第9章 決戦ブレードシャーク中編

 ブレードシャークが発信していた電波の停止。突然の無線妨害。そしてサメの襲撃。

 順調に進行していると思われた作戦は全てひっくり返され、狩る側の立場に居たはずの帝国海軍は一転、狩られる側に回ることになった。

 勇んでブレードシャークが潜伏していると予想された海域に突入した決戦艦隊は、周到に準備を重ねられた罠に見事にかかり、無数のサメからの波状攻撃を浴びていた。


「アオザメ全方位より飛来! 狩野かのに攻撃集中しています!」

「全艦狩野を援護せよ! 最大戦速! 一点突破にてこの海域から離脱する! 全艦名取に続け!」


 アオザメの集中攻撃を受けた狩野だが、流石に対空能力に特化した二等巡洋艦だけあって、数百のアオザメの襲来を受けながら被弾は最小限に抑えていた。

 旗艦の名取なとりも飛来するサメへの対応策として機銃を増設し、主砲を高角砲に換装した防空巡洋艦仕様であった。

 両艦を先頭に、第二十二駆逐隊と第三駆逐隊を合わせた八隻の駆逐艦も後に続いた。

 複縦陣で一気に海域を突破する算段であった。

 されど決戦艦隊の司令官は、どちらへ向かえば良いのか決定できずにいた。


「天城と合流すべきか、ブレードシャークを捜索すべきか――」


 司令官が煮え切らない思いを抱えて海図を睨む。罠だったとは言え電波は出ていたのだ。それに最後に入ってきた通信では、シャークハンターの陸軍大尉が指向性アンテナだと言い切っていた。電波に指向性を持たせていたとなれば、発信源の特定は容易い。


「提督の最後の命令は、『ブレードシャークを撃滅せよ』でしたな」

「それはあの電波が罠では無いという前提の元に発せられた命だ」


 参謀官と副司令がそれぞれ意見を具申する。

 どちらも一理あり、だからこそどちらかを選ぶのは難しい。

 されど決断をするのが司令官の責務で有った。選択から逃げ出すことは出来ない。


「狩野への集中攻撃、弱まりました。低空を旋回したアオザメは駆逐艦へ標的を変更しています」

「無線傍受を続けろ。何か異変があるはずだ。見つけたらその周波数で妨害電波を発信せよ!」


 総動員された電信員は機材のある限り無線傍受と発信を繰り返すが、サメによって乱された電波の中から、サメたちが本当に命令の伝達に使用している電波を特定するのは至難の業であった。

 そもそも、サメの使うそれは、人間の用いる機械的な信号とは違う。とてもではないが事前の情報無しにつかめるものではなかった。


「狩野は損害を確認。名取は対空支援を継続せよ!」

「アオザメ、標的を水無月みなづきに定めたようです。攻撃が集中しています」

「全艦水無月を援護せよ!」


 報告に対して場当たり的な対策の指示を出すものの、肝心な司令を出せずにいた。

 艦隊は一体何処へ向かえば良いのか。

 それも分からず、ただ回避行動を続けている。


「水無月にアオザメ直撃! 甲板上で火災発生! サメの脂に引火したようです!」


 状況は差し迫っていた。

 今決断しなければ、艦隊は総崩れだ。


「司令官、狩野艦長から入電」

「狩野から? なんだ」


 司令官は電信員に尋ね、名取の四時方向を進む狩野を見やった。


「もし三須大尉がこの場にいたのなら突撃は控えると。古代サメは浮き足だった状態で戦える相手ではないとのことです」


 狩野艦長からの進言に、艦隊司令官は目を細めた。


「確かに、奴の言う通りかも知れん」


 司令官は海軍兵学校で同期だった狩野艦長へと短く礼を述べると、艦隊へと命令を発した。


「これより本艦隊は天城との合流を目指す! 全艦、最大戦速! サメ共の攻撃を引きつけ、天城の対空砲火の元まで連れて行くぞ!」


 無線と発光信号で送られた命令に、決戦艦隊に組み込まれた全艦が了解を返した。

 決戦艦隊がブレードシャークとの積極的な戦闘をすることはなくなった。

 司令官は海図に目を落とし、参謀に計算させていたブレードシャークの新たな潜伏予想海域を確かめる。

 その海域の最も近くにいるだろう船の名を確認して、司令官はどこかほっとしたような表情を浮かべた。


「頼んだぞ駆逐艦春風――いや、三須宗護。シャークハンターよ」




 ブレードシャークとの決戦に際してはアオザメの襲来が予想された。

 アオザメは水面から高度数百メートルまで一息で飛び上がり、最大時速三〇〇キロを超える高速で水上の獲物を狙う海のハンターだ。

 そのアオザメに対して最も有効な対策は戦闘機を上げることだった。


 速度こそ驚異に値するアオザメだが、旋回能力や加速性能など、いわゆる格闘戦の領域では無力に等しい。たとえ速度で劣る戦闘機であろうと、空中での戦いではアオザメを圧倒することが出来た。

