偽りの星図〈1〉




 イシュノワの館で二人を迎えたのは、いつも応対してくれていた使用人ではなかった。


 初めて見るその若者はセシリオと名乗った。


「イシュノワ様は風邪をひいてしまい、今朝から熱を出されて寝込んでおります。でも、もしも天文院の関係者が訪ねてきたら、お通しするようにと言われてますが。どのような御用ですか?」


 物腰の柔らかい、優しげな印象の若者はルファに尋ねた。


「書物庫で調べたいことがあるんです」


「そうですか。それでしたら構わないと思いますが。一応確認してまいりましょう。少しお待ちを」


 セシリオはこう言って、二人を残し館の奥へ下がった。


 そして数分後。


「どうぞご自由に、とのことです」


 戻ったセシリオはルファとアルザークにこう告げて邸内へと促した。




 邸に入り書物庫へ向かう途中何度も、得体の知れない感覚がアルザークの全身に走った。


 胸騒ぎのような、それはとても嫌な感覚だった。


 強い敵意を含んだ視線に貫かれるような……。


 ───見ている?


 こちらを。


(誰かが。気のせいか?)


 ルキオンへ着いてから幾度か足を運んでいる館のはずなのに。


 今日は愛馬のリュウがこの館に近付くにつれ興奮し、歩みを止めたがっていたのを思い出す。


 まるでここに近付いてはいけないと言っているように。


 リュウがそんな行動をするのは、今日が初めてだ。


(こんな感覚は、久しぶりだな)


 妙な静けさの中に確かに感じた。


 何かの息遣いのような。


 同時に鈍くなっているのか、という気もした。


 危険を感じる本能などが。久しく忘れていたせいで。



「アルザークさん、どうかしたんですか?」


 何か考えるように、何度も立ち止まるアルザークを不思議に思ったルファが尋ねる。


「……なんでもない」


 とは言ったものの、神経を研ぎ澄まし集中する。


 それを決して途切れさせることのないように、自分に言い聞かせながら。


 セシリオ、という名のあの若者のことが少し気になった。


 愛称ならば「セス」とも呼べる。


 アルザークはレフが自分に伝えた詳細を思い出すのだが、彼が追いかけているのは男なのか女なのかも聞いてなかった。


(あいつの任務はワケありが多いからな)


 もう少し詳しくレフに聞いておく必要がありそうだとアルザークは思った。



 ♢♢♢♢♢



(アルザークさん、どうしたのかな)


 邸の書物庫に入ってから、アルザークは窓の外ばかり見ている。


 ここでは手伝ってくれないのだろうか。とはいえ手伝ってもらえることもなさそうだが。


 街の図書館と違って、ここに置いてある書物は星見師にしか判らないものばかりだ。


 ルファは気持ちを切り替えて動き出した。



 まず最初にルキオンの冬の星図書を調べる。


 去年のものから目を通し、イシュノワが赴任する以前のものを読み進めると変化があった。


(……ずいぶん違う)


 イシュノワが赴任してから夜毎記したであろう一年間の夜空図と、それ以前に赴任していた星見師の記した星図にはかなりの差があった。


(イシュノワさんが書いた星図って変化が無さすぎ、のような気がする)


 ありふれた、よく見る冬の星図だ。


 変化の無い星図が悪いわけではないけれど。


 こんなに違うものだろうかとルファは思った。


 そして更に星図の年表をどんどん遡って読んでみる。


 ルファは途中で何かを思い出したように立ち上がり、今度は冬以外の季節毎に記された星図書を棚から取り出し机の上に置いた。


 そしてまた、ページを開く。


 そして確信する。どの観測記録を見ても、一年前より古いものは星の配置などの移り変わりが激しい。


 特に冬の頃から今の時季。そして春の初めまで。


 それ以外の季節との違いも多く、かなり昔に記された観測記録夜空図の方が変化が多い。


 もしもこれがルキオン地方のこの季節特有の「特徴」だとしたら。


 移り変わりの激しい星々。その羅列、輝きの純度。


 激しい変化は他の星図には視られない独特なもののような気がする。


 夜空の星々は、夜毎に変化している。


 それはとても微妙な配置ではあるけれど。


 ほんのわずかな違いでも、その変化は〈星のめぐり〉になるのだ。


 そして星の巡りがあるからこそ、季節も巡る。───風と共に。


(イシュノワさんの記した観測記録だと、逆に変化が無さ過ぎる)


 この星図では。もしもこの星図の夜空が、本当にルキオンの空にあったものだとしたら。


(この夜空図では……)


 イシュノワが記したこの星図は星の巡りが滞っている。


 巡っていない。


 そこに重なるはずの季節の巡りが現れていないような、そんな星図だ。


(私には視えない。───私、感じない。イシュノワさんが記した星図から季節とか……。季節の巡りが感じられない夜空図なんて、エナシスにはないはず。これは本当に毎晩夜空を見上げて書かれたものだろうか)


 ───まさか彼は観測を怠っていた?



「ルファ」


 アルザークの声に、ルファは弾かれたように顔を上げた。


 アルザークの青い眼差しがこちらに向いていた。


「顔色が悪い。少し休め」


 ルファは小さく頷いて、椅子の背もたれに身体を預けるようにしながら息を吐いた。


「何か判ったのか?」


「いえ、まだ……」


 自分の予想に確信がもてない。


 ルキオンに来たばかりの頃にも、イシュノワの記した星図を何度も見たはずなのに。


 彷徨いの森でラアナに出逢って星の泉に遭遇してから。


 自分の中にあった月星への感じ方が、どこか以前とは違うような。


 敏感になっているような。そんな気がした。


「外でも眺めろ。気分転換に」


 アルザークの言葉にルファは頷き机から離れ、窓辺に寄った。


 見上げると残念なことに、あんなに晴れ渡っていた空は灰色の雲に覆われようとしていた。


 今夜もまた眠り夜空。


(もっと見ていたかったな、青空)


 冬の真っ青なアルザークの瞳の色とも重なる、そんな青が。


 とても綺麗で。


 横に立つ彼の横顔を、ルファはそっと見上げた。


(アルザークさんは、月星が嫌いなの? 星の導きを信じられないの?)



「どうした?」



 見下ろす、


 青い


 視線と、


 重なる………。



「ぃ、いえ……空が曇ってきちゃったなって」


 見惚れてました、とは言えず。


 あたふたと慌てるルファにアルザークが言った。



「ひと雨来そうだな」


「そういえばそんな感じの雲ですね。───やだ! お洗濯物干してきてたんだ!」


 ルファはくるりと向きを変え、机に戻ると片付けを始めた。


「帰るのか?」


「はい。でもいくつか参考になりそうな資料と星図書と観測記録を借りようかと。私、セシリオさんに頼んできますね」


「こら、待て。俺も行く」


 自分の前をスルリと通り過ぎて出入り口へ向かうルファを、アルザークは慌てて追いかけた。



 その後、応接室で少し待たされたがイシュノワの承諾が得られ、ルファは星図書などを借りることが出来た。


「返却はいつでもいいからと、イシュノワ様は仰っていました」


「ありがとうございました。イシュノワさんにもそう伝えてください。早く風邪、治るといいですね」


「ええ、伝えておきます。ではお気をつけて」



 セシリオは二人に向かい、深々と腰を折った。




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