偽りの星図〈3〉



一方のアルザークは、レフ・イェールスカイが泊まっている宿屋に来ていた。



「ん~、あれ? 俺の子猫ちゃんは?」


 乱れた寝台から、ほのかに匂う香水。


 薄掛けの中からモゾモゾと、あくびをしつつ起き上がったレフにアルザークは冷ややかな眼差しを向けた。


「なんだアルか。しかしおまえ、ゆうべあれだけ呑んでおいてよく動けるね。俺はもう半日ダウン……。で、この宿の看板娘がね、優しい娘でさぁ。看病なんかしてくれてさ! 女将にバレるといけないから先に起きて行っちゃったのかなぁ」


 残念そうに呟くレフにアルザークは呆れた。


「ここはそういう宿なのか?」


「まっさかー。健全なお宿だよぉ。なんだよ、アル。なに怒ってんのさ。こういう楽しみもなきゃやってらんねぇよ、人探しなんて。で? おまえから訪ねて来るなんて、どうしたわけ? 星読みちゃんも一緒か? どこどこ?」


「俺だけだ」


「えー。なんで連れて来ないのさ。星読みちゃんと一緒に飯でも食いたかったのに……っ、痛! ぅわッ。叩くことないだろっ」


「うるさい。黙れ」


 膨れっ面のレフを睨みながらアルザークは続けた。


「あれの名前はルファだ。ルキオンに星読みが来ていることは一部の人間しか知らない。気安く星読みと呼ぶな」


「……はいはい」


「おまえに聞いてないことがあったから来ただけだ。レフ、夕べのあれ、どっちなんだ」


「夕べのって?」


「おまえが追ってる奴だ。女なのか男なのか。はっきり聞いてない」


「あー、そうだっけ?」


 眠た気に宙を彷徨っていたレフの眼差しがアルザークに向いた。


「それがさぁ、女のような男のような……」


「曖昧だな。おまえが動かされてるということは妖魔か魔導絡みか」


「だからぁ。わざわざ俺に会いにきてくれたアルには悪いが、話せない内容もあるんでな。でも取り引きでもする?」


「取り引きだと?」


(───こいつ、もしかしてシュカの葉の情報を何か持ってるのか?)


 麻薬草の調合に詳しくはなかったが、独特の匂いを放つシュカはその使用量が多くなればなるほど使用者の身体から香りが漂うようになるというものだった。


 そして使用者は己の匂いに溺れていくという。


 嗅覚の麻痺はもちろん、やがては視覚、そして身体の様々な神経を壊され、その香り無しでは生きられないほどの状態に陥り、ついには己を見失う。


「だからぁ、俺の情報と引き換えに星読みちゃんと一度二人っきりでご飯食い───にっ⁉ イタタッ‼ もーっ、グーで殴るな!」


「そんな馬鹿げた取り引きなど誰がするか」


「あっそ!」


(───しない、が……)


 昼間、星見師の邸で会ったセシリオという若者の顔が、アルザークの頭の中にチラついた。


 そして昨日、ルファの所在を訊きに赴いたあの邸で、酔ったイシュノワから漂っていた香りは麻薬草シュカの葉の匂いに似ていたのだ。


「取り引きになる情報かどうかはまだ判らないが……」


 アルザークは言いかけた。


 だがレフの望む馬鹿げた取引をする気になれない。


「いや、なんでもない」


「あーそーかい。んじゃお互い、話せる段階になったらな」


「そうだな」


 なんとなく、ぎこちない雰囲気に包まれる中でこれ以上話すこともないと考え、アルザークが部屋を出ようとするとレフが呼び止めた。


「アル、おまえさ」


「なんだ」


「おまえ……まあ、いつもそんな感じだとは思うけど。もっと話をした方がいいぞ」


「は?」


「だから、あの子と。ルファちゃんと、いろんなことちゃんと話してんのかよ」


「そんなこと、おまえにいちいち言うことでもないだろ」


「そりゃそーだけどよ。あのねー、軍の中でなら、おまえのそういう性格もみんな知ってるし、悪いとは言わねぇが。しばらく星護りに徹するならさ、もっとこう柔らかく、だな」


