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「あらあら、わざわざごめんなさいねぇ。テオドール様もイヴァン様もご多忙なのはよぉくわかっているんだけど、如何せん人が足りなくてねぇ」


 帝国で本の分類は、大分類で12種、中分類でさらに6種に分けられる。それよりも細かい小分類になると地域ごとや図書館ごとにまた違った分け方がされるのだが、帝国図書館では中分類を作者の名前順に並べるのが規則となっているらしい。ヴィア=ノーヴァの蔵書もそれと同じ分類法で分けられていたので、本のある場所さえわかればセイムはすぐに戻すことが出来る。


 ただ、如何せん図書館は広いのだ。

 官吏用の入り口から入ると、一般用の入り口まで歩くとかなりの距離がある。そのちょうど中間にある司書室に辿り着くだけでも、セイムは何度か迷ってしまった。


「丁度テオドール様のところからもお使いが来てたのよ。ただ本の分類が分かってなかったから、悪いけどお嬢ちゃん、手伝っておくれでないかい? ここは広いから、地図を貸してあげよう」

「それは構いませんけど、今人を待たせていて。断ってからでもいいですか?」

「あぁ、それは勿論。こちらから頼むんだから、お嬢ちゃんの好きなようにしていいんだよ。」


 そう言ってお茶を飲んだマーリア司書は、図書館の実質的な運営者である。

 知識を扱う場所ということで名義上はノーナの花嫁――ティティが最高責任者ということになっているが、彼女の場合はあくまで名誉職だ。


 とりあえず待たせているゼルシアに一言謝りに行くと、彼は特に気にかけた様子もなくう一つ頷いた。


「そうか、まあこの量の本だと、一冊増えようが十冊増えようが同じことだな」

「はい。それで、台車を受け取りに来たんです。いつまでもお待たせするわけにもいかないので。陛下にわざわざ時間を割いていただいているのに」

「別に、好きでやっていることだからな。近衛の査定は俺の仕事でもある」


 しかし大帝国シュタックフェルトの皇帝というのは、恐らく世界で一番忙しい職業の一つでもある。ゼルシアがこうしてセイムを手助けしていた間にも、仕事は溜まっていっているだろう。

