのだから、こればかりは仕方がない……。


 ちなみに、陛下はまだまだ現役を退く予定はないらしい。

 いや、陛下が退位したとしても、俺は絶対に王にはなりませんけど。ティアラに任せちゃいますけど。


 何の知識も無い俺が王にでもなろうもんなら、間違いなくこの国は滅びる、うん。


 でもただのヒモでいるのもさすがにちょっとどうかと思うから、俺にできることなら何でもやる所存でございます。

 重い書類を運ぶのは俺に任せろ! な勢いでゴザイマス。

 護衛も俺には必要ないから、その分の人件費は浮くよ! と密かに主張もしてみたいと思いマス。


 それにしてもこの国の王位継承権が男優先でなかったことに、今ほど深く感謝したことはなかったり。


 城下町では逆玉の輿を果たした俺の話で、かなり盛り上がっているらしい。

 注目をされるのが得意ではない俺としては、かなり複雑な気分だ。


 でも、どこの馬の骨ともわからん奴がいきなり王族の結婚式に乱入した挙句、王子様になっちゃうんだもんな。

 話のネタとしては事欠かないだろう。


 だがそれが一時的なものではなく、未来永劫語り継がれるのかと思うと、かなり背中がムズムズするけれど……。


 タニヤは俺から視線を外すと、小さく天を仰ぐ。

 彼女は、どこか遠くを見ているような目をしていた。


「それにしても、色々あったわよね……」

「……そうだな」


 タニヤの言う『色々』がこの三ヶ月のことなのか、それとも俺達が出会ってからのことなのかはわからなかったが、俺はとりあえず頷いた。


 本当に、色々あった。

 だがそれらの日々が全て愛おしく感じてしまうほど、充実していた。


 何だかんだ言って、ティアラ以外で俺のことを深く理解してくれた人間は、こいつが初めてなんだよな……。


 ティアラに抱く感情とはまた別のモノだが、タニヤも、そしてアレクも、俺にとって既に大事な人間になっていた。


 こういう関係のことを、友達と言うのだろうか。

 こいつらに言ったら絶対に笑われるだろうから、口には出さないけど……。


 そんな恥ずかしいことを考えていると、突然そこで控え室の扉が乱暴に開かれた。

 そして間もなくアレクが血相を変えて中に入ってくる。


「何をのんびりとしているんだ!?」

「え? いや、だってまだ時間はあるし……」

「もう時間だぞ!?」


 アレクの言葉に、俺の全身から瞬時に血の気が引いていくのがわかった。


 視線はアレクに固定したまま、俺は震える声で再度タニヤに問う。


「タニヤ……。今何時だ?」

「九時半ね……」


「何だかさっきも同じ時間を聞いた気がするんだが、気のせいか?」

「気のせいじゃないわね……」


 俺は全身をガクガクと震えさせながら、控え室に備えられた大きな振り子時計を見る。


 時計の針は確かに九時半を示していた。

 示してはいたのだが――。


 よく見たら振り子が動いていない。

 それはもう、ピクリとも。


「マジかああああああぁぁッ!?」


 気付いたら俺は頭を抱えて涙目で絶叫していた。


 いやいやいや、そりゃ動く物はいずれ止まる運命にあるってことはよくわかっているけどさ。

 でもわざわざ今日を選ばなくても!

 俺とティアラの一生で大事な日の、この瞬間を選んで止まらなくてもおおぉぉッ!?


「とにかく皆が待っている。急ぐぞ」


 アレクはそう言うと、頭を抱える俺と白くなっていたタニヤをそれぞれ両脇に抱え、もの凄い早さで控え室を飛び出した。


 人生の晴れの日に、しかも正装でアレクに荷物のように抱えられる俺って一体……。






 大聖堂の扉の前まで着くと、アレクはそこでタニヤだけを下に降ろした。


 え? 俺は? と問う前に、アレクは淡々とした口調で俺に告げる。


「姫様をこれ以上お待たせするわけにもいかないからな。最短最速で送ってやる」


 アレクは大聖堂の扉を開けた瞬間、おもいっきり振りかぶって投げました!

 何をって!? もちろん俺!


「投げるなああああぁぁッ!?」


 絶叫しながら大聖堂の中を飛ぶ俺に、来賓見物人、その他諸々の視線が一斉に注がれる。

 その視線の雨を浴びながら、俺は純白のドレスを着た愛しい彼女の前で見事に着地した。


 ナイスコントロールだ、アレク……。


「お待たせ……」


 俺は顔を引きらせながらも、目を丸くしていた彼女に努めて普通に声をかける。


「もう、本当に遅いよマティウス」

「ごめん……」


 言葉とは裏腹に、彼女の表情は穏やかだった。

 そして彼女は笑顔を俺に向ける。


 俺が彼女に惚れたあの日のような、可愛らしくて優しい笑顔を――。



     END


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