(八)

新宿区・江戸川区・千葉県・台東区


Ⅰ:新宿区:歌舞伎町



 漆黒のミニバンが薄暗いゴールデン街を離れ、きらびやかな新宿の夜へと滑り出す。荷室に気絶した女を乗せて。

 ドライバーはビルの壁を飾る大型ビジョンを見上げ、にたりと笑った。アナウンサーがニュースを告げる映像である。

〈電網庁の新庁舎移転に伴い、本日深夜0時より電網免許証の認証システムが、一時システムダウンします。明日の午後十二時には復旧の見込みですが……〉

 その口調は極めて事務的であった。一字一句、官報にならうから必然である。それが可笑しい、というわけではない。自分たちの運ぶ荷物が「電網庁の女帝」だから、そのニュースを見たタイミングに笑えてしまったのだ。




Ⅱ:江戸川区:東葛西:葛西警察署


 末次警視はプロジェクターの性能に感心していた。それは最新型らしく、大きな会議室が明るいままでも壁に投影された内容がわかる。

「金まわりが良さそうだね、葛西署は」

 痩せぎすの両腕を精一杯広げ、歯並びのいい口元をニッと横へ広げた。「署長の腕がいいのか、署員の腕がいいのか……犯罪者の腕が悪いのか」

 葛西署の捜査員が言った。「よくいいますね。先月、本店(警視庁)の指示で買わされたんですよ、このプロジェクターは」

「買わされた? ……そうなの」

「ええ。うちの警務(警務部=人事や経理を担当する)はブーブー言ってます。おかげでパソコンの買い換えが六台先延ばしになった」

「パソコンの買い換えなんてやんない方がいいぜ。ストレス倍増だよ? OSが違う、ソフトが違う、また全部インストールし直さなくちゃなんねぇ。若い奴に質問したらヘルプを読めってにらまれる」

「電網庁ですよ」本庁から来た捜査員が、末次にコーヒーの入った紙コップを手渡す。「……早くパソコン買い換えろとうるさい。葛西署の警務部はこのプロジェクターのせいで、電網庁とウチ(警視庁)の板挟みにあってる」

 末次は机の上に並んだノートPCの数台に目配せした。認定機種を意味するきらきらとしたステッカーを貼った代物が並んでいる中に、そうでないのも紛れている。移行が完了していないということだ。

「……そりゃあ警務がおかしいぜ。電網庁のために働いてるんじゃねぇのにな? な?」

「警視、いいからこれ見てください」

「仕事熱心だね、君」苦笑いしてコーヒーをすする。「じゃ、説明して」

 捜査本部が設置されてから五日が過ぎていた。葛西署の大会議室には落ち着きのようなものが見え始めている。

 夜の八時を過ぎた頃から、事件主任官の末次警視と各班サブリーダーの捜査員は中央のテーブルに集い、収集した情報の総括を始めていた。大親分である捜査本部長はすでに帰宅済み。明日朝の捜査会議に向け、現場レベルの下打ち合わせといったところである。

「これ、これ……とこれ」捜査員の一人がパソコンを軽く撫でた。それに応じて白い壁に投影されたタンクローリーの姿が切り替わる。「に加えてこの三台。合計六台が同型です。ナンバーが割れているので……」

「六台ぽっちか。なら今日中に動き始めたいな。明日の朝のウケ狙いで」

 警察が持つ自動車検索のあらゆる手段を講じ、タンクローリーを広域配備しろという意味だ。捕まえるためではなく、あくまで監視のために。作業の中心となるのは勿論「Nシステム」。

 この会議室の中にもNシステム専任者を常駐させることにした。敵は車のプロ。だから相応の準備がいる。

 末次は甲斐原豪の逮捕にまるで満足していなかった。否、むしろ奴は噛ませ犬。そういう認識を持っていた。

「手配はできます。人員も配置済み……ですが」捜査員の一人が言葉を湿らせる。「まだタンクローリーを使ったバス暴走のメカニズムがはっきりしない。手配は待つべきじゃないですか」

「……全部読んだ?」

 末次はテーブルの上に置いた分厚い紙束をとんとん、と叩いた。国土交通省の調査委員会が来月早々に発表するだろう報告書、その草稿である。「この厚みで読む気を無くしちゃうけども」