 それを考えると流石に畏れ多くなって、セイムは傍らに置いてあった台車を上手く動かした。暗に帰ってくれという意思表示をすると、ゼルシアは諦めたように息を吐いた。


「なら言葉に甘えて戻るとする。が、一つ教えておいてやろう。ここにはあの女もよく顔を出すからな。用心しろ、お前とラウは目の敵にされているぞ」


 半分以上は俺のせいだが――そう付け加えて、ゼルシアは本当に図書館から出ていった。

 あの女、というのをセイムは知らなかったが、皇妃のシャルローデ妃ではないだろう。就任式の様子を見るに、二人の関係が悪いものではないと思いたい。


 広い背中が遠ざかっていくのを見て、セイムはほうっと息を吐き出した。

 初めて会った時の恐怖こそ感じなかったが、やはり緊張はするものである。

 一時的に魔力のコントロールが緩んでふらついた台車を元通りに戻して、セイムはまた図書館の中を歩き始めた。


 すると、背中に大風呂敷を背負った背の高い男が一人。

 歩き方は正に軍人のそれだった。恐らくマーリアが言った「テオドールからのお使い」は彼だろう。


「あの、すいません」

「あぁっ!? ……なんだ、セイムか」


 反射的に威嚇するような声を出したのは、ラウだった。そう言えば彼はテオドール隊で訓練をしているということを、先日聞いたような気もする。


「マーリア様が、テオドール様からのお使いがいるって言ってて。ラウだったのね」

「おー、テオドールのオッサンが本返し忘れてたみたいでよ。雑用がてら来たはいいけど、俺ァ本の分類なんてさっぱりだし」


 苛々と舌打ちをするラウの手から本を借りると、その全てが剣術指南の本だった。

 場所さえ分かれば返すのは簡単だろう――マーリアから渡された『地図』を取り出すと、セイムはその上に手を翳した。


「汝、栄えある雷神の書庫よ。我が求めに応じて道を示さん」


 『地図』は紫色の小さな玉石だった。精密な地図は壁にかかっているが、持ち運びができる簡易式のものはこうして魔力を流し込まなければ使えないらしい。

 マーリアがラウに地図を渡していないのはそういう理由だろう。


「これ、大分類三番で中分類が一番。小分類はよくわかんないから、取りあえずここ行ってみましょう」

「お、おぉ……すげぇな、これ、目的地光ってんのか」

「うん、特殊な呪具みたいだから、仕組みはよくわからないけど」


 興味深そうに『地図』を眺めているラウと連れ立って、セイムは広い図書館を進んでいった。

 途中で官吏たちとは何人もすれ違ったが、彼女が引きつれている台車を見て憐れむように笑っている人ばかりだった。

 中には「あぁ、令師か……」なんて言葉をこぼす者もいる。彼が本を読みふけってしまうのは、あまり珍しいことではないらしかった。


「えーと、この辺りだと思うけど……剣術指南なら、ここ」

「おー! お前スゲェなセイム! 本の分類、全部覚えてんのかぁ」

「お師様――師匠が同じ分け方してたから」


 あまりにもラウが凄い凄いと褒めるものだから、セイムもなんだか恥ずかしくなって何も言えなくなった。

 ヴィア=ノーヴァはセイムをよく褒めたが、あくまでそれは魔導に関してだ。次のステップに踏み込めるかという意思確認のために行われるものが多かったため、こうして手放しで褒められるのは彼女もあまり慣れていない。


「そ、それ。仕舞ったらこっちも手伝ってくれると、嬉しいんだけど」

「おー、流石にこれ一人じゃキッツいもんな。いいぜ、案内はまた頼むけどな」

「ありがとう。でもこれ、先に分けちゃった方がいいかな――」


 邪魔にならないよう、道の端に台車を寄せて、目視で分かりそうなものから分類別に分けていく。

 重い本を一冊ずつ選ぶのは骨が折れるので、これも魔導頼みだ。


「上手いもんだな。俺魔導って、もっと攻撃的なもんだと思ってたぜ」

「使い方によるかな。例えば井戸のない土地に泉を湧かせたり、風の通らない湿地に風を起こしたり。魔導って、人を傷つけるためにあるものじゃないのよ? 正しく使えば、必ず人を幸せに出来るって、お師様も仰っていたわ」


 セイム自身、魔導は人を幸せにするものだと思っている。要は、使い手の問題であるのだ。道具の使い方を誤れば、忽ちそれは人を傷つけるためのものになってしまうだろう。

 現にシンシア神皇国の法皇は、かつて水の湧かない不毛の地に湖を作り出したことがその始まりだと言われている。南の大国リッシーアでは逆に雨風の使いとして水術使いは疎まれるらしい。どちらにせよ、それは魔導士が人々の生活に密に関わっていなければ有り得ないことだ。


「だって、剣もそうでしょ? うまく使えば人を守ることが出来るけれど、悪用されればそれはただの人殺しの道具だわ。節度さえ守れば、倫理は後からついてくるもの」


 それに、ラウは答えなかった。

 ただ、セイムが本を選んでラウが片づけるという作業がしばらく続いた.



「マーリア……珍しいのね、閉架にあなた以外の人間がいるなんて」

「これはこれは、お久しゅうございます。いえねぇ、イヴァン様――魔導令師の使いの子たちが来ておられるのですよ」

「令師の?」


 童女のようなその声音は、僅かな疑念と思案を含んでいた。

 藤色のローブを翻し、マーリアの元へとやってきた姿もまた童女そのものである。

 ニコニコと微笑む老女を一瞥すると、彼女は並ぶ本棚の隅を見詰めて動きを止めた。


「そう、彼らが「十本目」。皇帝陛下が自らお選びになった、ノーナの意思を介さない者たちなのね」


 顔に掛けた薄絹の向こうから感情を感じさせない声を発して、図書館の主であるティティはゆっくり閉架書庫の方へ足を進めていった。

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