第52話 王女と護衛×2と侍女の日常①

 石垣で造られた高い砦が、青く広い平原を割って南北に走る。

 俺が今居るのはその砦の屋上だ。


 西を向けば水と慈愛と刃の女神をまつる、アクアラルーン国。

 ティアラの夫となる王子は、アクアラルーン国の第四王子だ。


 後ろを向けば遠くの方に見えるのは、俺の以前の配属先だった城の影。

 朝日が眩しいから、と自分の心に言い訳をして、俺はなるべくそっちの方角は見ないようにしていた。


 国境の警備は数分置きに欠伸あくびが出るくらい緊張感がなく、暇だ。

 ここに来て一ヶ月経つが、魔獣を倒した回数は両手の数にも満たない。


 本来俺が望んでいたこの状況も、今となっては苦痛でしかなかった。

 どうしても彼女のことを考えてしまうからだ。


「暇だな……」


 俺は脳裏に浮かんだティアラの顔を振り払うため、もう何度目になるかわからない呟きを洩らした。

 俺の隣に居た銀の髪の男は、覇気のない声で「そうだな」と同意の声を洩らす。

 彼の名はドルガ。俺はこいつと同じ時間帯で警備することが多かった。


「そういえばお前、ここに来る前は手違いで城にいたらしいじゃないか」


 石垣の上に顎を置き、遠くの空を見つめながら、突然ドルガが俺に問う。


「あぁ」

「どうだった? やっぱり城ってでかい?」


「かなりでかかったな。俺も個室を用意してもらってたし」

「マジか。いいなー個室。宿舎は二人一部屋だもんな。王族にも会ったの?」


「あぁ。っつーか王女様の護衛だったし」

「ええ!? とんでもない手違いだったんだなおい。で、王族ってやっぱ嫌な感じだった?」


「いや。……優しかった」

「へー」


 聞いてきた割にはさして興味がなかったのか、ドルガは気の無い返事をしたっきり、それについてはもう聞いてこなかった。

 単なる暇つぶしのための話題だったらしい。それも一瞬で終わったけれど。


 王族か……。


 俺はドルガと同じように石垣の上に顎を乗せ、今出た単語に思いを巡らせる。


 ティアラと王子の婚約話はあれよあれよという間に進み、いよいよ今日が結婚式らしい。

 婿に来るのは友好的なアクアラルーン国の第四王子ということもあって、国中がここ最近お祭りムードに酔っているようだった。


 そのことを考えた刹那、俺の胸に棘が刺さったような痛みが走る。


 ……いや、関係ない。彼女とは、もう他人なんだ――。


 ドルガは両腕を天に向かって伸ばし欠伸をすると、俺と反対方向――正確に言うと城の方角へと体の向きを変えた。


「お? 何だあれ?」

「ん?」


 欠伸混じりの彼の声に、俺もそちらに視線をやる。


 栗色の毛をした一頭の馬が青い平原を力強く蹴り上げ、こちらに向かって駆けてきているのが見えた。


 その馬の手綱を握っている人物を認識した瞬間、俺の心臓が大きく跳ねる。


 馬に乗っていたのは黒髪の美少年――。

 無表情が代名詞の、俺の元同僚だったからだ。


 ……どうして。

 どうして彼女が、あんな場所に?


 俺が呆けている間にも馬は見る見るうちに砦へと近付き、そして間も無く着いてしまった。

 アレクは砦の上に居た俺の姿を既に認識していたらしく、馬から降りると相変わらずの無表情のまま、即座にこちらを見上げてきた。


「マティウス!」

「な、何だよ?」

「え? 何? あの美少年、お前の知り合い?」


 ドルガが俺に聞いてくるが、それに答えるよりも早くアレクがさらに下から声をかけてきた。


「今からそっちへ行く」

「いや、ここは一応関係者以外立ち入り――ってぎゃああああぁぁッ!?」


 俺は言葉途中で思わず絶叫してしまった。何とアレクはこの高さを一気に跳躍して、俺の前の石垣にストンッと着地しやがったのだ。


 いやいやいやいや!?

 ここ普通の建物の三階分くらいの高さはあるんですけど!?お前の身体能力デタラメすぎんだろ!?

 え、何? お前実は人間じゃないとかそういうオチ!?


 アレクは無表情のまま石垣を飛び降りると、素早く俺との距離を詰めてきた。


「すまん。こいつを借りる。というか、今日付けでここの勤務は終わりだと隊長に伝えておいてくれ」


 アレクは俺の隣で腰を抜かして放心しているドルガに淡々と言うと、俺のジャケットの襟元をぐいっと乱暴に掴んだ。


 さっきから思考と言葉が追いつかない。

 追いつかないが、これだけはわかる。

 ……今から俺は、ロクでもない目に遭うと。


「行くぞ」


 言うや否や、アレクは俺を掴んだままピョンッと軽くジャンプした後、案の定砦から飛び降りやがった!


