悲鳴ゴッコ

 冬休みの始めから、我が家ではずっとおばあちゃんの家で過ごすことが恒例となっていた。

今年もいつもの年と同じ冬休みが来て、おばあちゃんは私達をよう来たと歓迎してくれたのだ。以前はおじいちゃんも居たのだけど3年前に亡くなった。でも、おばあちゃんは長男のおじさんと一緒に住んでいて、おばちゃんも居るから何の心配もいらない。従兄弟のお兄ちゃん達は、年末には帰るから、そうしたら、また賑やかになる。一人っ子の私にとって、年末の母の里帰りは、楽しみでもあったのだ。


 従兄弟のお兄ちゃん達が来るまでは、子供は私だけなので、誰も遊んでくれる人はおらず、それでも都会暮らしの私にとっては、田舎の風景は何もかもが珍しく、山に登ったり、森に入っていろんな木の実を見つけたりと、退屈はしなかった。毎日が探検なのだ。そんな田舎の村にも子供くらいは居て、私はこの数日間で近所の女の子と仲良くなり、今日はその子をおばあちゃんの家に連れて帰ってきた。


 ちょうどおばあちゃんは縁側でお茶を飲んでおり、ぽかぽかと陽の当たる縁側で日向ぼっこをしていた。

「おや、お友達かい?優衣はすぐに誰とでも仲良くなれるんだねえ。おばあちゃんにもね、優衣と同じくらいのときに、お友達がいたんだよ。名前はね。」


おばあちゃんが、ぽつりぽつりと話し始めた。


*************


その女の子は、夕暮れの帰り際、いつも名残惜しそうに私を呼び止めた。

「みっちゃんもう帰っちゃうの?」

佳代子はいつもそう言って、美智子を引き止めた。

美智子は困り顔で

「うん、もう暗くなるよ。遅くなると、お母さんが心配するから。」

と言うと

「いいじゃん、もうちょっと。もうちょっとだけ、ね?」

と言って美智子に向けてお願いと手を合わせる。

きっと、佳代ちゃんはおうちに帰りたくないのだ。


 知らなくても良いことは、いつも大人が教えてくれる。

お母さんは、佳代ちゃんのことを良く思っていない。佳代ちゃんは、お店の物を盗んだりする手癖の悪い子だとお母さんが教えてくれた。

「やっぱり、家庭環境が複雑なところの子は。」

お母さんは美智子に、佳代ちゃんのところはお母さんが浮気をして、新しいお父さんと住んでいると伝えた。

「うわきってなあに?」

「結婚しているのに、よその男の人と仲良くすることよ。」

そう何故か嬉しそうに話すお母さんを不思議に思った。なにがそんなにおかしいのだろう。

「佳代ちゃんとあまり遊んじゃだめよ。」

そう言われても、お父さんとお母さんは昼間は働きに出ていて、夕方遅くまで居ないし、近所で唯一遊べる友達と言えば、佳代ちゃん以外に居ないのだ。子供にいくら遊ぶなと言っても、誘われれば遊びに行くし、どだい無理な話だ。


 一度、佳代ちゃんが学校を休んだ時に、給食のパンを届けに行った時、おじさんが出てきて、

「佳代子のためにありがとうね。」

と言ってパンを受け取ると、美智子のことを上から下までじいっと見つめてこう言ったのだ。

「美智子ちゃんは、かわいいね。足は細いし、髪の毛はサラサラだね。お菓子がたくさんあるから、あがっていきなよ。」

 美智子は、初めて、男性に嫌悪感を感じた。そして、危機感を感じた美智子は、ホットパンツなんてはいてくるんじゃなかったと後悔した。美智子ももう小学高学年だ。胸くらい少し出てきたので、佳代ちゃんのおじさんの視線がどういう意味なのかは薄々感じていたのだ。

 すると、おじさんの後ろに佳代ちゃんが立っていて、風邪をうつしてはいけないからと、私に帰るように促すと、おじさんは佳代ちゃんを睨みつけた。目をそらした佳代ちゃんの目のしたに黒いあざができていた。美智子は、佳代ちゃんはたぶん風邪で休んだのではないのだということを悟った。


 帰り道、美智子の心は重かった。きっと佳代ちゃんはあの酒臭い息を吐く男にぶたれて、あんないやらしい目で毎日のように見られているのだ。色魔というのはああいう男のことを言うのだろう。美智子は想像すると心苦しくなったが、子供の美智子に何ができるだろう。きっとお母さんに話しても、他所のことだからどうしようもないと言うのだろう。