 テーブルを囲む捜査員数名に目配せした後、末次は背の高い科学捜査員に視線を合わせた。本店から連れてきた男だ。

「整備不良に関する記述が足りない。まだ調整中なんでしょう」その科学捜査員が肩をすくめる。「図面だの数字だのたくさんありますけど、脈絡のない寄せ集めですわ」

 k1amShe1lクラムシェルこと甲斐原豪とのその手下である島﨑拓生。二人が電網公安官により公務執行妨害で逮捕され、電網庁はPCを押収。その中身に問題ありとして警視庁に情報が伝わり、おかげで刑事部は腰を上げざるを得なくなった。ただし事故が事件へと格上げされるためには「動機」と「手段」を見極めた上で、「なぜ事故を偽装するか」といった難題に答えねばならない。すなわち立件という手続きだが、よくある通り魔や窃盗に比べて今回はレアケースであり骨が折れる。しかも、のんびりしてはいられない。甲斐原は拘置が解かれた途端、隠蔽に動くとみられるからだ。あるいは別に黒幕がいる場合、口封じのために殺される可能性まである。

 甲斐原は修学旅行バス事案への関与を否定していた。一介の整備士にそんな事が可能な筈はない、プログラムは神様じゃないなどとしらを切っている。警察は押収された違法なプログラムと、千葉県警および事故調の集めた資料を頼りに捜査を進めねばならない。一方で末次は、警視庁が独自に見出した手がかりにチャンスを見出していた。あの緒方隼人、公安部の新人君がみつけた事実。事件の夜、観光バスを三時間以上追走していた——タンクローリー。

 末次だけではない。集った面々は皆、銀色にぎらついた六台の車体に突破口となってくれることを期待していた。

「ドライバーはだいたい目星、ついてるの?」

「業者から攻めていますが、事件当日に絞れば両手ぐらいには絞れるとみてます」

「十人? 六台つっても六人じゃねぇのか。ピカピカで無塗装のやつは資格の線もあるんだろ? 腐食に強い、化学製品専用だそうじゃないか」

「ですが、空っぽなら大型免許で運転していい。転がすだけなら俺でもできる」

 末次は自前のノートPCをテーブルに広げ、あの日、Nシステムに写っていたタンクローリーの写真を表示して、皆に見せた。

「空っぽの場合は、空って字を付けるんだろ。危、って写ってるじゃない? これ付けて堂々と転がせる?」

「スピード違反対策のナンバーカバー付けてる奴ですよ。表記義務の違反ぐらい、しますよね」

「まぁな。あーあ。でも十人ぐらいなら、任意同行やってみるかい? 末次的には待ってらんないんだけど」

 科捜研から来た馴染みの科学捜査員が首を横に振る。「……運転手の線は危ういです。と思います」

「なんでさ。叩いたら何かでるかも、だぜ」

「事件当日、観光バスに併走したタンクローリーが何台いたと思いますか」

「……さぁてな。いっぱい?」

「この三時間に限って、確かにこのタイプが怪しい。それは事実だ。でもそれ以前にだって、つまり昼間からギラギラ光るタンクローリーが何台も斜め前を通過したに決まっている。そっちはなんで無害なのか。しかもベガスが発表した追突事故はぜんぶ昼間起きている。あの事故は……夜なんです」

「夜の何が気にくわないわけ?」

「もともとベガスのリコール対象になったクルマは、レーザー照射型のいわゆるLIDERを搭載していて、それが鏡面状のタンクローリーに干渉して誤動作を頻発していました。だから可視光のビデオカメラも併用して、TR条件分岐なる複雑なアルゴリズムで動くように改良された。ですが、その改良版は夜だと正常動作しないそうです。カメラの感度が悪いので」

「それだと対策になってないじゃん。夜は追突事故だらけになるって意味?」

「いいえ。夜間は自動ブレーキシステムそのものを切ります。わかります? 普通のクルマになるらしいんです」

「なんだそりゃ。そんなんで……いいわけ?」

「夜に限らず、暗いところで可視光カメラの感度が十分得られていないときは、自動ブレーキシステムをONにしようとしても、できない。運転手が自力でブレーキ踏めということです」