「やっぱりいいいいぃぃッ!」


 俺は束の間の空中遊泳を、涙目で堪能したのだった。






「あー、その……」


 硬い髪をガシガシと掻きつつ、俺は馬の手綱を握り続ける表情の無い元同僚に、何をどう話し掛けたものかと悩んでいた。


「俺を迎えに来てくれたのは嬉しいんだけどさ、えーと――」

「今日は姫様の結婚式なのは知っているな?」


 俺の言葉を遮り、アレクは相変わらず無表情のまま淡々と聞いてきた。


「あぁ知っている。……メデタイじゃねーか」

「乱入しろ」


「いやいや、そんなアッサリと言うなっつーの……」

「姫様にはお前が必要だ」


 アレクのそのセリフに、俺は何も返すことができなかった。

 馬の蹄の音だけがしばらくの間俺達の間に渡る。


 アレクは前を見据えたまま、抑揚を押さえた声で静かに語り始めた。


「この一ヶ月、姫様は一度も心から笑っていない。あの心優しい姫様が一度も、だ。大丈夫だよ、とオレ達に笑いながら言ってくださるが、あれは本当の笑顔じゃない……」


 アレクの目元が、そこで少しだけ歪んだ。


「お前じゃなきゃダメなんだ。お前じゃなきゃ、姫様の心の穴を埋めることはできない」


「でも、個人の感情で動いていいもんじゃねぇだろ。あいつが一般人なら俺だって躊躇ためらわねーけどさ。今回の婚約も国同士の利益を考えてのことだろうし。あいつはいずれこの国を統治する、王女様なんだぞ……」


 俺の言葉に、アレクは真っ直ぐとこちらを見据えてくる。

 その紅色の目には強い決意がたたえられていた。


「オレは姫様が本当の意味で心から幸せになってくださるのなら、国がどうなろうが、オレにどんな罰が与えられようが、構わない」


 彼女の言葉と表情に、思わず俺は息を呑む。

 それは死をも覚悟したものに見えたからだ。


「そして、タニヤもオレと同じ気持ちだ」

「…………」


 俺は彼女の言葉にただただ、絶句する。


 なんて……なんて馬鹿なんだよお前ら……。

 国がどうなろうが構わないって、どんな罰が与えられても構わないって、めちゃくちゃすぎんだろ!?


 でも――――。


 そのめちゃくちゃな意見に既に同意しかけている俺も、こいつら以上に大馬鹿野郎なのかもしれないな……。


 思わずフッと小さく笑ってしまった俺だが、アレクはそれだけで俺の心情を理解したらく、背を軽く叩いてきた。


「一蓮托生。バックアップはオレ達に任せろ」

「わかったよ……。ここは当たって砕けてみるか」


「それでこそ男だ、と言いたいところだが、砕けたらダメだろ」


 確かに……。いや、でもティアラの返事次第では砕ける可能性もあるわけだが。


「とにかく急ぐぞ。式はもうすぐ始まる」

「その前に、一つお願いがあるんだが」


「何だ?」

「座り方、変えさせて?」


 そう。馬鹿力のアレクに強引に馬の上に乗せられた俺は、手綱を握るアレクの前に、まるでどこかのお嬢様の如く横向きで座らされていたのだ。

 俺の方がアレクより長身で体格も良いのに、だ!

 このまま町に入って誰かに見られたら恥ずかしいどころの話ではない!


「いや、面白いからこのままで――」

「頼むからやめてくれって! っつーかお前わざとだったのかよ!?」


 すかさずアレクにツッコむ俺。

 ツッコみつつも、久々のこのノリが何だかちょっと嬉しくて、くすぐったかった。






 ティアラの結婚式は城ではなく、三人の女神達の祝福を直に得られるようにと、城下町の中心にある大聖堂で行われているらしい。


 城下町の入り口で馬から降りた俺とアレクは、その入り口脇の茂みに身を隠していたタニヤと合流した。


 城で留守番をしていた彼女は、割とあっさりと抜け出してこれたらしい。

 そして再会の挨拶もそこそこに、俺達三人はこれからの動きについてひそひそと話し合っていた。


 ちなみに今俺達がいるのは、大聖堂が視界に入る、人気ひとけの無い細い路地裏だ。


「で? どういった手順なんだ?」

「そんなの『真正面から乗り込む』の一択に決まってるでしょ」


「やっぱそうなのか……」


 大方予想していた通りの答えだったのでさして驚きはしなかったのだが、次のタニヤの言葉にはさすがに俺も声を出さざるをえなかった。


「ちなみにマティウス君だけね」

「ええええ!? 何でだよ!?」


「そりゃ、そっちの方が盛り上がるからに決まってんでしょ。三人まとめて乗り込むより、男一人が乗り込んだ方が見ている方もドラマチックで胸が高鳴るってなもんよ」


「いや、盛り上がりとかどうでも良いし! っつーかこの期に及んで俺で面白がるつもりかお前!?」


 もうやだこの侍女! ちょっと泣きたいんだけど!


「心配しないで。私達は別ルートからちゃんとフォローするから」

「お前の『心配しないで』ほど心配になる言葉はねぇんだが」

「グダグダ言っている暇はないぞ。もう式は始まっているんだ」


 冷静なアレクの一言に、ぐっと言葉を詰まらせる俺。

 確かにくだらないやり取りで時間を無駄にしている場合ではない。


「わかったよ……。お前の望み通り俺一人で真正面から乗り込んでやるから、フォローは頼んだぞ」

「任せておけ」

「了解☆」


 作戦とも言うのもはばかられる大雑把すぎる行動計画を決めた俺達は、そこで二手に分かれた。


 きっと俺達は全てが終わった後、とんでもない罪を負うことになるのだろう。

 下手をしたら命もなくなるかもしれない。


 でも、今後のことなんて知るか。

 後悔だけはしたくないんだ。


 今だけは、その心のままに――。


 一蓮托生。

 アレクが言ってくれたその言葉が、俺の背中を押し続けていた。


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