船に乗り込んだ烏有たちを迎えた玄晶は、すぐさま酒食の席へと彼等を案内した。

「うわぁあ」

 袁燕は卓の上に並んでいる料理に、ヨダレをたらさんばかりに目を輝かせる。弟の様子に、剛袁が苦々しげな照れ交じりの微笑を浮かべた。

「酒食をともにするのは、親愛を深めるのに適しているし、いきなり計画の話をするのも、無粋だろう?」

 ほほえむ玄晶に、蕪雑がにこやかに右手を差し出した。

「こいつは、思う以上の歓迎だな。俺は蕪雑。烏有から、面白ぇ提案をされて乗った男だ」

「烏有と袁燕から、どのような人物かは聞いていたけれど、想像以上に人好きのする男のようだな。お会いできて光栄だよ、蕪雑。私のことは、玄晶と気楽に呼んでくれ」

「おう。なら遠慮なく、そうさせてもらうとするぜ。俺ぁ、がくがねぇからよ。礼儀だなんだと言われても、さっぱりわからねぇんで、助かるぜ」

 しっかりと手を結んだふたりに、烏有は複雑な笑みを浮かべる。

「どうした、烏有。私と蕪雑が仲良くするのが、喜ばしくはないのか」

「もちろん、喜ばしいよ。これから玄晶には、さまざまな手伝いをしてもらわなくては、ならないからね」

「それにしては、あまりうれしそうには見えないが。そちらの……、ええと、袁燕の兄君だろうか」

「剛袁と申します」

「剛袁……。そうか、剛袁。これから、よろしくたのむよ」

 玄晶が手を差し出せば、剛袁が渋々とその手を握った。

「君も、私が蕪雑と親しくするのを、よくは思っていなさそうだな」

「我等がどういう理由で、山中に身をひそめなければならなくなったのかを、耳にしているのではありませんか。それを理解していれば、手放しで歓迎などできかねると、察していただけそうなものかと思います」

「ああ。なるほど。聞いているし、事情の裏づけも取れているよ。剛袁は女性にとても人気があるようだな。君のことをたずねてみれば、惜しがる婦人が大勢あらわれたよ」

「兄さんは男前だし、頭もいいし、腕っ節も強いからな」

 袁燕が大いばりで答える。それに好意的に目を細めた玄晶は、料理を手のひらで示した。

「胸中に、もやつくものを持っているようだが、ひとまずは飲食を楽しもう。私がどのような身分であるのか、聞きたいのではないかな」

 玄晶が食えない顔で剛袁を見る。試されているのかと、剛袁は目に力を込めた。

「玄晶」

 烏有が硬い声で呼ぶ。それに玄晶は、わかっているというふうに、うなずいた。

「烏有は親の代から、私の父がひいきにしている楽団の一員でね。小鳥もつられて歌いだすほどの、笛の名手だ」

 言いながら、玄晶は烏有の隣に移動した。

「彼の笛を好む者はすくなくない。それが突然、もっと感性を磨きたいから旅に出るといって、流浪の楽士となってしまった。どうしているのかと気にかけていたら、文が届いた。内容が内容だからな。私が直接に、甲柄へ参ったというわけだ」

 そうだろう、と玄晶が目顔で烏有に告げる。烏有は安堵し表情をやわらげた。

「烏有の言っていた、岐にあるツテってのは、玄晶の親父さんのことだったんだな」

 給仕から杯を受け取りながら、蕪雑が言う。

「そういうことだ。私も烏有を幼いころより知っているから、勝手ながら弟のように感じていてな。それもあって、烏有が世話になった者の手伝いを、させてもらおうと考えている」

「世話なんざ、俺ぁ、なぁんもしてねぇぜ。俺と烏有が、どうやって出会ったのか、聞いちゃいねぇのか」

「聞いているさ。だが、旅に出てからただの一度も、烏有は文を送ってはこなかった。それが今回、頼みがあると連絡をしてきたのだ。ということは、精神的に強い変化があったということだろう。君たちとの出会いを通じて、烏有の笛にさらなる妙味が加わるであろうことは、想像にかたくない」

「それがなんだって、世話になったことに繋がるんだ?」

「烏有は、感性を磨くための旅に出たと、さきほど説明をしただろう。それはつまり、精神に響くものを求める旅に、ほかならない。私財を投げ打ってでも、興国をしようと考えるほどの相手に出会えたという状況は、そこに繋がる」

 玄晶の説明に、蕪雑は納得しきれぬ顔になった。

「そういうもんか?」

「そういうものだ。なあ、烏有」

 烏有がうなずけば、そうなのかと蕪雑は素直に受け止めた。

「よくわかんねぇが、そういうもんだってんなら、そうなんだろう。まあ、俺ぁ、皆がまっとうな暮らしを手に入れられるんなら、細けぇこたぁ、どうでもいいさ。玄晶はつまり、烏有の兄弟みてぇな古い馴染みの関係だから、手伝いをするってんで、いいんだろ」

「ざっくり言うなら、そうなるな」

「なら、烏有が世話んなったとか、そういうのはナシだ。これから、俺等が玄晶の世話になるんだからよぉ。楽しくやろうじゃねぇか」

 蕪雑が歯を見せて笑う。

「そうだな。――ではまず、飲食を楽しみ、親交を深めるとしようか。遠慮せず、どんどん食べてくれ」

「やったぁ」

 袁燕が大喜びで箸を取り、蕪雑がさっそく杯を空にした。剛袁は給仕に差し出された杯を渋い顔で受け取り、袁燕の無作法な食べ方を注意する。それを見ながら、玄晶が烏有に耳打ちをした。

「こうして見ると、どこにでもいそうな人間のように見えるが。鶴楽かくらくが夢を託すと決めたのだから、不可視な力を持つ者なのだろうね。蕪雑という男は」

「玄晶、その名は」

 烏有が小さく咎めると、玄晶は頬を持ち上げた。

「彼等の耳に入る場所では、使わないよ。このくらいの声なら、聞こえないだろう」

「それでも、やめてほしいんだ」

「ふたりでいるときは、使ってもかまわないはずだ。私が手助けしたいと願うのは、あくまでも竹馬の友である鶴楽であって、流浪の楽士、烏有ではないのだからな」

「名など、ただの記号だろう」

「その記号にこだわっているのは、君だよ。ああ、そうだ。烏有として、笛を聞かせてくれないか。そうすれば、楽士だという君のウソが、信憑性のあるものとなるだろうからな。楽士として5年ものあいだ、生業なりわいにしていた笛だ。君が行方をくらます前――最後に聞いたあの日より、ずっと妙味が増していることだろう」

 玄晶の笑みの奥に、怒りに似たものが見え隠れしている。烏有はぎこちなくうなずいて、逃げるように彼から離れた。

「冗談だ、烏有。君も席についてくれ。共に酒を汲み交わそうじゃないか」

 優雅な所作で勧められたイスに、烏有は居心地悪そうに落ち着いた。

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