偽りの星図〈4〉
雨粒を頬に感じて、アルザークは愛馬のリュウを早駆けへと誘う。
宿場街から外れ、ひと気のない公道へ出ると突然、リュウが歩みをやめ前へ進むのを嫌がった。
「どうした、リュウ?」
妙な気配を感じ周囲に視線を向けると、細い雨と絡むように薄白い煙のような帯が漂っていた。
(まさか、また彷徨いの森か? ───いや……これは違う)
リュウをなだめながら前へ歩みを進めると、冷たい風の流れが頬を撫でていった。
その風は薄白い煙を掻き消しながら、ひんやりとした冷気だけを残していく。
不快感を伴うその感触に、アルザークは思わず剣の柄に手を寄せた。
(何かが、来ている。近くに)
リュウの歩みを止め、アルザークが神経を集中させること数秒。
やがて小さな笑い声が耳に届いた。
一瞬、あの黄金の両翼を持つ子供、ラウルの声かと思ったが違ったようだ。
それは何かとても、ひどく狂気的な嗤い声で。
ラウルは不思議な少年ではあったが、その声は今聴こえたものとは違う。
ラアナという少女も含め、彼等はこれほどの妖気を纏う者たちではなかった。
そんな彼等でなければ一体………。
───うふふ。
───あははは!
暗闇の中、嗤い声が近付いてアルザークの前方に真紅の灯りが浮かんだ。
ゆらゆらと。
それは揺れながら少しずつ人のカタチを成す。
(やはり妖魔か)
アルザークは剣を抜いた。
「こんばんは、死神。いや、今は星護りか」
声は少年。
しかしその姿は、妖艶に成熟した女性のものだった。
真紅の髪を風に靡かせ女は笑った。
「でもこれからは僕のオモチャだよ」
紅く形のよい唇から、チロチロと黒い舌が覗く。
まるで妖蛇の化身だな、とアルザークは思った。
一切の光が届かない闇世界に潜むと伝えられる魔性の眷族。
妖気を纏うそんな輩と対峙するのは初めてではなかった。
妖魔絡みの事件は軍部でも扱っている。
そしてそんな任務に同行するときは、レフも必ず策を練る班の中に選ばれていた。
逆を言えば、レフという男はこのような妖魔絡みの厄介な事件に必ずと言っていいほどアルザークを巻き込むのだ。
(おまえの相手は俺じゃないと言ってやりたいところだが。さっさと片付けるしかなさそうだな)
アルザークは躊躇うことなく、剣先を女に向けた。
「リュウ! 行くぞ!」
主に叱咤され、リュウは仕方ないというような鼻息で駆け出す。
真っ直ぐに、妖しく笑う女をめがけて。
「ふふん。いいね、そうこなくちゃ」
剣を掲げ、目の前に迫る馬上のアルザークに女は動じる様子もなく、まるでそれを待っていたかのような眼差しで正面を向いた。
挑発的なその笑みにアルザークは苛立ちと怒りを感じながら剣を振り上げ、真紅の髪の女に向かって剣を刺し込んだ。
「───っ⁉」
確かに斬ったという手応えは感じた。───けれど。
風音だけを残して女は消えた。
「んふふ。甘いよ、死神。その剣を僕に振るうなら風鷲の力を発動させなきゃ。低級魔とは違う僕を掠めることも出来ないよ。───ほら、今度はこっちがお返しだ!」
───空かっ⁉
アルザークは女の声を空から感じて見上げた。
暗黒の眠り夜空を。
そこから雨の雫と共にアルザークをめがけて流れ降りる幾つもの赤い閃光。
光の尾をひいて、それはまるで火矢のようにアルザークへ向かっていた。
(あいつは風鷲の力を発動させろと言った……。それは風鷲の称号を賜ったこの剣の意味を、この剣に封じられた力や限られた者だけが知る秘密を知っているというのか───⁉)
遠巻きに嗤いながら自分を見ている女に疑問を向ける一方で、このままでは降ってくる邪火に身が包まれることを悟り、アルザークはやむ得ず決断する。
得体のしれないあの女が言った『発動』というものを。
手にしていた剣の柄を自分の胸に当て、アルザークは静かに呟いた。
風鷲の称号を賜った者たちだけが口にできる解封の言霊。
そして剣の名を。
『闘獣の星霊主』という王家の守護霊力を、秘術を使って剣に封じ、その使い手だけが目覚めさせることのできる〈聖真名〉。
言霊の力が働く解封と、剣に名付けられた聖真名により封じられた力を
聖真名を口にした途端、剣からアルザークの手に強い振動が伝わった。
それはまるで鼓動のような響きだった。
そして剣は蒼白い炎のような光を纏い、眩い輝きを放ちながら迫り来る邪火を溶かすように消滅させていった。
暗闇の戻ったその場所で、真紅の髪の女は「ふははっ」と狂気めいた声で高く笑った。
「いいねぇ。それが見たかったんだよ。でもやっぱり甘いよ、死神。僕に催促されないと剣を解放しないなんて。さっさと戦闘態勢になってくれなきゃつまらないだろ。星護りが困ることになるんだぜ。もしもこれが僕の時間稼ぎだったらどうすんの?」
「時間、稼ぎだと?」
───うふふ。
女は嗤い、そして言った。
「今夜は僕からの挨拶がわりだけどね。僕が一番欲しいのは君じゃないってこと。教えといてあげるよ」
「貴様………」
アルザークが剣を構え直したときにはもう、女の姿は消えていた。
「あははは。じゃあね~」
残ったものは少年の声だけ。
「リュウ、急ぐぞ!」
アルザークの胸に、とてつもなく嫌な感覚が湧き上がる。
宿館に残してきたルファのことが気がかりだった。
───まだ、この胸に痛みは感じない。
(ルファの魔法力は行使されていない。それに護身術程度には使えると聞いている。が……あいつ本当に使いこなせるのか?)
風に揺れるアルザークの髪や肩や背に、激しく降り出した雨粒が流れた。
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