バルト・ストライク

プロローグ:バルトの地

 西暦2317年。地球‐火星間の経済対立の端を発する、二度に渡る宇宙戦争星間戦争が終結してから2年の月日が流れていた。大戦期に生み出された最新鋭人型機動兵器、『バトルウェア』がもたらした災禍の傷跡は、未だ癒えてはいなかった。


 火星軍は宇宙を支配し、既存兵器を駆逐する最新鋭兵器を手にしながら、既得権益層である国連軍を打倒することが出来なかった。地球の持つ圧倒的物量、長期遠征に伴う士気の低下、国連軍による対バトルウェア戦術の確立など、様々な要因はある。しかし最も大きな要因は――やはり、人が持つ力に他ならないのではなかったのだろうか?

 《星間戦争》を敗北しても、火星軍には『次』があった。広大な宇宙空間、多くの惑星。もはや生き残るために必要な大気や食物さえも自分で作り出すことが出来るようになった火星人たちは、生存という一点においては母星を必要とはしていなかった。もちろん、精神的な依代として帰るべき場所が存在することは、もちろん大きい。


 だが、そのメンタリティにおいて火星軍と国連軍とでは完全に隔絶していた。国連軍には、地球を置いて生存圏は存在していない。備蓄の食糧など、いつまで保つか分からない。彼らは地球の外で食物を確保し、大気を生成し、飲み水を生み出すことは出来ない。地球という広大なゆりかごの外で、彼らは生きることが出来ないのだ。それは親から見捨てられた赤子が、その先生きてゆけないのに似ている。


 だからこそ、国連軍は必死になって火星軍を駆逐するために策を練り、実践し、それを研鑽していった。火星軍から見れば、まったく狂気的と言わざるを得ないものだった。自らの身を削り、大地を汚し、それでも国連軍は勝利を掴むために邁進した。彼らが生み出した傷跡の多くは、いまも地球に消えない傷跡として刻まれている。


 何かを守りたい、その思いは尊いものだ。だが、それは過ぎたれば排斥へと変わり、唾棄すべき偏見へと変わる。この世界は狭い。そして人の見識はもっと狭い。寄り添って生きていくには狭すぎる世界で、それでも人々は生きていかねばならぬのだ。


■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


 人生とはままならないものだ。もし思い通りに人生が進むならば、それはとても味気なく、虚無的なものになってしまうだろうと、どこかの誰かが言っていた気がした。

 それでも、仕事のことでこっぴどく怒られ、俺のことを信頼してくれていた女の子からドブの底にたまったヘドロを見るような目で見られて、傷心を癒すために立ち寄ったスイーツ店が爆発して、目が覚めたら椅子に縛り付けられているとしたら、どうだろう。人生を思い通りに進めたいと思ってくれるのではないだろうか?


「オイオイ兄ちゃん、寝てんじゃねえぞテメエ、コラァッ!」


 心地の良いまどろみが、ドスの利いた声で遮られる。その直後、刺すような痛みを伴って冷たい水が全身に叩きつけられた。目を開くと、歪んだバケツを持った男がいた。冷たい水が全身に刻まれた擦り傷にしみて、鋭い痛みを形作る。


「クックック、テメエ……随分と口が堅ぇじゃねえか。慣れてんのか? ああ!」

「グワーッ!」


 打たれた頬が焼けるように熱い。痛みと悲しみと怒りと、いろいろなものを込めた叫びが口から漏れ出して来た。このやり取りが始まってから、恐らくもう数時間は経っているだろう。最初の頃は反抗的な目で睨むことが出来たが、いまはその元気すらない。


「まったく、ここまでやっても何一つ話さねえとはな。肝の据わった野郎だぜ」

「あのー、いや、だからさあ。俺何も知らないって言ってグワーッ!」


 弁解をしようとするたびに、重い拳が叩き込まれる。顔面で叩かれていないところはほとんどない、歯が折れていないだけまだラッキーだった。


「姉御、こんなんじゃ埒があきませんぜ。もっと強めるべきなのでは……」


 姉御と言われた、天然のものと思しき毛皮のファーがついたコートを身にまとった女が、俺を見た。ドブの底を覗き見ているような冷たい目だ、何度俺はこの目で見られなければならないのか。彼女の手には、重い金属の器具が握られていた。

 鋏のようなものだった。先端は尖っていない、丸まっているタイプだ。もう片方の手には金属のフレームのような物を持っている。女は部下の男に俺の口を開かせ、そのフレームを口の中に突っ込んだ。強制的に口が開かれる、開口器のようだ。


 先端の丸まった鋏がどんどん近づいてくる。暴れるが手錠をはめられているためまったくそれに抵抗出来ない。鋏の先端が歯に当たった気がした。


 なぜこんなことに? イルダ=ブルーハーツは、これまでの出来事を思い出した。

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