星路



 夕暮れ前にレフが戻り、ルファたちは星見師の邸へ向かった。



 邸に着くとレフは警備に当たっていた兵士たちを集め最終確認を始め、ルファとアルザークは先に邸内に入ることにした。



「ルファ、しっかりな!」


 出入り口の扉の前で、ココアが声をかけた。


「行ってくるね、ココア」


 ルファは足元のココアを撫でてからアルザークと共に中へ入った。




 一階の食堂と炊事場の並びに、使用人たちが食事や休憩をとるために使っていた一室がある。そこが惨殺現場だった。


 部屋の扉の四隅と中央に月と星を象った紋様があり、その中に【封】という意味のある文字が書かれた札が貼られてあった。


「札の文字が薄くなってないか?」


 打ち合わせを終えて邸内に入って来たレフにアルザークが言った。


「術が効いてる証拠だ。ルファちゃん、部屋の四隅にも同じ札が貼ってあるが、濃い残瘴気の影響で術が破られることもある。あくまでも応急処置だから用心してくれよ。たとえ一枚でも札が剥がれるようなことがあったら任務を中断して部屋から出ることを約束してくれ。それから灯りを絶やさないこと」


 こう言ってレフはルファに小さな炎が中で揺れる角灯ランタンを手渡した。


「───はい。アルザークさんとレフさんは食堂で待機していてください」


「いいや、俺たちはこの扉の前で待たせてもらうよ。少しでも近くでなければ落ち着かないからな」


 レフの意見にアルザークも頷いた。


「わかりました。じゃあ行ってきます」


「気を付けるんだよ」


 レフに頷きルファはアルザークを見つめた。


「行ってこい、俺はここにいるから」


「───はい。待っていてくださいね、ここで」


「ああ……」



 ───カタリ、と。


 扉をゆっくりと開けて、ルファは色の見えない暗闇の中へ足を踏み入れた。



 ♢♢♢♢



 扉を閉じると、室内はランタンの炎が放つ淡白い明るさに包まれた。


 テーブルや椅子は部屋の隅にまとめられ、それ以外の家具はない。


 広く空いた床には所々に何か飛び散ったような濃い影が残されていて、目にするだけでゾワリと嫌な感覚を受ける。


(これはきっと血の痕だ)


 動揺せず冷静にと自分に言い聞かせながら、ルファは大きく深呼吸をした。


 そしてまず最初にマセラの手紙に書かれた手順に従うため部屋の中央に移動すると、服のポケットから小さな羅針盤を取り出し方位を確認した。


 そして次に星図を思い浮かべる。


 ルキオンの天空にあるはずの夜空図を。


 眠り夜空に隠されている星々と、二つの標の星の位置も予測はできた。


 標の星が二つ揃う天象図には春を迎えるために必要な星の軌道がある。


 星が巡るための星路が。


 けれど今はそれが歪められている。


《読み解いた天象図を星の光の力で地に現し、二つの標が揃う夜空図を描け》


 これは手紙に箇条書きされていたマセラからの指示の一つだ。


 魔法力を使い星の光を操り、室内の空間に星図を描く。


 星の泉の中に夜空図が映されていたように。


 並べた古い星図から、星と星を繋ぐ光が溢れて視えたあのときのように。


 ルファは光を喚んだ。


 そして星霊主ラアナのために腕輪を作ったときのように光を紡ぐ。


(星が揃えばきっと星路は現れる)


 星を読み、星の位置から輝きの純度までも計測し、魔法力で光を操りながらルファは星図を描いた。


 暗かった室内に星明りが満ち、足元には煌めく夜空図が広がっていた。


 星々を繋ぐ光線。そしてゆっくりと回り巡る金と銀の光の螺旋。


 二つの標の星の位置を確認しながら、ルファは描いた夜空図を見つめた。


 ここに『ルキオンの月』と『星冠』を加える。


 読み解いた位置にを置くことできっとみちは繋がる。


 ルファは目を閉じ強く祈るように集中しながら二つの星の光を喚び、室内に広がる星図の中に加えた。


 すると標の星からそれぞれに光線が伸び、チカチカと瞬きながら他の星々へと繋がっていった。


(なんて綺麗なんだろう。まるで星たちが呼吸してるみたい。でも………)


 一ヵ所だけ星路が途切れている。


(やはりここが………。路の歪みなんだ)


『春風滞るは路が歪んでいるから』というのは聖占結果だったが、マセラの手紙には指示のほかに予見も書かれていた。


《途絶えた星路に歪みの原因がある。知り得た詩は路を示す力となるだろう》


 知り得た詩、というのは子供の頃から聞き馴染んだものが様々あったが、ルファの中で強く思い浮かんだのはサヨリから聞いた〈星の泉〉の詩と、昔から好きな寝物語の中にある〈風の詩〉だった。


(風の詩の中には聖獣のことや天の回廊が出てくる)