 ペリリューとアンガウルから飛び立った九五式艦戦で構成された二個飛行隊二四機は作戦開始時間に合わせて作戦海域へと向かう。

 航続距離の関係で増槽を装備し、燃料節約のため巡航速度での飛行だ。


「飛行隊長から各機へ。天城より緊急入電。攻撃を受けている模様。至急急行せよ」


 先頭を行く飛行隊長はエンジンの回転数を上げて機体を加速させた。

 九五式艦戦の最大速度は時速三五〇キロ。複葉機ながら、最大速度はアオザメを凌駕していた。

 増槽を装備しているせいで最大速度こそ発揮することは出来なかったが、それでも時速三〇〇キロを超える速度で天城の元へと向かった。


「アオザメの飛来を確認!」

「正面十二時方向より、数三〇」

「全機迎撃態勢。深追いはするな。振り切って天城の元へ向かう」


 飛行隊長からの命令に、各機は互いの距離を開けながらもこれまで通り直進を続けた。

 水面から飛び出したサメは、僅か十数秒で飛行隊のいる高度八〇〇メートルまで上昇する。

 円錐形の吻を持った、細身の流線型。その体は深い藍色をしていて、ただ体に対してやや大きい両の瞳だけが真黒に沈んでいた。


「小隊散開! 攻撃開始!」


 飛行隊長の攻撃命令を受け、九五式艦戦は各飛行小隊に別れて散開した。そして急旋回する小隊を追いかけて進路を変えたサメに対して、別の二個小隊が側面から攻撃を仕掛ける。

 たちまち半分程のサメが機銃弾を浴び失速し、海へと落ちていった。

 数の上でも有利にたった飛行隊は、進路をただして天城を目指す。


「飛行隊アオザメと交戦、損害無し。これより天城へ――」


 天城への無線連絡を行っていた飛行隊長は、目の前の事態に言葉をのんだ。

 最初に標的にされた小隊がサメたちに追いつかれ、その鋭利な歯で持って翼を切り裂かれていた。


「馬鹿な! アオザメが何故!?」


 飛行隊長はあり得ない、いやあり得てはならない現実に一度取り乱したが、直ぐに正気を取り戻して天城へと連絡する。


「飛行隊、アオザメと交戦中! 撃墜四! 敵サメなおも多数! 交戦を継続!」


 無線連絡に、天城からの応答は無い。

 代わりに、無線機からは耳障りな雑音が響いた。


「無線機の故障か? 仕方あるまい」


 飛行隊長は副隊長へと発光信号で無線機の不調を伝えた。

 しかし返ってきたのは、無線機不調の知らせ。

 かと思えば、近くの僚機から無線が飛んでくる。


「まさか、無線妨害だと――」


 飛行隊の置かれた状況を理解した飛行隊長は、無線で飛行隊に向けて発信し、全機に無線が通じることを確認した。


「近距離ならば無線連絡可能だ。少しでも天城に近づけば、連絡が取れるかも知れん。――だが、そのためには……」


 一個小隊四機の九五式艦戦を全滅させたサメたちは、鋭く吻を振って旋回し、かと思えば上昇気流を掴んで急上昇をかける。

 明らかに異質。アオザメの動きでは無い――。

 果たしてこのサメの群れによる攻撃を突破する事が可能であろうか。

 飛行隊長の目に映ったサメの姿は、確かにどこかアオザメとは違って見えた。

 アオザメより背びれは小さく、そして胸びれは細く長い。


「新種か? それとも古代サメか?」


 飛行隊長はこのとき、このサメがヨシキリザメという名だとは知らなかった。極めて運動能力の高いサメで、特にその細長い胸びれによる高速での飛行安定性に長けた、大空の覇者である。


