エピローグ・03
田中がどうにかこうにか仕事を終えて外に出ると、辺りはすっかり暗かった。
おまけに、
「――雪だ」
いつから振り出していたのだろう。
仕事に集中し過ぎていて、まったく気がつけなかった。
時節柄、出歩く際にはコートを着込んでいるものの、寒さはその上から染み込んで来るし、剥き出しの首や手がしんと冷たい。
「守月草にも、少し遅めの初雪ですね」
隣の工藤が、白い息を吐きながら呟く。
そして、
「いやあ、こんなこともあろうかと用意しておいて良かったです」
取り出したるは、一人分にしてはどう見ても長過ぎるマフラー。
その片端をくるくる巻くと、必然の余った部分を、まるで獲物を見定めたハンターじみてひゅんひゅん回し、
「さあ田中さん」
「拒否権ある?」
キャッチ。
アンド、ロール。
「それでは行きましょうか」
有無を差し込む余地もない。
一本のマフラーを二人で巻き、そして、用意周到に身に着けていたもふもふ手袋で、ぎゅっと片手を無理矢理繋がされる。
「……何て言うかさ。相変わらず強引だよね」
「人の態度を責めるより、まず自分の癖を直すべきでは?」
「う、」
「自分を愛することが出来たら。次は、自分から愛しに行く番ですよ。……そんなこともわからないと、これから先、誰に睨まれても知りませんからね」
さくさくと雪を踏み締めて、冬の夜を歩いていく。
その感覚で、ふと思い出す。
異世界、ハルタレヴァ、第二層。
雪の日の、遠い記憶の、帰り道。
「――――なあ、ティナ」
その顔が、こちらを向いた。
「俺は――ほんの少しぐらい、あんたみたく、餓鬼じゃあなくなれただろうか?」
「失礼な」
でこぴんを受ける。
状況が状況のせいでかわせない。
「極端なんですよ。あなたは、昔から」
「……」
「人にはね。成長しなきゃいけない部分と、変わらずに持ち続けていなきゃあいけない部分があるんです。何もかもそのままじゃないといけないわけじゃないし、全部捨てて進まなきゃいけないわけでもない。――――そう。つまりは、美味しいとこだけ、巧く、賢く。清濁を併せ飲んで、尊敬と落胆を同時に持ち合わせるのが、正しい大人ってやつなんですよ、田中さん」
立ち寄ったスーパー。
かごの中にやたらぽいぽいとお菓子を放り込む工藤は、したり顔でそんなことを言った。
「……成程。そういや昔から、ずっとあんたはそうだったな」
「そうですそうです。立派なお手本がずっと傍に居るんですから、是非に参考にすると良いですよ。――まあ、工藤貞奈は永遠の、少女と女性のいいとこ取りの十七歳ですけれどっ」
そうして。
二つの手を繋ぎ、もう片方でぱんぱんのビニール袋を持ち寄って、帰り着いた後は、勝手知ったるコンビネーションで準備を進める。
「田中さん、コンロはー?」
「前に仕舞った時のままー」
「映画とか流しますー?」
「ばっちり集中しなくても面白くて流しっぱなしに出来るアクション系で」
「お布団は何組ー?」
「とりあえず三組、あるだけ用意しとこうか。万が一の時は寝袋も引っ張り出すよ」
並んで厨房に立ち、それから三十分後。
呼び鈴が鳴り、田中は玄関の扉を開けた。
「おぉっすー。来たぞ、田中職員ー。いやー
もふもふに重ね着をした太陽神が、そんなことを言いながら暖房の聞いた室内に駆け込み、実に自然な動作でこたつに入る。
「おっ! これはこれは、わかっていますなあマイ・タイクーンッ! ガラドラ・H・C・B主演、炸裂リザードマンアクションの大傑作、【Cut Or Alive】とは!!!! 私も初めに見たときは度胆を抜かれたものですよ、地球のCG技術とは、まさに異世界創造の領域ですな!!!!」
居間のテレビに齧りつき、目を輝かせながら異世界人俳優のアクション・シーンに見入る、元・グヤンドランガ最強の男。
「……むっ。むむむむむむむっ!? よぉしわかった、今から言うぞ! 昆布、鳥、葱、白菜、ポン酢、柚子、油揚げ、牡蠣鱈豚牛春菊豆腐ッ! タレは諸々お好みでっ! いいぞ! そうだ! やるじゃあないかタナカ! 徹底した自主性と好みの尊重、おもてなしの姿勢! 嫌いじゃない、自分は全然嫌いじゃないぞッ!!!!」
玄関から廊下の段階で食材と趣向を言い当て、ぐつぐつと煮える鍋の湯気を待ちきれない顔で吸い込む天の御使い。
「……うわあ」
なんともまあ、壮観である。
普段はそう人を迎えることもない家、1LDKのリビングが、あっという間に賑やかになった。
それぞれがそれぞれに、とんでもない存在なのだが。
何故だろう。
今日は、
今は、
ちっとも、畏れ多くない。
「わあっ……!」
そして。
リビングの入口に立ちっぱなしで、きょろきょろと落ち着きなく室内を見渡しているお方が言う。
「これが。ここが――田中さんの世界なんですねっ!」
創造神による心の底からの感動が、至って普通で平均的な、一人暮らしの公務員の部屋に向けられて。
「あ、はい、いえ、その。……なんというか、恐縮です」
スーツを脱いで私服に着替え、エプロン姿の田中が、顔を赤らめてお辞儀する。
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