「大した自動ブレーキシステムだねぇ……」

「なので事故調査委員会は、ベガス社の設計に問題はないとひとまず結論している。そりゃそうだ。どのみち夜は、自動ブレーキが働かない時間帯なんです」

「でも、それは対策されたクルマが、そのまんま走ってることが前提だろ? 事故調の結論はそれでかまわんが俺たちは違う。甲斐原は対策前のプログラムに入れ替えることができたんだ。というより、ちょっと改造を加えた自前の斬新なプログラムに差し替えた可能性もある。夜に事故を起こすことはできるんじゃないの? とんでもないことが起きたっておかしくない。違う?」

 科学捜査員は小さく頷いた。「おっしゃる通り……ですがその、肝心の甲斐原プログラムの解析が進んでいない。相手はECU、精密機械相手に動く極小プログラム数百個からなる大軍です。ソフトウェアでいうと、お化け級に謎の代物だ」

「つまりアレかい? 科捜研的には、まだわからないとか、まだ上手く説明できないことを、できるとは言えない。言いたくない」

「まだ言い切れないですね。いまのところタンクローリーの併走は状況証拠にすらなっていない」

「でも末次的にいえば、それはお前さん達の都合だぜ? こっちの手が遅いってだけの話だ。違うか」

「……」

「いいかい。こっちの都合を待ってくれない連中が動いてる。例のネ自連とかいう、電網庁の揚げ足をとるウェブサイトな。あいつらは甲斐原逮捕の情報を俺たちよりも先に握っていた。そしていち早く全世界に知らせた……意味、わかるか?」

 捜査員達は全員黙り込む。

 所轄の若手がたまりかねて言った。「……電網庁は罠にかけられた、ということですか」

「惜しい。もう一声」

「……」

「出ねぇか。末次的にいえば甲斐原はカナリアなんだよ」

「カナリア?」

「ほれ、化学兵器の汚染区域を調査するとき、ガスマスクしてカナリアの鳥かご持って入るって話、あるだろ? 鳥が苦しみだせば危ないってわけだ。……ネ自連のニュースが速かったのは、甲斐原がやられました、だから警戒しましょうって意味じゃねぇのか……と、俺はにらむ」

「主犯はどこかで対策を練っている。機をうかがっている。そういうことですか」

「もしもバス事故が偽装だとしたら、連中はタダモンじゃない。逃げ足も速い。そう考えておくべきだ」末次は吐き捨てた。「科捜研さんよ。知恵を絞るのも大事だが、スピードで負けてられねぇんだ。覚えておいてくれ」

 科学のプロたちが重苦しくうなずく。その空気をかき混ぜるように、末次は付け加えた。

「……それにしてもこのプロジェクター、いいじゃん。いいよねぇ? おいくら万円? 誰か値段知ってる?」

 やりこめられた男がすばやく答えた。「定価で確か、四十九万八千円、です」

「おおっ、さすが科捜研っ」痩せぎすの刑事が大きく両腕を広げ、のけぞってニタリと笑う。

「ちっ……なんか腹立つよなぁ」

 末次の隣りにいた古参の刑事が苦笑いを浮かべ、あえて科捜研の肩を持った。




Ⅲ:千葉県:木更津市:桜井


 四本木は病室の前で立ち止まった。朽舟滋と書かれた室名札。ありふれた名前だとは思えない。間違いなくアイツだと確信できた。

「外で待ってよか? ……ややこしい話になるんやろ」

 革のベストに両手をつっこんだ痩身の女ハッカーが言った。ショートヘアにピアスが病院では目立つ。ずんぐりむっくりな五十男と並び立つ様も不釣り合い極まりない。

 入院患者だけが集う病棟で、二人は見舞い人として廊下に立っている。

「いや、一緒に聞いてください」

 四本木はGEEの立ち会いを望んだ。朽舟夫妻が一連の事件にどう関わったにしろ、仲人をつとめた上司の自分は擁護して然るべきだから、ここで密談した上で身の潔白を保つことは難しい。むしろ第三者の立ち会いのもとで再会したほうがいい。

