ガールズマフィアの現実逃避

大狸凸凹

第1話 組織からの脱走劇①

 四月六日の深夜の中。黒いスーツを着た男たちは、片手にスマホを持っていた。

 白いマスクとレンズが紫色のサングラスで変装して、少女は「はぁはぁ」と息切れをしながらも、目の前に電柱が並ぶ、冴えない道を駆け足で進んでいた。少女の慣れない変装の格好のせいか、余計に不審者が増しており、近所の主婦たちの変質者の冷たい目線があった。

 電柱の白いライトがチカチカと消滅して、鉄の錆びたニオイがしている。背中に冷や汗をかきながらも、少女は消えかかった電柱の前で立ち止まる。古くさい一軒家や、大きな赤い鳥居の神社、灰色の細長い壁、少女の目に映る景色が移り変わっていくと、黒いスーツの組織の男は迫ってくる。

 黒いスーツの追っ手から逃げていると、少女は見慣れない住宅街の中で迷子になっていた。少女の視線がキョロキョロして、挙動不審で周囲を眺めていると、まるで真っ暗闇の中にいるような気持ちになっていく。不審な格好の少女に話しかける人はいない。異質な黒いオーラが漂っていると、七割の焦りと三割の泣きたい感情が少女の心境であり、

「どうしよう……どうしよう……迷子だよ」

 と言って、両手で頭を抱え込む。三秒後、困ったような唸り声を上げていた。円描くように少女が歩き回っていると、やがて古くさい一軒家の周りを四回も歩き回っており、コツコツとした赤い靴音が道の中で響いている。

 知らないスーツの男たちに命を狙われるのは、その少女にとっては迷惑な出来事であり、災難な人生の出来事だった。なぜかというと、少女はとある組織のトップの娘であり、多くの知らない男性との交際や結婚を申し込まれていた。しかし組織の男たちは「権力がほしい」と愛のない告白をしてくる日々であった。少女の記憶の中で、権力に溺れた男たちの苦い記憶を思い出していた。組織の権力争いに巻き込まれ、自身の命を狙われることや、結婚したくもない男たちの交際を申し込まれる日々に、嫌気が積み重なっていく。

 少女の父親が他界して、組織の争いは活発化していた。少女は人間同士の争いごとが苦手だった。他人の真っ赤な血の傷口を見るたびに、両手の震えが止まらないことが、常日頃からあった。家の花嫁修業やら、知らない男性とのお見合い話やら、組織の面倒ごとを押し付けられる日々やら、そんな組織に少女はこっそりと深夜の時間に家出をした。

 少女は普通の家庭生活に憧れを抱いていた。組織の争いの多い生活とは変わって、平和な生活が待っているに違いない、と思っていた。争いのない家庭生活は、少女の叶わない儚い夢であった。

 しかしこの組織から逃亡をすれば、少女の夢は開けると信じていた。マフィアの争いや暴力が絶えない組織の抗争は、吐き気がするほどだった。黄色い月の光が差し込む中、少女は行く宛もない道を駆け足で進んでいた。コツコツと少女の赤い靴の音が響いていた。泥と砂ぼこりの匂いがして、不安になる悲しい匂いしているようだった。

 黒いスーツの組織の人間から、少女は逃げるしかなかった。心臓や足が壊れても、組織の中には絶対に戻りたくない。後ろを振り返ると、黒いスーツの男は無線機で、他の組織のメンバーに連絡を取っていた。無線機の電波の流れる音が鳴っている。黒いスーツの男は二人に増えると、少女が大きな赤い鳥居の神社の中に隠れることになった。神社の中は木の香りとカビの臭いがしていた。少女の目には、お賽銭箱が目に入っていた。神社の広い床は、ザラザラした肌触りだった。神聖なる雰囲気の、銀色の小さな大仏があった。

 神社の建物の中に息を潜めるのも、少女の吐息の音が「すぅはぁ」と聞こえてくる。落ち着きのない呼吸音を繰り返していた。神社の扉の向こうには、黒いスーツの追ってたちの騒ぎ声が聞こえていると、少女の緊張が走り、身体をブルブルと震え上がらせて、布団の中に潜るように丸くなっていた。神社の中の建物の中に身を隠すことしかできなかった。

 少女は思い返すと、他界した父親はマフィアのボスであり、その他界した父親の影響力は、まるで台風の目であった。マフィアの抗争に娘を巻き込む、他界した父親は人間のクズだった。マフィアの争いや抗争がなくならない。他界した父親は破壊を繰り返す怪獣のような存在であり、破壊と争いが全てだった。その他界した父親は何者よって、命を奪われ、少女は組織の中での、やりたくもない花嫁修業とマフィアのボスとして継承をすることになってしまった。

 しかし少女はマフィアのボスには向かなかった。なぜかというと、争いを好まない性格だからだ。喧嘩や拳銃を扱う才能もなかったし、特に他人を傷つくことは嫌い。その少女の弱い性格のせいで、マフィアの部下たちに迷惑をかけている。それが組織の抗争の活発化した原因だった。マフィアのボスの少女と結婚すれば、次のボスは結婚した者になる。次のマフィアのボスを巡る抗争は、少女が最重要人物であった。

「お嬢はどこにいるんでしょうね」

 黒いスーツの男の声が聞こえていると、

「マフィアボスとしての自覚がないんでしょうね。なんでマフィアの怪物と呼ばれたおやっさんの娘が、喧嘩が嫌いなんでしょうね。あのお嬢が結婚すれば、この騒動も終わるのによぉ」