「数はこちらが勝る。編隊を乱すな! まずは奴らの飛行能力を確かめる! 全機最高速度!」


 エンジンを一杯に回して高度を下げると瞬く間に機体は時速三五〇キロを突破し、増槽装備ながら無茶な速度を出した機体が悲鳴を上げるように軋む。

 しかしヨシキリザメは一気に加速して編隊の真上を捉えると、急降下して攻撃を仕掛けた。


「全機回避!」


 機体を横にずらしつつ上昇する九五式艦戦。ヨシキリザメの編隊はそのうちの一つを捉えて操縦席をかみ砕いた。


「アンガウル飛行隊、攻撃開始!」


 後ろについていたアンガウルの飛行隊は目の前に急降下してきたヨシキリザメへ攻撃を仕掛ける。

 だがヨシキリザメは機銃攻撃を学習し、素早く回避行動をとる。

 攻撃から逃れつつ十五匹のヨシキリザメが空中で散開した。

 誰の目から見ても、速度も運動性能もヨシキリザメが上だ。

 散開したヨシキリザメを追って小隊単位で攻撃を仕掛けるも、空中で自由自在に飛び回るヨシキリザメに翻弄されて仕留められない。


「このままでは飛行隊は全滅だ――」


 飛行隊長はただ一つだけ、目の前のヨシキリザメと互角に戦いうる手段を知っていた。

 だがその手段を選んだ場合、本来の目的が果たせなくなる。


「――いやしかし、ここで全滅してしまったらこやつらが天城へ向かうことになる。それだけは阻止せねば!

 飛行隊長から全機へ、増槽を投下せよ! これより飛行隊は本空域での対空サメ戦闘に専念する! サメ共に、大和魂を見せてやれ!」


 飛行隊長の命に、各機から威勢の良い返答が響く。

 残された一九機の九五式艦戦は増槽を投下し、身軽になった機体でヨシキリザメへの反撃を開始した!




「アオザメ五〇急接近中!」

「全艦、対空戦闘用意! なんとしてでも持ちこたえるのだ!」


 提督の命令が直ちに補助艦隊へと伝えられる。

 その間天城に舞い込んでくる報告は悪いものばかりだった。

 恐らく決戦艦隊は罠にかかった。天羽々斬――もといブレードシャークの撃滅は困難を極めるだろう。

 航空支援に駆けつける予定だった飛行隊もアオザメの奇襲を受けている。到着したとして、どれほどの時間戦闘行動が可能になるか定かではない。


「哨戒艦隊に集合をかけよ」

「無線が――。報告します。天城は無線妨害を受けています! 哨戒艦隊との連絡途絶! 決戦艦隊とも、飛行隊とも連絡が取れません!」


 電信員は血の気が引いた青ざめた顔をしていた。

 古代サメのいる海域で友軍との連絡が途絶。絶望する気持ちも理解は出来た。

 だがここで諦めてサメの餌になる訳にもいかない。南洋方面艦隊には、南洋諸島だけでは無い、太平洋の、そして大日本帝国の存亡がかかっているのだ。


「さてどう出るべきか。かようなとき、三須閣下ならどうされたか――。天羽々斬、もといブレードシャークは策を練った。奴には知能がある。我々も、知恵を働かせなければ生き残れはしないだろう――」


 ブレードシャークは決戦艦隊をおびき出し、艦隊の無線を封鎖した。

 では何故天城に攻撃を仕掛けたのか。

 天城は指揮のため後方で待機していた。戦闘に関わる予定など無かった。

 もし天城が攻撃を受けなかったら、補助艦隊はどう動いたか。

 奴は――ブレードシャークは何を恐れている――。

 答えは明白だ。

 奴は、天城を恐れている。

 いくら強力無比な武器を持っていようと、ブレードシャークはたかだか全長十五メートル。天城の対空砲火の前では無力に等しい。


「アオザメ全て撃墜! 次の攻撃来ます! 七時方向、距離三五〇〇、数一〇〇!」

「これも罠かも知れん。天城をおびき出すための。――だが、座して死を待つくらいなら、憎き古代サメに一泡吹かせてやろうでは無いか!