「アタシが立ち会ったからって、警察は信用してくれへんと思うで。前科者やし」

「そ……うなんですか!? 関西弁が乱暴に聞こえるだけで、根はいいお嬢さんかと……」

「ヨンちゃんおもろい。そんなん言われたことない」

「……朽舟が何をやったにしても、僕は責任逃れできません。ただ、他の奴等より先に来れたことは幸いだ。何をたくらんだにせよ、僕なら説得できるかもしれない」

「逃がしたいんやったら、いまのうちに言うといて。この場におらへんかったことにしたい」

 四本木は目を丸くした。「面白いですね、ギィさんは。超のつくハッカーにしては、なんというか、視野が広い。回りがよく見えている」

「親分子分の絆には甘いねん。元暴走族としては」

「ありがとう。でも、僕は逃げるつもりがない。朽舟が何かやったのであれば、ちゃんと責任はとらせます。もちろん話を聞いた上で」

「……」

「そうだ。僕の携帯電話に、朽舟から直接連絡があったことにしましょうか。で、ギィさんは僕に無理矢理連れてこられた。これでどうです」

 GEEが静かにうなずく。

 四本木はいよいよ病室の扉をノックした。中から「どうぞ」と女の声がする。引き戸はほとんど手応えなく開いた。

 クリーム色の壁。静かな空間を一定間隔で埋めるぴいという電子音、ぷしゅうという空気を送り込む機械音が神経を逆撫でする。

「……お待ちしていました」

 ゆらり、とパイプ椅子から女が立ち上がった。朽舟幸代である。表情にはまるで生気がない。眼鏡をかけているがガラスの面が汚れているのか、瞳がクリアに見えない。髪はぞんざいに結ばれていてほつれ毛が目立つ。Tシャツにジーンズ。一見してカジュアル——というより、人との接触を拒むような出で立ちである。

「待っていた、だってぇ? ……頼むよサッちゃん」

 四本木はかつての部下に、いつもの明るいトーンで接した。「突然雲隠れしちゃってさぁ、電話一本くれてもいいの……に」

 しかし病室に歩みを進め、カーテンに隠れていたベッドの全容を認めた途端に絶句する。パジャマ姿の朽舟滋が仰向けに寝ている。鼻には酸素を送り込む管が。心電図をモニタするための電極が。そして両の瞳は中空を泳いでいる。まるで心ここに非ず、という顔。

「……どういう状態なの」四本木はベッドから目をそらさずに言った。

「自殺を図って三週間になります。色々手を尽くしてもらいましたけど、いまのところ」

 いわゆる植物状態——と言った拍子に、幸代は口に手をあて、涙をこぼした。

「三週間って……まさか」

「あの日から、ってことやね」GEEが呟いた。


 幸代によればバス事件の日、朽舟はベガスへ出社したまま帰宅しなかった。いわゆる蒸発である。TR条件分岐にまつわる常務との軋轢、ツールが流出した大トラブルの顛末について夫から聞かされていた幸代は、バス事故との関連を直感した。しかし警察沙汰にすべきかどうか迷った。夫を守ることになるのか、それとも追い詰めることになるのか、判断できなかったのである。会社からの電話にも出られない。幸代は家を出て、ひとたび実家に身を寄せた。

 ほどなくして夫は居場所を連絡してきた。木更津にいる。無事だという。やるべきことをやるためにしばらく会社を休む。お前には全部説明するから、心配するな。そういう電話だった。

 次に連絡してきたのは本人ではなく千葉県警木更津署の警察官だった。ホテルで睡眠薬の過剰摂取による自殺を図った朽舟を従業員が発見、救急車で運び込んだ。一命はとりとめたが状態は芳しくない。所持品の携帯電話からあなたにかけている。そういう内容だった。

 千葉県警はホテルの部屋にあった遺書を入手していた。


 幸代へ

 やるべきことはやった。けれど生きている資格はない。身勝手を許して欲しい。 


 病院にかけつけた幸代は自殺の原因について職務質問を受けたが、最近疲れている様子だったのは間違いないけれど、心当たりはないと白を切った。遺書を見せられ、幸代は本人の筆跡であると認めた。会社には私から連絡します、とも。