 無線機をいじっている男の部下が罵っていた。

 ――ごめんなさい、マフィアの争いは嫌いなんですよ。マフィアのボスとかやりたくないもん。

 神社の中で息を潜める少女は、ボスとしての罪悪感に押しつぶされそうになっていた。マフィアの才能もない少女は、変化のない日常の生活を望む。女子同士で喋ったり、誰かと一緒に料理を作ったり、そんな日常生活を送りたい。

 もしもこの少女がマフィアのボスを辞めれば、この都会の夜の街はマフィア同士の激しい大抗争が始まってしまう。少女はその大抗争を止める引き金のような存在であった。

――でも私がマフィアのボスを辞めたいけれど、マフィア同士の街の大抗争が始まってしまうんです。敵マフィアと味方マフィアの激しい抗争が起こってしまうのは、イヤなんですよ。

 少女がそう考えていると、黒いスーツの追っての声は聞こえなくなっていた。

「はぁ、もういないよね?」

 少女がため息を吐くと、白い障子の隙間から覗き込む。やがて黒いスーツの二人の影は見えなくなった。少女の瞳がネコのように怪しく光っている。少女は賽銭箱に近づくと、十円玉の銅の匂いがして、そして黄色い満月を見上げていた。

 月光のコントラストが降り注ぐ神社の中。神社の中で冷たいそよ風が流れていき、花瓶の白い花はユラユラと揺れ、優しい風の音が聞こえる。

 少女が大きく左手を伸ばすと、白と赤に点滅を繰り返している夜空のいくつもの星が、鮮やか彩っていた。流れ星の星屑の煌めきが溶けるように消えてなくなっていく。

 少女はこんな美しい星空を見上げるのは久しぶりだと、やがて恍惚した顔つきになっていた。

「キレイな星空だな。ああ、普通の女の子に生まれたかったな」

 少女が小声で独り言をぼやいていた。子供は親を選べないのが、悲しい現実であった。生まれてくる場所を間違えってしまった。ただそれだけのことなのだろう。

 その少女のマフィアの後継者の名は、柚木志穂ゆずきしほと呼ばれていた。紫色のサングラス、白いマスクを外すと、童顔の少女が現れる。大きな赤い鳥居の前で志穂が背伸びしながら、プラネタリウムのような星空に手を伸ばしている。今にも赤く輝く星が掴めそうで、手をジャンケンのグーとパーを何度も繰り返す。

 志穂が黒いスーツの男たちとは逆方向に逃げると、危険な夜街のネオンの虹色の光に迷い混んでいく。危険な夜街の中は、顔が真っ赤になっている酔っ払いの男、白いスーツの着用したホスト、財布の中にある分厚いお札を確認するキャバクラ嬢、そして夜の営みを行うためにラブホテルの中に入って行く二人の男女がいた。汚れた夜街の中は、様々な人間の汚い欲望が渦巻いている。夜の人間たちのうるさい騒ぎ声が聞こえてくると、息を詰まらせるほどのお酒の臭いが漂っていた。そして、これは大人の欲望の臭いだと、志穂は内面に言い聞かせていた。

 マフィアの組織から逃げるために、志穂は人々の群れの中に紛れ込み、透明人間のように身を隠していた。

 ――安全な場所に隠れないといけない。

 志穂は、薄いピンク色の唇が口パクで動いていた。喉と口の中が乾いていると、やがて志穂が猫背になって夜街を歩いている。細い道を通りすぎると、キャバクラ嬢たちの香水のキツイ臭いがして、志穂の鼻の嗅覚の感覚が鈍くなっていく。

 夜街の人たちは金を稼ぐために、自分自身のカラダを売っているのだろう。それは、奨学金で借金を抱える大学生や、純粋にお金を遊びのために使う人や、生活費を稼ぐ人妻が、キャバクラの店の前で男を誘惑している。キャバクラ嬢たちは、金が欲しい、と胸の谷間を見せつけて、男のお客を店の中に連れ込む姿は、まるで欲情した動物にエサを与えているようだった。

「店に入った男がデレデレしている……気持ち悪い」

 志穂はその光景を見て、誰も聞こえない声で呟いた。キャバクラの中へと入っていく男の顔は下心に満ちていた。志穂にでもわかる、店のマニュアル通りに動いている女の偽りの笑顔。キャバクラ嬢たちの素顔は、心の奥底に闇を抱えているように見えた。

 志穂は騒がしい夜街を歩いていると、小さな背丈の女の子がおとぎ話の中に迷い混んでいるようだった。その小さな背丈の女の子の格好は、下から黒いブーツ、白いハイソックス、不思議の国アリスのような白いエプロンドレスであった。

「こんな遅くの時間にいるなんて、どうしたの?」

 志穂が小さな女の子に手を差し出していると、

「お姉さんは誰?」

 と首を横に傾げる。

「私はゆ、ず、き、し、ほだよ」

 志穂はゆっくりと口を開き、

「ゆ、ず、き、し、ほ」

 小さな女の子は言葉を追いかけるように、志穂の真似をしていた。

「あなたの名前は?」

「みずな……」

「みずなちゃんか……お父さんとお母さんは?」

「いない。お父さんとお母さんは天国にいるんだって……」

「ごめんなさい。つらいことを聞いてしまったね」

 そう言って、志穂は小さな女の子の手を握り始めた。柔らかい手のぬくもりがあった。子供のか弱い手、志穂の大きな手、その二つ手の影が重なっている。小さな女の子は、ビクビクと怯えた目付きになった。 

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