21
「セイム、お前さっきより顔色悪いぞ?」
「魔力に当てられたんだよ。先ほど、ノーナの花嫁がやってきてね。逆に君がいなかったのは幸運だったかもしれない。魔力耐性のない普通の人間があれだけの魔力を食らったら、体の調子をおかしくしてしまうだろうよ」
小刻みに震えるセイムの体を包み込むように抱えると、ノーヴルは司書室にやってきた。後からついてきたラウが、事情をマーリアに説明している。
あの時ノーヴルが来ていなかったらどうなっていたのか、セイムは未だに揺れる視界の中でそれを考えることも恐ろしかった。
「マーリア司書、温かい飲み物をいただけますか? ひどく震えてしまって」
「はいよ、お茶でいいかい? そこのボウヤもお座りなさいな」
「俺はっ……っす、ありがとうございマス」
ボウヤじゃない、と言い返そうとしたが、マーリアから見るとラウは孫のような年齢だろう。促されるままにセイムの隣に座ると、俯いたままの彼女の顔をしたから覗き込んだ。
「セイム、声聞こえるか? 頭痛いとか、寒いとか」
「……ない、大丈夫。魔力酔いだから、ちょっと休めば治る……」
「イヴァン令師には俺から言っとくから、ちっと休んでろ。すぐ戻る」
結局マーリアの淹れた茶を受け取る前に図書館を出たラウだったが、その分はしっかりノーヴルが頂いておいた。
深く座り込んだまま、セイムはぎゅっと目を瞑る。
「……あれが、ティティ様……ノーナの花嫁、ですか」
向けられたのは、あからさまな敵意だった。それをそのまま、魔力の刃としてセイムに流し込んできたのだ。ヴィア=ノーヴァという稀代の魔導士の元で修業を積んだはずの彼女の精神力など全く関係ないことのように、直接魔力が体内に注がれる感覚。唇を青くしたままで、セイムは小さく震えていた。
「セイム、マーリアに甘えて少し休もう。作業に戻るのは、十分に休憩を取った後の方がいい」
結局、セイムとラウが本を片付ける作業に戻ることが出来たのは午後の終業時間からさらに半刻ほど後になってからのことだった。そこからは、二人の間に会話らしい会話は成立することもなかった。
*
「……悪かったな」
ラウが絞り出すような声でそう言ったのは、最後の台車の本が全て棚に戻された時だった。台車を運んできたノーヴルは、汗一つかかない顔に深い疲労の色をにじませている。ラウも額に浮かぶ汗の玉をぐっと拭いながら、浅い息を吐いた。
「え、何が?」
「さっきの、気付けなかったろ。傍にいりゃ少しくらいマシだったかなって。その、同僚守れないっつーのも情けないし、男としてどうかとは、思った」
魔力酔いによる体のだるさは抜けていないが、マーリアが淹れてくれたお茶のおかげか、体調はそこまで悪くはなかった。
申し訳なさそうに眉を顰めるラウに、セイムは弱々しく笑い返した。恐らく、剣士のラウがいたところで自分はティティの魔力に押し負けていただろうし、ノーヴルが言った通り彼がいる方が惨事になっていた可能性が高い。
普通の人間と言っては何だが、魔導を扱っている人間と扱っていない人間とでは、魔力の体制にも差が出てくるのだ。
「ありがとう。でも多分平気だと思うわ。駄目そうなら、癒手のサヤ様のところに行くし」
「そうそう、それに本来魔導士のセイムは、それに対策を立てなきゃいけなかったんだ。咄嗟に行動に移せなかった時点では、彼女の選択が誤っていたとしか言いようがないね」
本の片付けを手伝っていたノーヴルが、書棚の隙間からひょこりと顔を出した。
普段はぐずぐずにセイムを甘やかしがちな彼ではあるが、《ヴィア=ノーヴァ》として魔導士セイムを教え導くときは普段からは考えられないほどに厳しい指南を行う。
とはいえ、それを知らないラウでさえノーヴルの言葉に仕込まれた棘は聞き取ることが出来たらしい。不機嫌そうに舌を鳴らすと、複数の魔導書をノーヴルの顔があった場所めがけて突っ込んだ。
「危ないな、避けられなかったらどうするんだい。私はボウヤと違って繊細なんだから」
「ボウヤじゃねぇし、アンタなら避けられんだろ。最先端のオートマタなんだろ?」
「個体性能は優れているけどね、所詮私はただの人形さ」
静かに火花を散らす男二人を眺めて、セイムは重たい頭を押さえた。
完全にノーヴルのペースである。口喧嘩でなら、恐らくラウはどう頑張っても彼に勝つことはできないだろう。
仲裁しようとラウの服を引っ張ると、瑠璃色の瞳がこちらを見た。陽の光の中で鮮やかに煌めくその色は、薄暗い書庫の中では落ち着いた藍色にも見えた。
「大丈夫よ、次は絶対跳ね返せるように勉強するし。これくらいでへたばってちゃ、陛下にも師匠にもあわせる顔がないわ」
「お、前なぁ……仮にも女なんだし、もう少し体に気ぃつけろっての」
「男とか女っていうのは、あんまり魔導士には関係ないもの。失敗は魔導士にとって最も恐れるべきことだけど、それを活かさなかったら成長はあり得ないわ」
「そういうもんなのかよ……魔導士って、面倒くせぇな」
溜息交じりにそう言われると、流石のセイムも少しは傷つく。しかし、彼女はそれ以外にどうすればいいのかが分からないのだ。
生まれた時から、魔導に対する知識と対策を叩きこまれてきた。そんなセイムにとって、対応できない魔導というのはそのまま次の課題や知識欲の標的になった。ラウが言う「面倒」がどういう意味かはよく理解できないが、もし次に同じ状況に陥った時は確実にそれをはね避けねばならない。森を出てから久々に、セイムは自分の実力不足に奮い立つような気分だった。
「俺も人のこと言えねぇけどよぉ、お前も大概、修行馬鹿だよな。あぁ、そうだ。さっきイヴァン令師のとこ行ってきたけどよ、心配してたぜ。お前に無理させて申し訳ないって」
「イヴァン様の方が凄いことになってなかった?」
「なってたなってた。両脇に書類の塔出来てて、ひっきりなしに人が出入りしてた。俺も部屋に入ったら、部下みてぇな奴に睨まれたし」
「やっぱり、イヴァン様を十分に補佐できるようにもならなきゃね。とりあえず、私の当分の目標はこの二つになりそう」
早速短期目標を見つけたと息巻くセイムと、微笑みながらそれを眺めているノーヴルに、ラウは呆れたように肩を落とした。
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