おかあさんといっしょ

私は今、お母さんに、私の長い黒髪をとかしてもらっている。


「ネネはかわいいね。本当にかわいい。ネネはおかあさんの宝物よ。」

そんな風に優しく頭をなでられる時間が好きだ。

いい子ね、と抱っこしてぎゅっとしてもらうととても幸せな気分になるのだ。


おかあさんは体が弱くて、しょっちゅう床に伏してしまう。

高い熱が出て動けなくなっても、私に声をかけてくれる。

「ネネ、今日はかまってあげられなくてごめんね。」

おかあさん、いいの。

ネネは大丈夫だから。早くよくなってね。

私はそっとおかあさんを見守る。


気分の良い日は、おかあさんはたまに私をお散歩に連れていってくれる。

菜の花と桜の花の咲く頃。

私ははっきりと覚えている。

おかあさんは、私のほっぺについた花びらをつまんで微笑んだ。

「どんな花よりも、ネネのほうが綺麗でかわいいわ。」

おかあさんはそう言って、私を抱きしめてくれた。

「ずっと側にいるね。ずっと一緒。」

細い腕。白い肌。

日に日におかあさんはやせ細っていった。

おかあさんがもしもいなくなったら。

私は幸せな春の日にもかかわらず、そこはかとない恐怖に怯えた。


私はおかあさんを失いたくなかった。

ずっと側にいてほしかった。

だから神様にお願いした。

どうか、おかあさんが元気になりますように。

ずっと私と一緒に暮らせますように。


そんな私の願いが通じたのか、ある日おかあさんは嬉しそうに私を抱いて

目を輝かせて言ったのだ。

「ネネ、聞いて。おかあさん、元気になれるかも。

やっとおかあさんに適合するドナーが見つかったの。」

おかあさんは白血病という病気だったらしい。


おかあさんは、骨髄移植をして、徐々に回復して元気になっていった。

「ネネ、移植は成功したのよ。これでおかあさんは、元気になれる。

ネネともっともっと遊べるね。」

私は嬉しかった。今まで以上に、おかあさんと一緒に居られる。


そう思っていた。


私に妹ができた。

名前はリカ。

おかあさんは、リカばかりにかまうようになった。

おかあさんはリカの頭を撫でながらこう言ったのだ。

「リカはかわいいね。本当にかわいい。リカはおかあさんの宝物よ。」


それは以前私にかけられていた言葉。

リカを許せなかった。

それからも、おかあさんはリカばかりをかわいがって

私をおざなりにした。


以前は私がいつも、お母さんに髪をとかしてもらい、毎日綺麗なお洋服を

着せ替えてもらったり、抱きしめてもらったりしていたのに。

今は、そうされているリカを見つめることしかできなかった。

久しぶりにおかあさんが、私を抱き上げた。

私は嬉しさに胸が高鳴った。

「ネネには、もうこの服は必要ないわね。」

そう言うと、私を裸にして、私の服をリカに着せた。

「やっぱり。この服はリカのほうが似合うわ。」


私は裸のまま放置された。

悲しかった。

裸のままずっと放置され、髪もとかされずに、私など居ないかのように、

おかあさんは毎日リカばかりかまって、私は日に日に薄汚れてしまった。


ある日、そんな私をおかあさんはゴキブリでも見るような目で

いまいましそうに見た。

そんな目で見ないで。昔みたいに、髪をとかして、頭を撫でて、ぎゅっとして。

私は涙が溢れてきた。

すると、おかあさんの顔がひきつったのだ。

「き、気持ち悪いわね!」

そう言うと、おかあさんは私をダンボールの中に閉じ込めてしまったのだ。


私は何日も何日も暗いダンボールの中で暮らした。


そしてある日、聞きたくない言葉を聞いたのだ。

「おかあさん、もうネネはいらない。捨ててもいい?」

おかあさんの声だ。


「だって、あなた、ネネをすごく大切にしていたじゃない。いいの?」

「いいの。だってもう汚いんだもの。それにね、ネネが泣いたの。気持ち悪くて。」

「お人形が泣くわけないじゃない。」

「ほんとだよ。ネネがね、涙を流したの。気持ち悪いからもういらない!」

「私がおかあさんよ、なんて言いながらかわいがっていたのにね。」

「いいの。この間お父さんが買ってくれた、リカがいるから。もうネネはいらない。」


私はおかあさんに捨てられる。

そんなのいやだ。


おかあさん、前みたいにネネをぎゅっと抱いて。


髪をとかして。


かわいいって言って。


私の側にずっと居るって。


約束したじゃない。



リカさえいなければ。リカさえ。

リカさえ。リカさえ。リカさえ、現れなければ。



私はその夜、リカを隠した。

誰にもわからない場所に。



次の日、おかあさんは必死にリカを探して泣いた。

「確かに、ここに置いてたのに!リカがいない!」

おかあさんは泣き叫んでいた。

おかあさんは、興奮しすぎて、呼吸が荒くなった。

おかあさんが、おかあさんと呼んでいたおばさんが慌てて

救急車を呼んだ。


ごめんね、おかあさん。

でも私もうこれ以上、耐えられなかった。



「拒絶反応を起こしたらしい。」

「せっかく、適合して助かったと思ったのにね。かわいそうに。」


お線香のにおいとともに、そんな声が聞こえてきた。

おかあさんの顔には白い布がかけられた。

おかあさんのそばに、おばさんとおじさんが居て、泣き続けている。


泣いているおばさんの手で、私が抱き上げられ、体についた土をはらわれ、

木の箱に入ったおかあさんの隣に寝かされた。

ああ、やっと私はおかあさんのいっしょになれたんだ。

ずっとずっとおかあさんといっしょ。

側にいることができるんだね。


なんだか、箱の外が暖かくなってきたよ。

おかあさんといっしょなら、どこへだって行っても平気だよ。

暗くて、熱くて、肌が溶けていった。

おかあさんと私が一緒に溶け合って行った。

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