 天城前進、第五戦速! これより天城はブレードシャークの潜伏予想海域に突入する! 全艦天城に続け!」


 煙突から黒い煙を吹き出し、天城の巨体が前進を始める。

 天城は巡洋戦艦だ。

 同じ四一センチ砲一〇門搭載した加賀、土佐と比較すると防御力に劣る分、機動力に長けた。最大速度は三〇ノットにも及ぶ。

 二五〇メートルを超える巨体が水上を三〇ノットで航行し、随伴する駆逐艦はもちろん、二等巡洋艦である夕張すらその艦首波に船体を揺さぶれた。


 駆逐艦や二等巡洋艦を苦しめたアオザメによる低空からの突撃も、天城の対空放火の前では無為に等しい。狩野や名取が三基六門装備している四〇口径八九式高角砲を、天城単独で一〇基二〇門装備しているのだ。その他最新の二五粍機銃を連装・単層合わせて八〇挺以上搭載し、それ以下の機銃も臨時に多数積んでいる。新たに出現した一〇〇のアオザメも、対空砲火の前に散っていった。


「一匹たりとも艦上に上げるな! 対空警戒を厳とせよ!」


 雲の中から新たにアオザメが出現し、天城直上から急降下攻撃を仕掛ける。


「アオザメ直上! 急降下!」

「馬鹿なことを! 撃ち落とすのだ!」


 アオザメの体は細長い流線型。空中を高速で滑空することは得意だが、真上から襲いかかるのは本分では無い。急降下攻撃をかけた二〇ほどのアオザメは天城の対空砲火をかいくぐることも出来ず全て空中で四散した。

 あまりに圧倒的。圧倒的すぎる対空能力。よもや二〇〇、三〇〇のアオザメ程度では天城の装甲にたどり着くことすら出来ないだろう。


 だがアオザメは攻撃を止めない。

 次々に海面から飛び上がっては、ただ真っ直ぐに天城を目指す。その行動が無為であると知らずに。

 天城を護衛するのは小型の二等巡洋艦ながら対空兵装の充実した夕張と、第八駆逐隊三隻、及び二等駆逐艦四隻。駆逐艦はいずれも機銃を積み増していた。新設の機銃では機銃手の技量が低かったが、天城の圧倒的な対空能力のおかげで新兵も余裕を持って迎撃を行うことが出来た。


