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明江に緊張と興奮が渦巻いている。誰も彼もがソワソワとして、落ち着かないのも仕方がないと、烏有は人々をながめ歩いた。
「とんでもなく、キレイな行列だったねぇ」
「あのお着物の切れ端だけでも、わけてもらいたいよ」
耳に入った女性の会話に、烏有の唇がやわらぐ。彼女たちが話題にしているのは、今朝方到着した、視察団のことだった。
「やっぱり、中枢のお方ってぇのは、違うねぇ」
「なんだい。アンタは違いがわかるってぇのかい」
「前に済んでいた府の豪族様やら領主様のお姿を見たことがあるんだよ」
「なるほどねぇ。それと比べたってことだね」
歩く烏有の耳に届くものは、その話題ばかりだった。
「おう、烏有さん」
声をかけられ足を止めれば、烏有が毎晩のように笛を鳴らしに行っている食堂の、常連客がいた。
「ああ」
笑顔を返し近寄ると、香ばしい匂いが強くなる。男の前には油と、揚げられるのを待っている、饅頭の皮を棒状に伸ばしたものがあった。カラッと揚げたそれに、蜜をかけて食べる菓子は、庶民の味として広く知られていた。
「どうだい、ひとつ」
「もらおうか」
「へい」
ジュワッと音がして、白い生地がキツネ色に変わっていくさまに、烏有はなんとなく目を落とす。
「烏有さんも、見たかい」
「行列のことだね」
「ほかに、どのことがあるってんだよ」
男が揚げている生地を棒でつついて、回転させた。ひっくりかえって見えた面は、食欲をそそる色に変わっている。
「これでいよいよ、この明江も申皇様の御領地になるわけだなぁ」
「まだ確定ではないけれど、おそらくはそうなるはずだよ」
「そうなると、商いもしやすくなるってぇモンだ」
「国のままより府となったほうが、信用度も増して、人も物も集まるだろうからね」
「そうそう。それに、なんかあったときに、お助けしてももらえるだろ。俺が前に住んでいたところがよ、畑の不作で困ったときに、申皇様のお慈悲っつって、食うモンが配給されたことがあんだよ。国のまんまだと、そういうこたぁ、受けられないんだろ?」
「ああ。そのかわり、府となれば献上のための税が生じてしまう」
「それは、国だろうが府だろうが、あるモンだ。いまだって、前に暮らしていた場所よりゃあ、うんと安いが、建設費っつうのか、運営費っつうのか。明江が発展したり、なんだりするのに必要だからってんで、税を支払ってんだからよ」
「それがもっと、高くなるってことだよ。それでも、府になりたいと思うかい」
「烏有さんは、いやなのかい」
油の中に取っ手つきの金網を入れながら、男が問う。質問に質問を返された烏有は、顔を上げた。
「え」
「なんだか、いやそうに聞こえるな」
揚がったものに蜜がかけられ、甘い香りが湧き立つように広がった。
「玄晶さんが領主様になって、蕪雑の兄貴が豪族なんだろう? 悪いようには、ならねぇさ。烏有さんだって、そう思うだろ」
木の皮に包んで渡され、受け取りながら支払いをしつつ、烏有は口の端を引き上げた。
「そうだね。あのふたりなら、きっとどこよりも民衆の暮らしやすい府にしてくれるよ」
「だろう。だから、はやく認定されてぇんだ。府の領主ってなったら、玄晶さんの親御さんだって、うれしいだろうしなぁ」
軽くうなずき、烏有は店から離れた。手の中にある熱と甘い香りが、民衆の熱気と希望、期待のように感じられて、烏有の心はきしんだ。男の語った明江のありように、烏有はいなかった。
「当然だ」
彼等は烏有を、ただの楽士として見ている。明江の建設当初から携わっている人間ということは知っているだろうが、烏有は蕪雑と仲の良い楽士としてしか認識されていない。興国を促したことも、建設費用を出していることも、烏有が中枢の官僚の血を引いていることも、知られてはいない。後半は、蕪雑や袁燕にも告げていない秘事だ。ぞれを踏まえた発言を、求めるほうが間違っている。
そうはわかっているのだが、烏有は息苦しさを覚えていた。人々の笑顔が、望む国ができつつあるという現実が、真綿で首を絞めるように、烏有の心を
袁燕はどうしているだろう。
烏有はふと、彼が気になった。彼もまた、烏有に近いさみしさを抱えていることを、
「よう、烏有さん。これから、どこにお出かけだい」
恰幅のいい中年の男に、人なつこい笑みを投げかけられ、烏有は足を止めた。
「どこにも。ただ、フラフラとしているだけさ」
「へえっ。……なあ、今夜は領主屋敷で、自慢の笛を聞かせるんだろう。あとで、視察の連中がどんなだったか、教えてくれよ」
「残念だけれど、呼ばれていないよ」
「へっ? なんでまた。烏有さんは、官僚相手の楽士をしていたってぇ、聞いたぜ。それに、ここにゃあ烏有さんのほかに、楽士なんていやしねぇからな。もてなしで笛を吹いたりするもんなんじゃ、ねぇのかい」
「視察はあくまで、公平に冷静な判断を持って、おこなわれるものだからね。不要な接待をすれば、なにかあるんじゃないかと勘繰られてしまうよ」
「そんなら、今夜もいつもどおりってことか」
「そう。上の方々がなにかをなさっていても、下々には関係のないことさ」
「ははっ。違ぇねぇ。俺らは、偉い人が決めたことを聞かされて、従うしかねぇもんな。そんじゃあ、烏有さん。また今夜」
男と別れの笑みを交わし、烏有は喉につかえた息を吐き出した。視察団のなかに、烏有を見知っている人物がいる可能性もある。だから烏有は、同席を勧める蕪雑に断りを入れた。事情を知っている玄晶と剛袁が、烏有の不在を受け入れたので、蕪雑は渋々と納得をするしかなかった。
袁燕も出席を断り、それなら俺もと蕪雑が言うのは、止められた。土地の豪族として、実質的な統治をおこなう男が、列席をしないなどありえない。それなら発案者である烏有と、尽力してきた袁燕もいなきゃならないと蕪雑は主張し、ひと悶着の末、烏有と袁燕の欠席が決定した。
手の中の熱が、ほどよく冷めているのに気づき、烏有は蜜のたっぷりかかった菓子に、かぶりついた。サクリとした表面の奥に、蜜の染みたやわらかな生地がある。ささくれだった気持ちを、なだめてくれる甘味に救いを求めるように食べ尽くした。
立ち止まり、領主屋敷の方角を見やる。
「こんなにはやく視察団がくるなんて、思わなかったな」
ひとりごちた烏有は、玄晶の手腕に感心しつつ、自分の無力を受け止めた。前々から湧き上がっていた、負の感情が確定的な現実となって、目の前に突き出された気分になる。
明江はまだ、国として完成をしていない。活気はあるが、建設中の区画もある。蕪雑や寧叡、警兵官たちが住むこととなる豪族屋敷も未完成で、彼等は領主屋敷の空き部屋や宿、知人の家などで生活をしている。そんな状態でも視察団が来たということは、玄晶が密に中枢の官僚とやりとりをし、こちらの現状や今後の展望、申皇に送る税の内容などを、具体的に提示してきたからだ。
「僕にはそんなこと、できやしない」
剛袁とともに、玄晶から外交術などを教わっている程度でしかない自分の、計画の甘さを思い知らされているような気にもなり、烏有はくやしさと無力感に包まれた。
ここにはもう、僕の居場所はないのかもしれない。
よぎった考えが、烏有の胸にわだかまっている。
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