第53話 王女と護衛×2と侍女の日常②

 大聖堂の前の植木に身を隠し、俺は入り口の様子を伺っていた。


 扉の前には、茶髪の見張りの男が一人突っ立っているだけだった。

 俺と同年代らしきその男は中の様子が気になるらしく、中から洩れてくる音に時おりチラチラと視線を後ろに送る(見えるわけでもないのに)。


 その後ろを向いた瞬間を見逃さず、俺は姿勢を低くしたまま茂みから飛び出すと男に素早く駆け寄り、肘で思いっきり男の鳩尾みぞおちを突いた。


「がっ――!?」


 痛みで思わずうずくまる男の首に、さらに手刀を一発。

 男はそのまま声もなく地に崩れ落ちた。


 悪いな……。

 あんたに恨みはないが、俺の幸せピラミッドの最下層になってもらう。


 完全に伸びた男を見下ろし心の中でそう呟いた俺は、大聖堂の荘厳な扉に手をかける。


 次の瞬間全てをぶち壊す勢いで、俺は乱暴にその扉を押し開けた。


 式を見守っていた全ての人間の視線が、一斉に俺へと注がれる。

 驚愕と好奇と少しばかりの畏怖いふの混じったそれらの視線は、俺の足を一瞬だけ地に縫い付けた。

 その一瞬で、俺は大聖堂内全体の様子を把握する。


 絶対に届かないのに、思わず手を伸ばしてしまいそうになる高い天井。

 色とりどりのステンドグラスが、日の光を浴びて鮮やかな影を床に落としている。

 真正面にそびえ立つのは、三人の大きな白い女神像。


 その下には、向かい合う一組の男女と老年の神父が佇んでいた。


 純白のドレスを着たティアラは、三人の女神像にも負けない可憐で神々しい雰囲気をまとっていた。


 俺の姿を認識した彼女は目を大きく見開き、石のように固まってしまっている。

 ちなみに隣の王子は俺の視界から強制排除。


 ――というのはさすがに可哀相なので一言だけ。

 以前レイクビーチのホテルで会った兄同様の、金髪碧眼の絵に描いたような美男子だチクショウめ。イケメン滅びろ。


 ……うん。王子はともかく、やっぱりティアラは可愛い。

 そして今日はそれに加え、綺麗だ。


「な、何だお前は!?」

「わきまえよ! 今ここで神聖な――」


「あーもう。結婚式の最中に男が乗り込む理由なんて、太古より一つしかねぇだろうが。いちいち説明させんなよ」


 俺は慌てて駆け寄って来た警備の男二人に、頭を掻きながらぶっきらぼうに言い放つ。


 いや、だってほら、やっぱり恥ずかしいじゃん……。

 だがこんな乱入をしておいて、今さら照れている場合ではない。


「てなわけで……」


 俺は腰にぶら下げた剣の柄を握り締め、そして――。


「花嫁を頂きますッ!」


 一気に剣を鞘から引き抜き、その勢いのまま横に薙ぐ。

 途端、観衆から大きな悲鳴が上がった。


 もちろん本当に斬りかかるつもりはない。これは脅しだ。


 いきなり抜刀した俺に警備の男達はおののき、少し後ろに下がる。

 それを見計らい、すかさず俺は姿勢を低くすると男達に足払いをかけた。


 次々とバランスを崩し、床に転がる二人。

 俺はその上を軽く飛び越えて、バージンロードを駆け抜ける。


 しかしすぐさま俺の前に立ちはだかる、別の警備隊の男達。

 その数ざっと十人前後か?


 俺が剣を抜いたことで遠慮は無用という考えに至ったのか、レイピア、斧、槍、鈍器とそれぞれの得物を振りかざしては次々に俺に襲いくる。

 しかし広い場所とは言えないせいか彼らの動きは酷く雑で、それらの攻撃を見切るのは容易たやすかった。


 容易かったのだが――。


 いかんせん男達の数が多く、俺は前に進むことができないでいた。


 くそっ、さすがにこの人数は鬱陶しい。波状攻撃がうざすぎる!


