風の獣〈2〉



 風の獣が去ると吹く風もなくなり、ラアナも唄うのをやめた。


 そしてすべての音がかき消されたような静寂に辺りは包まれた。


 しかしそれもつかの間。



「───るぅふあぁぁぁ~っ‼」


 ココアが叫びながら走り寄り、ピョンとルファの肩の上に飛び乗ると耳元にぐぐっと頬ずりをしてきた。



「大丈夫かっ! 怪我ない⁉」



「ん、大丈夫。ちょっと転んじゃったけど」



 ルファは立ち上がり、パタパタと膝の土埃を払う。



「大丈夫かぇ、ルファ」



 ココアに続いてふわりふわりと舞うようにやってきたラアナと、その後ろから髪は短いがラアナとそっくりな顔の子供が近寄ったのだが。



「それ以上近寄るな」



 アルザークがルファを庇うようにして立ち、抜いたままの剣を二人の子供の前にかざして言った。



「近付けば斬る」



「アルザークさん! ダメですっ、剣をしまってください! ラアナは何も悪くない子だから。でもあの、そっちの子供は?」



「黙って下がっていろ! ルファ、オリアーノ!」



 荒げた声には苛立ちと。


 緊張と。


 覗き見る横顔はどこか苦痛そうで。


 なんだかいつもと違うアルザークの様子に、ルファは何も言えず後ろへ下がった。


 そんな二人を見つめながら、ラアナは鼻で笑いそして言った。



「近寄らぬわ。嫌な匂いがするからな、おまえからは。濃い血の匂いだ。おまえその剣でいったいどれだけ殺めたのじゃ」



「さっきのアレはなんだ。妖魔の類いか?」



「あれは風の獣だよ」



 アルザークの質問に答えたのはラウルだった。


 その返事にアルザークは驚きを隠せない表情でラウルを見つめた。



「風の獣は血の匂いが大嫌いじゃ。おまえの身体に染み付いた血の記憶を感じて逃げ出したのだ」



 ラアナは風の獣が去った天を見上げながら言った。


 そうだろうか。それだけとは限らない気がするとルファは思った。


 風の獣はラアナの唄にも反応していたようにも思えた。



「どういうことか説明しろ。いったい何が起こってるんだ」



「……あの、アルザークさん」



 背後から控えめにルファが声をかけた。



「とりあえずその剣、仕舞いません? 何かをお願いするときは、そういう危ないものは出すべきではないかと。……ねえ、ココア。そう思うよね?」



「なんであたいに聞くのさ」



「だって」



 こんな二人、ではなく正しくは一人と一匹のやりとりを聞きながら、アルザークは溜息をつくと剣を鞘へおさめた。



「なあ、ラウル。こやつは何でこんなに機嫌が悪いのだ? おぬしずっと一緒だったのだろう。何をした?」



「なんにも。何かしたのはラアナじゃないの?」



「こいつに魔法力を使わせたのはおまえか」



 背後のルファを顎で指し、アルザークはラアナに訊いた。



「ああ、これのことか。綺麗だろう」



「うわ! なんだよそれ⁉」



 ラウルがラアナの手首で揺れる腕輪を見て叫んだ。



「魔法力を使わせてルファに作ってもらったのだ」



「もーっ、ラアナってばッ。おまえ星読みになんつーもん作らせてんだ!」



「可愛らしいだろ。なんだ?このくらいのことで腹を立てているのか星護りは。それとも何か別に我慢できぬことでもあるのか? 星護りになったばかりだから仕方あるまいが。痛みや苦しみには慣れていると思うが違うのか?」



「黙れ」



「そんなに血の匂いをさせているくせに。山ほど殺めても自分はまだ傷を負ったことがないからか?」



 ふふふ、とラアナは笑った。



(ラアナは何を話しているんだろう)



 少し離れた所からアルザークの背中を見つめ、ルファは首を傾げた。



「もう! ラアナってば。星護りをそんなに苛めたら可哀想だよ。ね、そろそろ戻ろう。ここに長く居すぎてる。また明日の晩、来ればいいじゃん」



「え、あのっ、待ってラアナ!」



 アルザークの後ろから慌てて身を乗り出そうとしたルファだったが、彼が伸ばした腕にその身は阻まれた。



「ふふ。嫌われたものよの。ルファ、今日はこれ以上の話は無理のようじゃ」



「ではまた明日会えるのですか?」



 もっと話が聞きたい。


 もっとあの泉の中を視てみたい。


 ルファは泉の方向へ目を向けた。───すると、


(泉が消えそう⁉)


 泉から湧き上がる輝きが少しずつ空へ昇っていく。


 それはまるで大きな柱になり天へ吸い取られていくように。


 地面から泉が消え、天へ光が昇っていく。



「行くよ、ラアナ」



「ルファ、おまえとはまた逢える。美しい繋がりが貰えたからね」



 ルファが作った腕輪を掲げ、ラアナは微笑んだ。



「それじゃあね、星護りのお兄さん。探し人見つかってよかったね。星読みのお姉さんも、またね!」



 ラアナにそっくりな少年が、ルファに向かって微笑んだ。


 その直後、


 パサリ……パサリ………と、羽音がルファの耳を掠めた。



「───なんだよッ、あれ!」



 ルファの耳元でココアが悲鳴に近い声を漏らす。


 ラアナとラウルの背に大きな翼がひらいた。


 眩しく輝く黄金の両翼。


 風を起こしながら、二人はフワリと飛び立つと天空へ伸びていく光を目指した。


 そして翼を持つ二人の子供は輝く柱の中へ吸い込まれるように消えた。



(やっぱり……彼等は〈星霊主セイレイシュ〉さま?)



 ルファは空を見上げたまま、心の中でそっと呟いた。



「行っちゃったね。……うわ⁉ 見てよ周り!」



 ココアの叫びに我に返ったルファは辺りを見回した。


「えっ、ここは!」


 森は消えていた。


 いつの間にかそこは公道で、ルファが迷い込む前に居た場所だった。




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