四章(急)・24



「――――うわあ、」


 茫漠たる無の中、元・第三層【満願の園】の闇の中で、大創造神ハルタレヴァは顔を引き攣らせて声を漏らした。

 やられた。

 門出の祝いの花火とばかりに、重荷は一切処分していくつもりだったのに。


「……跳びやがったわね。【第四層】に」


 異世界ハルタレヴァ。

 それはそこを創った創造神にとって徹頭徹尾【手段】でしかない、役目を終えたら欠片も残さず消滅させること、甘い蜜を目当てに余所から集まった有象無象に対する愛着など一切持たない実験場にして産業地帯だったのだが、


 別だ。

 そこだけは。

【第四層】だけは。


「折角勢いついてるのに。一回ブレーキ踏めっての?」


 憎らしい。

 あそこに土足で踏み込むものを、捨て置けるわけがない。それを無視して、侵攻になど繰り出せない。


 見つけてしまった害虫を、始末せずには眠れないように。

 何をするかもわからぬ餓鬼を、宝物庫に残せないように。


 この目で。

 直接。

 排除を確認しなければ。


「――最後の最後まで。余計なことをしてくれるわね、天使は」


 その面白みの無い素振り、事もあろうに造物主を二番目の位置に置こうとした不遜を思い起こして舌打ちをし、


「それとも。つくづく悪運が強いわね――と、あなたに言うべきなのかしら。ねえ、たなちゃん」


 なんて不幸なのかしら、とハルタレヴァは悼む。

 なんて幸福なのかしら、とハルタレヴァは祝う。


「いっぺんに片付けられてしまえば、それはそれは楽だったのに。あなたは――ただひとり、念入りに葬られてしまうのだわ。かつて、自分が手がけた神にね」


 ああ、皮肉――――

 身を震わせる陶酔を心行くまで味わいながら、創造神は、自らの命を待つ葬世神に、全幅の依存を、即ち支配と優越の確信を以て寄りかかった。



                 ■■■■■



 そらと、から

 それが、この世界を埋め尽くす全てだった。


 田中は、周囲を見渡した。

 変化を、見出すことが、出来ない。無駄も、余分も、何一つ無い。

 一切の不純を取り除いた、本当に必要なものだけがある、きっと、そういう場所だった。


 此処は。

 創造神ハルタレヴァが、最初に創った、新しい世界。

 何よりも、彼女が必要としたもの。

 これが要る、と思ったもの。


 地平の果てまで澄み渡る青天と、

 地平を越えても終わらない墓標。

 異世界ハルタレヴァ、第四層。

【神葬の空】。


「その子はね。グラレダ・ミュッカーシャ」


 いつからか、寄り添うように。

 それとも、いつの時も、見守るように。

 穏やかな声と、雰囲気で。

 彼女は、そこに立っていた。


「お花が好きな、優しい子。毎日のお祈りを欠かさない、謙虚で、穏やかで、幸せになるはずだった子」

「――――」

「そっちは、リフラム・ルクレン。友達からは、ラムって呼ばれてた。早とちりなところがたまに瑕で、でも、皆が怯えて迷って座り込んでしまいそうな時に、一番に足を踏み出せる勇気を持った、幸せになるはずだった子」


 手を広げる。

 誇らしげに笑う。

 くるりと回って、空を仰いだ。


「みんな覚えているわ。みんな愛しているわ。たった、六十万しかいなかったけれど――――わたしが創った世界で、わたしの手から巣立って、わたしのことなんて、自分たちの生きる日々の中で、たまにしか思い出すことの無かった――――わたしのファンじゃなくて、わたしがファンだった、あたりまえの命たち」

「……ハルタレヴァ」

「もう、誰もそう呼んではくれない」 


 その理由は。

 その原因は。

 踊るようにステップを踏む彼女を、後ろから抱き止めた。


「この子のせいよ。たなちゃん」


 見上げながら、微笑む。

 それを、当の相手は無表情で見下ろす。


「本当に凄かった。もう、何にもどうにもならなかった。あの頃の私は、創造神として信仰を集めるのも、その基本となる人数を増やすことも、『この子たちのあるがままに任せたい』って、それなりぐらいに留めていて。が現れた時には、皆がそれまでおまけみたいに敬っていた神様に、本気で祈りを捧げるぐらいにはなったけど――でも、たとえば、そうね。今の、大創造神なんて呼ばれるように、あの頃とは比べ物にならない権能を得たわたしでも、きっと太刀打ちは出来ないと思う」


 それが、極寒。

 それが、灼熱。

 対極を併せ持つもの。

 滅亡により、救世を成し遂げるもの。


「葬世救神、アンゴルモア。世界を葬り、神々を救う――決して人々を救わない神」

 

 ――わたしが。

 無力な神の一柱でしかなかった創造神ハルタレヴァが、永遠を懸けて立ち向かうべき、あらゆる世界・あらゆる神さえ御しきれない、欲望という理不尽の象徴だと、彼女は、その腕に抱かれながら微笑んだ。


を前にして。あなたはどうするかしら」


 彼女の、目が。

 じっと、眼前に相対する、ちっぽけな人間を覗く。


「知っているわよ。わかっているのよ。が、あなたにとっても、目標であったこと。かつて、何よりも望んでいたものだということ」


【異世界和親条約】に。

【神々の勝手な都合】に。

 共に、その在り方を、歪められた者。


「だからこそ、わたしはあの時、十五年前、わたしを殺しに来たあなたを生かした。そこにある本物の憎しみが、本当に心地良かったから。わたしの怒りは――決して間違っていないんだ、って、肯定されたと思えたから」


 だから、と語る。

 ハルタレヴァは、問う。


「選ばせてあげる。最後のチャンスを。――今から、わたしの協力者として。同じ、神々と、異世界転生を呪った者として。全ての異世界が滅び行く瞬間の、観客にして観測者になるか。それとも、」


 ――あなたという人生の目的を、曲げず歪まず果たす為に。

 ――理不尽の象徴に、挑むのか。


「聴かせて、たなちゃん。確かめさせて。あれからあなたは、あなたのままで、いられたかしら。昔、大事だったものを――義母様おかあさまへの愛を、失わずに持っていられたかしら?」

 

 快き空の下の、

 今も終わらない無数の弔いの、

 その只中で。


 田中は、

 人間は、

 神を憎んだ少年は、

 、と。


 息を吸い、そして、吐いた。

 真っ直ぐに、

 神々を見た。


 自らの答えを、示した。


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