 いつものように、帰ろうとする美智子を引きとめ、佳代子は言うのだ。

「ねえ、みっちゃん、悲鳴ごっこしよ!」

美智子はこの遊びだけは、嫌だった。佳代ちゃんはいたずらが好きで、人の家のあるあたりで、わざと悲鳴を上げて、驚いて人が出てくるのを見て楽しむのが好きだった。

「ダメだよ、佳代ちゃん。見つかったら怒られちゃうよ?」

そう言っても佳代ちゃんは聞かなかった。

「平気、平気。見つからなければいいんだから。叫んだらすぐに隠れる。大丈夫。」

美智子は気が進まないふりをしていたが、このスリルを実は楽しんでいたのだ。

悪いことだとは、思いながらも、スリルを楽しんでいる。

美智子も叫ぶように促されたが、美智子は出来なかった。

遊びとは言っても、佳代子一人で悲鳴をあげる遊びだった。

「みっちゃん、人間なんてね、自分がいちばんなんだよ。いちばんかわいいの。」

時に佳代ちゃんはそんな大人びたことを言って遠い目をする。

見ててよ、と言いながら佳代ちゃんは叫んだ。

「きゃあああああ!助けて!」

そう言うと佳代ちゃんと美智子は、さっと物陰に隠れる。

お向かいの4階建てのアパートのベランダに、男の人が出てきて、あたりをきょろきょろしている。

たぶん、悲鳴のもとを探しているのだ。すると、また佳代ちゃんは叫ぶ。

「いやああああ!やめて!」

すると、また男の人がきょろきょろとして声の元を探している。

佳代ちゃんと美智子はそれを見て、物陰からクスクスと笑っていた。

これ以上やると、まずいことを佳代ちゃんは知っているので、佳代ちゃんは満足してその場を去った。

一度だけ、本当に警察がたずねてきたことがあったからだ。

このあたりで悲鳴が聞こえたという通報があったのですが、不審人物をみかけませんでしたかと家まで警察が訪ねて来た時にはドキドキした。その日、佳代ちゃんの家にも訪ねて来たので、もうやりすぎはまずいと佳代ちゃんは学習したのだ。

「なんだかんだ言っても、人間なんて誰も自分で助けることなんてないんだよ。みっちゃん、自分がいちばんなんだよ。自分がいちばんかわいいの。」

これは佳代子の口癖だった。

絶望。この年にして子供の口からこんな悲しい言葉が出るのはその感情以外に無い。


 ある日、いつものように悲鳴ごっこに誘われて、美智子はとある別荘の前に来ていた。別荘の前には、子供が隠れるにはおあつらえ向きの森がこんもりと茂っており、その別荘はとある会社の女社長の持ち物だということは地元でも有名だった。今日はその別荘に車が止まっており、人がそこに居ることを示していた。

「ねえ、みっちゃん。お金持ちは、人が助けを求めてる時に、助けに来ると思う?」

美智子はさあとしか、返事のしようがなく、佳代ちゃんは試してみようよと言った。


「きゃあああああ!助けて!」

そう佳代ちゃんが叫ぶと、しばらくして、バルコニーに男性が出てきた。

佳代ちゃんと二人、茂みにすぐに隠れると、慌ててきょろきょろ見回す男性の様子を見て、クスクス笑った。

「いやああああああ!やめて!」

佳代ちゃんが二度目に叫ぶと、男性の目がまっすぐにこちらを見た。

「やばい、見つかったかも。」

佳代ちゃんは、一目散に逃げる。美智子も後を追って逃げた。

男の人は玄関を出ると、すごい勢いで、こちらに向かって走ってきた。

美智子は心臓がバクバクして壊れそうだった。見つかってしまった。いたずらだとわかったらきっと、大人からこっぴどく叱られるだろう。とりあえず、佳代子と美智子は、自分より背の高い草むらに身を潜めた。

息を切らして走ってきた男はこちらに背を向け、一心不乱に土を掘り出した。佳代子と美智子は、すっかり自分達がいたずらしているところを見つかって追いかけてきたと思っていたので、面食らってしまった。

「死んだんだ。殺したはず。殺した殺した殺した。生きてるはずがないんだ。」

そう言いながら一心不乱に、シャベルで土を掘り始めた。

男はなおも取り付かれたように、ブツブツ言いながら、土を掘る。その様子はまさに狂気としか言いようがなかった。息を殺し、ゆっくりとその場から逃げようとしたその時だった。