 病状はすこぶる悪いものの朽舟滋は生きている。千葉県警は自殺の原因として労災認定をうけたいなら相談窓口があるといい、電話番号を告げ、そこで手を引いた。

「これが……朽舟の枕元にありました」そう言って幸代は深緑色のノートPCを手にとった。「何かの図面か、プログラムが入ってる。そんな気がします」

「図面?」四本木が眉をひそめる。「何を設計したっていうんだ」

「あの人は、バスの一件をハッカーの仕業だと考えていた。だから、何らかの対策を講じるために一人になり、考え抜いた。遺書に書かれていた、やるべきことはやった……という意味。これの中身は彼の、命をかけた何かです」

「見たのかい?」

「起動すると、パスワードを求めてきます。四本木さんにしかわからないパスワードだそうです」

「俺にしかわからない……パスワード?」

 PCを受け取って、四本木は肩を落とした。「すぐに電話がほしかったな、サッちゃん。寂しいよ」

「……」

「でもわかる。そうしたくなかった理由がね」四本木は優しく、諭すように言った。「役員会に告発文を送ったの……サッちゃんかい」

 幸代は力なく笑い「何から始めるべきか、ずいぶん悩みました」と答えた。




Ⅳ:台東区:台東



 津田沼和矢はテレビをつけっぱなしにしていた。

〈……電網免許証を使った公認端末の認証行為には、影響しないものと発表されています。影響が出るものは、携帯電話やパソコンの新規購入、および……〉

 しかし意識は、並べ置く液晶モニターの中に吸い込まれている。

 ぽっかりと口を開けたWebブラウザ、餌を待って舌なめずりするアングラ掲示板が、小心者のくせに負けず嫌いな津田沼を呑み込んで、いままさにその太ったぶよぶよの肌へと鋭い牙を突き立てたばかりだ。

 掲示板に立てられたスレッド。そのタイトル。津田沼は一目見て己が心臓の軋む音を聞いた。


 【悲報】Nシステムが祭りになる模様


 次の瞬間。

「なんだ。な……んだっ。なんだよっ。なんだ、なんだこれっ」

 かつてないほどの泣き言が口を突いて出た。ワンルームマンションで一番のお気に入りたるゲームスペースが、さながら教会の告解室へとなり下がる。

 だらしない肉塊が醜態をさらす。「お……おれ、俺、ヤバいだろっ、俺ヤバいって!」

 津田沼は警戒心の塊と化した。無理だ。これではヤツとの約束が果たせない。いや、果たすべきじゃない。

 Nシステムを「祭り」にする。つまり警視庁のサーバーをハックして、データをかき回し、業務を破綻させる。道路と車にまつわるすべての捜査行為を不可能なまでに貶める。「祭りになる」とは、そういったトラブルで世間を騒がすということだ。確かに津田沼にはそれが可能。スタッフとして権限を握っている。しかし、それはNシステムがありきたりな守りに落ち着いていることが前提だ。セキュリティを固める人員、アプライアンス(装置)、ソフトウェア、通信回線のすべてが、自分の想定する構成に止まっていることが前提。

 今夜「何かが起こる」と誰かが騒ぎ回れば、当然ながら警察は身構える。ましてこのアングラサイトは——牙城ストロングホールズには公安部が目を付けているという噂もある。妙なスレッドが立った今、この瞬間から、警察はNシステムの危険を警戒している。そう考えて然るべき。ここで何を仕掛けるにせよ、それは薄氷を踏む行為だ。

「無理無理。バレたらヤバいし。ヤバいなんてもんじゃないし」

 口角が泡を吹いている。それがわかる。だが気づいてよかった、と津田沼は安堵する。まだ俺は何もやってない。通常のセキュリティ関係業務以外に、妙な動きをした覚えがない。だからパソコンの前に座り、キーボードの上に手のひらを乗せ、深呼吸した。引き返せる。まだ間に合う。落ち着こう。あれは夢。悪い夢だったんだ。覚めればいい。頭を冷やせ。そうだよ、冷やすべきだ。

 津田沼が落ち着きを取り戻しつつあった、その時——携帯電話の着信音が鳴る。

 冷凍された豚に焼きごてで刻印を刻むが如き、落差のある一撃が、襲いかかる。

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