 チッと小さく舌打ちしたその時――。


 突如、耳をつんざく轟音が大聖堂に響き渡る。

 その音は広い大聖堂の中にしばらくの間反響し続けた。


 え――? な、何だ!?


 俺を含め、皆その大音響に目を丸くするばかり。

 視線を音の方角へとやれば、大聖堂の一角の壁が綺麗にぶち抜かれていた。

 そしてその穴の中から姿を現したのは、何とタニヤとアレクだった。


 アレクは右手に槍を持ち、タニヤを肩車で担いだ状態で堂々と中に歩いてくる。

 もしかしなくても、アレクの馬鹿力で壁に穴を開けたみたいだ……。


 ていうかお前ら……。

 別ルートっていうか、無理やり別ルートを作ってんじゃんかそれ!?


 たちまち彼女らも警備隊の連中に取り囲まれてしまった。


 いや、そらあんなド派手に登場したら当然そうなるだろうよ。

 何やってんだよもう……。


 思わずひたいに手を当てたくなった俺だったが、アレクの上に乗ったタニヤが、何やら香水の瓶のような物を持っていることに気付いた。


 タニヤはニマリと不吉な笑みを浮かべると、近くに居た警備隊の連中に向けていきなりその中身を噴出する。

 途端、その男達の頭から次々に、ぴょこん! と茶色のネコ耳が生えてきた。


「おおおおおお!? にゃ、にゃんだこれー!?」


 突然訪れた体の異変に、頭に手を当てて錯乱し始める警備隊の男達。


 あれはもしかしなくても、いつぞやのネコ化薬――!? 