「意味がわからん」


「わかれよ。おまえ、気持ちとか他人に伝えるの苦手だろ昔から。性格からしておまえの場合は想ってることとか、普通の人の倍は伝わりにくいんだからさ」


「 ……レフ。おまえ何が言いたいんだ?」


 溜め息と共に、アルザークは面倒くさいと言いたげな表情で訊いた。


「だーかーら。もうちょっと、なんつうかさぁ、気持ちを伝えやすくしようとか心がけろってこと。女の子には特に!」


「は?」


 仏頂面で聞き返すアルザークに、レフは自分の頭を両手でワシワシと掻きながら言った。


「星護りなら、一番傍にいなけりゃならない星読みに伝わりにくいって困るだろ。だから余計に注意を注いでだな」


「おまえはルファのことを言ってるのか。あれにはいつも注意している。後先考えずに行動するなと言ってある」


「あのなー。それもう少しさ、なんつーか義務的な言葉じゃなくて。気持ちを伝えろってことだ。アルの心をしっかり向けろって俺は言いたいの! 星護り職は特殊だからな」


「余計な世話だ」


「あっそーかよ! ふんっ。ならせいぜい苦しむがいいさ! 知らねーぞ、泣きついてきても助けんぞ、俺は!」


「泣きつく? 誰が」


 アルザークはこう言って冷ややかな眼差しでレフを一瞥し、部屋を出ていった。



「まったくッ。人の忠告を鼻で笑いやがって、あいつは!」


 特殊なのは星護りだけじゃない。


 星読みもまた特殊。


 そして異質者だ。


(なーんて。俺も他人をとやかく言えた身じゃねぇか)


 そんな呟きを、レフは心の中だけに留め自嘲の笑いを浮かべた。



♢♢♢♢♢



 天文院へ送る報告書を書きながら、ルファは溜め息をついた。


「ルファってば。溜め息多すぎ」


「ごめん。図書館で調べてもダメだったことが多かったからつい」


「星の泉?」


「うん。ほかにも風鷲が風の獣の長だって聞いたことも。これはとても貴重な情報だと思うの。何か秘密が隠されてる感じがする」


「ヒミツねぇ」


 ゆらゆらと尻尾を遊ばせながら呟くココアに、ルファは言った。


「図書館で書物に遺されてるものばかりを探そうとしていたらダメなのかもね。昔、ルセルに言われたことを思い出したわ」


「ルセル様になんて?」


「目には見えないものも大切だって。目に見えて遺されているものばかりを追いかけていてもダメだよって。口伝のように文字や絵以外にも遺せる方法があるのよね。残っていくものが……」


 人は目に視えるものを信じ、追求しようとする。


 けれど、違う視点で物事を考えることも大切かもしれない。


「私、ルキオンへ来てこの土地の人たちの話とか、まだよく聞いてなかったわ。地元の人たちに話を聞くことも大切だって、ルセルよく言ってたっけ」


「そうそう!特にお年寄りは生き字引だもんな!」


 ココアの台詞にルファは頷いて笑った。


「そうね。この報告書の返事が届くまで、明日から聞き込み調査しようかな」


「オッケー。およ? 雨かな?」


 ココアが窓を見つめたので、ルファは立ち上がり窓辺へ寄った。


「降ってきた」


 細い雫が眠り夜空から落ちてくるのが見えた。


 優しい雨はまだ降り始めのようで、乾いた窓枠に薄く跡を残す。


 こんな夜でもルキオンのどこかで彷徨いの森は現れているのだろうか。


「今夜はあまり観測できないわね。とりあえずこの報告書を仕上げなくちゃ。アルザークさんにもこの報告書に目を通してほしいな」


 ルファは窓からそっと露台を覗いたが、隣りの部屋の灯りがついた様子はない。


「アルザークさん、まだ帰ってないみたい」


「アルのやつきっと女のとこから朝帰りだな」


「ココアってば。そんなふうに決めつけなくても」


(……でも。本当にどこへ行ったのかな。やっぱり女の人のところ?ルキオンに恋人がいるとか?)


 それとも単なる行きずりの───お遊び⁉


(まさか。……でも、どうなんだろう。アルザークさん、恋人とかいるのかな)


 月星のことなどわからないと、冷めた瞳で言っていたのを思い出す。


 月星に祈ったり月星を信じることも理解できないと言っていた。


 星読みも星護りも、月星の導きがあってのことなのに。


 導かれ、選ばれ、巡り逢ったのだと。ルファはそう想っていた。


 そう信じている。


 それなのに、それが信じられないような、嫌ってさえいるような彼は。


(アルザークさんはもしかしたら、星護りになんて選ばれたくなかったのかな)


 暗闇から落ちる雨を見つめながら、ルファはまた溜め息をついた。



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