 手紙にはルファの知らない詩が書き添えられてあった。


《光隠れる春の路 泉に眠る二つ星 隠れた光が戻るまで 眠りの空が晴れるまで 忘れた音が届くまで  標となりて導きゆく》


 この詩はなぜか不思議と〈星の泉〉に似ている感じがした。


 ルファは天文院からの返書、そしてマサラの手紙や詩から一つの答えを読み解いていた。


 可能性でしかないけれど。感じるままに星を読んで出したわたしの答えだから。


 このまま進もう。それから次の指示へ。


 ルファは何度も読み返したマセラの手紙を思い出す。



『───魔法力でのイシュノワ捜索は見せかけとし、ここに真の任務をルファ・オリアーノに告げる。春風の流れを清浄なものにせよ。───秘術を扱うことを理由とし、誰にも告げず行うように───』



(この夜空図はまだ未完成。最後にもう一つ星を加えなければ。そして次に私がやるべきことは、風の獣を助けること)



『狩られた風を救出し、星霊主の儀式が滞りなく行えるよう路を開け』



 手紙には天文院の老師衆や聖占師たちの星占や予見で、既にイシュノワの行方もセシリオの行動も先読みされているとあった。

 そして王都から密命を受けた聖占師と軍の少数部隊が先行してイシュノワを追っていることも。


 けれど魔占術の影響もあり、ここで大きく動けばセシリオに気付かれる可能性があるため、今はセシリオの予見の裏をかく必要がある。


 星読みに行方の捜索を行わせている、と思わせる一方で極秘に行うべきことがあるからと手紙には綴られていた。



 ♢♢♢♢



「まだ三分ほどか。長く感じるな」


 部屋の扉の前でレフが呟いた。


 アルザークは無言で腕を組み、壁に寄りかかるような姿勢で目を閉じていた。


「アルに伝えておくべきか迷ったんだが。王都で気になる動きがあったと俺の使いが知らせてきてな。ここの部隊とは別に動いている連中がいるらしい」


 アルザークは目を開けるとレフに視線を向けて聞いた。


「なんのために」


「わからん」


 レフの答えにアルザークは一瞬だけ眉を顰め、小さく息を吐いて言った。


「判らないことを詮索するよりも、ここの守りを優先するべきだ」


「あぁ、確かにそうなんだが。でも俺は不思議でならないことが一つある」


「なんだ」


「なんでルファちゃんなのかな。王都には老師衆もいて優秀な聖占師もいるのに、星見師の行方くらい判らないのかと思ってさ。俺は魔法力がどんなものかは知らない。でも異能なら俺にもある。でも異能は使い方次第で魔力に通ずるときがある。……魔法力もそうじゃないかと俺は思うんだ。扉の奥から僅かだがルファちゃんが使ってる異能のパワーが伝わる。魔力にも似た力がね」


「だからなんだ。危険な力だということは俺だって承知している」


「だからさ、別任務とはいえ星読みにそんな力をわざわざ使わせるなんて。驚いたよ」


「俺だって天文院に言いたい文句は山ほどある。だがあいつは選ばれたんだ。星読みの中から。……それはきっとルファにしかできないことがあるからじゃないか? そしてあいつもそれをやり遂げようとしている。───きっと大丈夫だと、月星を信じながら。だったら俺もあいつと同じ想いでいてやりたい。星護りとして。……俺はそう思うことにしている」


「……そうだな。しかしここでの別任務にあんなに反対してたのに。そういうこと言えるようになったのかぁアルも。兄貴としては感動だなぁ~」


 ニンマリと笑みをみせるレフを睨みながら、アルザークは「誰が兄だ、黙れ!」と言いかけたのだが。


 見張りの兵士が一人、慌てた様子で二人の傍に駆けて来て言った。


「大変です! 裏庭で警備に当たっていた者の様子がっ……。急に暴れだして!」


「なんだと⁉ ───わかったすぐに行く。……アル」


「ああ、ここは任せろ」


 頷きを返したレフは背を向け、邸の裏庭へ走った。



 ♢♢♢


 扉の前で一人、アルザークは目の前に見えるものとは違うものを視ていた。


 それは胸の疼きと共に頭の中に飛び込んできた景色で。


 ルファが魔法力を使うことで伝わり視えるものだった。


 室内に広がる淡い星明り。


 足元には無数の星が瞬いていた。


 ───夜空図か。あれがルキオンの星空なのか?


 星々の間を光の筋が幾重にも流れては消え、また現れ。消える線と残る線に分かれていくように視えた。


 輝きを帯びながら靡く様は時折、流星のようにも視える。


 そんな中にルファはいた。


 白金の髪が星屑のような輝きを放っていた。


 その美しさに、気付けばアルザークは手を伸ばしていた。───けれど、


 とても近い距離にルファはいるのに。


 触れることができず、アルザークは我に返った。


 視えてはいても、実際は部屋の内と外という隔たりがあるのだ。


 その距離がなぜか今、遠く感じることが不安で。


 見守ることしかできないことに、アルザークは歯痒さを感じていた。




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