 タニヤはにこにこと笑顔のままネコ化薬を警備隊の連中に噴出させ続け、仕舞いには一般客にまで薬を撒き散らし始めやがった。


「あ、頭からネコ耳がー!?」

「尻尾も生えてきたぞ!? どうにゃってるんだよこれ!?」

「ああああ!? 私の妻にもネコ耳が!?」

「ママー。それかわいいー!」


 大聖堂の中は、ネコ耳と尻尾の生えた人間がにゃんにゃん喚き出して、たちまち大混乱だ。


 えーと……。

 いや、カオスすぎんだろこの状況……。

 何なのこのにゃんにゃんパラダイス……。


 と目を点にして呆けている場合ではない。

 一見喜劇にしか見えないこの状況だが、タニヤなりに俺に活路を開けてくれたんだろう。

 この混乱を利用して進め、と。


 俺はネコ耳と尻尾が生えてうろたえまくっている警備隊の連中の横を走りぬけ、今度こそティアラの元へと一直線に――。


 しかし、またしても俺の前に立ち塞がる大きな影。

 それは俺の替わりにティアラの護衛になった、藍髪のあの男だった。


 にび色に輝くショルダーガードどプレートアーマーといういでたちは、いかにも剣士です、という雰囲気だ。

 ちなみに名前はやっぱり思い出せない。


「なるほど。お前が……。お前の気持ちはわからんでもないが、立場上このまま素直に姫様の所まで行かせるわけにもいかないのでね……」


 護衛の男は苦笑しながらロングソードを鞘から抜くと、俺に向けて身構えた。

 俺も片手にぶら下げたままだった抜き身の刀身を持ち直し、その護衛に向ける。


「お、お願い! 二人ともやめて!」


 俺達を止めようとティアラが叫ぶ。

 しかし皮肉にも、それが始まりの合図となってしまった。


 互いに同時に地を蹴り、一気に間合いを詰める。

 直後、刀身と刀身がぶつかり、甲高い音が響く。


 しばらくつば迫り合いを続ける俺達。

 力は若干俺の方が上か。

 徐々に刀身が男の方へと近付いていく。


 しかし次の瞬間俺は剣に込めていた力を抜き、大きく横に跳んだ。

 直後、護衛の男が「ぐあっ!?」と呻き声を上げ後ろにけ反る。


 俺の横から奇襲をかけようとしていた別の警備隊の男、そいつが振り抜いた拳が、護衛の男に当たったのだ。

 奇襲男の姿を密かに横目で確認していた上での行動だったのだが、上手く利用できたみたいだ。


 俺はすぐさま体勢を整え、今度はその奇襲男に向き直る。


 しかし直後、脇腹に鈍い衝撃が――。


 痛みが脳に伝達するより早く、既に俺の身体は吹っ飛んでいた。


 受身を取る余裕もなく、白い壁に叩きつけられる俺の全身。

 脳が揺さぶられたらしく、視界がぶれて定まらない。

 さらに遅れてやってきた痛みが身体の動きを制限し、すぐさま立ち上がれなかった。


 どうやら俺が認識していなかった別の奴に、横から思いっきり蹴り抜かれたらしい。


 ちっ……。さすがに多勢に無勢か――。


 だがここで諦めるわけにはいかない。

 俺はフラフラとよろめきながらも剣を杖代わりに立ち上がり――。


 刹那、俺の前に白い影がふわりと飛び込んできた。


 ぶれていた視界が徐々に元に戻る。

 目に映しだされたのは、警備の男達から俺を庇うように、両手を広げたティアラが俺に背を向けて立っている光景。


 ……くそ。情けない。


「お願い。もうやめて!」


 悲痛な声で彼女は叫ぶ。

 俺に追撃をしようとしていた警備隊の男達は、ティアラの叫びにピタリと動きを止めた。


「もう……こんな――」

「ティアラ」


 彼女の名を呼ぶ低い声に、ビクリとティアラの肩が震える。


 痛々しいほどに、周囲の空気が凪いだ。


 威厳あるその低音は、俺も数えるほどしか聞いたことがない。

 だがその数少ない記憶を瞬時に呼び起こされるほどの、印象的な声。


 声の主はこの国の現王であり、そして彼女の父親でもある、エサイアス・F・アルゲド――。


「お父様……」


 陛下は無言のままティアラへと静かに近付く。

 表情のないその顔からは、感情を読み取ることができなかった。

 髪と同色の銀の顎髭が、さらに表情を覆い隠しているようにも見える。


 陛下は怒りに打ち震えているのだろうか、はたまたあきれ果てているのだろうか、それとも――。


 ティアラの顔が下を向く。

 彼女の小さな身体は小刻みに震えていた。

 しかしその震える身体を叱咤するかのように胸の前で拳をぎゅっと握ると、決心したように陛下へと顔を上げた。


「あ、あの。わ、私――!」


 無粋ぶすいちん入者はそこで現れた。


「ていっ!」


 いきなり横から現れたタニヤが、なんと陛下に向かって薬をシュッと一吹き。

 たちまち陛下の銀の頭からぴょこりと生えてくる、可愛らしい茶色のネコ耳――。


「…………」


 タニヤアアアアァァ!

 おっ、お前!

 タイミングううううぅぅっ!?

「ていっ!」じゃねええええぇぇぇッ!


 思わず頭を抱え、脳内で絶叫する俺。


 だってシリアスぶち壊し!

 これから始まろうとしていたであろう、親と子の真剣なやり取りが台無し!


 何かもう、この空気が痛い! 居たたまれない!

 タニヤに代わって俺が謝ります、すんませんっしたあッ!