 天城の進撃を止められるサメはいない。

 艦隊の誰もがそう信じていた。

 されどその微かな願いは、空中待避させられていた水上偵察機からの報告によって崩れ刺すことになる。


「一時方向――そんな、嘘だ――」

「目に見えるものは全て真実だ! 見たとおり報告せよ!」


 檄が飛ばされると、偵察機乗組員は叫ぶように報告した。


「一時方向、距離一五〇〇〇! ホホジロを確認!」


 ホホジロ――。

 その名前に艦橋要員は息を呑んだ。ある者は恐怖から硬直し、ある者は戯言のように呪詛のような言葉を繰り返す。

 現代のサメでありながら、古代サメと同様に恐れられる海の殺し屋。別名白い死神。ホホジロサメ。

 海で出会うことを最も恐れられる、最強のサメだ。


「大きさは――至急確認せよ!」


 提督だけは正気を保ち、すぐさま測距儀要員に指示を飛ばした。アオザメが数一〇〇飛んでこようと天城は無事だが、ホホジロサメが襲ってくるなら話は別だ。

 艦橋要員が固唾をのむと、遠く前方の海面に何かが浮上してきた。

 血肉に汚れた凶悪な歯をぎらつかせて、白い死神が顔を出したのだ。

 通称『スパイホッピング』と呼ばれる威嚇行為。標的の目視確認と、攻撃の最後通告。

 光の失せた瞳に映る感情はどこまでも無。無限の闇のような瞳を見て、生きて帰れた船は少ない。

 ホホジロサメは海中に顔を引っ込めると、三角形の背びれだけ海面に出して天城へと真っ直ぐ向かってくる。


「ホホジロ、恐らく五〇メートル級!」

「五〇か……」


 最大で二〇〇メートルに迫るホホジロサメにしては小型だ。だがそれでも、天城の装甲を食いちぎる能力は十分に持っている。


「砲戦用意! 一番、二番砲塔対水上弾頭弱装! 乗組員は甲板上から待避せよ!」


 よく戦艦主砲は発射した側に効くという話が海軍士官の間で語られる。

 事実これは与太話などでは無く、一トンもの重量物を二つ、秒速八〇〇メートル近い速度で撃ち出すのだから、当然その反動が船体に直撃するし、発射の爆風が吹き荒れる。

 もし主砲発射の瞬間に防風壁への待避が間に合わなかった場合、命は保証されない。

 天城甲板上の臨時に増設された機銃座には爆風避けのシールドが未設置であったため、一部の機銃手は慌てて艦内へと避難した。

 緊急的な増設だったのと、よもや主砲を使うことになると予想されなかったために発生した珍事である。

 結果として天城の対空能力は若干の低下を見たが、それでもアオザメに対しては十分と言えた。


「ホホジロ、距離一〇〇〇〇!」

「今だ! 一番二番主砲、撃て!」


 射撃命令が下され、主砲が発射される。

 轟音と衝撃が艦橋を襲う。

 主砲からは炎が伸び、熱せられた空気が激しい渦となって甲板上を襲った。

 放たれた砲弾は迫り来るホホジロサメの背びれの前と後ろに二発ずつ落ちて高々と水柱を上げる。

「ホホジロ健在! なおも天城へ接近!」

「取り舵一杯、全砲塔対水上弾装填!」


 天城は艦首で鋭く海を薙ぎ伏せて旋回する。ホホジロサメに船体側面をさらすことになるが、天城の持つ一〇門全ての砲で撃つことが出来る。


「ホホジロ、距離六〇〇〇!」

「全砲塔良く狙え! ――撃てーっ!」


 先ほどの比では無い轟音と衝撃が艦橋を襲った。

 それでも艦橋要員は水上偵察機からの報告をじっと待った。


「着弾確認! 命中弾有り! 海面が赤く染まっております!」


 報告に艦橋は沸いた。

 ホホジロサメを倒したのだ!

 海軍兵にとって、古代サメの次に誇れるのはホホジロサメの討伐だ。

 それに、ホホジロサメさえ倒してしまえば、少なくともブレードシャークの潜伏予想機息までは無事にたどり着けるだろう。

 歓喜と安堵に包まれた艦橋に、水上偵察機からの続報が入る。


「ホホジロ、生きています! 天城まで、距離一〇〇〇!」

「主砲装填急げ! 全乗組員、衝撃に備えよ!」


 緩みきった艦橋要員は一転して地獄の入り口に立たされた。

 海面から姿を現したホホジロサメ。

 左側の胸びれを根元からごっそりそぎ落とされていたが戦意はまるで失っていない。それどころか、感情の無かった闇のような瞳の奥に、憎悪と殺意がゆらめいていた。

 スパイホッピングの要領で海面から飛び上がり、全長五〇メートルを超える巨体が牙をむいて天城へと襲いかかる!


「主砲撃てーっ!」


 提督が叫んだ瞬間、爆音を轟かせ二番砲塔が火を噴いた!

 直前に迫っていたホホジロサメの頭部が半分吹き飛び、鮮血と肉片が天城に降り注ぐ。

 遅れて一番、三番、四番、五番砲塔が火を噴いた。

 既に絶命していたホホジロサメの巨体を、一トンもある砲弾が八つ貫いた。

 流石の天城もホホジロサメの亡骸が衝突すると大きく揺れた。されど、船は無事であった。間一髪、主砲発射は間に合ったのだ。


「陸戦隊出撃せよ! ホホジロの体に寄生していた小型サメを見つけ出し海へたたき落とすのだ!」


 提督は今度こそ胸をなで下ろし安堵した。


「二番砲塔の砲術士官には勲章を与えねばならないでしょうな」


 一人小さく呟いてから、艦隊に現状報告を促す。

 天城以下全ての艦は損傷無し。危ういところだったが、何とか乗り切った。

 しかし、その期待はまたもや水上偵察機からの報告で裏切られることとなった。


「四時方向、ホホジロと思われる背びれ確認! 距離一二〇〇〇!」


 再びのホホジロサメ確認の報告だったが、今回は艦橋要員の誰も怯えたりはしなかった。


「一度の出撃で二匹のホホジロを倒したとなれば、戦艦生駒いこま以来の快挙! 各員、一層奮励努力せよ!」


 提督の言葉に乗組員の士気は高揚し、誰もが戦いの決意を固めた。

 大口を開けて艦隊を睨むホホジロサメ。

 全ての海を制する白い死神に対して、天城は臆すること無く攻撃を開始した。




「アオザメ沢瀉おもだかに攻撃集中!」

「全艦援護せよ! 速度を落とすな!」


 アオザメは矢のように連なって一直線に最後尾についていた二等駆逐艦沢瀉を急襲する。

 沢瀉を始め、同型艦の牡丹ぼたん、神風型駆逐艦の松風まつかぜ旗風はたかぜも臨時で機銃を増設していた。

 しかし機銃座をただ置いただけでは効果は少ない。

 アオザメは空中を時速二五〇キロ近い速度で飛行して、掠めるように攻撃を仕掛けてくる。

 突然機銃座に配備されたろくな訓練もしていない素人では、とても命中弾は見込めなかった。


 それでも被害を最小限にまで抑えられていたのは、熟練した機銃手と、対空装備の充実した春風はるかぜ朝風あさかぜ両艦の活躍によるところが大きい。

 二五粍連装機銃は弾数の少なさこそ装弾員を苦しめたが、超低空飛行で侵入してくるアオザメに対しては極めて有効な装備で、手慣れた機銃手は二〇〇〇メートルの距離からアオザメを撃ち落として見せた。