パキッ


 佳代子が小枝を踏んでしまったのだ。

男がゆっくりと立ち上がり、こちらを振り返った。真っ赤な夕日を背負っているので、男は黒い塊のようではっきりと顔は見えなかった。すぐに男は、佳代子の腕を掴んだ。

「みっちゃん!」

佳代子がこちらに手を伸ばした。太陽が位置を変えると、その男の顔が徐々に照らされた。


「はっ!」

美智子は、自分の家のソファーで目が覚めた。

長い夕日がカーテンの隙間から差し込んでくる。

「おとう・・・・さん?」

美智子の父親が何も言わずに、美智子を見下ろしていたのだ。

長い夢だったのだろうか。

「そんなところで寝ていると、風邪をひくぞ。」

そう一言いうとお父さんは、部屋を出て行った。


その次の日に、佳代子が行方不明だと知らされた。

そして、その数日後、佳代子の父親が逮捕された。

佳代子の死体が、あの別荘地の近くの森で見つかったのだ。

父親は最後まで自分はやっていないと、訴え続けた。ずっと佳代子を虐待し続けていたことは、近所でも有名だったので、そんな父親の訴えは誰も信じなかった。


美智子は違うと思った。あの時の男は、あんないやらしい酒臭いゲス男ではなかった。

美智子はあれが夢なのか現実なのか、よくわからなかったが、たぶん佳代ちゃんは、自分の義理の父親に殺されたのでは無いと思っていたのだ。何故なら、美智子は、あの男の顔を見てしまったからだ。


美智子の両親はその後、離婚した。美智子の親権を巡っては、随分と両親は争った。何が何でも、母親は自分が引き取りたかったが、父親は経済的な理由で、無理やりに美智子を引き取ったのだ。母親は泣く泣く美智子を手放した。美智子は思った。


お父さんはたぶん、私を監視したいのだ。

余計なことを、誰かに言わないために。


***************


そこまで一気に話すと、おばあちゃんはお茶をすすった。

私は、おばあちゃんの途方も無い話に戸惑い、一緒に聞いていた女の子の方をチラリと見た。

すると、つい先ほどまで、そこに座っていたその子の姿はどこにもなかった。

おばあちゃんのあまりにも突拍子も無い話に呆れて帰ってしまったのだろうか。それにしても黙って帰ってしまうとは。私は、一生懸命、その女の子の名前を思い出そうとした。

しかし、不思議なことに、その女の子の名前を思い出すことができなかった。


「京子さーん、ご飯はまだあ?」

おばあちゃんが、そうおばさんに声をかけると、

「あらいやだ。おかあさん、さっき食べたじゃないですか!」

と眉根を寄せたのだ。


その夜遅くに、私とおばあちゃんが眠る隣の部屋で家族会議が行われていた。

「おかあさん、そろそろ施設に預けたほうがいいのかしら。」

とおばさん。

「そのほうがいいかもしれない。」

と母。

「うちの優衣にね、今日昼間、おかしな話を吹き込んだらしいのよ。荒唐無稽な話よ。こんな田舎で殺人事件なんて起きたことなんてないのに、さも殺人事件が昔あったような話をしたらしいの。」


私がお母さんに話したからだ。

おばあちゃんは、どこか遠くに預けられてしまうのだろうか。

いくらおばあちゃんがボケてるとはいえ、隣の部屋でそういう話をする大人たちにいささか苛立ちを感じた。


「優衣、人間はね、なんだかんだ言っても自分がいちばんなの。自分がいちばんかわいいのよ。」

おばあちゃんは、そう寂しそうに笑った。

その時、突然、遠くから悲鳴が聞こえた。


「きゃあああ!助けて!」

あの子の声のような気がして、私は立ち上がって、縁側から外に出ようとした。

「行っちゃいけないよ!」

それまで生きる屍のように、ぼーっと宙を見ていたおばあちゃんが鋭い口調で私を止めた。

「仕方がなかったんだよ。人は生きて行くためには、気付いてはいけないことがあるんだよ。」

おばあちゃんはそう言うと、とめどなく涙を流した。


その翌年には、おばあちゃんはもう居なかった。あの後、すぐおばあちゃんは老人ホームに預けられて、1年も経たないうちに死んでしまったのだ。


おばあちゃんは、一生、何を抱えて生きてきたのだろう。


数年後、あの別荘地周辺は宅地開発のため、森も伐採され整地され、あの森から女性の物と思われる白骨死体と、小学生くらいの女の子と思われる白骨死体が見つかった。


かなり年数が経っており、恐らく女性の死体はその別荘の持ち主である女性社長で、女児と思われる死体は身元不明だということだった。

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