「今だ!」


 アレクが横から叫ぶ。

 俺はもうヤケクソ気味に、後ろからティアラの身体を抱きかかえた。


「マティウス!」


 彼女は俺の首に両腕を回してきてくれた。

 少し化粧の匂いは混じっているが、やっぱり彼女は変わらず甘くて良い香りだ。


「迎えに来た。何かめちゃくちゃだけど」

「うん……。うん……!」


 直後、ヒュッと風を切る音。

 アレクが槍で警備の男達を横になぎ倒していく。

 柄の部分とはいえ彼女の馬鹿力が加わったその攻撃は、くらった者を失神させるには充分な威力だった。


「こっちだ!」


 アレクが叫び、俺達を誘導する。


「お父様……。王子……」


 ティアラはこちらに視線だけをただ注ぎ続ける二人を小さく呼ぶと、静かに瞼を閉じ、そして告げた。


「ごめん、なさい……」


 それは現状の拒絶。

 そしてその現状からの逃避の意味を込めた、謝罪――。


 それっきり、ティアラはもうそちらに振り返ることはなかった。


 アレクが槍を振り回しながら群集の中を突き進み、俺達のために道を開いていく。

 しかし突如彼女に襲いかかる、ロングソードの切っ先。

 アレクは咄嗟にその剣を槍の先で受け止める。


「アレク! お前、自分が何をしているのかわかっているのか!?」


 ロングソードの持ち手は、あの藍髪の護衛だった。

 護衛の男の顔は戸惑いからか歪んでいた。

 同僚の行動が理解できないみたいだ。


「充分すぎるほど、わかっているさ」


 アレクが槍を上に振るう。

 異なる武器同士の鍔迫り合いはそこで終わった。


 甲高い音と共に、護衛の男のロングソードがくうに舞う。

 アレクは素早く槍をクルリと回すと、柄の先端で男の腹を一突きした。


「ぐっ――!?」

「全ては姫様のために」


 アレクの紅色の瞳はかつてない決意と闘志で、燃え盛るような光を宿していた。

 思わず俺も息を呑んでしまうほどの、気迫。


 くそ……何でそんなにお前、イケメンなんだよ……。


「姫様!」


 俺達の後ろに着いて来ていたタニヤが、そこでティアラに茶色の紙袋を渡す。

 よくわからないといった顔をしたまま、とりあえずそれを受け取るティアラ。


「お前らは先に行け!」

「すまん!」


 俺はアレク達が開けた大穴を潜り、外へと飛び出す。

 穴の前に立ち塞がるアレクは、襲いくる警備隊の連中を次々とのしていく。


「ティアラ。俺のペンダントを外してくれ」

「えっ? わ、わかった」


 俺の首の後ろに手を回し、ティアラは俺の言うとおりにペンダントを外してくれた。


「外したよ」

「下に落として」

「う、うん」


 カン、という硬い音を立て、ペンダントが地に転がる。

 俺は躊躇ためらいなくそれを踏み潰す。


 光沢を持った赤の石の部分が粉々になり、無残な姿へと変わる。

 俺は慌ててその場から離れた。


 次の瞬間、ペンダントの残骸を中心に、淡い水色の半円が広がった。

 半円は俺達が飛び出した穴を巻き込み、大きく広がっていく。


「これは?」

「前に言っただろ。堅牢の女神の加護が得られる物だって。本来はこの中に入って外部からの攻撃を防ぐ物らしいけど、中に入ったら出られなくなってしまうんだ」


 ちょうどその時、アレクの隙を狙って大聖堂の中から穴を通り抜けようとした男がいたが、ゴン、という鈍い音に遮られ、こちら側に出ることができないでいた。


「あんな感じで、一定時間外からの干渉も受けない」


 俺が警備隊に入った時にもらった物――。

 まさかこんな使い方をする羽目になるとは思ってもいなかったが、まぁいいか。


 俺はティアラを抱えたまま、城下町を南へと駆け抜ける。


「穴が塞がってしまったけれど、アレクとタニヤは大丈夫かな……」

「まぁ大丈夫だろ。あの場でアレクに敵う奴はいなさそうだったし」


 俺は元同僚の人間離れした強さに、ただ感謝するのだった。

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