「ブレードシャークはこちらが電波を利用することを予想していた」

「そのようだ。して宗吾君。ブレードシャークは今どのようにアオザメ共に指示を与えているのか?」

「問題はそこです。指示には電波を使っているはず。無線機を借りても?」

「ここにある何でも好きに使い給え」


 宗護は春風艦橋の無線機を借り受けると、ヘッドフォンを左耳に押し当てて神経を集中させた。

 ヘッドフォンからは妨害電波による雑音だけが響く。

 耳障りな雑音に耐えつつ、周波数を少しずつ変えていき変化を探る。実際にこうしてアオザメを動かしているのだから、アオザメが知覚できる方法で指示を与えているはずである。

 宗護はある周波数で、雑音に紛れた特殊な発信を発見した。

 普通にきいていたら雑音でしかない。だが、サメの使う言語が分かるならば話は別だ。それは明確にアオザメに指示を与えるブレードシャークの発信であった。


「やはり電波を使っています、それも器用に、妨害電波の中に潜ませて。とても人間にはこの電波は捉えられないでしょう」

「ふむ。しかし周波数は分かったわけだ」


 妨害電波の発信を艦長が指示しようとしたが、宗護が待ったをかける。


「周波数を変えている。妨害電波が放たれることを予想して、複数の周波数を使って命令を発信しているです。恐らくですが事前に、この辺り一帯の海域に住むサメと打ち合わせをしていたのでしょう」

