微笑みを向けられたい
陽の光は優しく、それでいて幾ばくかの情熱を孕みながら地上へと降り注ぐ。
その眩しさに顔をしかめながら、とある男が城下町のメイン通りを歩いていた。
男の艶のある黒い髪は短髪。
瞳はざくろのような紅色。
無骨でもない、華奢でもないバランスの取れた顔立ちは、すれ違う女性達の目を一瞬留めるほどの効果。
しかし、男が彼女らの熱い視線に気付くことはない。
男は様々な誘惑を誘ってくる露店にも目もくれず、ただある場所を目指していた。
数分後、男はようやく目的地に辿り着く。
白い外壁が眩しい、アウラヴィスタ城。
城壁と同じ白の門の両脇には険しい顔をした門番達が立っているので、関係者以外中に立ち入ることはできない。
男は門から少し離れ、西側に移動する。そして悠然たる姿を晒し続ける城を見上げた。
男がここを訪れた理由は、彼の妹を遠目から見るためだ。
むしろそれだけである。
そう、彼――アーレントは重度のシスコンだった。
「今日は見えないな……」
アーレントは城の一角を見上げながら呟いた。
彼の視線の先には、等間隔に並んだ窓がいくつも存在している。
だがアーレントの視線は迷うことなく、三階のとある一つの窓だけに向いていた。
そこは、ティアラの部屋の窓である。
アーレントは、ティアラの部屋の窓から時おり見えるアレクの姿を追っていたのだ。
毎回ほぼ後姿しか見ることができないのだが、それでもアーレントにしてみれば、彼女の姿を見ることができるだけで満足であった。
ちなみにティアラの部屋は門よりも奥まった場所にある挙句、その窓は小さい。
それでもアーレントの目は、毎度アレクをしっかりと捉えていた。
彼の視力は、アレクを視る時に限り非常に上昇するのだ。
身体能力をも変化させるシスコンなのである。
彼の容姿に惹かれて声を掛けた女性達も、この奇行を見ると潮が引くように離れていく。
至極真っ当な反応である。
そろそろ良い年であるのに未だに恋人の一人もいないのは、彼のアレクに対する愛情が他に向かないからでもあった。
もっとも、本人はそのようなことを気にしてもいない。
――それにしても、今日はおかしい。
アーレントは首を捻る。
いつもならアレクは窓際に立っているのだが、いくら待ってもその姿を確認することができないのだ。
もしかすると、部屋にいないのだろうか?
そう考えた時、城門から三人の人影が城下町に歩いて行くのを発見した。
ライトグリーンの髪の長身の男と、桃色の髪の小柄な少女。
そして一見して少年にしか見えない黒髪の少女こそ、アーレントが探し求めていた人物だ。
「アレク……!」
満面の笑みを浮かべながら、すかさず三人の後を追いかけるアーレント。
だが、今回は必要以上に接近はしない。
この間アレクに蹴りを入れられてしまった事が、アーレントの心境を少なからず変えていた。
あそこまで拒否されるとは思ってもいなかったので、さすがに彼も少しだけ反省したのだ。
これ以上嫌われてしまうことだけは、何としてでも避けたい。
距離を保ちつつ、アーレントは三人の後を追いかける。
護衛の青年は、この間会った時よりも幾分か表情が柔らかい。
少し大人びた顔になったように見えるのは、月日だけが原因ではない気がした。
彼は隣を歩く王女様に気を配るように、でも楽しそうに何か話しかけている。
彼に応える王女様の顔は、この上もなく弾んでおり、眩しい。
薄紅色に染まった頬は、まさに花のようであった。
その顔を見てアーレントは確信した。
――もしかしなくても、上手くいったのか。
素直に祝福の言葉が頭の中に湧いてくるが、同時に彼に立ち塞がるであろう、これからの険しい道も想像できてしまったため、アーレントの眉間に小さな皺が寄る。
そんな二人を、アレクは無言のまま見つめていたのだが――そこでアーレントは目を見張った。
アレクの顔がいつもの無機質なものでなく、微笑を浮かべていたからだ。
隣のアクアラルーン国で祀られている三人の女神の内の一人、『慈愛の女神』の化身ではないのかとアーレントが咄嗟に思ってしまったほど、その目は優しさに溢れていた。
アーレントはまるで雷に打たれたかのように、その場で硬直し続ける。
「そう、か……。そうかー……」
息と同時に、アーレントは力なく呟いた。
自分がもう何年も見ていないアレクの表情を、あっさりと二人が引き出してくれた。
感謝する反面、寂しい。
幼児期には自分にも無邪気に笑いかけてきてくれていたのに、もうあの顔を向けてくれることはないのだろうか。
「――!」
だが、アーレントはそこであることに気が付いた。
気付いてしまったからには、あとは行動あるのみだ。
考えるよりまず行動。
彼はずっとそうしてきた。それはこれからも変わらない。
アーレントは三人に向かって駆け出した。
その走りは風の如し。
あっという間に三人を追い越し、アーレントは彼らの前に躍り出た。
「うおっ!? 出た!」
まるで魔獣か幽霊に遭遇したかのように叫ぶマティウスの声も、アーレントには聞こえていない。
自分の聞きたいことしか鼓膜を通さない都合の良い耳は、ある意味幸せと言えるかもしれない。
アーレントはアレクを真剣な眼差しで見据え、そして告げる。
「アレク、兄ちゃんは決めたぞ。俺は今から彼女を作る!」
「……は?」
突然現れ謎の宣言をしたアーレントに、三人はこぞって目を点にした。
アーレントはそれらの反応に目もくれず、拳を握りながら自分の言いたいことだけを続ける。
「だからアレク、見ていてくれよな! 今度兄ちゃんは彼女を連れてくるからな! 彼女だからな、彼女!」
「はぁ……」
自分が恋人を連れてくれば、きっとアレクは先ほど二人に向けていたような顔をしてくれるに違いない――。
アーレントはそういう考えに至ったのだ。
アーレントの顔はこの上もなく喜色満面なものになっていた。
彼の脳内では、女神のような微笑みを浮かべたアレクが既にアーレントを祝福していたのだった。
「突然、兄が申し訳ございませんでした……」
嵐のように現れ、嵐のように去って行ったアーレント。
三人はまだ事態を完全に飲み込めていなかったのだが、そんな中アレクが半ば呆然としながら口を開いた。
「そんな。久々にお会いできて私は嬉しかったよ」
「まぁ、お前が気にすることじゃないだろ。あれは天災みたいなもんだ」
人の兄を天災呼ばわりする失礼極まりないマティウスに、しかしアレクもそれに関しては同意見だったのか、特に咎めることなく頷いた。
それに、今回は特に大した傷もなく終了した。
精神的ダメージは受けたが、むしろ喜ばしい意味でのダメージである。
「しかし一体、三兄に何があったのだろうか……」
「お。もしかして『卒業』されて寂しいとか?」
「そういうわけではない。ただ、あまりにも突然変わりすぎではと」
「よくわからんが、心境の変化があったのは良いことなんじゃね? あの兄なら、彼女の一人や二人すぐできるだろ」
「そうだね。アレクのお兄さん、とても素敵だもの」
その彼女を作ることさえアレクが基準になっているとは、当然ながら三人は知る由もなかったのだった。
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