「恐ろしい知能だ」


 艦長だけでなく、艦橋要員は皆、息を呑んだ。

 そんな恐ろしい古代サメの潜む海域に向かって、春風は邁進している。


「しかし、電波を出している以上、場所は露呈します。巧妙に隠してはいますがこれならブレードシャークの居場所を割り出せるでしょう」

「おお! それは頼もしい! 是非ともやってくれ!」

「少々時間を頂きます。二五粍連装機銃を一基、直ぐにブレードシャークに対応できるよう待機させておいてください」

「承知した! 二番連装機銃座、射撃準備を整え待機! ブレードシャーク出現に備えよ!」


 有力な機銃座が一つ沈黙したことでアオザメはここぞとばかりに攻撃の手を強めたが、その分を別の機銃座が補い、飛来するアオザメを打ち抜いていく。

 攻撃の集中した沢瀉はアオザメの直撃を六ほど受けていた。されど機関に問題はなく、また攻撃を肩代わりするように松風が飛来するアオザメの矢面に立った。

 六隻の駆逐艦は複縦陣で邁進し、飛びかかるアオザメに次々と機銃弾を叩き込む。

 機関のがなるような音と機銃の射撃音が響き渡る中で、遂に宗護は再びブレードシャークの発信を捉えた。


「見つけた! 艦長、進路面舵十一度! 距離およそ一〇〇〇〇!」

「進路修正、面舵十一度! 二番機銃座戦闘準備! 対空警戒を怠るな!」


 進路を変えた春風に、五隻の駆逐艦も続く。

 転進した艦隊に対して、その正面から無数のアオザメが襲いかかってきた。


「正面アオザメ一〇〇以上!」

「アオザメ標的変更! 春風を目指しています!」

「アオザメ更に増えます! 三時方向五〇、八時方向からも四〇!」


 次々と舞い込む襲撃の報告。

 それは確かに、この先にブレードシャークが潜んでいることを意味した。


「これより春風はブレードシャークに決戦を挑む! 全艦、アオザメを春風に近寄らせるな! 全て撃ち落とせ!」


 先行した朝風は正面から飛来したアオザメの攻撃を引きつけ、対空砲火によって次々にアオザメを撃ち落とす。

 側面からの攻撃は松風、旗風、沢瀉、牡丹が引き受け、直撃を受けながらも攻撃を防ぎきった。


「更にアオザメ来ます!」

「〇時方向、正面から数一二〇!」

「二時方向から三〇!」

「五時方向、松風に向かって三〇! 松風、回避は困難!」

「一〇時方向数五〇! 沢瀉、命中多数! 操舵不能!」


 決戦を挑む艦隊に対して、あまりに多大な攻撃。春風艦橋には悲鳴のような報告が相次いだ。


「奴さえ――ブレードシャークさえ倒せばこの戦いも終わるというのに――」


 艦長は奥歯を噛みしめ、アオザメ相手に翻弄される現状を嘆く。

 いかに優秀な艦隊を持ってしても、数の暴力には到底適わないという事実に拳を固く握りしめた。


「かなり危険もありますが、一時的にならアオザメをブレードシャークの指揮下から引き離すことが可能かも知れません」

「それは誠か! 危険は承知だ! 直ぐ実行してくれ!」


 宗護の言葉に艦長は艦長席から半身を乗り出して答えた。

 宗護は自分で言っておきながらも一瞬躊躇して、しかし操舵装置に不調をきたした沢瀉がアオザメの集中攻撃を受けているのを見ると無線機に飛びついた。

 今一度全神経を左耳に集中させ、妨害電波の中にあるブレードシャークの発信を捜す。

 宗護の耳にブレードシャークが放つ特殊な波長が届いた瞬間、宗護は喉を震わせて、その周波数に割り込んだ。


【サメヲコロセ】


 声にならぬ声。

 艦橋にいた誰の耳にも、それが声だったとは分からなかった。

 だが艦隊に攻撃を仕掛けていたアオザメは宗護の声を確かに聞いて、その指示を実行に移した。


「アオザメが――アオザメが同士討ちを始めています!」


 今にも沢瀉に襲いかかろうとしていたアオザメは、突然進路を変えると近くにいたアオザメを食いちぎった。

 そのアオザメにまた別のアオザメが食いつき、アオザメ達は団子になって海へ落下して狂乱状態に陥った。

 そして電信員の元に、新たな通信が次々と届く。


「妨害電波止まりました! 天城より入電! 天城、ホホジロサメと戦闘中!」

「決戦艦隊、天城との合流に向け転進!」

「飛行隊、未知のサメと戦闘中! 機動能力に優れるサメのようです!」


 妨害電波が止んだことに一同はほっと安堵したが、宗護だけは違った。

 直ぐに適切な指示を出そうと、手にしていた無線機で直接通信を行う。


「天城、ホホジロサメに側面を見せず逃げながら戦闘を。

 名取は進路そのまま、急ぎ天城との合流を。

 飛行隊、サメの形状を確認せよ。特に胸びれの形状に注意。もし長い胸びれを持っていた場合はヨシキリザメの可能性が高い。攻撃の瞬間に速度を緩める特徴がある。寸前まで攻撃を引きつけ反撃に転じよ!

 哨戒艦隊各艦は最寄りの艦隊との合流を目指せ! 単独行動は控えろ!」


 言い切ってから宗護は肩をすくめて、天城に対して今一度通信する。


「――今のは命令では無く進言です。指示は天城より頼みます」

「天城了解。各員、三須大尉の指示に従え」


 参謀とは言え、天城の頭を越えて命令を下すのはやり過ぎであった。事実宗護はその提案を断っていたのだから。

 しかし提督は宗護に全幅の信頼を寄せ、進言を全て受け入れた。

 艦隊はこれでひとまずは安泰。問題は――


「艦長、妨害電波を止めた理由は一つです。つまり奴は、これ以上艦隊を分裂させておく必要がなくなったのです」

「つまりどういうことか」


 尋ねる艦長に、宗護は意を決して答えた。


「ブレードシャークは標的の位置を確認しました。この、春風です」


 艦橋の空気が凍り付いた。

 そして宗護が手にしていたヘッドフォンから、妨害電波に似た雑音が響いた。


【 ミ ツ ケ タ 】


 誰の耳にも雑音にしか聞こえない、耳障りな高音だった。

 唯一宗護の耳には、その雑音が言葉として捉えられ、瞬時に言葉の意味を理解する。


「艦長、ブレードシャークが来ます!」

「各員警戒を厳とせよ! 決して攻撃を見逃すな!」


 艦長の指示が伝えらた刹那、艦橋上の見張台から報告が響いた。


「三時方向! ブレードシャークです!」


 叫ぶ海軍兵の声に一同は視線を右に移し、空中を飛来する巨体を見た。

 鼻の先に長く伸びた、ぎざぎざとした棘のある吻。

 それを振りかざして、巨体は真っ直ぐ春風に突っ込んできた。


「全機銃を持って迎撃せよ!」


 艦長の指示で、全ての機銃が三時方向に向けられて火を噴いた。

 だが宗護はそれを制止させようと叫ぶ。


「待て、囮だ! それはノコギリエイだ!」


 特徴的な吻を持っていたが、その巨体は全長せいぜい八メートル。平たい体に面積の広い胸びれを持つそれは、サメでなくエイであった。ノコギリエイは精鋭揃いの春風機銃手によって容易く打ち抜かれ、空中で瞬く間に四散した。

 わざわざ囮を投げつけたと言うことは、本命の攻撃方向は考えるまでも無かった。

 宗護は軍刀を抜いて、ノコギリエイと反対方向。春風の九時方向を睨む。

 春風から一〇メートル程の海面から水柱と共に姿を現したのは、紛れもなくブレードシャーク。

 四メートルを超える白銀色の吻を曇天に輝かせ、銃弾に抉られた左目と、闇の底のような真黒の右目で標的を睨む古代サメ。

 三時方向に向けていた機銃は反対方向に現れたブレードシャークにまるで対応できず、飛び上がったブレードシャークは何者にも邪魔されず、真っ直ぐに艦橋を狙う!


「艦長、下がって! ここは自分が!」


 軍刀を構えてブレードシャークの攻撃する瞬間を見切ろうと全神経を集中させる宗護。

 だがブレードシャークは飛び上がった勢いそのままに、艦橋の更にその上へと攻撃を仕掛けた!


「奴は何を――」


 戸惑ったのも一瞬。宗護はそこに何があるか思い出す。

 ――見張り台だ!

 そしてそこには、海軍兵と共に宗護の部下である少年も立っていた。

 ブレードシャークは吻を一振りし海軍兵を見張り台ごと切断すると、その吻の先で少年の襟首を攫った。


「――宗護さんっ!」


 吻の先にぶらさがった少年が叫ぶ!

 ブレードシャークはそのまま春風を飛び越えて海面に突っ込んだ。


「あの野郎、何をするつもりだ!」


 宗護は艦橋の反対方向へと駆け寄って海面を見る。

 ブレードシャークが突入して発生した大きな波が消えると、そこに小さな人影が現れた。

 浮かび上がってきたのは少年であった。

 目立った外傷は無い。少年は飲み込んでしまった海水を吐き出して、手にしていた三八式歩兵銃をしっかり握りしめながらもがくようにして海面を漂い、艦橋にいる宗護へ向かって叫んだ。


「――宗護、さん! 来ては駄目だ――。奴が――。ブレードシャークが、待ち構えて――」


 海に沈む少年。

 しかし直ぐに浮かび上がって酸素を吸い込むと、また沈む。

 ブレードシャークの巨体は機銃弾の届かない水深を保ちながら、その周辺をゆっくりと、弧を描くように泳ぎ、時折吻の先で少年のズボンを引っ張って海中に引きずり込む。

 宗護は上着と帽子を脱ぎ捨て、下げていた軍刀の鞘をその場に落とした。


「ま、待て宗吾君! 分からないのかね、これは罠だよ! あの子を餌に、君を釣上げようとしている!」

「分かってます。だが、部下を見捨てることは出来ない!」

「かも知れない。しかし行って何になる! 勇気と蛮勇は違う! 水中でサメと戦って勝てる訳が無い!」

「それでもっ!」


 宗護は語気を強め、艦長に対して叫ぶように言った。

 だが一度言葉を句切ると、非礼を詫びてから小さく続ける。


「自分は大日本帝国陸軍大尉です。部下を見殺しにすることは出来ない」

「私だって春風艦長だ。君の身を預かった以上、見殺しには出来ない」


 食い下がる艦長に対して、宗護は艦長の目を真っ直ぐに見据えて答えた。


「自分を信じてはくれませんか。勝機はあります」


 宗護の言葉に、艦長は言葉を詰まらせた。

 しかし、宗護の曇り無い瞳を見て、やがてゆっくりと頷いた。


「――君を、信じよう。だが、最悪の事態が起きた場合は――」

「はい。その時は後のことを頼みます」


 宗護は艦長に敬礼すると、軍刀を握り直して艦橋から飛び出した。

 一つ柵を越えてしまえば、その向こうは直ちに海である。


「――常に最悪の事態を想定せよ。三須閣下がよく言ってなすった。――しかし、最悪の事態などと言うものは、考えたくもないものだ」


 艦長は帽子を被り直すと、険しい面持ちで命令を下した。


「爆雷投下の準備をせよ! 彼が失した場合は本艦がブレードシャークを仕留める!」


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